620話 閑話 本能

 夜も更けて、世界が闇に包まれる時間。

 カイローネイアのある屋敷に、片足を引きずった陰気な男が訪ねてきた。

 ラヴェンナから捕縛要請がでているボドワンである。


 屋敷に入るとメイドがでてきて、ボドワンは控えの間に通される。

 メイドは普通の格好をしているが、動作に一切のムダがない。

 

 知る限り暗殺者のそれに近い。

 そんな情報は一切つかんでいなかった。

 ボドワンは内心困惑するが逃げることもできない。


 控えの間は質素だが、どこからか男女のまぐわう声が聞こえる。

 少女のような高い声と、男の野太い声だ。


 屋敷の主はお楽しみの真っ最中らしいと、ボドワンは考えた。

 淫乱だと聞いていなかったが……さもありなんとも思う。

 相手を驚かせるつもりなのだろうか。

 動揺するでもなく、ボドワンは目を閉じて呼ばれるのを待つことにした。


 別室では男女のまぐわいが、終わりを迎える。

 男は満足そうな笑みを浮かべた。

 果てた男が体を離そうとすると、潤んだ瞳の少女がそれを引き留める。


 男がニヤリと笑って、体を再び押しつけようとすると鈍い音が部屋に響き渡った。

 男の首筋に、ナイフが突き刺さっている。

 男はなんのことだかわからない表情。

 声を出そうとしてもでない。

 

 そしてすぐに少女の上に倒れ込んだ。

 少女はそれを愛おしそうな目で見ながら、男をあおむけに転がす。

 そして首筋から、ナイフを引き抜いた。


 すると鮮血が飛び散り、少女は血まみれになる。

 恍惚の表情を浮かべて、一糸まとわない体に血を塗り続けた。

 塗り終わって、吐息を漏らすと扉が開く。

 そしてメイドらしい女性が入ってきた。


 メイドはこの光景に動揺せず、少女に一礼する。


「クレシダさま。

くだんの男が待っています。

もう少し待たせますか?」


 少女はクレシダ・リカイオス。

 16歳で容姿はそこそこといわれている。

 だが血を浴びたその体は、ぞっとするほど妖艶な色気を醸し出している。

 赤みのかかったブロンドに、真っ赤な瞳。

 透き通るような肌。

 肉付きのよい肢体。


 血に濡れた指をペロリと舐めてから、クレシダは無邪気な笑顔でほほ笑む。


「いいえ。

私の役に立てるといっているお客人ですもの。

あまり待たせてはいけないわ」


 16歳とは思えない色気のある声。

 声だけで男を絶頂に導けるほどだ。


「承知致しました。

お召し物はいかがなさいます?」


 クレシダは唇に人さし指を当てて、妖艶な笑みを浮かべる。


「大事なお客さまですもの。

もしかしたら、いい縁ができるかもしれないわ。

勝負服……。

いえで会いましょう」


                  ◆◇◆◇◆


 ボドワンが応接室に通されると、一瞬ギョっとした表情になった。

 クレシダは一糸まとわぬ姿。

 しかも返り血らしきものも浴びており所々乾きはじめていた。

 微かにまぐわった男の体臭が混じっている。

 めったなことで感情をださないボドワンですら……無意識のうちに気おされた。


 徹底した自己中心的人物。

 操作しやすい人材との認識だったからだ。


 優雅に赤ワインの入ったグラスを片手にもって、もう片方の手で煙管をもっている。


「ボドワンね。

さ、遠慮せずに座って」


 ボドワンは、大人しく従うしかなかった。

 人物評価の修正を迫られている。

 狂人なのか、演技なのか。

 まだ計れないのだ。


「は、はい」


 返事をするのが精いっぱいだった。

 クレシダは煙管を口にして、煙を吐き出す。

 そして煙管の灰を頭蓋骨のようなものに落とした。

 悪趣味にもほどがある……とボドワンは内心辟易とする。

 やはり悪趣味な狂人か。

 ボドワンの視線にクレシダはふくみ笑いをする。


「ああ、これね。

当然……本物よ。

前、私が救ってあげた人なの。

その人がね……泣きながら私のことを可愛そうだっていったのよ。

そこまで私のことを思っているなら、側に置いてあげようってね。

頭蓋骨をくりぬいて、灰筒にしてあげたのよ。

素敵でしょ?」


 ボドワンは二の句が継げずにいた。

 動機がまったく違う。

 クレシダはつまらなさそうに、口をとがらせた。

 こんなときだけは、16歳の少女に見える。


「つまらないわ。

気の利いたこともいえないようでは興醒めよ」


 ボドワンはハッとして、頭を下げる。

 圧倒されていることを自覚していた。

 どうやら試されているらしい……とも感じたのだ。


 少なくとも狂人ではない。

 目と言葉に、理性がある。

 強いていえば、冷静に狂っているというべきか。

 これは本当の意味で……怪物なのではないかと思いはじめている。


「も、申し訳ありません」


「いいわ。

それで私が会ってあげるといったのよ。

さっさと用件をいいなさい。

私のことばかり探るのはフェアじゃないわ」


 ボドワンは前評判とのあまりの違いに、一つの疑念をもちはじめていた。

 別人なのではないかと。

 まずもって、見た目が違う。

 評判ではそれなりの容姿であって、今目の前にいる少女は妖艶そのものだ。


「は、はい……」


 口ごもるボドワンに、クレシダは片方の唇をつり上げた。


「もしかして私がクレシダ・リカイオス本人なのか疑っているのね。

無理もないわ。

世間の評判だと、容姿はそこそこよね」


 クレシダは全裸のまま立ち上がって軽く一回転する。

 噂とはまったく違う。

 体の凹凸は少女そのものだが、妖女のような色気がある。


「お、おそれながら……」


 クレシダは笑って、椅子に座りなおす。

 足を組む仕草は妖艶そのもの。


「特別に教えてあげる。

私はね……人の血を浴びて、絶頂に達したあとだけ美しくなるの。

それもまぐわって達した直後でないとダメ。

男が子孫を残す本能に支配された、その余韻が残っているわ。

血の躍動感が違うの。

だから普段の評判も間違っていないわ。

余韻が去ったあとは、パッとしないもの。

どっちも本当の私よ」


 ボドワンはいつもの陰気な表情に戻って、深々と一礼した。


「ご無礼をお許しください」


 クレシダは上機嫌で、ワインに口をつける。


「許してあげるわ。

もう建て直したから……まるっきり無能ってわけでもなさそうね。

それで私に、なにを望むのかしら?」


「望むなど滅相もない……。

我々はクレシダさまに協力する準備ができております」


 クレシダは口をとがらせて、眉をひそめる。


「ダメダメ。

そんな曖昧な言葉じゃダメよ。

その言い方だと、私の目的を知っているような口ぶりね。

いってごらんなさい」


 ボドワンはわずかに身を乗り出す。

 ようやく自分の領域に入ってきたと感じたからだ


「この世界の支配者を目指していると伺っておりますが」


 クレシダは横に置いてある小箱から、なにかをつまんで煙管にいれた。

 タバコのようだ。

 小箱は天使の絵が刻まれていて、今の状況にミスマッチしたもの。

 クレシダはテーブルに置いてある燭台の火でタバコに火をつける。

 目には失望の色が浮かんでいた。


「その程度で接触してきたの?

私を操縦しやすいワガママ娘とでも思ったのかしらね。

仕方ないわ。今は気分がいいから教えてあげる。

私の目的は、この狂った世界を壊すことよ。

そして壊したことに満足して、絶頂に達したところを誰かに殺してもらう。

そこまでよ」


 ボドワンの心が、一気に警戒へと傾く。

 この少女は危険だと。

 だがこの話を聞いたからには……。

 協力するほか道はないことも悟った。


 逃げることはできないだろう。

 あらゆる手を尽くして、こちらをつぶしに来る。

 クリスティアス・リカイオスがこちらを放置しているのは便利だからだ。

 それが不都合ともなれば、平気で切り捨てる。

 今不安定なシケリア王国への糸が切れると困るのだ。


 では……やられる前にやるべきか。

 これを暴露したところで、平時のワガママと虚言癖から、誰も本気にうけとらない。

 普段の言動は、計算されたものかもしれない。


 では暗殺はどうか。

 ムリだろう。

 メイドからして、一切の隙がなかった。

 この屋敷の使用人は全員ただ者ではない。

 一体この少女は何者なのだろうと、ボドワンは疑問に思った。

 だが……今は迷っている暇などない。

 クレシダのゲームに付き合うしか、道はないのだ。


「破壊して終わりですか。

その後に君臨することを望まれないので?」


 クレシダは苦笑して、ワインに口をつける。


「ダメねぇ。

アナタ乙女の気持ちが、よくわかっていないわ。

お父さまとお母さまを見てよ。

将来私もああなるのが、目に見えているわ。

だからといって節制なんてもってのほかよ。

獣のように本能のまま生きて……美しいうちに死にたいの。

自分から死ぬのは興醒めだわ。

突然襲いかかる死が素敵ねぇ。

あとはどうなろうと知ったことじゃないわ。

アナタたちの好きにすればいいわよ」


 筋が通っているのかいないのか。

 狂人のフリではない。

 だが頭の構造が、人とは違う気がしている。

 それでも恐れるより、クレシダと話し続けるほかないのだ。


 ボドワン自身は死を恐れてはいない。

 だが組織が壊滅させられては困る。

 根拠はないが、この少女ならやれるのではないかとさえ思う。

 普通の人がもつためらいや、良心を一切持ち合わせていない。

 それが権力者の近くにいるのだ。

 

 では純粋な悪なのかといえば……。

 そうでもない気がする。

 ただ自分の本能に従っているだけか。

 本能が悪だといえばそうなのだが……。

 その本能が、極めて理性的で破滅的なのだ。

 うかつに接触してはいけない人物であることを痛感した。

 取り込むつもりで、既に取り込まれている気さえするのだ。


 ボドワンはかぶりをふる。

 本気でクレシダに見切りをつけられると、すべてが終わる気さえしていた。


「そこまでは私どもと目的は一致しているかと。

お力になれると存じます」


 クレシダは醒めた目で、ボドワンを見る。


「力ねぇ。

それなら私を楽しませてといいたいけど……。

アナタを救っても面白くなさそうね。

見たところ、死をいとわないのでしょ?」


 クレシダにとって救うとは……殺すことなのだと察した。

 殺人が趣味なのか。

 だが救うという表現に引っかかる。

 それを問いただしても無意味だろう。

 今はクレシダの問いに答えるしかない。


「我が命は、私ひとりのものではありませんので。

必要とあらば……喜んでささげましょう」


 クレシダはフンと鼻を鳴らした。


「ダメダメ、簡単に捨てられるのなら価値がないわ。

この地獄のような世界でも、生にしがみつく。

生にしがみついてこそ、生きていると実感するわ。

それが果てる瞬間、私の体を熱くしてくれるの。

ほかになにができるの?

今のところおじさまのほうが、ずっと役に立っているわよ」


 最後に、危険な言葉が飛び出した。

 クリスティアスが手を焼いている姪。

 そうではないのか?


「リカイオス卿がクレシダさまのお役にですか?」


 クレシダはあきれた顔で、足を組みなおす。


「知っていて私に協力を持ちかけたのかと思ったら……。

とんだ見込み違いね。

弱小だったおじさまに、大貴族であるミツォタキスの名前を借りるよう教えてあげたのよ。

そのあと、いろいろと知恵を授けてあげたの。

最近は勘違いして、ちょっと頭のいい連中をはべらせているけど……。

毒蜘蛛が1匹やってきただけで、あのありさまよ。

情けないったらありゃしないわ」


 そんな情報はつかんでいなかった。

 この少女が、黒幕だとは信じがたい。

 だが直感的に、それは事実なのだと感じた。


「では、ペルサキス卿を遠ざけたのも?」


 クレシダは煙管を吸い込んで、ふっと煙を吐き出す。

 その煙にも、なにか不思議な香りが漂っている。

 麻薬ではない。

 その手の薬物はボドワンの所属している組織では、よく知られているからだ。


「違うわ。

ペルサキスはもっと使うべきだったのよ。

どうして男って、余裕がでた瞬間にひよるのかしらね。

裏切りっこないし、あとでどうとでもなるのに」


 噂と人物像があまりに違う。

 だがここにきて、噂など意味がないと思っていた。


「クレシダさまはペルサキス卿を狙っていたのでは?」


 クレシダは目を輝かせて、胸に手を当てる。


「ええ! 大勢の人間を救って英雄といわれる男を、足元にはいつくばらせるの!

そして私の足の指を舐めさせる。

考えただけでゾクゾクしちゃうわ。

それをどこの馬の骨ともわからない女に捕まるなんてね。

興醒めもいいところよ」


 ボドワンは消す気なのかと思った。

 自分のものにならないなら消すのは、よく聞く話だからだ。

 それなら役に立てるだろう。


「では、今は邪魔なのでしょうか?」


「邪魔ってほどでもないわね。

使い勝手はいいからね。

親友のガヴラスとセットで、私の風景にしてあげるつもりよ。

イケメンだしね。

それよりアナタたちは……私になにをしてくれるの?」


 ボドワンはここでしくじったら終わり……と悟る。

 クレシダは明らかにつまならさそうな顔をしている。


「まず情報でお役に立てます。

必要でしたら暗殺なども」


 クレシダはワインを飲み干すと、隣室からすぐにメイドがやってきた。

 そしてうやうやしく、グラスにワインを注ぐ。

 メイドを見る目は、別人のように優しいものだった。

 だが返り血が乾きはじめている全裸の少女。

 頭蓋骨の灰筒。

 異様な光景だ。

 メイドが退出すると、クレシダの表情は元の妖艶な笑みに戻っていた。


「欲しいのは直接的な武力ね。

おじさまだけでは心許ないわ。

ちょっとあのアルフレードって人、油断ならないもの」


 ここでアルフレードの名前がでてきたのは好機と感じた。

 敵の敵は味方というわけだ。


「ヤツですか。

ヤツは我々にとっても、不俱戴天ふぐたいてん の敵です。

それだけでも利害は一致しているかと」


 ところがクレシダは意外そうな顔をする。


「別に敵じゃないわ」


 さすがのボドワンも、一瞬混乱してしまう。


「違うのですか?」


 クレシダは楽しそうにほほ笑んで、グラスのワインを揺らす。


「むしろ恩人よ。

どうにもならなかった使徒を、あそこまでガタガタにしてくれたんだもの。

お礼のキスでもしてあげたいくらいよ。

彼が望むなら抱かせてあげてもいいわ。

救うためじゃなく愛し合うためにね。

それよりも……」


「手を組むのですか?」


 クレシダは唇の端をつり上げ、ぞっとする笑みを浮かべる。


「それも考えたけどダメね。

むしろあの上品ぶって、人間の本質から外れた秩序を大事にしている姿。

あれを壊してみたくなるわ。

そっちの衝動が強いのよ。

人間って放置すると、獣と変わらないわ。

だからこそ、本質を忘れたらダメだと思うのよ。

徹底的に獣になるべきだと思わない?

そうしないと、この狂った世界は壊れないわ」


 ボドワンはひとまず安心した。

 敵でなくてただ壊したいのであれば、交渉の余地があるからだ。


「そこまでしなくても壊せると思いますが……」


 クレシダは笑って、手をふった。

 目は笑っていないが……。


「ダメダメ。

変に理性なんて残そうとしたら、昔の慣習に返ってしまうわ。

そんなものは、跡形もなく消し去るべきなのよ。

その後は知らないわ。

勝手にやればいい。

それでも私の力になりたい? 嫌なら構わないわよ」


 どうやらこちらの利用価値を認めてくれたらしい。

 ここからは、条件の話になるのだろう。

 気がつけば主導権を奪われていたが、今は協力関係を結ぶことが最重要だ。


「いえ。

この世界を一つにするためでしたら、犠牲の多寡は問題ではありません」


 クレシダは煙管を口にして、ふっと煙をボドワンに噴きかける。


「では、私の思い通りにうごかせる兵隊を用意して頂戴。

最初は300人いればいいわ。

どこからともなく現れて、どこからともなく消えるのがいいわね。

まだ自前の勢力をもっていないから、人数が多くても困るのよ。

そうしたら手を組んであげる」

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