616話 閑話 ワタリガラス

 シケリア王国についたモデスト・シャロンは、ラヴェンナの出先機関に向かった。

 私的訪問の正式な許可がおりるまでは、そこで待機するようにと指示されたからだ。


 この件でクリスティアス・リカイオスは、腹を立てなかった。

 若いふたりに毒蜘蛛の相手は、無理があると踏んでいたからだ。

 フォブス・ペルサキスは戦場で、ゼウクシス・ガヴラスは戦後処理に並外れた手腕を持っている。

 だが陰謀に関しては、そこまで傑出していない。


 それより毒蜘蛛の動きを、どう利用すべきか。

 そちらのほうが大事だと考えている。


 許可をわざとださずにいたが、毒蜘蛛は出先機関から出てこない。

 中に踏む込む正式な理由がなく、遠巻きに監視するだけだが……。

 じれて動きだすと思ったが、そんな気配すら見せない。

 その程度で、尻尾をだすとも思っていなかったが……。


 毒蜘蛛は時を無駄にしないと評判であった。

 それが数日の足止めでも、一向に動く気配がない。


 むしろ、クリスティアス側の弱気を見透かされるような形になりつつあった。

 それでは反リカイオスの動きを活発化させてしまう。


 やむを得ず護衛という名目の監視をつけて、訪問の許可をだすことになった。


 モデストは最初の訪問先として、ドゥラ・エウロポスを選んだ。


 道中でも、毒蜘蛛の表情は一切変わらない。

 知己の情報を聞いても、曖昧な返事しか返ってこなかった。


 毒蜘蛛自体が囮で、出先機関になにか動きがあるともも疑っていたが……。

 監視させても、全く動きがない。

 本当に婚姻を進めるための名代なのでは、という者もいた。

 確たる根拠があるわけではないので、無視されて終わる。


 相手はあのラヴェンナの魔王なのだ。

 何か企んでいる。

 それが、普通の考えであった。


 ドゥラ・エウロポスで護衛をまくわけでもなく、とある占い師の館に入っていった。

 私的な訪問なので、同席はご遠慮願いたいと言われては断れない。


 不審な動きをしていれば、それを口実に同席させろといえるのだが……。

 気味が悪いくらい協力的では、それもいえない。

 さらには、訪問先が問題でもあった。


 軽々しく踏み込めない相手の屋敷なのだ。


 モデスト本人は涼しい顔で、屋敷の主と面会していた。

 屋敷の主はライサ・アハマニエミ。

 ダークエルフで200歳ほど。

 銀色の髪に、薄青い瞳。

 褐色の肌で、ミステリアスな雰囲気を漂わせている。

 その口元は、常に冷笑が浮かんでいた。


 扇情的で露出の高い服を好んで着ている。

 さらには人間社会で占い師をしている変わり種だ。


 大っぴらに開業しているわけではない。

 知る人ぞ知るといった存在。


 漏らせない話の聞き役として重宝されていた。

 誰かに話したくて仕方ない。

 それでも言えないことがある。

 それは人としての性だろう。

 そして口が極めて堅いのも知れ渡っていた。


 自然とシケリア王国の上流階級に一定の影響力ができる。

 長命故に、コネがどんどん広がっていく。

 有力者は代替わりの際、挨拶に訪れるのが慣習になっていた。


 ライサ自身は自分の影響力を使ったことは一度もない。

 秘密を漏らしたこともだ。

 政治的な動きを一切しないので、誰からも恨まれない。


 上流階級にとって便利な存在であった。

 また人脈を築きたい有力者が、ライサを頼ることも多い。


 ライサは応接室で待っていたモデストをみるなり、面倒くさそうな顔をする。

 ダークエルフは基本夜型なので、寝ているところを起こされたのだ。

 それで不機嫌なのもあるだろう。


 ライサは気だるそうに豪華なソファーに腰かける。

 そして煙管のようなものを口にして、ふっと煙を吐き出す。


「シャロ坊。

私のところに来るなんて嫌がらせかい?

坊やが来ると、お客が逃げるのは知っているだろ?

しかも真っ昼間だ。

私が寝ているのを知っていて……押しかけてきたね?」


 モデストは不機嫌なライサに、静かに笑いかけた。


「アハマニエミ姉上、お元気そうで何よりです」


 姉と呼んでいるが血縁関係はない。

 ライサが呼ばせているだけである。


 ふたりは旧知の仲だ。

 モデストが若かりし頃にシケリア王国を訪ね、ひょんなことから知り合いになった。

 そこで数年、ライサになにかを師事したらしい。


 この関係こそ、モデストがシケリア王国で警戒される、最大の要因であった。

 毒蜘蛛が、上流階級の秘密を知っている人物と親しいのだ。

 警戒するな……というほうが無理だろう。


「当たり前だろ。

くたばるのはシャロ坊のほうが早いんだ。

それで営業妨害にきた理由はなんだい?」


「ただのご機嫌伺ですよ。

ここ10年ばかりご無沙汰しておりましたからね。

たまにはよろしいかと」


 ライサは忌々しげな顔で、フンと鼻をならした。


「シャロ坊が自分の目的のために行動するなんて有り得ないだろ。

そう教えたしね。

確か今の雇い主はアルフレードだったか。

そいつからの指示かい?」


「いいえ。

ラヴェンナ卿は姉上のことを、ご存じないですよ」


 ライサは再び煙管を口にして、煙を吐き出す。

 煙は蛇のような姿をとって、すぐに消えていった。


「シャロ坊が自分のためなんて言ったら、天地がひっくり返るよ。

まあ……近いことはおこったけどさ」


 1000年続いた世界秩序の崩壊は、一種天地がひっくり返るようなものだ。

 それをライサは見世物を観賞するかのようにみてきた。

 シケリア王国の内乱終結は第1幕の終わりだと思っている。


「私自身の意思と決定で、ここにいますよ」


 ライサは煙管の灰をトントンと音を鳴らして、灰吹きに落とす。

 宝石などで装飾された、とても豪華なものだ。

 どこかの金持ちから送られたらしい。


「ただの顔見せってことは……。

やっぱり嫌がらせじゃないか」


「最近は姉上もお忙しいでしょう。

私のおかげで、しばらく暇になりますよ」


「生意気いいやがって。

まあくだらない、相談や占いばっかりで飽き飽きしていたからね。

まだ恋占いのほうが愉しいさ。

人間ってのは時代が変わっても話す内容が変わらないのは残念だよ。

大騒ぎになって、相談事が多様になるかと思えば……。

平和なときのほうが、種類が豊富だったね」


 モデストは珍しく苦笑しつつ、同意のうなずきをかえす。


「それは、生きることが優先であればこそです。

あのときは退屈でしたねぇ。

とはいえ……。

そちらに関心が向くのは致し方ないでしょう」


「ま、ちょうどいいか……。

ん? 待てよ。

シャロ坊がなにを話したか、根掘り葉掘り聞かれるじゃないか。

やっぱ嫌がらせだろう」


 ライサは煙を吐き出すが、今度は蜘蛛の形をとって消えていった。


「人に嫌がらせをするくらいなら、もっと愉しいことをしますよ」


「嫌がらせが愉しいって、奇特なヤツもいるさ。

クレシダみたいなヤツがな。

人が傷ついて苦しむ姿をみるのが好きらしい」


 ライサは含み笑いを浮かべたまま、また煙を吐き出す。

 煙はなにかの形をとったが、醜悪ななにかである。

 それはすぐに消えず、ふたりの間をしばし漂い続けていた。

 モデストは珍しく嫌そうな顔をする。


「そんな人の姿をした怪物と一緒にしないでください。

私はそこまで、人に依存したいとは思わないですよ」


「本人曰く、人を支配しているだそうだけどね。

本質的な意味では依存だろうさ。

で、本当に顔見せだけなのかい?」


 モデストは、涼しい顔で肩をすくめる。


「最初にそう言いましたよ。

姉上に噓など通じないでしょう」


 ライサはフンと鼻を鳴らす。


「シャロ坊の表情を見抜くのは大変なんだ。

昔に見抜きかたなんて教えるんじゃなかったよ」


 ライサはモデストに、さまざまな技術教えた師匠筋の人物であった。

 教えてもすぐに死ぬ人間に、基本的になにかを教えることはない。


 それでも教えたら面白いと思わせるなにかが、モデストにはあったようだ。

 そして、それは見事に花開いた。

 周囲にとってははた迷惑な話だが、それを知るものはない。


「ラヴェンナ卿とお会いすれば面白いと思いますよ。

あのおかたも、心の底が読めませんから。

きっと姉上を飽きさせません」


 ライサの目が細くなる。

 口の端をつり上げて、耳がこころもち下がる。

 モデストでもめったにみることがない。

 興味深いものを見つけたときの反応であった。


「へぇ……そいつは面白そうだね。

でもやめとくよ。

面倒くさい。

行くのも、その後始末もね。

どうやら、私に顔見せは本当らしいけど……。

どんなさざ波を期待したんだい?」


 訪問自体に目的がないなら、訪問による影響を期待しての行動だろうと、ライサは悟った。


「さざ波を人影と勘違いする人を観察するのは……愉しそうだと思いませんか?」


 ライサは一瞬目を丸くしてから笑いだした。

 煙管を口にして吐き出した煙は、◎を形作っていた。


「なるほど。

シャロ坊にそれを指示したラヴェンナ卿は、面白いことを考えるモンだ。

魔王なんて大層に呼ばれているが……。違和感があるね。

誰も本物の魔王なんて知らないからねぇ。

実際にいたのは2000年くらい前だったか。

魔王は力に飲まれた存在で、陰謀なんて企まない。

だからラヴェンナ卿は、そうさねぇ……。

私たちの神話に出てくるワタリガラスのようなものだな」


 漂っていた煙がカラスの形になる。

 この手の芸当を見慣れているのか、モデストが驚くことはない。


「ワタリガラスですか?

それはどんな役目なのでしょうかね。

ラヴェンナ卿が気軽に、旅をする印象はないですよ」


「そうさねぇ。

既存の慣習や概念を壊すのさ。

周囲を唆してね。

そして新しい慣習や概念をつくると飛び去っていく。

その慣習や概念が時代遅れになると、また戻ってきて壊す。

姿はワタリガラスだけど、言葉を話すのさ」


 モデストは納得した顔で小さく笑った。


「なるほど。

確かにそうですな。

まあカラスと呼んでしまっては、全然怖くありませんが。

ともかくこの件について、特に指示を受けていません」


「違うのかい?」


「ラヴェンナ卿は私に細かな指示をだしません。

ただ、大きな目的を指示されるだけです」


 ライサは目を瞑ってしばし考え込む。


「目的は聞くだけ、時間の無駄だね。

えらく信頼されているじゃないか。

しっかし……シャロ坊を信頼するなんて、大した度胸だねぇ」


 煙管を口に運んでから、目を細めて笑った。

 モデストは苦笑して首を振る。

 信頼とか曖昧な理由で、アルフレードが物事を決めないと熟知しているからだ。


「単純な話ですよ。

ラヴェンナ卿は目的の達成のために、最善の手段を選ばれます。

細かく指示を与えたほうがいい場合はそうするでしょう」


 ライサは煙を吐き出すが、形なく漂うだけだった。


「まあ、ちょうど退屈していたところだ。

ここからのんびりと眺めさせてもらうよ。

ま、他の連中はシャロ坊がなにを企むのか、気になって仕方ないだろうけどね。

さざ波で済めばいいけどねぇ。

リカイオスは怪しい草むらがあったら、辺り一面を焼くタイプさ。

どんな騒ぎになるやら」


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