615話 1か0か

 軍のことでチャールズから相談を受けているときに、別の報告があがってきた。

 相談も軽い雑談のような感じなので、一緒に報告を聞いてもらう。


 キアラが経済圏構想に反対する連中を調べてくれていた。

 その調査報告を持ってきてくれたのだ。

 その表情は、なんとも優れない。

 つまり単純な話ではないのだろう。


 報告書を一読して、ミルに手渡す。

 頭をかいて笑ってしまった。


「迂闊でしたね。

大臣として出席するのが女性。

これが気に食わない。

あげく人間でなく猫人族なのが、なお腹立たしいと。

それが一定の同意を形成したのですか。

一つの常識でしたね」


 キアラは眉をひそめたままだ。


「これを持ち出すと、ラヴェンナの否定になりますし……。

認めた国王の権威否定になりますわ。

後戻りができない口実なので、大きな声ではいえないようですの。

お兄さまは当然、これに配慮などしないでしょう?」


「当然ですね。

外からいわれて引っ込める程度なら、最初から任命しません。

問題はこれが本心からなのか。

多数派工作の口実か……」


 ミルも憤慨するでもなく、難しい顔になっている。

 外の慣習に詳しくなってしまったからな。


「すっかりラヴェンナに慣れたけど……。

外で女性が、公職に就くケースってないのよね。

冒険者ギルドくらいだっけ?」


 オフェリーも今更ながらに、ラヴェンナの特殊性に気がついたようだ。

 少し驚いた顔になっていた。


「そうですね。

教会でも枢機卿や教皇に、女性がなったケースはありません。

女性は修道院長までが最高位です。

女性が権力を握りたければ、夫を枢機卿か法王にしますね。

その上で、枢機卿の妻たちを掌握するしかないです」


 チャールズは皮肉な笑いを浮かべた。


「基本的に男社会ですからな。

同じ席に女性がいると嫌なのでしょう。

まあ、本人たちによほど自信がないのでしょうな。

男を押しのけても任命されると考えるべきなのですよ。

ご主君が情実人事を嫌うことは、誰もが知っているでしょうに」


 自分の迂闊さに舌打ちしたくなる。

 ここは考えて、先手を打つべきだった。

 他にばかり気を取られている……と非難されても仕方ないな。


「ラヴェンナの流儀を押しつける気はなかったのですがねぇ。

認めてしまうと、自分の足元で変革を要求されるのが怖いのでしょう。

成功しているだけ、一定の説得力を持ちますから。

現状に不満を抱く側にとっては、大義名分になりますからね。

不満だけではただの不平屋と思われて、見向きもされませんが……。

成功している先例にならえなら、不平を隠す化粧になりますからねぇ」


 ミルは難しい顔で、ため息をついた。


「アルはそう考えてもね……。

スカラ家の土木技術は、ラヴェンナ式に染められちゃったからね。

あれでやり方が、思いっきり変わったでしょ。

軍隊までできちゃうし。

本家だった家まで変えたのよ?

他家だって遠慮なく変える……と思っても不思議じゃないわ」


 そう突っ込まれると弱い。

 そこまで干渉する気はなかったのだが……。

 俺の見立てが甘かったこともたしかだな。


「ああ……。

技術と慣習は別だと思っているのですけどね。

そこまで甘くは考えないですか……。

1か0かと判断したわけですね。

さまざまな慣習が共存していいと思いますよ。

といっても、今まで一つの慣習だった人には無理な考えでしたかぁ」


 キアラがせきばらいをした。

 どうやら話が脱線しかかったらしい。

 確認したいことがあるのか。


「お兄さま。

どうされますか?

大臣に伝える話でもないと思いますし……」


 これを伝えることは、辞任要求するようなものだ。

 だからと黙っていた場合はどうか。

 表向きは気遣いを感謝するだろう。

 だが自分がかかわる情報を伏せられた事実も残る。

 それで信頼しているといわれてもなぁ。

 自分の実力を認められて、大臣になったという自信が揺らぐだろう。

 この先、同じようなことがある度にそうするのか。

 黙っているとは、暗に相手の正しさも認めたことになる。

 ダメだな。

 嫌な話ではあるが、ここは正面から行くべきだろう。


「伏せるとかえって、人づてに聞いたときにショックでしょう。

閣議で話しますよ。

それで交代などありえませんけどね」


 キアラは満足げにほほ笑んだ。


「わかりましたわ。

お兄さまなら不用意に傷つけることはないでしょう。

あとは彼女次第ですね」


 そうしたいと思っているけどね。

 こればっかりは相手次第だ。

 パヴラがどう受け取るかが、大事な話だからなぁ。


「ラヴェンナでは性別ではなく、能力で判断するだけです。

最初は人手が足りないが故の方策でしたがね。

それでもここでは、それが常識になりました。

今更変える気などありませんよ」


 ミルも同意のうなずきをしていたが、何かに思い当たったようだ。

 少しあきれたような顔になっている。


「もしかしてラヴェンナの特殊性を、国王に公認させたのはこれのため?

慣習に表立って反論させないためよね。

どこまで先を見ているのよ……」


 これらの問題を内包しての解決策だ。

 これが認められただけで、褒美として最低限必要なものはもらった。

 逆にこれがないと、他の褒美は無意味なのだ。

 他の貴族たちにとっては、安い褒美だと思ったろう。

 欲がないやら、お人好しやら、甘いなどと陰口を叩かれていたが……。

 俺にとって最も価値のある褒美だよ。


「当然それも入っていますよ。

そうでないと、あとの世代が苦労しますからね。

ラヴェンナ以外に、独自の価値観を押しつける気などないのですが……。

時代は変わりはじめましたからね。

昔の価値観も、時代にあわせて変えないと生き残れないでしょう。

亀じゃあるまいし……。

首を引っ込めていれば、嵐が過ぎ去るような代物ではないのですが」


 キアラは苦笑して、小さく肩をすくめた。

 そんな変なことをいっていないはずだか……。


「お兄さまは、たまに高望みをされますわね。

すべての人が順応できるわけではありませんわ。

ガリンドさんは特別です。

あの年で名声もあった人が、あっさり順応できたから錯覚したのでしょうけど」


 ぐうの音もでない。

 俺が出会ってきた相手は、ほぼほぼ順応性が高かったからなぁ。

 それに慣れすぎたか。


「そうですね。

いささか甘く見ていました。

多くの人は、確固たる自信を持っていない。

だからこそ旧来の世界にしがみつくことをね」


「では、どう対処されます?

これも正面から宣言して認めさせますの?」


 それは、他領の慣習にまで踏み込むことになる。

 物事によっては有耶無耶にしたほうがいいこともあるだろう。

 とくに慣習、思想にかかわること。


 これは、理屈で片付けられる話とちがう。

 相手に逃げ道を用意しておかないと、もっと大変なことになる。

 こんなことは曖昧にするのが賢明というものだろう。


 こちらを尊重せよというのであれば、相手も尊重しないと押しつけでしかない。

 押しつければ黙らせられるが、声なき反対派をいたずらに増やす。

 他の慣習や思想と共存を望むなら自殺行為だ。

 押しつけて満足したいのであれば、それでいいがな。


 なにか風向きが変わったとき、狂信的な慣習や思想と忌避されるのがオチだ。

 認められる思想でも、狂信的連中に押しつけられては認める気にならないだろう。

 反対はしないが、嫌悪感が染みついてはなぁ。


「この件にはふれないのがよいでしょう。

別方面から揺さぶります。

賛同しないところは、除外して進めましょう」


 ミルが部屋に飾ってある地図を見て、首をかしげる。


「ええと……。

ウェネティアとアドルナート家まで、間にはいくつか反対派がいるわよ。

どうやって無視するの?」


 陸路を塞げばつぶせるか、大幅に譲歩すると踏んだのだろう。

 それは一つの見方だが……。

 陸路のみの場合に有効だ。

 それと俺が全員の賛成にこだわると思ったのだろう。


「海路を主体とします。

強気なのは自分たちが必要不可欠だと思っているからでしょう。

そうではないのですがね」


「最悪、大きな港をすべて押さえればいいものね。

アドルナート家の港から、パリス領までは反対派はいなかったわ。

たしかパリス家が頑張って説得してくれたはずよ。

賛成派だけで1本ルートができるわね」


 パリス家は周辺とも良好な関係を築いているからな。

 遠くの反対派より、近くの賛成派になびくのは当然だろう。

 それとこの働きによって、発言力を確保するのも目的だな。

 それだけのことはしたのだ。

 当然の見返りだろう。


 チャールズは、妙に感心した顔で腕組みしている。


「なるほど、速すぎる海軍の創設がここでも生きてくるわけですなぁ。

ご主君にはどこまで何が見えているのか、たまに知りたくなりますな」


 皆が真剣な顔でうなずいたので、少し気恥ずかしくなる。


「正しい道を選べば、状況の変化はプラスに働きますよ。

だからそこまで未来を見据えてやっていません。

わりと出たとこ勝負ですよ。

そのためにできるだけのことをしているだけですからね」


 チャールズはフンと鼻で笑った。

 またこの反応かといわんばかりだ。


「そういうことにしておきますか。

褒めると途端につれなくなるのですから、ご主君が女性だったら私は絶対口説きたくありませんな。

面倒くさくてかないません」


 俺以外が笑いだす。

 なんて薄情な連中だ。

 放置するとまた玩具にされる。


「話を戻します。

もう一押ししましょう。

宰相から構想に王都も噛ませろ……といってきています。

そこを巻き込んで進めましょう。

王都からウェネティアまでのルートは、川で確保されています。

王家までからんでは、反対も難しい。

信念で反対しているところ以外は、こちらになびきますよ。

それでも抵抗する人たちは放っておきましょう」


 キアラは放っておくの言葉に薄く笑った。

 反対派は経済圏構想に、宰相が賛同していることを無視している。

 公に賛同していないが、書状で賛同は得ている。

 それを知らない反対派はどのみち成功しないと知っているからだろう。

 その現実を突きつけてもいいころだ。

 頑固に亀が首を引っ込め続ければ、周囲が干上がるだろう。

 それでも生き延びれば大したものだ。

 そのときは拍手でもしようじゃないか。


「それだと反対派は、総崩れになりそうですわね。

あといろいろ聞きたいですけど……。

閣議でお聞きしますわ。

お兄さまも一度にしたほうがいいでしょう?」


 有り難い話だな。

 皆に説明すべきことを、頭の中で整理したかったし。


                  ◆◇◆◇◆


 閣議の時間になった。

 キアラに経済圏構想で、障害になっている反対派のことを説明してもらう。


 商務大臣パヴラ・レイハ・ヴェドラルはうつむいて、話を聞いている。

 すまないが、もう少しだけ我慢してほしい。

 非は一切ないのに、そんな目にあわせているのは心苦しいのだが……。


 キアラの説明が終わったので、俺が軽く手をあげ、皆に注目してもらう。


「隠すとかえって、商務大臣を傷つけることになるでしょう。

なのでこの席上で明かしてもらいました。

あらためて明言しますが、商務大臣には引き続き頑張ってもらいます。

適任だから大臣に任命しました。

それだけのことです。

相手には配慮して、別の代理に出席させても無意味になるでしょう。

今度は社会的地位を持ち出しますよ。

よそにいわれたから、大臣を変える。

そんなくだらない先例をつくる気などありません」


 法務大臣のエイブラハムは、苦笑しつつうなずいている。


「外は性別がどうのと気にするほど、余裕があるのですなぁ。

最も優れたものが族長を務めないと、ここでは生きていけませんでしたからな。

大臣もそうでしょう」


 トウコも腕組みしつつ、フンと鼻をならす。


「だから外の連中はひ弱なのだ。

筋肉の付き方が甘い」


 トウコはルイの影響で、筋肉筋肉いうようになってしまった。

 警察はほぼ筋肉警察と化している……。

 いいけどさ。


 よそは楽園などではない。

 それでも辺境ほど過酷ではないからな。

 慣習に従っていれば、ある程度安定した生き方ができる。


 女性が活躍できるのは冒険者だが、あれは社会から浮いた存在だからな。

 だからこそ許容されている。


 開発大臣のルードヴィゴが、困惑顔で頭をかいた。


「たしかに他はそうでしたね。

私もここの常識に慣れてしまって、反対の理由が最初わかりませんでした。

多分、環境を変えたくない口実だと思います。

私も依頼主からの予定変更を断る口実に、慣習を持ち出した過去がありますから」


 建築な途中の思いつきで変更させられては……大変だからな。

 反対しては、角が立つ。

 一般的な慣習などを盾にするのは雇われ職人の知恵だな。


 丁度いい。

 外のことも知ってもらう必要がある。

 上下ではなくちがいをだ。


「外はそんな考えもある、と知っておいてください。

だからといって……こちらが折れることはありません。

相手に強制はしませんし、干渉もさせませんから。

ふれずに進めるのがいいでしょう。

ふれてしまっては、相手も引くに引けなくなります」


 パヴラは複雑な表情ながらうなずいた。

 気持ちが折れなくてよかったよ。


「有り難うございます。

このご信頼に応えて、必ず成功させてみせます!」


 そのあとで、こちらの方針を俺から説明することになる。

 宰相とも連携し、個々に反対派の弱いところから揺さぶっていく計画だ。

 皆は俺の計画に異論はなかったようで、一様にうなずいた。

 これで一段落したが……。


 質問があったんだったな。

 キアラと視線があう。

 待っていましたとばかりに笑顔になった。


「質問しますわね。

お兄さまの計画で問題ないと思います。

ですけど別のところに不安がありますわ。

リカイオス卿が戦争する気だったら、反対派は格好の獲物になりますわよ。

そんな野心家の前に餌をぶら下げることは、今まで避けていましたよね。

焦っているとはいいませんが、急いでいる感じに見えますもの」


 相変わらず鋭いな。

 急いだことはたしかだ。

 今しか機会がないからな。

 頭部のハゲた運命の女神が通り過ぎようとしていたのさ。


「経済圏をつくるなら、内乱直後の今しか機会がないのですよ。

落ち着いてからでは、ほとんどの人は未来の利益より直近の損失を恐れます。

現在のマイナスを許容して、未来のプラスを選択できる人などめったにいませんよ。

つまり周囲の賛同を得られずに失敗するのです。

また経済圏を通じて他家とも利害を共有すること。

これはラヴェンナの安全保障に必須なのです」


「餌をぶら下げるリスクより、経済圏を取ったのですね。

つまり将来のプラスに賭けたわけですの?」


 急いだ理由を説明する必要があるな。

 皆にも、環境や時間を考える切っ掛けになる。

 ラヴェンナ内部では、あまり時間や環境は意識しない。

 まだ、イケイケドンドンでやっていける。

 創業から守文に切り替わる境目にさしかかりつつあるのだが……。


「ええ。

あとに機会を待ったとしましょう。

それは経済が低迷したときしかできません。

シケリア王国が万全の態勢で、こちらがゴタゴタしたらどうなります?」


 キアラは納得したようだ。

 多分、自分の頭の中でも答えを出していたのだろう。

 答えあわせをしたかったようだな。


「絶好のチャンスですわね。

それなら今しか機会がない、とよくわかりました。

物事を変えるのは、正しさだけでなく環境も大事と……」


 気がつくと……また書いているよ。


 偉そうにいろいろいっているが……。

 転生前の記憶が薄れて頑張らないと思いだせない。

 正しいのか確信がないのだよな。


 とはいえ不安を見せては、皆が動揺する。

 偉い立場ってのはホント自由がないよ。

 自分で選んだから仕方ないけど、たまには愚痴りたくもなる。


「将来のプラスどころか、大赤字になりますからね。

理屈で正しいことを実現したいなら、時期も大事ってことですよ」


 俺が不在のときから、アドバイザーとして出席しているオリヴァーが目を細めた。


「それを正しく認識できる人は少ないですよ。

だから改革は、理論的に正しくても失敗するわけですからね。

理論、時期、そして力。

どれか一つでも欠けると、より悪い結果を招くでしょう」


 実に正しい見識だな。

 経験なのか先人からの知恵を受け継いでいるのか。

 アドバイザーとしても大変優秀だ。

 皆が安心して議論できる。


「話し合いだけで、皆が理性的に解決してくれれば……。

理論と時期だけでいいのですけどね」


 オリヴァーは上機嫌でうなずいた。


「理で説得されるより、力でねじ伏せられるほうが人は諦めますから。

一番大事なのは力でしょう。

そう考えると内乱の終結に功績があったのは、大きな力でしょうね」


「そうですね。

だからこそ、他地域を含めた経済圏の構想を提唱できたわけです。

ラヴェンナが弱小だったら、 決して成功しません。

おかげでいろいろな面倒も舞い込むわけですけどね。

こればっかりは仕方ありませんよ」


 何事も、都合よくは進まないものだ。

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