617話 閑話 狐と狸

 モデストの次の訪問先はカイローネイア。

 訪ねたのは、奴隷商人の元締めだった。


 奴隷商人の元締めの社会的地位は高くない。

 影響力など知れている。


 そんな商人を訪ねたのはなぜか。

 シケリア王国は、奴隷なしで成り立たない。

 奴隷はどこにでもいる。

 その奴隷を扇動するか、スパイに仕立て上げるのか。

 どちらも簡単ではない。

 奴隷商人との関係は、売却成立時に切れるからだ。

 奴隷を使う手は考えられない。


 この報告に、クリスティアス・リカイオスは不機嫌に黙り込む。

 側近たちも、お互い顔を見合わせるばかり。


 だがひとりだけ、謀臣集団の主席ラゴス・ニアルコスに心当たりがあった。

 この元締めはニアルコスの遠縁にあたる人物。

 黙っていて、あとで明るみにでれば立場を失う。

 不愉快になりながらもこの事実を明かすしかない。

 そしてラゴスは弁明に終始せざる得なくなった。


 遠縁であることが、なぜ知られているのかも疑問であった。

 これは本人たちでないと知らない事実。


 モデストの部下であるオルペウスが探り当てたとは知らない。

 元奴隷としての人脈を駆使しての成果であった。


 元々カイローネイアには他にもモデストの知人がいる。

 今回は集められた情報を元に、この人物にあたりをつけたわけだ。

 足止めされていた間、じっくり吟味する時間ができたのは皮肉な結果であるが……。


 このことでクリスティアスの周辺が、かなり把握されていることだけは理解できた。

 クリスティアス周辺に、恐怖と衝撃が走ったのはいうまでもない。

 政敵となったアントニス・ミツォタキスは、そこまでリカイオス陣営の詳細を知る立場ではなかった。

 そこ以外で漏れる場所はない。

 どこから漏れたのか、皆目見当がつかないのだ。


 モデストは周囲をヤキモキさせながら、主人との話し合いを終える。

 監視役たちが何とか聞き出そうとするも、ムダに終わった。

 さらに食い下がろうとしたところ、モデストから面倒な申し出をされる。


 せっかくなので、リカイオス卿にご挨拶をしたいと言いだした。

 同じ町にいるのに挨拶をしないのは、非礼にあたるだろうとのことだ。

 追求どころでなくなり、すぐクリスティアスの屋敷に連絡が飛ぶ。


 迷ったクリスティアスは側近に意見を求めた。

 居留守を使ってやり過ごすべき……との進言を採用。

 謀臣集団も主席の発言が封じられているので、とても危険人物と会談できる余裕などなかったのだ。

 

 断りの連絡に真偽を質すようなことはせず、モデストはあっさりと引き下がる。

 そもそも居留守を使われたときに追求しても、ロクなことがない。


 モデストにとっては、居留守を使われることなど計算済み。

 むしろ望んだ結果でもあった。

 顔をださないのは非礼だと言われないことが大事なのである。

 下手に会談して、無理難題を吹っかけられても面倒なのだ。


 このあたりは自由裁量を任されているが故、迷わず取れた決断であった。


 こうしてモデストは、本来の目的地であるアントニス・ミツォタキスの屋敷に到着する。

 意外にも、門の手前でアントニスが待っていた。

 内心大いに驚き、モデストは表情を改める。


 こうやって歓迎された経験などないからだ。

 相手は名門貴族だとも聞いている。

 このような対応は、まったく想定外だった。


 モデストは馬車をおりて、アントニスの前で丁重に一礼する。


「これは……。

ミツォタキス卿自らのお出迎えとは、恐縮の限りです」


 アントニスは如才ない様子でほほ笑む。


「今回の結婚は、両国間に友好と平和をもたらすでしょう。

いささかも瑕疵かしがあってはなりません。

それにラヴェンナ卿の名代でいらしたシャロン卿に、礼を尽くすのは当然ですから」


 アルフレードがこの場にいたら、自分のことを棚に上げて『狐と狸の化かしあいですね』と言いそうな光景である。


 モデストはすぐ屋敷に招かれて、アントニスの書斎で歓談となる。

 そもそも上流階級が、プライベートエリアに人を招くなどめったにない。

 それだけ信頼しているというポーズでもあった。


 その効果を狙ってであろうことは、モデストも理解している。

 アルフレードから『ミツォタキス卿は食わせ者ですが……詐欺師ではありません』と聞いていた。

 それでもいささか恐れ入ってしまう。


 今までことが面白いように運んでいて、モデストは内心落胆していた。

 この予想外の展開に、愉しさが心の奥底からこみ上げてくる。


 アントニスとモデストは、お互い向き合って座る形となった。

 テーブルにはワイングラスとワインボトルが置いてある。

 グラスは一目見て、高級品とわかる。

 ワインだけが安物だとは思えなかった。


 アントニスがワインをグラスに注ぐ。

 いい香りが部屋に漂う。

 そのグラスをモデストの前に置く。

 そして先に自分が飲んでみせる。

 グラスに毒が付着していたら、意味がない。

 敵意はないと表明する一種の儀式である。


 モデストはほほ笑んで、グラスに口をつける。

 まろやかで優しい口当たり。

 実に芳醇ほうじゅんで深みを感じる。

 モデストは思わず感嘆の息を漏らしてしまう。


「これは……なかなかの逸品ですね」


 アントニスは、自慢するでもなく穏やかにほほ笑む。


「とっておきですよ。

28年ものの赤ですから。

シャロン卿はワインにも、造詣ぞうけいが深いと伺いましてね。

半端なものではもてなしどころか……非礼にあたりましょう。

そうでない方々には、 決してだしませんよ。

味がわからない人には、ただ高いという銘柄だけで十分ですから」


 赤ワインの28年もの。

 この年はまれに見る当たり年と言われている。

 モデストですらめったに、口にしたことがない。

 王族ですら、簡単に口にできない代物である。


 ビンのボトルは特徴的な形で、記憶によれば最高級品。

 これを買う金で屋敷が建つ……とまで言われている。


 美酒に酔いしれながらも、たしかにアントニスは食わせ者だと思う。

 そう自分のことを棚に上げるモデストであった。


 モデストは静かにグラスを置いて、アントニスと視線を合わせる。

 お互いにほほ笑みを崩さない。


「まさに天にも昇るとは、このことですね。

魂が天に運ばれる前に、幾つか確認をしましょうか」


 アントニスは静にうなずく。

 名門貴族だけあって、その動作は優雅である。

 

 モデストは丁寧。

 アントニスは優雅。

 今まで積み重ねてきた環境の差が、そこにはあった。


「そうですね。

まず大前提を。

平和と共存を望んでおります。

今回の婚姻は、最初の一歩になるかと。

王族同士の結婚ではありませんが、ひとつの契機になるでしょう」


「ランゴバルド王国も同じ考えです。

必要でしたら二歩三歩と、歩みを勧めればよろしいかと」


 アントニスは満足そうにうなずく。


「大変結構。

陛下も同様のお考えであります。

上から下まで、ほぼ考えを同じくしておりますが……。

一部にはまだ、血を流したりない者たちもいるような気がします。

個人的な思い込みですがね。

慎重を期して、ことを進めねばなりません」


 モデストは芝居がかった仕草で、グラスを軽く掲げる。


「他人の血で栄達を望むものは、あとを絶ちませんから。

そしてこの赤のように、平和が1000年もの間熟成されていたのです。

開封されたのはつい最近でしょう。

ともすれば、あまりの美味さに前後不覚になるかと。

一度酔ってしまうと、まだ飲み足りないと思いますよ。

あくまでひとつの例え話ですがね」


 アントニスは、愉しそうに笑いだした。

 おどけた仕草で、グラスを掲げる。


「シャロン卿にユーモアのセンスがおありとは初耳ですよ。

たしかに酔っていても、素面しらふだと言い張る人も多いです。

私から見れば、十分に酔っているのですが。

これもひとつの例え話ですよ」


「ともすればそのようなお方は、自分の血を飲まない限り、酔いからさめないでしょうね。

実際に見たことがないので、仮定の話ですが」


 アントニスは少し物憂げに、ため息をつく。


「それで済めば簡単なのですがね。

そうはいかないのが、この世の難しいところです。

私の知る限り、我が国にそのような不埒者はいないと断言したい。

ですが不埒者がどこかに潜んでいる可能性も……捨てきれないのです。

悲しいかな、私は全知全能ではありませんので」


「たしかに用心するに越したことはありませんね。

今回の事象にはそぐいませんが……。

昔に聞いたお伽噺が、比較的似通っていて面白いのです」


 アントニスは目を細めて、グラスを揺らす。


「ほう……。

面白そうなお話ですな。

ぜひお聞かせいただきたい」


「あるところに、東の領主と西の領主がいましてね。

両方の領主は、争っても益がないと考え、話し合いで折り合いをつける気でいます。

ところが西の領主の家宰は戦う気満々なのですよ。

なぜそこまで野心に駆り立てられるのか、誰にもわかりません。

家宰本人にもわからない。

そんな不毛な戦いを避けようと、西の領主の親族がこんな提案をします。

『両家が婚姻を通じて、友好関係を維持しましょう』と。

西の領主も名案だと思い、それを承諾します」


 アントニスは声をださずに、肩をふるわせて笑う。


「なるほど、なるほど。

その親族は、なかなかに賢明なお方ですね。

お伽噺の人物なのが残念ですよ」


「ええ。

そのような賢明さは、なかなか評価されないのですがね。

家宰は親類が邪魔になって、亡き者にしてしまいます。

そしてそれを、東の領主の責任としてなすりつける。

西の家中も真偽は定かでないうちに、家宰が勝手に攻撃をしかけて争うしかなくなります。

血みどろの争いになり、西の領主が勝ちます。

ところが……その領主も家宰に殺されてしまう」


 アントニスは嘆くようなポーズをする。

 口元は皮肉な笑みが浮かんでいた。


「酷いお伽噺ですね。

まったくもって救いようがない。

家宰のひとり勝ちですか」


 モデストは目を細めて、薄く笑った。


「まだ続きがありましてね。

その家宰も何者かに殺されて、別の領主が全てを手に入れた。

その領主も領地が広がりすぎて統治しきれず、全ての領地が荒廃する。

野心の空しさを伝える、教訓的なお伽噺ですよ」


「なるほど。

お伽噺とはいえ、その親族は殺されないほうが多数にとって幸せですね。

領土が広ければいいとは限りません。

力の及ぶ範囲は、さほど広くはないのですから。

お伽噺としてはつまらないでしょうがね」


 モデストは皮肉な笑みを浮かべて、グラスを揺らした。


「たしかに物語としては盛り上がりません。

現実としてもそうでしょう。

お伽噺と同じ道を辿っては、後世で笑いものにされますね。

死んだあとのことを、気にしても仕方ありませんが……。

馬鹿にされる、とわかっていて無視する気にもなれませんね」


 アントニスは少し目を細めて苦笑する。


「仰る通りですよ。

仮に家が残っていても、門を通る人に『先祖が愚かだったばかりに、この有様よ』などと言われたくはありませんからな。

名門貴族にとって、子孫から名前を消されるような一生は恥辱なのです。

人は死んでも、家は残る。

我が家の家訓は『家名を高めよ、ただし賢明に』です」


「まさに賢明な家訓ですね。

当家のような弱小貴族には家訓などありません。

だから私の行動を縛るものは私だけです。

そんな私は愉しいことが生き甲斐でしてね。

結果が愉しいか……はどうでもいいのですよ。

結果がつまらない話であっても、その過程に身を置き……それが興味深ければいいのです。

今回の名代の依頼は、実に興味深いと思っていますよ」


 アントニスは興味深そうな顔をしたが、すぐに真顔にもどる。


「私にとって楽しいかは考慮外ですね。

ただシケリア王国の発展を望みますよ。

それには他国との共存が欠かせないと思っています。

椅子の脚は、3本なら安定しますからね」


 モデストはわずかに目を細める。


「同じ動機で、同じ目的を目指すより……。

往々にして違う動機で、同じ目的に向かうほうが……いい結果を生むと思いますよ」


 アントニスは静かにグラスを掲げる。


「そうですね。

同じ動機など、本来はあり得ません。

なにがしか違いがあるものです。

それこそ同じと思うだけ、あとに違いが鮮明になったときの亀裂は大きいでしょう。

お互いが裏切り者と呼び合うものですからな」

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