603話 閑話 不毛の大地

 宰相ティベリオ・ディ・ロッリは、ラヴェンナから急ぎの伝言を受け取った。

 すぐさまニコデモ王に、面会を申し込む。

 報告を聞き終えると、ニコデモは皮肉な笑いを浮かべる。


「なかなかに予想外の事態というべきか……。

ともかくロマン王子には、ごゆるりとお帰りいただくのがよいであろうな」


「御意にございます。

しかしよく署名させたものですな」


 ニコデモも、どんな手を使ったのか興味があった。

 脅すにしても、下手な手は使わないだろう。


「そのあたりは、後で教えてもらおう。

あの獣に、文字が書けたことは驚きではあるがな」


 ティベリオは含み笑いを漏らしつつうなずく。


「一応は人の皮をかぶっておりますから。

書くことくらいはできると拝察いたします。

この騒動で、アラン王国の王位継承が混迷しますな」


 ニコデモも同感であった。

 少なくとも、一石を投じたと考えている。

 皮肉な笑みを浮かべてうなずく。


「これだけ有利な状況で、ロマン王子を追い落とせないのであれば……。

他があまりに不甲斐ないというべきだろう。

少なくともロマン王子に、根回しをする時間はない。

アラン王国の恥を広めたと、下地ができた状況でのご帰還だ。

これをひっくり返すのはかなりの難事だぞ。

しかし……最終的かつ不可逆的か。

面白い表現だな」


「左様ですな。

必ず反故にすると思っているのでしょう。

このような文言は、よほど信用がない限りはでてきません。

普通なら最終的に解決でしょう」


 ニコデモはアゴに手を当てて、少し考える仕草をした。

 これが、何を狙っているのか。

 考えなしに書かせたとは思えない。


「まあ、あの獣には通じないだろうが……。

プライドが高いアラン王家はどうかな。

これを反故にしては、文明的にも未発達であると宣言するようなものだからな。

文化芸術の先進であることが彼の国の拠り所だ。

捨てられまいさ。

まあ……疑うかのような文言に腹を立てるだろうがね」


「臣もそのように愚考いたします。

直接破るとは言わず、言を左右にして破り続けて形骸化させる。

ここまで明確な文言を破るのであれば、直接的では言い訳がたちませんからな」


 ニコデモはうなずいたが、どうもスッキリしない。


 その場合、今後の行動に何かと制約がかかる。

 ましてや他国と条約などを結べない。

 新王になってから、新たな条約の調印ができないのだ。

 それは新王の権威の失墜を意味する。

 約束を守らなくてもいい程に、アラン王国を必要とする国があれば、話は変わってくるが……。

 シケリア王国がそこまでアラン王国を必要とするのか。

 今度アルフレードに聞いてみようと思ったのだ。

 あの魔王なら何かつかんでいるだろう。

 シケリア王国となにか色々やっている……と報告は受けている。


「まあ、そのあたりだろうなぁ。

ただ……その手段を選ぶとなると、道は極端に狭められるな」


 ティベリオはニコデモの歯切れの悪い様子に、現時点で国としての方針を決めかねていると悟る。

 かといって助言を求めているわけでもない。

 その場合は、常識的な話をするのがいいと考えた。


「解決するとすれば……。

我が国とシケリア王国を従属させるしかありませんな。

それか国交を無くすか……。

もしくは違う国になるかでしょう。

アラン王国の全てを否定する新国家であれば、先例を守る必要はなくなりますが……」


「一番いいのは、ロマン王子に全ての責任を負わせて自裁させることだな。

アラン王国としてやっていくなら、これが一番いい。

だがムリだろう。

ロマン王子を守るとなると、戦争しかないな。

この場合の開戦事由は、侮辱あたりになるのだろうが……。

獣への調教を追認させられている以上、ラヴェンナ卿を最初から巻き込むのが難しくなる」


 罪を認めさせるが、謝罪はラヴェンナではなくランゴバルド王国にさせる。

 このあたりが食わせものだと、ティベリオは実感する。


 仮にラヴェンナに謝罪を求めた場合、アラン王国はランゴバルド王国への謝罪を無視する選択肢がとれる。

 運がよければ、王家とラヴェンナの間を引き裂けるだろう。

 ところが謝罪を求めている王家にすると署名させたのだ。

 王家への貸しでもあるし、今回の件でラヴェンナを責めることもできなくなる。

 責める気はサラサラないが、あのラヴェンナ卿は隙を見せるタイプではない。


 王宮内でラヴェンナ卿の行きすぎをとがめる声はあがるだろう。

 だがほんの一部だ。

 決して、大勢の同意を得られない。


 なにせロマン王子の御乱行には、全員が憤慨していたからだ。

 内心はよくやってくれたと思っているものばかりだろう。


「王家に謝罪させるとしましたからね。

あくまでランゴバルド王国の家臣であることを守ったわけです。

謝罪を受け入れるとは、ラヴェンナ卿の行為を追認することも内包されますから。

そう簡単には、陛下の思うとおりになってくれませんな」


「簡単に引っかかるとは思っていないよ。

引っかかったら逆に興醒めさ。

どちらにしても、アラン王国の出方を見守るべきだな。

これでこちらへ謝罪の使者を、送らざる得まい。

何をいうか……楽しみにしようではないか」


 この点は、ティベリオも全く同感であった。


                  ◆◇◆◇◆


 ラヴェンナでイポリートから、ダンスのレッスンを受けている3人の女性がいる。

 息があがって、足元がふらついている。

 イポリートがパンパンと手をたたく。


「休憩にしましょうか。

足元がふらついてきているわよ」


 ミルヴァ、アーデルヘイト、クリームヒルトはヘナヘナと床に座り込む。

 ミルヴァは床に両手をついて、肩で息をしている。


「せ、先生……。

アルもつれてこない? こ、これは不公平よ……」


「やる気が大いにでるのはわかるけどねぇ。

それは賛成できないわ」


 アーデルヘイトはペタンコ座りで、使用人から受け取った水を一気飲みした。


「旦那様がいやがるから? 自主的に体を動かしたら熱でもでたのかと思うけど……」


 クリームヒルトも水をもらって、チビチビ口にしつつ眉をひそめる。


「アルフレードさまに運動させるのは、至難の業よ……。

『私が運動したら、雨が降ります。 干ばつになったら運動しますよ』とか、わけのわからないこと言い出すし」


 レッスンを見学していたオフェリーは小さく吹き出したが、誰も気がつかない。

 イポリートは、小さく肩をすくめる。


「アタクシがお願いすれば来てくれるわ。

でも、今はダメよ」


 ミルヴァはジト目でイポリートをにらもうとするが、疲れていてうまくいかないようだ。


「アルが忙しいから?」


「違うわ。

貴女たちはまだ、動きの基本ができていないのよ。

基本が固まる前に、運動音痴のラヴェンナ卿と踊らせたら……。

貴女たちはあわせようとして、変な形を覚えてしまうわ」


 ミルヴァは納得がいかないようで、眉をひそめる。


「アルとしか踊らないから問題ないと思うけど」


「いいこと? 運動音痴ってことは、繊細な体の制御ができないのよ。

どんなふうに崩れるかわからないの。

崩れ方を全部知っているならいいけど……難しいわよ。

その日の体調なんかで、崩れ方は変わるの。

だから貴女たちが、基本をしっかりマスターするべきね。

ラヴェンナ卿がどんな崩れ方をしてもフォローするのよ」


 アーデルヘイトが力なく、手をあげる。


「それなら旦那様にも、基礎を教えた方がいいと思うけど……」


 イポリートは芝居がかった仕草で首をふる。


「それができたら苦労しないわよ。

不毛の大地に水をまいても、芽はでないわ。

水には限りがあるの。

それなら芽がでる土地に、水をまくべきでしょう」


 クリームヒルトは、ガックリうなだれる。


「アルフレードさまは不毛の大地……。

反論できないわ……」


 3人を気の毒そうに見ていたオフェリーが、元気に挙手する。

 ひとりだけのけ者なのは嫌らしい。


「私も混ぜてください。

運動しないと落ち着きません」


 イポリートは苦笑して、肩をすくめる。


「個別に教えるのはいいけど、一緒はダメよ」


「同じように体を動かすだけですよ?」


 イポリートはチッチッと指をふる。


「ダメね。

オフェリーは基本が、既にできているもの。

3人はそれに引っ張られて、オフェリーの形を真似してしまうわ」


 オフェリーは不思議そうな顔で、首をかしげる。


「ダメなのです?」


「オフェリーの体にあった基本よ。

皆体のつくりが違うのは当然でしょ。

その人の体に合った基本をつくらないとダメなのよ。

3人の基礎はゼロだから、他の2人の動きを真似しようなんて思わないわ。

だから一緒にやっているのよ。

基本として目指すものも違うの。

今回は種族もバラバラでしょ。

だからアタクシも試行錯誤しながら、3人には違うことを教えているわ」


 オフェリーは、ガックリと肩を落とす。


「残念です……」


 イポリートはオフェリーにほほ笑んでウインクする。


「オフェリーも治癒術を教えているなら、少しは心当たりがあるでしょ。

熟練度が違う人たちを混ぜて、同じように教えてもうまくいかないわ。

まあ……オフェリーの気持ちもわかるわよ。

ひとりだけ外れていると不安なんでしょ。

だから3人の基礎ができたら、応用を一緒に教えてあげるわ」


 オフェリーは、パッと笑顔になって両手をあげる。


「ありがとうございます!」


 イポリートはオフェリーの奇行を、気にもせずに笑顔でうなずく。

 そしてへたり込んでいる3人に向き直って、パンパンと手をたたく。


「さあ、休憩は終わりよ。

時間は限られているわ。

レッスン再開よ」


 ミルヴァが小さく、首をふる。


「せ、先生……。

休憩が短すぎるわ」


「元気なときにしかできない動きじゃダメなのよ。

力をぬいて、自然にできるようになるのが理想。

でもよほど意識しないと、アタクシでも難しいの。

だから力が入らないときに、体に覚えさせるのが手っ取り早いのよ。

いつもベストの体調で踊れるとは限らないわ」


 アーデルヘイトがため息をついて、天を仰ぐ


「ダンスって過酷……」


 クリームヒルトも力なくうなずく。


「こんなものだって、想像もしていなかったわ……」


 イポリートは優雅な笑みを向ける。


「ラヴェンナ卿はアタクシに、一切を任せてくれたわ。

だからこそ貴女たちには、立派なダンスを覚えてもらう必要があるのよ。

アタクシの誇りのため、頑張ってもらうわ。

それに貴女たちも、ラヴェンナ卿に恥をかかせたくないでしょ?

お互いのため頑張りましょう」


 アルフレードに恥をかかせない。

 この殺し文句に、反論などできないのだ。

 3人はお互い疲れた顔を見合わせて、ガックリと肩を落としたのであった。

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