602話 裏がない話

 ロマン王子の署名つき誓約書は3枚書かせた。

 ラヴェンナ用、ランゴバルド王国用、アラン王国用。

 ランゴバルド王国用とアラン王国用は、王都に大急ぎで送らせた。


 ゾエにも可能な限り早く情報を送る。

 ロマン王子が報復として、俺とつながりがあるラペルトリ商会に、圧力をかける可能性があるからな。

 必要なら、こちらで商会の保護する用意があることを伝えた。


 ロマン王子より先に、書状をアラン王国に届ける必要がある。

 その時間差は、大きければ大きいけどいい。


 ウェネティアに常駐している石版の民の連絡網を使用することにした。

 伝書鳩なら馬より速い。

 ベンジャミンは宰相にも紹介してあるからな。

 まず、宰相に伝言を頼むことにした。


 そうすると帰路のロマン王子は、あちこちで足止めを食らうだろう。


 被害に遭った少女は、ショックが少なく平和な日常を送っているとの報告にも一安心。

 あの日は町総出で、ドンチャン騒ぎをしていたが……。


 当然、主役はヤンだった。

 なんかすっかりなじんでいる。

 辺境だけあって、子供を力で守ったなんてのは、わかりやすいアピールだ。


 何はともあれ、この件はひとまず解決したわけだ。

 少しのんびりしたい気分だよ。

 あれは疲れた……。


 ところが俺に、黄昏れる暇はない。


 フォブス・ペルサキスがやってくるのだ。

 イベントの責任者であるペイディアス・カラヤンと入念に、打ち合わせを行う。

 フォブスは気軽だろうけど、受け入れ側は大変なんだよ。


 偽名を使った件など、明確な言葉にしないが、話の辻褄を合わせることがメインとなる。

 言質をとられない駆け引きは、外交の基本だからな。

 キアラは調査関係で忙しく、俺がこの件を受けもつことにする。

 専任の外務大臣が欲しくなるなぁ……。

 だが無理筋だ。

 辺境なので、他国に名が通る名士などいないからな。

 名士と呼べるのは、俺とキアラだけだ。

 俺とペイディアスはああでもない……こうでもないと相談して、一応の決着を見た。


 問題は本能のまま活動する主演女優が暴走しないように、釘を刺す必要がある。

 そんなわけで、応接室にシルヴァーナを呼び出す。

 ゴネると面倒なので、ミルにも同席してもらう。


 なぜ応接室なのか意味不明といった顔のシルヴァーナ。


「なんでここ? 知られたらまずい話なんてあったっけ?」


「身分を偽っていた人が、今度は本名でやって来ます。

その際に、冒険者から大臣になって活躍している女性の噂を聞き、大いに感銘を受けた。

いてもたってもいられなくなり、会うために訪問する。

これが公表される内容です。

いいですね?」


 今一納得していないようで、シルヴァーナは首をかしげる。


「アタシってそんなに有名人だっけ?」


 ミルが笑顔になりつつも、額に青筋をたてている。

 本人のあまりの天然っぷりに、イラっとしたようだ。


「そんなことはどうでもいいのよ!

いい? 初めて会う人が、ヴァーナを見初めて婚約って流れよ?

余計なことは言わないの!」


 シルヴァーナはミルとの付き合いが長いだけあって、危険を察したらしい。

 神妙にうなずく。


「わ、わかったわ……。

取りあえず黙っていればいいの?」


「そうして。

そうしないと、うまくいくものもダメになるからね!」


 シルヴァーナはミルが、なぜ不機嫌なのか理解できない。


「ちょ、ちょっと。

なんでそんなに不機嫌なのよぅ……」


「アルはあのトンデモ王子の対応で疲れていたのよ。

そこにこの話よ。

お願いだから、これ以上アルの心労を増やさないで」


「ああ、あの失禁殿下ね」


 もう広まっているのか。

 酷い呼び名だなぁ。

 事実だけど。


「口止めはしていなかったですね……。

その必要もないですが。

もう広まっているのですか?」


 シルヴァーナは妙に、偉そうに腕組みをしてうなずく。


「そりゃそうよ。

来て早々あんな問題を起こすし。

あの時のヤンさんはかっこよかったわねぇ……。

あれこそ男ってかんじよ。

その後に礼儀正しいアルが、王子を牢屋にぶちこんだ。

一体、なにをしたのか……って噂で持ちきりよ。

なんでかは誰も教えてくれないけど、失禁したのは皆の前だったからね。

もう知れ渡っているわ」


「その話は、終わったことです。

ともかくシルヴァーナさんが余計なことをして、破談になっても知りませんよ。

かなりデリケートな話題なんですから」


 シルヴァーナはいまだに、事態の重さを理解していないようだ。


「うーん、なんか今一釈然としないけど……」


 ミルが立ち上がり、シルヴァーナをジロリとにらむ。


「ヴァーナ?」


 シルヴァーナは慌てて、コクコクとうなずく。

 巡礼中の序列は健在だった。


「あ! わ、わかったわ! 黙っている! そ、それでいいでしょ」


 ミルはため息をついて座りなおす。


「そうして頂戴。

イケメンをゲットしたって言いふらしているのは、いつもの見栄だ……って皆思っているからね。

なんとか辻褄を合わせられたのよ」


「なんで辻褄を合わせるのよ?」


 ミルはジト目で、シルヴァーナをにらむ。

 やっぱりわかっていない。


「あのねぇ……。

シケリア王国の要人が、身分を偽ってきていたのが問題なの!

しかもヴァーナに捕まったなんて言ったら大変よ。

それはなかったことにしないと、話がまとまらないの!」


「な、なんだか面倒な話ね……」


「面倒なことにしたのはヴァーナなのよ……」


 シルヴァーナはフンスとない胸をはる。


「アタシはアルが紹介してくれたイケメンをゲットしただけよ。

全然難しくないじゃん。

その勢いのまま、結婚の約束をさせただけよ。

ミルだってそうじゃん。

旅先でアルをゲットして、そのままゴールインしたんだしさ」


 ミルは口をOの字にあけて、あっけにとられていたが、強く頭を振った。


「それとこれとは違う話よ……。

わかったわ、一晩かけて説明してあげる。

ほっとくとなにかやらかしそうだし」


「し、信用ないわね……」


「なにか言った?」


 シルヴァーナはミルの剣幕に借りてきた猫のように小さくなった。


「いえ、なんでもありません……」


                  ◆◇◆◇◆


 俺のクリスティアス・リカイオスへのちょっとした嫌がらせ。

 人を送り込むことなのだが……。

 その人物がモデストだ。

 こちらに到着したので急いで面会する。


 俺からの呼び出しに楽しい予感を抱いたのだろう。

 細い目に、なにかを期待するような感情がこもっている。


 エールを口にして一息ついたのを見計らって、依頼内容を伝えることにする。


「シャロン卿。

ウチのシルヴァーナと、シケリア王国のペルサキス卿が婚約します。

ただリカイオス卿の頭越しに決まった話です。

これを積極的に進めたのが、取り次ぎ役のアントニス・ミツォタキス卿。

シケリア王国におもむいて、彼との窓口になってもらえませんか」


 モデストはしばらく瞑目した。

 モデストはシケリア王国に、顔が知られている。

 それを承知で、俺が指名した意味を考えているのだろう。

 穏やかな笑みを浮かべる。


「なるほど。

どうもラヴェンナ卿の依頼に慣れてしまうと、王都の仕事はいささか退屈でしてね。

人間、上質を知ると……平凡なものには、不満を覚えるようです。

承知致しました。

それで私めに、なにを期待しておいでで?」


「具体的な指示はありませんよ。

ミツォタキス卿が健在で、話が無事にまとまることが望みです。

そのためシャロン卿には、私の名代として全権を委ねます」


 モデストは静かに笑った。


「それは大変光栄ですな。

影の仕事をしてきた私が、表の仕事でラヴェンナ卿の名代ですか。

さぞリカイオス卿の周辺は混乱するでしょうなぁ」


「そうですね。

自分の知恵に絶対の自信がある人たちは、裏を探ろうと必死になるでしょうねぇ」


 モデストは声を出さずに、肩をふるわせて笑う。


「実は裏がないと。

ですが私が名代で裏がない……など普通考えませんな。

深読みするあまり、軽挙妄動に及ぶでしょう。

知恵者にとってわからないとは、大変な不安要素ですから。

いやはやラヴェンナ卿は、相変わらずお人が悪い。

では我慢しきれなくなった粗忽者の足を払えばよろしいのですな」


 話が早くて助かる。

 俺は満足そうに笑う。


「繰り返しますが、やり方はすべてお任せします。

なにが起こるかわかりませんからね。

シャロン卿の思うようにやってください」


「これは責任重大ですな。

リカイオス卿が歓迎に、どんな踊りを見せてくれるか……。

楽しみにすると致しましょう」


 言葉以上に楽しい予感に高揚しているのだろう。

 モデストは珍しく、上機嫌に笑ったのだった。

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