601話 すっかり忘れていた話

 自分の願望だけが真実と信じる相手を、どうしたものか。

 相手が自分のことしか考えないなら、手段は限られる。


「では、その旨を書面にしたためます。

殿下に署名をしていただけますか?」


 ロマン王子は嘆くようなポーズをとった。


「なんと心の貧しい!

ロマンの言葉だけで、千金の価値がある!

言葉だけで約束など十分ではないか。

署名せよとは、ロマンの言葉を信じない……と同義ではないか」


 そういっているのだよ。


「署名できないとおっしゃるのであれば、残念ながら拘禁することになります」


 ロマン王子はキョトンとした顔になる。

 まったく予想外だったらしい。


「ロマンへの尊敬の念はないのか?

ロマンはただの王族ではないのだぞ」


 時間のムダだな。

 さすがに相手をするのも疲れてきた。

 見せ物にしても面白くない。

 当事者でなければ笑えるのだが……。


「では拘禁となりますね」


「ま……まて。

卿はロマンの話を聞いていないのか?

人の話は、誠実に聞くべきだろう?」


「辺境のしがない領主でして……。

私の質問にお答えいただけない限り、次のお話が頭に入ってこないのですよ。

イポリート師範、帰りましょうか。

殿下は新しいことがお好きと聞きました。

牢屋で過ごされるのも新体験ですからね。

感涙にむせび泣くと思います」


 俺は席を立つ。

 イポリートはロマンに笑いながらウインクする。


「たしかに新体験ねぇ。

クッションがないベッドで寝たことはなかったでしょう?

食事でワインは出ない。

はじめてずくめで……興奮して眠る暇もないと思うわ」


 ロマン王子は脂汗をかきはじめる。


「ま……まて、話し合いを切り上げるなど非道ではないか!

ロマンは誠実な話し合いをしようと……譲歩しているのだぞ。

ト……トマ。

なんとかしてくれ!」


 すがるような目で見られたトマが、顔を真っ赤にして立ち上がった。

 ただ生まれたての子鹿のように震えている。

 ちっともかわいくない。


「脅した上での署名は無効だ! そんなものなんの根拠にもならない!

従うしかない状況で……強制された署名や言葉に価値などないだろう!

そんな当たり前のことも分からないのか!」


 ロマン王子は満面の笑みを浮かべる。


「さすがはトマだ。

そうだ、常識だろう!」


 いっていることは正しいのだけどね……。

 

「では、拷問の末の白状も無効ですよね。

それで随分と、処罰をされていたと思いますが?」


 ゾエからの情報が、ここで役に立つとはなぁ。

 書いてあったときはフーンとしか思っていなかったが……。

 このトマという人物、かなり歪んでいる。

 拷問が趣味と書いてあった。

 利用価値のなくなった相手に拷問をして、謀反の自白をさせる。

 処刑の口実作りだな。

 しかも立場の弱い連中に加担させて、共犯にしているのが狡猾だ。


 トマの目が血走ったように充血する。

 かなりのストレスみたいだなぁ。


「そのような罪人は人じゃない。

そのような存在と殿下を同列にするな!

非礼にも程があるだろう!」


 イポリートは優雅に席を立って、含み笑いを浮かべる。


「ラヴェンナ卿。

このおバカさんも、殿下と共謀関係にある疑いが濃厚よ。

仲良く牢屋にいれてあげたら?

人の非礼はとがめるけど、自分の非礼に気がついていないようだし……。

看守もラヴェンナ卿への非礼を知ったら、特別対応をするんじゃないかしら?」


 震える子鹿は、今にも崩れそうになる。

 だがいたわる気は、かけらもない。


「たしかにこの様子では、責任がありそうですね。

殿下を補佐する立場なら、野放図にした責任はより重くなりますかね。

幼い主君が失策をした場合、補佐が主な罪を問われるでしょう」


 トマは震えながらも、露骨にこびる表情をする。


「ま……まってください。

殿下を守るために、熱が入りすぎただけです。

忠誠心に理解を示すのは、貴族にとっての度量ではありませんか」


 イポリートはフンと鼻で笑った。


「ねえ、ラヴェンナ卿。

非礼を働いたあとで言い訳をする、それって許されるのかしら?」


「許されないでしょうね」


 哀れ子鹿は崩れ落ちてしまった。

 突如、ロマン王子が明るい表情になる。


「そうだ! 卿らの論法だと、トマにも同等の責任があるというのか。

それならトマの署名でもいいだろう?」


 崩れ落ちた子鹿は、崖から突き落とされたかのようだ。

 絶望と憤怒と恐怖が入り交じった、奇妙な顔芸だなぁ。


「で、殿下?」


 ロマン王子の論理に付き合う気はない。

 俺はため息をついて、肩をすくめる。


「同等なら、両名の署名ですよ。

なぜそこまで署名を渋るのですか? もしかして、字が書けないとか?」


 イポリートは思案顔だったが、すぐに首を振った。


「アタクシは知らないわ。

殿下の書状は見たことがないもの」


 ロマン王子の顔が、また真っ赤になる。


「あまりに非礼ではないか!

ロマンほどの身分なら口述筆記させるものだ!」


「これはらちがあきませんね。

では特別なお部屋にご案内します。

署名する気になったらお伝えください」


 俺が片手をあげると、護衛がうなずく。

 すぐに親衛隊が20名ほど入ってきた。


 親衛隊長のジュールが、俺に敬礼する。


「では、ロマン殿下と補佐役のトマ殿を拘禁します」


 警察にさせてもいいのだが、一応相手の身分に配慮した形をとる。

 だから拘禁は親衛隊にしてもらう。


「ええ。

特別なお部屋にご案内を。

あと署名する以外の言葉を聞く必要はありません。

ではイポリート師範、帰りましょうか」


 2人はなにか叫んでいたが、抵抗むなしく連行されていった。

 随行員はヤンを見ている。

 一兵士程度だと思っているだろう。

 見るからに武装のしっかりした親衛隊は、さらに強いと思うに違いない。

 つまり主君を守る勇気などないわけだ。

 自分より格下でないと、勇者になれない連中だからな。


 イポリートは苦笑していたが、少し心配そうな顔をする。


「いいの? アタクシとしてはスカっとしたわ。

でも……後々のことを考えると面倒よ。

それにランゴバルド王家から……とがめられない?

やりすぎだってね」


「そこを含めて、私の後始末はまだ終わっていません。

ですが王家はとがめてこないでしょう。

それより……領民に法を守らせることは、そう難しくない。

問題は高位の人物に、どう守らせるかですね。

それができないと、法の形骸化が始まります。

さらに領内統治が脆弱になりますよ。

不満の口実になりますからね。

私は母親じゃないので、殿下を満足させる義務はありません。

殿下の満足とラヴェンナの統治が相反すれば、私の義務が優先されますよ」


 イポリートは俺の返事が気に入ったのか、満足げにうなずく。


「そこまで覚悟を決めているなら、何もいわないわ。

ロマン王子にとっては人生初体験ねぇ。

自分を尊重しない貴族がいるなんて、夢にも思わなかったでしょう」


「夢にも境界線はありますから。

自分の想像が及ばないことは、夢に見ることもできませんよ」


「そうね。

一ついいかしら?

アタクシはダンスのことだけが最優先なの。

でも美しいものには一定の敬意を払うし、興味をもつのよ。

署名にこだわったのはなぜかしら?

どうせ帰ったら、あれは無効だと言い張るわよ」


 当然の疑問だが……。

 イポリートが興味をもつのは、ちょっと意外だ。

 だがこの喜劇に付き合わせたのだ。

 疑問には答えよう。


「殿下の行動を縛るつもりはありません。

そもそも縛れないでしょう。

ですが話の通じる人には、説明材料になります」


 イポリートは楽しそうに笑ってから、俺にウインクする。


「納得したわ。

殿下が必死になって否定するほど、信ぴょう性が増すわけね。

ラヴェンナ卿の今までの行動が、それを補完すると。

大義名分や道理にこだわるのは有名だものね。

ドロドロした欲望まみれの人の世でも、こんな美があるのねぇ。

接吻したいくらいよ」


 それは勘弁してくれ。

 しかしイポリートは、とても頭脳明晰なんだなぁ。

 感心するよ。


「この理論を理解できる人は、貴族でも多くいませんよ。

師範がすぐ理解されたことは驚きです。

政治とは無関係の世界に生きてこられたのでしょう?」


 イポリートはなぜか一回転した。

 ダンスには疎いが美しい回転なのはわかる。

 一切ムダのない流れるような動きだ。


「政治とは無関係よぉ。

そんな身分じゃなかったわ。

でもダンスは、人が踊るものよ。

人を知らないと、高みにはとどかないの。

人を相手にしない芸術だったら、きっとわからなかったと思うわ」


                  ◆◇◆◇◆


 翌日、ロマン王子が音をあげたとの報告があがってきた。

 そもそも……すっかり忘れていた話がある。


 ロマン王子の頭髪は、魔法で誤魔化していた。

 つまり……翌日、その頭髪は荒廃していたのだ。

 現実がその姿を現したということになる。


 鏡など持ち込まれないが、看守に驚かれたことと、水に映った自分の頭を見て半狂乱になったらしい。

 

 泣きわめいて俺をののしり続けたが、やがて署名でもなんでもすると泣きだしたと。

 文面は用意させていた。

 ロマン王子とトマの連名での署名をさせるように指示する。


 書面を読んだトマが抗議しようとしたが……。

 ロマン王子が発狂したかのように、顔を真っ赤にして暴れ出したので諦めた様だ。


『トマ!

時間を稼いで、このロマンに恥をかかせ続けるつもりか?

この恩知らずめ!』


 こんなことを言われたら、抵抗は出来ないな。


 書面を見たら、トマには受け入れられないだろう。

 ただ不便な生活で、ロマン王子が音をあげると考えていた。

 頭髪の件は忘れていたよ。


 ともかく俺が書かせた内容は、ロマン王子の意見を完全に無視している。


 自身の監督不行き届きを認めること。

 一切の責任はロマン王子とトマにあり、ラヴェンナの非は一切ないことを認める。

 アラン王国は改めて、ランゴバルド王国に謝罪の使者を送ると約束する。

 罪人は十分な罰を受けたとして、ロマン王子に引き渡す。

 この条文を歪曲して、他者に喧伝しない。


 この問題はことを、アラン王国として認める。

 

 署名された、ロマン王子の字は……。

 俺より汚い。

 読めない……と何度も書き直しを言い渡された。

 ロマン王子はごねていたが、頭髪に注がれる視線に耐えきれなくなったようだ。

 泣きながら応じたらしい。

 トマの表情に浮かんだ憎悪は、相当なものだとも報告を受けた。


 それは気にしていない。

 そもそも国に戻ってから、自分の身を守ることに汲々とするだろう。


 ロマン王子は大急ぎで帰還したが、大きな帽子をかぶっていたとの報告を受けた。

 ハゲは、恥ずかしいことじゃないと思うのだが。

 芸術の体現者としては相応しくない……とでも思っているのか。

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