600話 ここはラヴェンナ

 不快な仕事の道連れはイポリートだ。

 ロマン王子が同じ芸術家の頂点として、ぜひ会いたい……と駄々をこねていた。

 それを王都からの書状で知っている。


 なので来ることが確定したときに、イポリートに同席のお願いをした。

 俺の要請にイポリートは渋い顔だ。


「ラヴェンナ卿。

アタクシが、この世で1番嫌いなものをご存じ?」


 1番と言っても、実はたくさんある。

 なんてザラだからな。


「いろいろありそうで、即答はしかねますね」


「才能もなく、努力もせずに、自分が頂点に立っていると思っているヤツよ。

他者の批判も『自分に嫉妬している』とか言い切るわ。

そんなヤツは殺したくなる程……嫌なの。

頂点は全てをささげて、なお見えないものよ。

アタクシも世界一と自任するけど極めたとは思っていないわ。

まるで頂点が、そのあたりに落ちている石ころだ……と言われている気になるわよ」


 これは、たしかにイポリートが嫌いそうだ。

 無理強いしてもいい結果を生まない。

 それに市民じゃないからなぁ。


「つまりロマン王子は、死ぬほど嫌いで会いたくないと」


 イポリートは苦笑して、肩をすくめる。


「そう言いたいところだけど。

でも他ならぬラヴェンナ卿のお願いよ。

アタクシは知己の頼みを断るほど薄情じゃないわ。

ああ……知己は、アタクシが勝手に思っていることよ」


「一つの道を究めようとしている人に、知己とよばれるのは光栄ですよ。

そう簡単に、知己にはなれないでしょうからね」


 イポリートはうれしそうに、体をクネらせウインクする。


「立場上、仕方なく会うのでしょう?

それで会わなくても、あの人は駄々をこねて会おうとするわ。

それならラヴェンナ卿と苦痛を分かち合うほうがマシね。

苦痛は半分で済むし、苛立ちを共有できるわ」


 たしかに道理だな。

 苛立ちの共有は盛り上がるのだよな……。


「ロマン王子とは面識がおありで?」


「ええ。

精神が肉体に反映されるなら、見た者が卒倒するような不快な存在ね。

ゾンビですら神が造りし芸術作品に見えるレベルよ。

あんなものが王族として生まれるなんて、世の中どうかしているわ」


 クリームヒルトに会わせたら、大変なことになりそうだ……。 

 ああなれるだけの余裕がある環境に生まれたというべきか。


「王族だからこそ、健やかに曲がって成長したのでは?」


 イポリートは、楽しそうに笑った。

 

「あら、すてきな表現ね。

たしかに平民だったら、とっくに野垂れ死んでいるわね。

断言するわよ。

あれが使徒だったら、世界は終わっていたわ」


 そもそも……そんな人格には降ろさないだろうが。


「反論する気もおきませんね。

どうも嫌な記憶を掘り起こしてしまって申し訳ない」


「いいのよ。

あっちは勝手に、親近感を持ったらしいけど……。

あの下手くそな歌を聴かされたときは苦痛そのものだったわ」


「やはり下手でしたか」


 イポリートは、大げさに嘆くポーズをとる。


「張りがない。

伸びがない。

感情がない。

歌詞は意味不明。

歌のことは、全くの素人だけどわかるわ。

そして奇抜なことをやるのが芸術だと勘違いしているわね。

聞いていて変な刺激が混じるのよ……。

おかげで瞑想すらできなかったわ」


「それはなんと言いますか……。

ご愁傷さまです」


 記憶がよみがえってきたのか、イポリートが憤慨した顔になる。


「新とつくものには、目がないみたいね。

既存の芸術を軽蔑するけど、新しいものを作り出す力はないわよ。

過去に類を見ない新体験だったろう? と聞かれたときは……。

表向きは間違っていないから、生返事でうなずいたわ。

内心は、芸術と自称する発声練習を聞かされる……珍体験だったと思ったわ」


 そのときの心境はいかばかりか……。


「相手が王族だとむげにもできませんからね。

心中お察ししますよ」


 イポリートの憤慨は過ぎ去ったのか、少し皮肉な笑いを浮かべた。


「それだけでも腹立たしいのに、他人の批判だけは一丁前なのよ。

声の張りがないとか……。

伸びがないとか……。

感情がこもっていないとか……。

歌詞が意味不明だ……まで言ったわね」


 さっきのイポリートの批判が、そのまんまじゃないか。


「つまり自分を、基準にしているのですか?」


 イポリートはチッチッと指を振る。


「違うわよ。

傑作なのは種明かしをしてからよ。

珍体験をさせられたときに、気の毒にも同席していた友達がいたわ。

ものまねの達人よ。

あまりに頭にきたから……」


 それは、なかなか面白い悪戯だな。


「ロマン王子のものまねを、本人の前でさせたのですか」


「そうよ! 退屈そうな顔で聞き終わった感想がこれよ。

ちなみに……ものまね自体は完璧だったわ。

あとで友達と、おなかを抱えて大笑いしたわよ!

あの人、普通の批判はできるみたいね」


 そんなすてきな会話を思い出してしまった。

 思い出したのは、イポリートと馬車にのっているからだ。

 行き先はロマン王子の滞在する屋敷。


「イポリート師範、済みませんね。

トラブルの直後に、同行をお願いしてしまって」


 イポリートは科をつくって、軽く笑った。


「あら、いいのよ。

あのロンデックスだったわね? 意外とユーモアのセンスがあるのねぇ。

ともかくあの人の、大好きな新体験ができたのですもの。

今まであんな体験したことはないはずよ。

どんな顔をしているのか、見に行く価値はあるわ。

と言っても……。

ひとりでは嫌だけど」


                   ◆◇◆◇◆


 屋敷で部屋に通されると、1時間くらい待たされた。

 どうやら嫌がらせらしい。

 イポリートと顔を見合わせて苦笑してしまった。


 ケバケバしい衣装の男と陰気な男が入室してくる。

 ロマン王子とトマか。

 ロマン王子はニチャアという擬音が聞こえるような笑いをする。


「せっかくラヴェンナ卿とイポリート氏に会うので、着付けに時間がかかったよ。

服を選ぶと、時間を忘れてしまうからね。

普通ロマンに会いたければ、何時間も待たされる。

これでも急いだのだよ」


 噂に違わぬヤバいヤツだ。

 内心あきれていると、多分トマらしき人物が愛想笑いを浮かべる。


「失礼があってはならないですから。

もっと吟味すべきと、殿下に申し上げましたのですが……」


 ロマン王子は気持ちの悪い笑顔を浮かべる。


「いやあ、トマのいうこともわかるけどねぇ。

待たせるのも悪いじゃないかぁ」


 これは相手を尊重しても、絶対いいことはないな。

 ゾエの人物評価は正しかったわけだ。


「たしかにいけないでしょうからね。

殿下の配慮に感謝いたしますよ」


 イポリートの頰が、わずかに緩む。

 ロマン王子の額に、青筋が浮かんだ。

 感情を隠せないのか?


 トマが俺に非難がましい表情を向ける。


「ラヴェンナ卿は辺境での暮らしが長かったですね。

殿下の繊細さを理解されないようです。

こうやってラヴェンナ卿が、陳謝に出向いてきたのです。

殿下に代わって申しつけましょう。

あの野蛮人に受けた随行員の暴行。

これに対する謝罪と賠償を求めます」


 挨拶ついでに、事情を聞きにきただけなのだが……。

 陳謝にきたと思い込んでいるなら、あれは嫌がらせでなく罰を与えたつもりなのか。


 ロマン王子がまたニチャアとした笑顔を浮かべる。


「まあまあ。

トマは率直な物言いをしていてね。

ロマンとしてはことを荒立てたくはない。

想像を絶する非礼は、不問に処してもいいが……。

それ相応のわびる気持ちは、欲しいところだな。

いや……ムリにとは言わないよ。

アラン王国とランゴバルド王国の関係を考えれば、大人の対応はできるだろう?」


 あれで自分が被害者なのか。

 子供がなにをやっても許すのは大人じゃないからな。


「謝罪と賠償ですか?

していただくならわかりますがね。

ああ……もしかして、服が汚れた件についてですか?」


 イポリートは吹き出しそうになるも……真面目くさった顔をなんとか保つ。

 

 ロマン王子の脂ぎった顔が真っ赤になる。

 トマが身を乗り出してきた。


「それも大きな問題ですが……。

随行員に危害を加えたことです!

殿下の面子を汚すなど、殿下はお許しになっても、このトマが納得できません。

ラヴェンナ卿は部下の教育がなっていないようです。

殿下に恥をかかせたのですよ」


 人間あまりに馬鹿げた主張を聞くと、笑いがこみ上げる。

 それを実体験する羽目になろうとは……。


「それなら随行員の品のなさを恥じるべきですよ。

面子を気にされるなら、随行員の質にも留意されるべきでしょう」


 トマは俺が恐れ入らないので、顔が真っ赤になる。

 たしかにコイツは嫌われるな。

 同じ嫌われ者でも、モローとは違うな。

 コイツは軽蔑混じりだ。


「殿下の人選を批判するなど、どれだけ無礼なのですか!

アラン王国でそのようなことは有り得ない!

たった1時間程度待たされたからと言って、へそを曲げることもないでしょう!

これがラヴェンナの当主ですか?」


 トマは興奮すると、早口になるようだ。

 どんどん早口になって聞き取りにくい。


「ここはラヴェンナですよ。

あと少し落ち着かれては?

たまたま目についた少女を暴行しようとする……これが非礼でないとは。

アラン王国は文化芸術の国と聞きましたが、私の聞き間違えだったようですね」


 ロマン王子は爬虫類のような目で、俺を睨む。

 怖くはないが……超キモい。


「我が国を侮辱するのは聞き捨てならない。

と、ともかく……。

たしかに随行員が少女に親しげに声をかけたのは事実だ。

だが……それはあの小娘が、随行員に色目をつかったからだ。

ラヴェンナは娼婦のような女だらけなのか?

そうやって我々をはめて、恐喝でもする気なのかね」


 これまたすごい言い訳だな。

 思わず頭をかいてしまう。

 真面目に、相手をするのも馬鹿馬鹿しい。


「殿下を脅して、なんの益があるのですか。

それとラヴェンナが、娼婦だらけなど言い掛かりもはなはだしい。

無理やりこちらを、悪人にしようと努力されているようですが……。

あの状況で被害者を装うのは、ムリがあるでしょう。

アラン王国では周囲が面倒を避ける一心で、仕方なく殿下に迎合していると思いますよ。

下劣な犯罪を見逃して、殿下はラヴェンナにどんな見返りを用意できるのですか?」


 ロマン王子はあっけにとられた顔になる。

 恐れ入らなかった相手はいなかったらしいからな。

 格下だと思っている相手に反論されたのは初体験かもしれない。


「見返りだと?

なぜそうも計算高いのだ。

領主たるものそんなこせこせした態度では、民の人生を豊かにできないぞ。

誠意だよ。

賓客をもてなす誠意が、全くない。

偉大な芸術家が、わざわざ訪れたのだ。

多少連れが羽目を外しても、大目に見るべきだろう」


 なにを言いたいのか、まるでわからない。

 とにかく、俺が悪いから謝れと言っていることはわかる。

 それはムリだな。

 そんなことが知れ渡ると、被害にあった子をさらに傷つけてしまう。

 必ず言いふらすのは、目に見えているからな。


「殿下と政治議論をする気はありませんよ。

あとここにお迎えしたのは、殿下がアラン王国の王子であるからです。

それ以外の理由はありません」


 肩書以外に、お前の価値はないと言ったのだが……。

 ロマン王子はキョトンとしている。

 通じなかったか……。


「な……なんと、人の地位で対応を変えるなど……。

嘆かわしい限りだ。

イポリートもこのような俗物にかかわらずに、私の元にくるべきだろう。

その偉大な芸術性が失われてしまうぞ」


 たしかに誰に対しても、コイツは不遜だろうな。

 そこだけは一貫しているのか。

 イポリートは迷惑そうな顔で苦笑する。


「せっかくの申し出ですがねぇ。

アタクシ、一度受けた仕事はやり遂げる……と決めておりますの。

殿下は他のことに心を向けるより、ご自身の芸術を磨くことに専念されては?」


 再びロマン王子は、キョトンとしている。


「世界の頂に立ったのに、なぜさらに磨く必要があるのだ?

ロマンの使命は、この至高の芸術をあまねく世に広めることだ」


 うん、ダメだわ。

 話してもムダだ。


 俺たちを睨んでいたトマが、ロマン王子にねっとりとした笑いを向ける。


「どうやら殿下の、高尚なお考えは……。

殿下ほどの高みにおられないと理解されないようです。

ラヴェンナ卿は政治の世界に、どっぷりつかっているようで……。

芸術や、高尚な精神が理解できないのです。

この世に殿下だけでしょう。

政治と芸術を両立されているのは」


 政治は遊びじゃないのだがな。

 怒る気にもならない。


 ロマン王子は芝居がかった仕草で、天を仰いだ。


「ああ……。

天才とはなんと孤独なのだ。

真の芸術は理解されない……。

世界一の肩書だけが理解される。

イポリートもそう言っていたな。

今、ロマンは深い孤独と失望を感じている」


 イポリートはあっけにとられていたが、辛うじてうなずいた。

 お前にだけは言われたくない……と思っているのだろう。


「え、ええ……」


 トマが上目遣いに俺を見る。


「ラヴェンナ卿、いかがでしょうか。

殿下はこのように崇高な目的のため、日々活動されているのです。

それに敬意を示して、殿下の顔を立てられては。

今なら殿下も、寛大なお心でお許しいただけますよ」


 ロマン王子がニチャアから、ネチャアと……より醜くなった笑顔になる。


「おいおいトマ。

謝罪を押しつけているようじゃないか。

それではロマンのイメージが悪くなる。

ロマンは誰からも愛されている。

そんなロマンに嫉妬して、誹謗中傷をするものも絶えないのだ。

イメージを傷つけることは、よろしくないなぁ。

卑小な連中に、誹謗中傷の材料を与えることになる」


「これは失礼をば。

殿下ははるか高みにおられます。

空を飛ぶ鳥は、地を這う蟻が見えないでしょう。

このトマは、地をはいずり回る愚者に……わかりやすい言葉で教え諭しているのです。

殿下のお心を煩わせないことが重要ですから」


 ロマン王子は満足げにうなずく。


「おお……。

そうだったな。

やはりロマンにとって、トマは不可欠な存在だ。

ついつい美しい空ばかり見てしまう」


「いえいえ。

殿下あってのトマにございます。

殿下がいなければ、このトマは塵芥のようなものですから」


「いやいや、謙遜するでない」


 なんだこの茶番は……。

 トマは期待をこめた目で俺を見る。


 たしかにアラン王国の国民なら、面倒を避けて譲歩するだろう。

 王妃に睨まれるのは嫌だろうからな。

 だがここはラヴェンナだ。


「罪人はこちらで、罪状を明らかにした上でしかるべき処罰をします。

殿下には随行員の不始末を放置していた責任があります。

ラヴェンナの法に従うと誓約されましたね。

その誓約に従っていただきましょう。

どうやら殿下は空を飛べるほど軽いので、ご自身の誓約も羽のように記憶から抜け落ちたようですが」


 ロマン王子は顔を真っ赤にして震え出す。


「あ、あれは……ラヴェンナ卿の顔を立ててやっただけだ。

つまりお前は、このロマンに借りがある!

なぜそのような社交辞令を、真に受けるのだ!」


 論理が全くない。

 よくぞここまで、結論だけでしゃべれるものだ……。

 これはたしかに、真面目な役人は精神を病むな。

 コイツが領主だったら、俺は全力で逃げるね。


「それは殿下のお考えですね。

私の考えではありません。

謝罪していただけないのであれば……。

殿下を監督不行き届きの罪状で拘留します。

随行員の罪を認めないのであれば、共犯とみなしますからね」


 正確な法律はちよっと違うが……。

 再びロマン王子はキョトンとする。

 あまりに想像できない話に、理解が追いつかなかったらしい。


「ロマンを拘留だと?

私はロマンだぞ?」


「脅してなどいませんよ。

あと名前は存じておりますから、何度も名乗らなくて結構です。

さて……どうされますか?」


 トマが、顔を真っ赤にして立ち上がる。


「とんでもない非常識。

戦争になったら、どう責任をとるつもりだ!

こっちには使徒さまがいる。

万が一にも負けないのだぞ!

一度使徒さまの攻撃を受けて、しぶとく生き延びたからと言って……いい気になるなよ」


 ああ、意味不明な強気の理由はこれか。

 初めて理解できた。

 なにか言ってやろうと思った。

 ところが渋い顔で話を聞いていたイポリートが、トマに指をつきつける。


「ちょっとトマ。

アナタは何者なの?」


 いきなりイポリートに聞かれて、トマはわけがわからないといった表情になる。


「私はロマン殿下の右腕だ」


「社会的地位はラヴェンナ卿より上なの?」


 ようやく言わんとすることに気がついたらしい。

 トマは顔を真っ赤にして立ち上がる。


「殿下ははるかに上だ! 私を侮辱するのは、殿下の権威に対する挑戦だ!

王妃殿下も黙っていないぞ!

それにラヴェンナの法がなんだ!

殿下を縛ることはできないぞ!

そんなものに縛られるのは、ここの土民だけだ!

たかが踊り屋のくせにつけあがるな!」


 どんどん早口になるのは、聞いていて笑えてしまう。

 イポリートはトマを哀れむような目で見上げる。


「ホントおバカさんね……。

もし普通の領地だったら、アナタとっくに首をはねられているわよ。

領主さまに非礼を働くと、軒並みそうなるのは知っているでしょ。

アナタそれで何人の首を飛ばしてきたのよ。

良かったわね、ここがラヴェンナで。

法律に違反しないから、首がつながっているのよ。

そんなおバカさんでも守ってくれる法律を無視してほしいの?」


 最後にイポリートは、首を手で切る仕草をした。

 トマは目に見えて狼狽する。

 どうやら、何人も処刑してきたようだな。

 実に救いようがない……。

 自分の命が実は危ういと、初めて気がついたのだろう。


「な……。

そんな横暴だ!」


 イポリートはあきれ顔で、首を横に振る。

 そして楽しそうな表情をした。


「殿下への忠義を貫くなら、ラヴェンナの法律なんて無視すると言えばいいのよ。

無視するなら殿下に、罪はないって言えるわよ。

そうしたら遠慮なくラヴェンナ卿は、アナタを他の土地と同じ流儀で首をはねるから。

無視すると言ってみる?

随行員を半殺しにした、あの人……喜んですっとんでくるわよ。

今度は武器を持ってね。

さあ、アナタの忠誠心が試されるわよ。

さっきの勢いのまま、いってしまいなさいよ」


 トマはしどろもどろになって、冷や汗をかきはじめた。

 ヤンの強さは目の当たりにしているだろう。

 俺が一言、首を取ってこいといえば……。

 ロマン王子たちはそれを止められない。


 トマはヨロヨロと椅子に座り込む。

 顔が土気色になっている。

 同情する気は欠片もないがな。


 使い物にならなくなったトマに代わって、ロマン王子がニチャアと笑いかけてきた。


「まあまあ。

トマはロマンのために、口が悪くなるのだよ。

些細なことで、一々気にする方が小さい。

ラヴェンナ卿も随分な非礼を、このロマンに働いた。

どうだろうか。

ここはお互いさまということで……」


 なぜお互いさまなのだ。

 分が悪いとお互いさまにするのかね。

 理屈は、コイツには通じない。

 自分で思ったことだけが、この男には真実なのだろう。

 いい加減疲れてきたよ。


「はて……。

なにかご要望でもおありですか?」


「ロマンはここを去る。

随行員を帰してくれないか?

代わりに、謝罪も賠償も求めない。

ロマンは心が広いと評判でな。

代わりに卿とイポリートの非礼を忘れよう。

どうかね? これだけの非道な仕打ちを受けたのは、ロマンにとって初めてだが……。

それを忘れようというのだ。

これ以上ない取引だと思わないか?」


 俺は思わず、イポリートと顔を見合わせる。


「「そうですか」」


 なぜかハモってしまった。

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