567話 ちょっとした悪戯
湯治も終わりに近づきつつある日のこと。
モデストが、わざわざやって来た。
アラン王国とのコネの要となる人物を連れてきたとのこと。
会わない理由はない。
ミルには同席してもらう。
初対面なのでクリームヒルトに、同席を頼む。
モデストは挨拶を済ませてから、女性の紹介をした。
ゾエ・ラペルトリという名の30後半の女性。
シルバーブロンドで髪を結い上げている。
青い瞳に、つやのある唇。
服装は落ち着いているが、どことなくアンニュイな雰囲気を漂わせた美女といった面持ち。
元高級娼婦かな。
仕草一つ一つに色気を感じる。
この予感は、ある程度的中していたようだ。
踊り子や歌い手、娼婦などを派遣するル・ヴォー商会の当主らしい。
つまり、芸能事務所的なところか。
むしろ娼婦が稼ぎのメインだが。
それだけでなくパーティーに花を添える形で、女性の派遣も請け負っているのだろう。
派遣、管理、育成を担っている商会か。
ゾエは色気たっぷりに会釈する。
俺の気を引くためではない。
自然な動作だ。
天然ではなく訓練されて、習慣づいたような仕草。
隣のミルが少し緊張したのが分かる。
そんな色仕掛けで迷うほど血気盛んじゃないよ。
「この度は、私のような卑賤の者に、お目通りをお許しいただき、感謝の言葉もありません」
「いえ、謙遜なさらずとも結構ですよ。
私はアラン王国に情報源が欲しいと思っていたところです。
ル・ヴォー商会も私に、なにか望むところがあるのでしょう。
ここはお互いの利益のための話し合いです。
そこに貴賤はありませんよ」
ゾエはわずかに、目を細めてほほ笑んだ。
「承知致しました。
アラン王国の内情について知りたいことがある……とのご要望でしたわね。
どのあたりをお望みでしょうか」
「欲を言えば人間関係、そして対外的な動き。
不可能であれば、その手の情報に通じている人たちへの紹介です」
ゾエは俺の要求は予想していたのだろう。
迷うそぶりすら見せない。
「なるほど。
それでしたらラヴェンナ卿のお望みに添えるかと思います」
「シャロン卿の推薦です。
勿論疑ってはいません。
ですが、部下に説得をする材料が欲しいですね。
なにか情報に通じていることを証明できますか?」
これも予想していたのだろう。
俺に対して何が効果的かを吟味しているはずだ。
ゾエは妖艶ともいえる仕草でほほ笑む。
「では……お近づきの印に、他愛もない秘密をお教えしますわ。
あまりに他愛もない秘密ですが。
どれだけの情報が集められるか……それでご判断ください」
他愛もない秘密か……。
考えられることは、ただ一つだ。
「ああ……王族の性癖とか、そんなところでしょうか」
「あら、素敵なお方ですこと。
お察しの通りです。
噂のロマン王子の秘密ですわ」
顧客の秘密を簡単に話すようでは、相手に利用されても信用などされない。
それを知らないとも思えない。
まともな交渉相手なら、そんな軽率なことはしない。
だが話を遮っても得られるものはない。
「ひどい噂ばかり聞きますからね。
変な性癖を持っていても不思議ではありません」
「実はあのお方、頭髪を魔法で偽装していますのよ。
見た目はフサフサですけどね。
実はおでこから頭頂部は荒涼としています。
魔法は永続しないので、毎日かけ直しているようですけど」
「それは初めて聞きますね」
「秘密ですからね。
20代の頃から薄くなり始めましたから。
頭髪の薄い人は、性欲が強いと聞きますけど……。
それを1人で裏付けるような貪欲さでしたね」
私的な部分まで知ることができるか。
それなら公的な話を引き出すことも容易なのだろうな。
この世界で公私を分ける人は滅多にいない。
スカラ家が珍しいタイプなのだから。
情報の深度は申し分ない。
では……そろそろ疑問に答えてもらうか。
「確かにささいな秘密ですが、随分深いところまで食い込んでいますね。
そこで気になるのが……ル・ヴォー商会にとって、アラン王家は重要顧客なのではありませんか?
その顧客の秘密を漏らすのは、なにか理由があるのでしょうか」
ゾエは笑顔のままだが、雰囲気が変わった。
怨念のようなものを感じる表情。
これは相当だな。
「そのロマン王子の暴行で、私が高級娼婦と踊り子としての人生を失ったからです。
そんな方が、王位継承の本命であれば大問題です。
過去の汚点を消すために、私を消すくらい簡単にするでしょう」
個人的な怨恨か。
それが被害妄想でないとは、現時点で判断できない。
もう少し聞くべきか……。
「暴行で体に支障がでたのであれば、傷をつけられたのでしょう。
傷であれば、魔法で消すことができませんか?」
ゾエは営業用スマイルを変えていない。
怨念を感じさせる表情から、自嘲交じりの表情になった。
「傷は消えました。
ですが、心に刻まれた恐怖を消すことはできません。
それ以降、私は男性に触れられるか、凝視されると……恐怖で平静を保てなくなりました。
普通の生活では、無視できるのですが……。
仕事ではだめです。
つまり今まで積み上げてきた、私という人間は一度殺されたのです」
ゾエの声は可能な限り、平静を装っている。
だが抑えきれていない。
恨みは相当なようだ。
「それは初耳ですね。
つまり……王家から口止めされてのではありませんか?」
「勿論です。
謝罪として、金貨1万枚ほどが商会に支払われました。
莫大な治療費も王家負担です。
加えて、ル・ヴォー商会を優遇することも決まりました。
そして私が商会の主となることもです。
秘密が漏れないための取引の結果ですね」
噂でのアラン王家の国庫収入が、1年で金貨5万枚くらいのはずだ。
それだけの売れっ子だったわけか。
そんな大金を、王子の失態の穴埋めにつぎ込むのか?
「王妃はそれだけ力が強いのですか?」
「いえ。
陛下にしてみれば、事件を広められては一大事です。
ル・ヴォー商会は、各国の上流階級との付き合いもあります。
それに私を、個人的に後援してくださる王族の方もいらっしゃいました。
ロマン王子に、私を紹介した方のメンツは丸つぶれに。
そうなれば私を消して口封じも不可能です。
何らかの処置は不可避となりました。
それでも商売女1人のために、王子1人を廃嫡すると王家のメンツに関わります。
だからと言って握りつぶして、他国からの評判が落ちても困るのです。
つまり話し合いで、円満解決しか道がありません。
それこそ握りつぶして、使徒に知られては大事になりますね」
言われてみればそうか……。
使徒のことなんて考慮外だったな。
「それは理解できました。
今使徒の権威が、地に落ちています。
つまり使徒から成敗される恐れも少ない。
内乱で各国の上層部が大きく変わっており、乱暴なことをしてもとがめられない。
これを好機と考えて、アラン王家が約束を、反故にする可能性がある。
だから、契約も切れると判断したわけですか」
「はい。
ロマン王子の取り巻きの1人が、王子が即位したら、ル・ヴォー商会をつぶすと言いふらしています。
ヴァロー商会がル・ヴォー商会を蹴落として、最優遇商会の座を得ようと長らく運動していました。
ヴァロー商会の縁者がその1人です。
既に契約を破棄する……と明言されているのです」
「やはり疑問が残りますね。
王子の不始末が明るみになっては不都合でしょう。
それこそ現状を続けていけば良いだけのことです。
契約を破棄するのは、デメリットが大きすぎるでしょう」
「あの謝罪は、ロマン王子にとっては不本意だったようです。
ロマン王子は数多くの失態を繰り返していますが、全て自分は被害者だと思っています。
そして思いついたことは止められても、結局やってしまいます。
王になったら諫止した家臣を、処刑くらい簡単にするでしょうね。
簡単な計算で自省など……有り得ないのです」
どうしても、納得がいかない。
即位することが、前提となっている。
そんな前提があるのか?
「そこが疑問なのですよ。
そんな危険な人物を、王にするなど……正気の沙汰ではありません」
「他の候補が全てダメなら、話は変わると思います」
思わず、眉をひそめてしまう。
それは単純な話だが、スペアが全滅など信じられない。
「そんな話は聞きませんが。
他の王子は、良くも悪くも話を聞きません」
「ここから先をお伝えするのは、サービスの領域を超える話です。
如何でしょう?」
こちらに情報を流すには、正式に契約を結べと。
将来的にアラン王家からの保護が望めないのだろう。
恐らく、こちらとの関係を誇示して盾にするつもりか。
それだけ追い詰められていても、あっさり全ては話さない。
俺の興味を十分引きつけて、決断を迫るか。
狡いとは思わない。
むしろ楽しいとすら思える。
その度胸に免じて契約しても良いかな。
そのくらい強かでないと……契約する相手としては力不足だからな。
ラヴェンナとの関係を公にすると、以降の情報収集は困難になるだろう。
そこはゾエの努力に期待するか。
こちらとの関係を隠し続けろ……とは都合が良すぎるからだ。
ミルはゾエに、すっかり同情してしまっている。
つまりミルの意見は決まっている。
ではもう一人はどうか。
クリームヒルトは、ほほ笑んでから黙ってうなずいた。
つまり、信じて問題ないと。
「分かりました。
では、そちらの条件を伺いましょう」
「まず一つ、ラヴェンナでフロケ商会と協業の許可を頂きたいのです。
ラヴェンナにも娼婦を派遣したいと思っていますので。
ラヴェンナでは、客を取れなくなってからでも捨てられない。
これは大変な魅力なのです。
上流階級のお相手ができない娘たちの働き先と、この先の未来を開いてあげたいと思っています。
フロケ商会は大きくなっていますが、この商売では我々に一日の長があります。
代わりにアラン王国の要人への面会を融通します。
アラン王国にも販路を広げられるので、悪い話でないと思います。
ロマン王子は貢ぎ物さえ貰えれば、だれの紹介であっても気にしない方ですので安心かと」
「その点は、問題ありません。
フロケ商会が承諾したのなら大丈夫です」
「そこは内々に、話をつけてあります。
あとでフロケ商会にご確認していただければと」
まあ、当然だな。
俺の許可を取ったあとで、やっぱり話が流れました……などあまりに間抜けすぎる。
「結構です。
フロケ商会に確認後、正式に認めましょう。
その他は?」
「新王都であるノヴァス・ジュリア・コンコルディアでの営業許可。
そのために宰相にお口添えを頂きたいのです。
先だって、宰相たるディ・ロッリ卿にその旨をお願いしたのですが……。
条件付きで認めても良いとのお言葉を頂きました。
その条件とは、ラヴェンナ卿にも話を通すようにと」
「王都の運営の決定権を、私は持っていないのですけどね……。
ディ・ロッリ卿は何を考えたのか」
ゾエは懐から書状を取り出して、テーブルにおいた。
宰相の印で封をされている。
「これを預かっております。
ご一読ください」
黙って封を解いて、内容を一読する。
ユボーたちとアラン王家がつながっていた恐れがあると、警察大臣から報告が上がってきた。
ル・ヴォー商会は、ラヴェンナ卿の後ろ盾を欲しているようなので、判断は任せると。
陛下も同様の認識である。
そして末尾に……。
『ねこだいすき』
……これは何だ。
不覚にも固まってしまった。
俺は黙って、ミルに書状を手渡す。
ミルが、少し険しい顔になる。
最後に、目が点になっていた。
ミルの問いかけるような表情に、俺は首を横に振る。
知らんよ。
クリームヒルトは吹き出す始末。
「宰相は私に書状を送らずに、ラペルトリさんに託したわけですか。
宰相とは個人的にお知り合いなのですか?」
「はい。
若い頃の宰相がアラン王国を訪れたときに、知己を得ました。
恐れ多くも、私を親友であるとのお言葉を頂いております」
歌や踊りに達者であれば、宰相の眼鏡にかなうだろう。
宰相の周囲には、モローの監視網が張り巡らされている。
モローには知らせたくないのか。
それともただのモローへの嫌がらせか。
嫌がらせの意味が強い気がしてきた……。
いや、きっとそうだ……。
そんなことに、俺を巻き込むなっ。
「なぜ、ラペルトリさんに託したのでしょうね」
ゾエは、小さく首を振った。
本人も分からないか。
「ちょっとした悪戯だとおっしゃっていました」
「宰相は猫が好きなのですか?」
「いえ……。
むしろ犬が好きなはずです。
猫は役立たないと言っていました。
何の趣味かは存じ上げませんが……。
猫がどうかしましたか?」
確実に、中身は見ていないな。
そんな危険を冒すようなことをするほど、愚かにも見えない。
つまりゾエの信頼度を補完する材料として、手紙を託したのだろう。
そう思うことにした。
『ねこだいすき』
ダメだ……頭から離れない。
「ああ、いえ……。
書状に突然、猫のことを書いていたもので……」
ゾエは目が点になったが、すぐに笑いだした。
「申し訳ありません。
意味不明な言葉を交ぜる悪癖は変わらないのですね」
常習犯かよ。
気にしたら負けだ……。
「では……私から宰相にル・ヴォー商会が王都で営業することに、異存はない旨を回答しましょう。
細かい条件は、宰相と相談してください」
「有り難うございます。
ではロマン王子しか候補がない理由をお伝えします。
まず王子たちは、ユボーとつながりを持っていました。
影で後援していたのです」
それは理解できる。
でもユボーにのみ援助をするのだろうか。
「普通は対抗馬を支援するグループがいると思いますが」
「支援しても感謝されないと思ったのでしょう。
ニコデモ陛下をスカラ家が公然と支持しています。
スカラ家が他国の干渉を良しとしないことは明白ですから。
それと支持者の働きかけがあったようです。
その支持者たちは失脚しましたけど」
「それならトカゲの尻尾切りで、王子たちは無傷ではないでしょうか?」
「本来ならそうです。
ですが、王妃はそう思わなかったようです。
ラヴェンナ卿が、トカゲの尻尾切り程度で見逃してくれるとは思わないと」
俺かよ。
せいぜい匂わせて、無言の脅しをするにとどめるよ。
「私を脅威に思ったというより、ロマン王子を跡継ぎにしたいがための屁理屈では?」
ゾエは、少し驚いた顔になる。
なにか腑に落ちないといったところか。
「ラヴェンナ卿の働きは、他国の方が驚異に感じていますよ。
うかつな隙を見せたら、危険だと思われています。
内乱の終結が早かったのは、ラヴェンナ卿がいたからこそでしょう。
実態を知らない分、恐怖も膨れ上がっています。
今や世界で、注目の的ですよ。
失礼ながら、安楽椅子の魔王との異名も広まっていますよ」
他国にまで変な名前で呼ばれているのか!
「仮に私を脅威に思っているなら、尚更、納得できませんね。
どう評価しても王はおろか、人としての資質を持たない人物ですよ。
それを王位に就けるなど……自滅を望んでいるようにしか思えませんが。
確かに統治者と個人の道徳は別です。
それでも、統治者になるには人であることが前提ですよ……。
その上での道徳の使い分けです」
ゾエは意味深な笑顔になる。
いろいろな感情がこもっているな。
「補佐が良ければ、問題ない……と王妃は思っているようです。
今の補佐になってから、ご乱行がなりを潜めていますよ。
表向きはですけど」
「それは誤魔化しているだけですよね。
それに気がつかないほど、王妃は愚かなのでしょうか。
ちょっと想像できないですね」
「愚かではありません。
ですが溺愛するがあまり、目の前が見えなくなっているようですね。
どんなダメな王でも、地位が保証された過去なら、それでも良かったのですけどね」
ああ……過去に生きている人か。
それでこの不可思議な話に、ある程度は合点がいった。
そして使徒がいるだけに攻め込まれることもない。
だから王妃の思い込みも、あながち無根拠とは言ないか。
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