563話 あれさえなければ

 仕事から隔離されて、温泉街に向かっている。


 プリュタニスを誘ったが断られた。

「それより、ロッシ卿から軍制改革を進めて欲しい……と依頼されています。

それとアルフレードさま不在の統治も見ておきたいですから」


 そう言われては、納得するしかない。

 多分、遠慮か敬遠が本音だろうが。

 俺だって、ある意味邪魔者になりかねない旅行など、誘われても断るわな。


 移動中に気がついたことがある。

 街道のメンテナンスが、しっかり行われていたのだ。

 ここだけってことは、ラヴェンナの統治上有り得ない。

 共通化の鬼である、兎人族がそれを許さないからだ。

 ちょっと感慨深い。

 

 なんだっけな……。

 なにか覚えているような気がするが……思い出せない。

 うーーーん。

 うーーん。


 ああ、そうそう。


 トイレが汚ない会社はじきに潰れるだ。

 これが、記憶を失っていくと言うことか。


 ともかく……『ぞっき屋』と言う職業が転生前にあった。

 本を捨て値で買いたたいて、売りさばく商売だ。


 本の不良在庫は、出版社にとって課税対象になるので、捨て値で売却する。

 もしくは倒産した出版社の在庫が流れ出す。


 潰れそうな出版社にいち早く接触して、在庫を捨て値で買い上げる。

 もしくは、潰れた会社の在庫を頂戴する。

 

 弱っている出版社を嗅ぎ分ける嗅覚が求められるわけだ。

 その社長曰く『潰れそうな出版社は、社員と話して、軽く社内を見て、トイレを見れば分かる』だそうだ。


 一種のハイエナのようなものだが……。

 確かに社員の士気や、社内の整理状況、トイレを見れば分かるな。

 経営が厳しい会社は、人件費もそうだが……掃除や整理整頓のコストも削られるだろう。

 

 ともかくインフラの整備が、社会の健康度の指標になる。

 外面だけ奇麗でも、内側のインフラの整備がされていない社会は発展している……など言えないだろう。


                 ◆◇◆◇◆


 物思いに耽っていると、かなり発展した温泉街に到着した。

 宿泊施設は一般の宿ではない。

 高官や来客用の宿。

 ラヴェンナに来客はほぼなかったので、高官たちの療養宿となっている。

 今回は1カ月貸し切りというわけか。

 来客用も兼ねているので、それなりに豪華なつくりだ。

 大貴族などの、屋敷や別荘に比べたら、質素なものだが……。


 療養するのに、施設がピカピカしていたら、気が休まらない。

 そんな俺の意向で、来客には、失礼にならない最低限の装飾になっている。

 施設内はシンプルだが、奇麗な内装だ。

 部屋はそれぞれの個室となっている。

 ローテで俺の部屋に寝泊まりしていくのだろうな。

 せっかく温泉に来たので、風呂に入るとしよう。

 

 男風呂は俺1人。

 泳いでも迷惑はかからないが、俺はカナヅチだ。

 そもそも風呂で泳ぐ気などない。

 風呂はそれだけ広い。


 1人になる時間は貴重だな。

 この先の話を考えるが、頭の痛い話だ。

 リカイオスの野心と世界主義が連携しては、面倒なことになる。

 ランゴバルド王国はまだまだ再建途中で、2方面との戦争ができる状態ではない。


 情報待ちだなぁ。

 などと思っていると、誰か入ってくる気配が。

 まあ入ってくるならひとりしかいない。


「ミル、どうしたんだ?」


 ちょっと顔を赤くしながら、ミルが入ってくる。

 バスタオルとかないからな。

 つまり真っ裸だ。

 ミルは軽く体を流して、湯船に漬かる。

 しかし……いつ見ても奇麗だな。

 ミルは俺の視線にちょっと照れたように笑う。


「アルが倒れるか心配だからね」


 照れ隠しの口実だろうが……。

 可愛いなと思ってしまう。


「前一緒に入ってからは敬遠してたろ。

無理しなくても良いのに」


 前に一度入ったが、『洗っているところを見られて恥ずかしいわ』と、顔を真っ赤にして後悔していた。


 女性が誰しも、混浴を好むわけではないと言うことだ。

 そしてミルが遠慮すると、全員がそれに倣う。

 混浴は別の創作物の光景だ。

 俺にとっても、ひとりになれる貴重な時間だ。

 だが拒否する気はない。


 1年頑張ってくれたのだ。

 できる限り希望に添ってあげたいと思っている。


「別に無理してないわよ。

心配なのもあるけど、1年くらい会ってなかったからね」


 そう言いながら、顔を赤くして俺に体を寄せてくる。


「ミルが良いなら、俺は構わないよ」


 なんとなく、無言の希望を感じたので肩に手を回す。

 ミルは嬉しそうに笑ってくれた。


 そこからは、他愛もない話をする。

 俺のことを聞きたがったので、聞かれるがままに色々と答えた。


 これを、あと2回するのだろうと思う。

 だから、3人いるときにまとめてやるってのも違う気がする。

 そんな効率や、事務的な話で片付ける関係ではないだろう。


 長く話し込んだが、のぼせる直前に風呂からでる。

 ふたりで浴場からでて、広間に行く。

 そこにはキアラが待っていた。

 風呂に入っていないようだ。

 ちなみに広間は皆の集合場所となっている。


「キアラ、どうしました?」


「お兄さまに面会の申し出があったけど、1カ月後にと回答しましたの」


「誰からですか?」


「リカイオス卿の側近で、アントニス・ミツォタキス卿からの要望ですわ。

リカイオス卿の勢力拡大に協力した名門貴族ですわね。

勢力が大きくなってからは、存在感が薄いようですけど。

一応はリカイオス卿の渉外担当ですわね。

名門貴族であることは大事な要素ですから」


 やはり、取次役の格を上げてきたか。

 他にも意図が隠されていそうだが……。

 現時点で飛びつくのは止めよう。

 ミルが納得したようにうなずく。


「今後のキアラとの文通相手になりそうね」


 キアラも同意見なのだろう。

 真顔でうなずいた。


「そうですわね。

家格を合わせるための人選だと思いますわ。

念のため、出先機関にミツォタキス卿のことを調べるように、指示を出しました」


 さすが仕事が速いな。


「お願いします。

仕事はしませんが、情報は従来通りこちらに送ってください。

あとはシャロン卿がきたら、こちらに通してください。

待たせてもメリットがありませんからね」


「分かりましたわ。

内部のことなら、お兄さまなしでも回せます。

でも、外部の話は無理ですものね」


 ミルも仕方ないといった感じで笑いだした。


「そうね。

そこは仕方ないわね。

仕事から切り離したら、かえってストレスをためそうだものね」


 別に俺はワーカーホリックじゃないのだが……。


「しなくて良いならしませんよ……。

しないことで、皆にそのツケを回すのが嫌なだけです。

自分にしかツケが回らないなら、トコトン怠けますから。

ともかく……ランゴバルド王国内で、ちょっとした反乱が起こります。

なので、私は外のことを見ておかないといけません」


 俺の言葉が意外だったのか、ミルは目を丸くする。


「ええっ!?」


「ロッシ卿がバルダッサーレ兄さんに、指揮引き継ぎをしたときが狙い目ですね。

すぐに動けないと踏んで、反乱を起こすでしょう。

今回の論功行賞に不満を持つ貴族は結構いますから」


 キアラは納得したように笑いだした。


「それで、軍を戻さなかったのですね。

普通なら、ある程度は戻しますもの」


「ええ。

アミルカレ兄さんも帰還を、わざとゆっくりしています。

反乱を想定しての動きですからね。

各地での反乱も、瞬時に片付けられるでしょう」


 このあたりは阿吽の呼吸で、言葉を交わすことなくお互い理解している。

 ミルは頭を振って、大きく息を吐いた。


「ホント、争いばかりね。

これでだいぶん落ち着くのかしら?」


「ええ。

反乱の動きは、とっくにモロー殿が把握していました。

陛下の判断で泳がせることにしたそうです。

大掃除でも落ちない汚れが、結構ありましたから。

最後の大掃除で、食い扶持を無くす連中も多くでます。

使える者は、王家の行政組織に組み込むでしょう。

あとは直轄地を増やして、王家の権力基盤の強化も狙っています」


 そのたくらみを聞かされたときは、特に止める必要もなかった。

 流血を嫌っているのは、人道的な理由ではないからだ。

 それに俺の責任の及ぶ範囲ではない。

 面倒な計算要素を減らせるなら、それに越したことはないさ。


 ミルは陛下と会ったことがあり、俺の感想も聞いている。

 不思議そうに首をかしげた。


「なんか、余計なことをしないだけ、マシな人だと思ったけど……。

思ったより優秀なのかしら?」


「そうですね。

人を見る目は確かですからね。

つまり統治者として、1番重要な資質をちゃんと持っています。

任せておいて、問題ありませんよ」


「少しでもアルの負担が減るなら、それで良いわ」


「しばらくは外も、大きな動きはないと思いますよ」


「そう願いたいわ」


 キアラも同感といったように苦笑している。


「行政については、お兄さまは心配されていませんものね。

宰相殿を評価されているようですし。

きっとうまくやりますわ」


 ミルは少し驚いたようだ。


「アルが心配しないなんて、とても優秀なの?」


 王家の行政も、宰相がうまく取り仕切っている。

 優秀だと思っているさ。


「そうですね。

なにより彼は怠け者ですから」


「アルと真逆みたいだけど……?」


「宰相には宰相の役人には役人の仕事があります。

宰相殿はそこをわきまえて、部下に仕事をさせるタイプですよ。

私とは前提が異なります。

彼のやり方は、王家の統治下では有効な手段ですからね」


 前提条件が違うから、正解が異なるのさ。


「ラヴェンナは違うのね。

確かにアルがあれだけ仕事人間だから、皆は納得して頑張っているわね」


「新しい社会では、私が怠けていたら誰も頑張りませんからね。

私だってできるなら……怠けたいですよ。

今は私が頑張るのが、一番楽な方法なんです」


 ミルは少し心配そうな顔になる。


「一応聞きたいけど……。

アルは宰相の仕事ぶりに憧れているの?」


 俺が不満に思っているのか心配なのだろう。


「いえ。

道理に適っていると言うだけです。

なにせ彼は、他人に書類を書かせて自分でサインをすることが大得意ですから。

サインする以上は、責任を持ちます。

つまり、長としての仕事である『部下を監督する』ことに忠実です」


 話に聞く宰相の仕事ぶりは傑作だった。

 部下に書類を書かせるときにも、大まかな指示しか出さない。

 勿論、大前提となる方針などは徹底している。

 部下が書類を書き上げると、『こうじゃない』『少し足りない』『惜しいな』程度しか言わずに突き返す。


 彼が怠け者だからこそ、それしか言わないと思う。

 手取り足取り仕事を教えるなんて、あの宰相の性格的に無理だろう。

 部下は必死に働くわけだ。

 監督に全力を注いでいることを分かっているからな。


 だからといって仕事をせかさない。

 ゆっくりやるのがモットー。


 性急に、無理やり仕事を終えても良いことがない。

 間違った決定の訂正には、時間と労力がかかる。

 それなら1日、決定を遅らせたほうがずっと良い。

 今日決まらなければ、明日考えろと。

 だからといっていつまでも、先送りはしない。

 優先順位をしっかり定めている。


 その話を宰相から聞いたとき、俺は笑って賛同した。

 陛下にも、彼なら大丈夫だ……と太鼓判を押しておいた。

 日本的な額に汗して必死に働くのは、宰相に言わせれば野暮だとのこと。


 ラヴェンナでは、新しい仕事だらけなので、手取り足取り仕事を教える必要がある。

 それだけではなく、俺自身が働かないと説得力がない。

 その分思い切った方針をとれる。


 歴史と伝統がある王家の政治では、手取り足取りは不要。

 それにトップが猛烈に働くと、部下はそれ以上に働かなければならない。

 確かに陛下の目利きは、なかなかのものだと思う。

 あとは粘着しなければなぁ……。


 あれさえ……あれさえなければ……。

 尊敬できると思う。

 多分。

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