561話 閑話 燃え上がる陰謀魂
警察大臣のジャン=ポール・モローは不機嫌だった。
表情には出さない。
不気味なほど、平静を装っている。
心の奥底では、嵐が吹き荒れていた。
不機嫌の原因は、いくつもある。
その一つはラヴェンナ卿アルフレード。
一言で言えば、ムシが好かない相手である。
ジャン=ポールには、格好をつけているようにしか見えなかった。
流血を嫌う温厚で慈悲深い領主。
そんなイメージを守るのに、汲々としている。
表向きは、権力に淡泊なそぶりを見せているが、結果はどうだ。
権威、権力を高めている。
そして蓄財には無関心の清廉な統治者で通っている。
アルフレードを偽善者と呼ぶ連中は多い。
その見解自体に、ジャン=ポールも異存はない。
だが、他の連中は、アルフレードを気に入らないだけだろう。
貶めるためだけに使っている。
偽善者と呼べば、自分が道徳的に優位であるかのように錯覚できる。
ジャン=ポールはアルフレードのことを、そう見ていない。
決して善人ではない。
効果を計算した上で、統治を容易にするための善行だろう。
偽善者として相当な癖者だ。
それが、ジャン=ポールの見立て。
偽善者だからと嫌ってなどいない。
今まで、偽善者だろうと権力者であろうと、他人に苛立ちを覚えたことがない。
内心ではその愚かさを見下していた。
自身の絶対的優位を確信しているからこそ、相手と同じレベルまで降りていって嫌うなど、プライドが許さなかったのだ。
苛立ちの理由を認めるまでに、かなりの葛藤があった。
知力において自分が勝っているのか、確信が持てない。
恵まれた環境に生まれたヤツが、知力を十分に生かしている。
そうなるとジャン=ポールにとっては、逆立ちしても勝てない。
生まれの差は、埋めようが無いのだから。
つまりは嫉妬していた。
嫉妬はしないが、警戒する相手は存在する。
モデストは油断ならない人物だと思いつつ……自分が劣っていると思わない。
陰謀を好む割には上品すぎるのだ。
本気で戦えば、無傷ではすまないだろうが、首をとれる自信がある。
本気でアルフレードと戦った場合、勝てる気がしないのだ。
初めて感じる嫉妬が不快感を呼び起こす。
さらに苛立ちを増すのが、アルフレードが健在である限り……自分の地位は安泰であること。
粛正されないのは、実に簡単だからだ。
気分次第で、人を殺せる従来の統治者ではそうはいかない。
気に入らないが守らなくてはいけない。
だがジャン=ポールの性分が、忠実な能吏であることを許さない。
自分が優れていることを見せつけずにはいられないのだ。
子供のような動機だからこそ……純粋に突き動かされる。
意趣返しとばかりに、グスターヴォ枢機卿が来訪したことだけを伝えた。
普通の主人なら、これで苦虫をかみつぶした表情になる。
アルフレードの反応はない。
それどころか面白がっている節まである。
ここでただ引き下がるのは、ジャン=ポールの陰謀魂が許さない。
だが今は手が出せない。
アルフレード個人でさえ難物なのに、さらにもう1人危険な人物がいた。
キアラである。
予想外の才女であることを認識させられた。
今まで気がつかなかったことに、唇をかみしめる思いだ。
自分の手口に精通しているのは、ジャン=ポールにとっては驚異である。
ほのめかされただけだが、持ち前の嗅覚で熟知していることを悟った。
貴族の子女の発想ではない。
社会から外れた日陰者のことを知っているのが不気味だ。
つまりアルフレードの鼻を明かすのは、非常に困難である。
困難であればこそ燃え上がる陰謀魂に、身を焦がされていた。
ジャン=ポールの手口は、人の弱い部分につけ込むものだ。
それは色と金。
特に、金は重要な要素。
個人的に雇っている部下を使って、使用人など主人とじかに接する人間に、小金を握らせ、手なずける。
ある程度手なずけたところで、ターゲットである主人の財政状況を聞き出す。
その財政が逼迫していれば好機である。
代理人を立てて、その使用人経由で極めて低利の融資を申し出る。
借金体質の人間は、怪しげな金であろうと食いついて浪費する。
ジャン=ポールは、そんな人間の弱さを熟知している。
返せないほどに借金が膨れ上がったときが、行動開始の合図。
恐喝を匂わせつつ、返済を迫る。
おびえたターゲットがすがりつくのはもっぱら高利貸。
高利貸とジャン=ポールは、グルとなっている。
以前、罪人の取り締まりをしていたときに、コネをつくっていた。
ターゲットがこの沼にハマった情報はすぐに、ジャン=ポールに伝わる。
じきにターゲットの首が回らなくなって、代理人に泣きつく。
散々じらした後で、ジャン=ポールの出番である。
借金をチャラにする条件として、自分のエージェントに仕立て上げる。
色に関しては、娼館の主人に金を握らせ、娼婦をエージェントに仕立て上げる。
ターゲットが高級娼婦に入れ込んでいるなら、直接娼婦に金を渡して諜報員に仕立て上げる。
それでも拒否するなら、警察大臣の地位が役に立つ。
娼館はたたけば埃の出るところばかりだ。
大体は有力者の庇護を受ける。
だが、その有力者もジャン=ポールに取り込まれている。
もしくは警察大臣であることを利用し、言うことを聞かせるわけだ。
勿論、飴を与えることも忘れない。便宜を図るなり、飴はいくらでもある。
もしくは借金で、首が回らなくなっている上流階級の婦人を利用して、色仕掛けで情報を得る。
かくして、生々しい情報が多く集まってくる。
特に内乱後で、見栄を張りたがる貴族なども多い。
金に困る貴族たちが多いのも追い風であった。
その力の源泉となる金に関しては、情報や地位を利用して増やす。
罪を見逃してもらうか、ライバルを蹴落とすために賄賂を送ってくる商人は多い。
また情報を商会に売るか、一緒に金儲けをする。
結果として金は、いくらでも転がり込んでくる。
その金は、モロー機関の血となって、活力を増す。
さらに情報が手に入ることになる。
その情報が金を生む。
かくして、ランゴバルド王国有数の資産家にはなったが、生活ぶりはつつましい。
金はあくまで、機関を動かす血としか考えていない。
そしてラヴェンナの諜報員が、そんな活動を把握している気配を察している。
ジャン=ポールの世界に入ってこない。
だが観察されていることを、ひしひしと感じている。
おかげで、1番金を吸い上げやすい石版の民に手が出せない。
アルフレードと戦う気はない。
たまに自分の優秀さを思い知らせるだけで満足だからだ。
そんな願望を実現するにあたって、最も警戒すべきはキアラだと思っている。
ところが、そう簡単に敵を絞り込めない。
こともあろうに、アルフレードに宰相との話を、戴冠式で広められた。
意識せざる得ない。
ジャン=ポールにとってある意味、天敵とも言えるのが宰相だ。
宰相とはソリが合わないことは、初対面で直感していた。
だが、思った通りだろうと言われるのも、我慢がならない。
そんな反骨心を吹き飛ばすほど、ジャン=ポールが持っている陰謀魂の業は深い。
つまり歯がみしながら、宰相の身辺を洗っている。
陰謀に使えそうならば決して無視することができない体質なのだ。
確かに、宰相はワキが甘いタイプのワルだ。
スキャンダルなど掃いて捨てるほど出てくる。
むしろ多すぎて、スキャンダルにならないと言う不思議な現象だ。
自分が道化になっているような錯覚さえ覚える。
さらに不可解なのは、多くの女性と愛を交わしながらも、肉体関係が切れた女性と友情のような友好関係を保っている。
その友情は強固で、ジャン=ポールは手が出せない。
不可解とも言える、宰相の精神的な後宮には匙を投げている。
宰相は借金をするが、高利貸には頼らない。
賄賂を受け取っても、蓄財をせずにパッと散財や投資を行う。
結果として、経済を回す要因の一つとなっている。
宰相の散財が直接的な要因ではない。
だが、景気は精神的な要素が大きい。
景気が良くなると、周囲に思わせることに成功している。
そうなると、上流階級では乗り遅れまいと投資がブームとなりつつある。
確実に、景気が良くなることは集まってくる情報から確信している。
これが宰相の地位を強化するだろう。
憎たらしいことに金の流れを阻害するとして、高利貸への締め付けをほのめかす始末。
陛下に宰相のスキャンダルを、極秘に報告し続けているが、今のところ効果はない。
宰相のことを最初は馬鹿にしていたが、無視できる存在でなくなっている。
加えて陛下は凡庸かと思ったが、存外、人を見る目は確かなのかもしれない。
宰相への攻撃が空振りした以上、自分の価値を高めないと我が身が危うい。
世界主義には見切りをつけているが、決定的に関係を切ってはいない。
自分の価値を、世界主義が高めてくれるのは事実。
完全に、関係を切ってはアルフレードにとっての自分の価値が下がってしまう。
それは、行動の自由がなくなることに直結する。
そんな世界主義は、思った以上にだらしない。
グスターヴォ枢機卿には、対アルフレード用のレクチャーをしたが、見事に醜態をさらした。
それだけではない。
随行員の活動が本命であることを、アルフレードは見抜いていたのが不気味だ。
世界主義の一員を装うために、グスターヴォ枢機卿にアドバイスまでした。
金喰いをプレゼントすることは枢機卿のアイデアだが、それ以外にも多少の挑発をすれば、嫌がおうにも意識せざる得ないだろう。
随行員の行動も把握しているが、曖昧な報告しかしていない。
そんな工夫も、水泡に帰した。
伏兵であるオフェリーに、ペースを乱されてしまったらしい。
この話を聞いたときは愉快だったが、枢機卿が自分のところに怒鳴り込んできたときは、不愉快極まる話であった。
何故、伏兵の存在を黙っていたと。
こいつは馬鹿なのだと確信した。
だが、自分もキアラという伏兵にしてやられた。
それが、不愉快さを増してしまう。
それにしても……この男も長くないな。
そう感じたが、その後にとんだ横槍が入った。
アルフレードから、オフェリー経由で、グスターヴォ枢機卿の失態を許すようにと、教会に申し出があったのだ。
この一手を耳にしたとき、ジャン=ポールは唸ってしまった。
グスターヴォ枢機卿は逆に、スパイになったのでは?
世界主義の連中が、疑心暗鬼の虜になるのが目に見えるようだ。
何も知らない連中であれば、アルフレードの寛大さをたたえるだろう。
その真意は絶対に異なる。
世界主義の団結に、楔を打ち込んできた。
枢機卿を消してしまうと、問題が発生する。
アルフレードは面子を潰された……と不快感を表明するだろう。
それを口実に教会人事に介入してくるに違いない。
そのときに、先の寛大さと評判が絶大な力となる。
抵抗が困難になってしまうだろう。
全ての行動が、未来の可能性へとつながっているのだ。
アルフレードを嫌悪しつつも、その力量に驚嘆する。
介入されると……攻撃されることに慣れていない世界主義の連中は、ひとたまりもないだろう。
見切りをつけた枢機卿を消すこともできずに、様子を見るしかないわけだ。
だが重要機密に触れさせることも難しい。
そうなると、枢機卿が本当に寝返る可能性だってある。
連中はどうするのだろうか。
簡単に負けてもらっては、自分の価値が下がる。
時間を稼いで、自分を排除できないほど、力をつける必要がある。
この困難な状況を前に、ジャン=ポールの陰謀魂は、熱く燃え上がっていた。
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