560話 欲望と恐怖の海を泳ぐ魚

 挨拶などを終えて、ウェネティアに到着。

 船を見て、憂鬱な表情のプリュタニス。

 陸路はないからな。


 執務はしない。

 ウェネティアの行政は、全て本家の役人に引き継ぎ終えているからだ。

 口を出せはするが……。

 明日ここを去るのに口を出したら、仕事を中途半端にして放り出すことになる。


 オフェリーは治癒術の生徒たちに、別れの挨拶をするため出掛けている。

 プリュタニスはウェネティアの視察。


 一人になった俺は、気がついたら執務室に向かっていた。

 習慣になっているようだ。


 執務室では、キアラがカルメンと一緒にエテルニタと遊んでいた。

 カルメンは研究器具などを、船に積み終えている。

 やることもないので、暇つぶしにここに来たらしい。


「キアラ、これから重点的に調査してほしいことがあります」


「あら、なんですの?」


「シケリア王国です。

リカイオス卿の周囲及び彼の動向を、可能な限り調べてください」


「世界主義との関係を洗いますの?」


「いえ。

リカイオス卿にとって、ランゴバルド王国の内乱がシケリア王国より先に終わるのは予想外だったと思います。

ペルサキス卿を起用してでも、早期の決着を図るでしょう。

自分たちが先に内乱を終結させて、ランゴバルド王国への干渉を目論んでいたと思いますからね。

そう企むのであれば、ランゴバルド王国も同じことを考えている……と思うでしょう」


 キアラは納得したようにうなずいた。


「つまり軍としての動きですわね。

陰謀を企むのはまだ先でしょうし。

欲の強い人は、欲のない人を理解できませんわ。

こっちには全く野心がないのに、いい迷惑ですわね」


「ええ。

内乱も終わりました。

お陰で、耳目にも余裕がでてきましたから。

ようやくそちらに着手できるかなと」


 キアラは怪訝な顔で、首をかしげる。


「それでしたら、もう少し早めに調べていても良かったのではありません?」


 それをする気がなかった。

 無視できない要素があったからだ。


「いえ、耳目は内乱で活躍してもらいました。

その結果、心身の疲労がたまっているでしょう。

シケリア王国の調査には、緊急性もありません。

休める時間をあげたかったのですよ。

内乱終結を受けて、キアラは耳目に休養を与えていましたよね。

そこで私が、リカイオス卿の話をしたらどうしますか?

休養よりそちらを優先したでしょう」


「そうですわね。

考えれば……人手も足りなくなってきましたわ。

組織もそろそろ拡充しないといけませんわね」


「必要と思われる人数などの計画をまとめて、ラヴェンナに戻ったら提出してください」


 キアラは苦笑気味にうなづいた。


「分かりましたわ。

それにしても……お兄さまに部下の心身まで考えさせてはいけませんわね。

反省してます」


 俺は笑って手を振る。

 そう真剣に悔やむ話じゃないと思っているからだ。

 もし酷使してつぶしていたら、真剣に悔やむだろうが。


「内乱でいろいろと、重圧も大きかったでしょう。

これから考えて行動してくれれば良いですよ」


「そうなると……シケリア王国の内乱終結も近いと思ってらっしゃるのですよね」


 多少の犠牲を無視しても、強引に終結させるだろう。

 自分の欲望の影に追い立てられる。

 そうなると、冷静に影の正体を見極めようとしない。

 できないと言うべきか。

 恐れに追い立てられて、かなりの血が流れそうだよ。


 それで大人しくなってくれれば良いが……。

 流血が多いと、襲われる恐怖から行動する。

 少ないと、強気になって行動する。

 どちらにしても……大人しくはしないと踏んでいる。


 泳ぎ続けないと死ぬ回遊魚のようなものだ。

 欲望と恐怖の海を泳ぐ魚。

 食ったら、腹を壊しそうだが……。


「恐らくはですがね。

それともう一つ動きがあるかもしれません」


「動きですの?」


 これ自体は、たいした話じゃない。

 それに相手の考えを知る切っ掛けにもなる。


「私は今まで分家でした。

リカイオス卿の部下であるペルサキス卿の副官とキアラは、家格的には釣り合っていたのです」


 俺とペルサキス卿は家格的に同格だったからな。


「ああ……。

そうですわね。

今まで通りだと、非礼となるのですわね。

あえて自分が格上だと誇示したければ、相手を変えないでしょうけど」


 そんなつまらないことにこだわるのは、ザマア話にでてくる馬鹿レベル。

 つまり、フィクションの存在だろう。

 不特定多数が出入りする匿名のネットなら……いてもおかしくない。

 だが権力者で今は内乱時。

 そんな馬鹿は、真っ先に狙われて食い殺される。


「そこまで馬鹿ではないでしょう。

ランゴバルド王国との関係を悪化させることになりますからね」


「新王が認めた格式を無視されたことになりますわね。

そうなると誰になるのでしょうか?」


「全く分かりませんよ。

リカイオス卿陣営のことは、さほど知らないのですから。

ですが祝賀の使者が早いうちに、ラヴェンナに来るでしょう。

そこでキアラと手紙のやりとりをする相手の紹介がありますよ」


 ランゴバルド王国を狙うにしろ、そうでないにしろだ。

 ラヴェンナに探りを入れてくる。

 馬鹿でない限りな。

 そして、リカイオスは馬鹿ではないだろう。


                 ◆◇◆◇◆


 簡単な手配を終えて、翌日は帰りの船に乗り込む。

 ところが……。


 船に乗ってから、急に具合が悪くなってしまった。

 最初はなんか体が重たい感覚。

 そこから、悪寒と、激しい頭痛が襲ってきた。

 緊張状態から解放されたからか。

 なんとか自力で、ベッドに潜り込む。

 あっという間に眠りに落ちてしまった。


 気がつくと、オフェリーが俺をのぞき込んでいる。

 俺の目がさめたのを見て、胸をなで下ろす。


「アルさま、お加減はどうですか?」


 言われてみれば……体が少しだるいが、頭痛は無くなっていた。


「かなり楽になりました。

オフェリーが治癒してくれたのですね。

ありがとうございます」


 オフェリーは、嬉しそうにうなずく。


「はい。

びっくりしましたよ。

幸い、軽い風邪のようだったので、すぐ治癒できました。

ですけど、少し体がだるいと思います。

横になっていてください」


「そうさせてもらいますよ。

意識していなかったのですが、神経が張り詰めていたのかも知れません。

これで心配事が終わりなら楽なのですけどねぇ」


「まだ終わりそうにないですね。

それより今は休んでください。

でも……このままだと、アルさまが休めません。

黙っているので、ちゃんと寝てください」


 そんなこと言われてもなぁ。

 凝視されて寝られるほど、神経図太くないよ……。

 そう思っても、体が疲れているようだ。

 目をつむると、すぐに意識を失ってしまった。


                 ◆◇◆◇◆


 翌日には、すっかり体調が良くなった。

 オフェリーに止められたが、寝ていても退屈すぎるので、もう平気だと伝える。

 プリュタニスは、相変わらず船酔いにKOされている。


 部屋にこもっていても憂鬱になるので、甲板にでる。

 オフェリーは心配なのか、俺の後ろをついてきた。


 手すりによりかかって、海をぼんやりと眺める。

 内乱は終わったが、まだランゴバルド王国は不安定だ。

 安定には、もうしばらく時間はかかるだろうな。

 などと思いにふけっていると、腕をつつく感触。

 オフェリーだな。


「アルさま。

ちょっと疑問だったのですが、あれだけ苦労して得られたものってなんですか?」


「ラヴェンナの特殊性を公認させた。

分家ではなく独立した家になりましたね。

あと旧デステ領の貴族たちを統括するような立場になった。

そのくらいでしょうか」


 オフェリーは、小さく頭を振る。


「スカラ家もそうですが、苦労の割に褒美が少ない気がします。

アルさま、すごく働かれましたよね」


「厳密に考えるとそうなのですけどね。

ある意味正当な報酬を求めると、そのあとで窮地に陥りますからね。

正しいことが、正解とは限りませんよ」


「妬まれるってことですか?」


「それもあります。

それだけでなく、次の世代になって狙われては大変です。

臣下の身分で力が巨大すぎると、王からすればつぶしたくなるでしょう。

欲を出さずに済ませると、以降もつぶしたくても、相当な理由が必要になりますよ。

それと、実際大変な労力を払ったのは本家ですから。

私はその力を、有効に使っただけです。

私が多くを望むと、本家の役人たちは面白くないでしょう」


「それはそうですけど……」


「妬みもあるでしょうが、私のことを『スカラ家にタダ乗りして、褒美を得た』と言う人たちも、一定数います。

実際、血を流したのは、ほぼ本家の領民ですからね。

欲張っても何も良いことはありません。

他人からは、執務室に引っ込んで、何もしていないように見えるでしょう。

そんな声もありましたよ」


 俺を非難する人が、一定数いることは知っている。

 陣頭に立って血を流さないと、苦労と認識しない人たちがな。

 自分たちが血を流したかどうかは無関係。

 自分より得をしたヤツが、犠牲を払っていないのが我慢できないのだ。


 そんな人たちの声だけは大きい。

 獣のように感じたままに、声を上げるのだ。

 理性が立ち入らないからこそと言うべきか。


 理性的な人は、声を大にして叫ぶことはしない。

 だが、獣のように叫ぶ人とは関わりたがらない。

 獣と議論など成立しない、とばかりに……関わらないだろう。

 

 結果として、声の大きなものがのさばるわけだ。

 こればっかりは、人間社会の真理なのでどうしようもないがな。

 そんな連中を増やしては、後ろから撃たれかねない。


 少ない報酬であれば、非難する声は大きくならないだろう。

 俺の領地が増えたわけではない。

 自分たちの取り分が減らない限りは、獣だって大人しいものだ。


 オフェリーは俺の苦笑に、頰を膨らませる。


「外で動き回っても、何もできない人は多いですよ。

アルさまは、決して楽をしていません。

細心の注意で、私たちの進路を決めてくれました。

それに誰かの功績を盗んでもいません。

すごく過小評価されている気がします。

敵のほうがアルさまを正しく評価しているようで、なんかスッキリしません」


「いいじゃありませんか。

ラヴェンナにとって、内乱は一種他人事ですからね。

そこで他の領地に、大きく食い込むような話をするのは時期尚早だと思います。

まだ、地方平定が済んでから2年程度です。

交易で、外の世界を知っていく切っ掛けが作れただけで、私は十分だと思います」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る