557話 醜悪な笑み

 ジャン=ポールが退出したあと、キアラは憮然とした顔をしている。

 

「モローは一体、何を考えているのですか。

お兄さまを挑発するような言動をして……。

妻子を預けていることを理解しているのですか」


「理解しているからこそです。

個人的な怒りで、人質に圧力を掛けることができない。

そんな私の性癖を、正確に把握しての行為です」


「お兄さまは、試されるような行為を嫌っているではありませんか」


 それに幻惑されて、大目的を見失ってはいけない。


「勿論、あの行為は嫌いですよ。

それより別の問題に、意識を集中しているだけです」


「グスターヴォ枢機卿の件ですわね」


「まあ……それは、正直どうでも良い話です」


 キアラは意外そうな顔になる。

 これだけ挑発されると、視点は当然狭くなる。

 狙ってのことだと思うがな。


「そうなのです?」


 使いっ走りの可能性がある。

 それより本体の動きのほうが大事だろう。


「むしろ世界主義が、教会の上部にまで、手を伸ばしている事実です。

枢機卿のなり手がいない状態だからこそ浸食できたのでしょうがね。

グスターヴォ枢機卿が上層部なのかも不明です」


「枢機卿などという要職ですもの、普通は上層部だと思いますわ。

オフェリーはそう思いませんか」


 オフェリーは、小さく首を振る。


「枢機卿は経験をつんで、自身の重みを増します。

なりたての枢機卿では、さして重要ではありません。

その地位を返上させられる者も多くいました。

本命の枢機卿候補がいて、その地ならしのためのつなぎの可能性もあります。

現時点ではなんとも……」


 枢機卿という立場に惑わされてはいけないということだ。

 現時点で判断を下すのは早計だろう。


「その見解は正しいでしょう。

なので、もう少し様子を見なくてはいけないでしょうね」


「マリーに確認の手紙を出しました。

それでもう少しハッキリすると思います」


「どちらにしても、グスターヴォ枢機卿の言動に一喜一憂することはありませんよ。

もし彼が世界主義のトップなら、話は変わりますけどね。

とはいえ、その1人で動く組織なのか……。

それすら分かっていません」


 キアラは難しい顔をして、小さく息を吐いた。


「相手の正体が分からないのが、困りものですわね。

なんとか調べたいところですけどね」


「焦っても仕方ありません。

おそらく組織の全容が明らかになるのは、彼らがアラン王国を乗っ取ったときでしょうね。

その前に、アラン王国とのコネをつくれると良いのですが」


                  ◆◇◆◇◆


 その日のうちに、グスターヴォ枢機卿との面会となる。

 夕食後の、いささか異例ともなる夜の面会になった。

 キアラとオフェリー、プリュタニスが同席する。

 プリュタニスにはいろいろなタイプの人間を見てもらいたいからだ。


 初めて見た印象は、世慣れた先生。

 一目見て、兄弟だと分かる。

 うり二つではないが、なんとなく似ている。

 そんなところ。


 身なりも立派だ。

 だが、先入観なのだろうか。

 どうも、虫が好かない。

 それを、顔に出す必要はないがな。


 軽い、挨拶と自己紹介をすませる。

 自己紹介が終わると、グスターヴォは恭しく一礼した。


「夜分遅くの面会は非礼ながら、お時間をいただき、感謝致します」


 スケジュールが詰まっているからな。

 こればっかりは仕方ない。


「予定が詰まっているでしょう。

お気になさらずに。

ところで枢機卿になられたのは、ごく最近のことですよね」


「はい、お世話になっていた枢機卿が急死されました。

その後任として、私を指名したい……そうご遺言がありましたので」


 本来なら、そんなことは通らない。

 だが、今は誰もなりたがらない。

 それ故だろうな。


「急に亡くなられたのですか。

心労も多かったでしょうが、それはお気の毒に」


 心労の発端は俺だがな。

 儀礼的な応酬といったところだ。

 そこでオフェリーが、俺の手をつついた。


 俺は、苦笑してうなずく。

 オフェリーはいつもの無表情で、グスターヴォに顔を向けた。


「ヴィスコンティ枢機卿。

前任の枢機卿はどなたですか?」


「ルグラン夫人にとって、枢機卿団は全員知己でしたな。

お亡くなりなったのはバルテレミー枢機卿です」


「ああ……。

バルテレミー枢機卿ですか。

太っていましたからね。

昔から健康的とは言えないお方でした」


 病気に見せかけて殺した線が強そうだな。

 

「私のほうも、健康に留意するようお願いしていましたが……。

力及ばずで……無念な限りです」


 オフェリーは無表情のまま、少し首をかしげた。


「他の枢機卿も、心労が絶えないでしょう。

皆さんの健康は大丈夫なのですか?」


「さすがに他の方々のことはなんとも。

ですが、お体が優れない方が多いと思います」


「それに関して、注意喚起をされないのですか?」


「皆さん、地位の高い方々です。

私のような成り上がり者の言葉を聞いて、良しとはされないでしょう」


「では、どうせ聞いてもらえないから放置して良い、と思うのですか?」


 オフェリーの言っちゃった癖が炸裂した。

 これは、グスターヴォも予想外だったのだろう。

 脂汗をかき始めた。

 普通なら、絶対言わないからな。


「そうではありませんが……」


「新任の枢機卿であれば、発言権がないのは知っています。

ですが、枢機卿団の死を願わないのであれば、何らかの方法で注意喚起されるべきではありませんか?」


 これまたぶっちゃけすぎる。

 正論で言い逃れも難しい。

 見ていて、実に面白い。

 オフェリーは空気を読まずに、素朴な疑問を口にする。

 知恵者だと自認する相手ほど、ペースを乱されるだろうな。

 普通なら、そこまで詮索しないからだ。


「諸先輩方のご健勝は、新参者として切に願うところであります。

死を願うなど決して……」


 普通の相手であれば、俺がとりなす。

 だが相手は普通ではない。

 グスターヴォはオフェリーが、何を言い出すか読めないようだ。

 きっと俺への想定問答を、モローからいろいろ教わっているだろう。

 

 それは俺とキアラに、注意を払っていることから察することができる。

 だがここにいるのは、俺とキアラだけではない。


「枢機卿にお付きの者も多いはずです。

その人たちになら、新任でも枢機卿の権威は絶大です。

なので、お付きに言えばすむ話ですよね。

そうすれば、主人である枢機卿に注意喚起すると思いますよ」


 グスターヴォ枢機卿は気の毒なまでに狼狽している。


「な、なにせ不慣れでして……。

そこまで、気が回りませんでした……。

ルグラン夫人のお心遣い、拙僧は深く感じ入りました」


 オフェリーは、小さく首を振った。


「新任の枢機卿に求められるのは、分をわきまえた立ち振る舞いです

新任だから、気が回らないことはないと思います。

それこそ、健康に関しての注意喚起をすれば、良い印象を与えられるのでは?。

気が回らない程度の人であれば、即位式の祝賀使節に選ばれないと思います」


 なかなかに、容赦がない。

 もしかして、枢機卿の新任を知らなかったことを、まだ気にしているのか。

 教会がらみで、絶対成果を出そうとしているようにも見える。

 普段はここまで突っ込まない。

 むしろ黙って隣にいるだけで満足しているのが常だったからな。

 

 キアラも少し驚いたようだが、楽しそうにオフェリーとグスターヴォとのやりとりを見ている。


 ある意味とばっちりを受けているグスターヴォは、小さく頭を振った。

 政治や駆け引き抜きの道徳的な行動を、こんな場面で指摘されるとは夢にも思わなかったろう。

 

「お、お恥ずかしい限りです。

拙僧が使者に選ばれたのは、ラヴェンナ卿の顧問に、弟がいた縁があったからだけです。

拙僧にとっても驚きで、まだ実感が湧かないのでして……」


 グスターヴォにとっては、屈辱的な逃げ方のような気がする。

 凡庸未満を装ってでも、オフェリーの追求をかわさなければ……といったところだろう。

 俺に何か仕掛ける前に予期せぬ方角から蹴飛ばされた、といったところか。


 ジャン=ポールもそうだが、世界主義に触れた連中は想定外に弱いのか。


 五カ年計画じゃあるまいし。

 計画に沿って、成果が帳尻を合わせてくれなどしない。

 妙に自信があるだけなのだろうか。


 オフェリーが俺に、顔を向けてきた。

 これで良いかと聞いているのだろう。

 これ以上は、完全に非礼に当たる。

 現時点でもかなりきわどい。


 オフェリーが前教皇の姪だからこそ、できた話でもある。

 内部事情を知られているので、グスターヴォもごまかせない。

 出身と一般的な道徳を利用した完璧な力業。

 技術で挽回する余地などないな。


 ナイスフォローだよ。

 俺は満点だと言う感じで、オフェリーにほほ笑みかける。

 オフェリーは満足そうにうなずく。

 さすがに来客を前にして、胸を張らない。


 望外にも、大事な情報も引き出せた。

 ここからは、俺が引き継ぐべきだろう。


「ヴィスコンティ枢機卿の仰ることは分かりました。

それで教会は、私に何を望んでいるのでしょうか?」


 俺が口を開いたことで、グスターヴォは露骨にほっとした表情になる。


「友好です。

まずは良い関係を築くこと。

全ての話は、そこから始まりますから。

現時点の没交渉より前に進みたいのです」


「それには公開質問状への回答が必要ですね」


 事前に想定問答を用意していたのだろう。

 先ほどとは違い、グスターヴォは涼しい顔だ。


「それは次期教皇が、お答えになります。

拙僧は枢機卿団でも末席の身分です。

ご回答しかねますので……ご容赦ください」


「それでは話が始まりませんね。

教皇が変わったからと、質問状を無効にはできまません。

それはご存じかと思います。

今は容赦してほしいというのであれば、近いうちに回答をいただけるのですか?

そもそも……大前提となる新教皇は決まりそうなのですか?

随分空位のままですが」


 王家と合体する話はあえてしない。

 『俺は知ってるぞ』なんてドャアしても、なんの意味もないからな。

 教会にとって知られて構わないことを広めているだけだから。

 知っていても知らないフリをするのが良いだろう。


 グスターヴォはチラりとオフェリーを見てから、ハンカチを取り出して汗を拭く。

 俺がありきたりの質問しかしないことに、相当戸惑っているようだ。

 さらに迂闊な芸を見せれば、オフェリーに突っ込まれると思ったのだろう。

 ペースをかなり乱しているようだ。


「今回は異常事態です。

今回ばかりは、下々の声も拾わねばなりません。

それで選任に手間取っておりました」


 教会は一枚岩でなく、原理主義的組織の声も大きくなっている。

 それを良いことに、問題を先送りし続けたのだろう。


 ランゴバルド王国は、内乱中だ。

 状況次第ではうやむやにできるからな。

 ユボーが優勢になれば、スカラ家に援助の手を差し伸べるくらいしたろう。

 公開質問状の取り下げを条件にだが。


 一応、ユボーの即位も認めはするが、その後が分からない。

 それなら今後の出方が分かるであろうスカラ家に勝たせて、公開質問状を取り下げさせる。

 それが望みだったろうな。


「それはごもっともですが、時間的猶予があったと思います。

勿論、ヴィスコンティ枢機卿の責ではありません。

教皇が倒れたら、次期教皇選出に向けての運動が始まるのが、慣習と伺っていますよ」


「拙僧が拝命しましたときは、ある程度方向性は固まっておりました。

あとは細部の調整のみとなっています。

じきに決まりますので、ラヴェンナ卿にはご安心いただきたいと思う次第です」


 俺がそれで、首を縦に振ると思っているのか。

 それとも突っ込むと知って、あえて言ったのか。

 この手合いには、正攻法が一番良いだろう。

 下手に芸をこらして駆け引きをしては、混戦にもつれ込んでしまう。

 そのあたりは得意であろうと見ている。


「安心するかは、次期教皇次第でしょうね」


 グスターヴォは訝しげな顔をする。

 なんとなく、先生と似た仕草なのは兄弟だからだろうか。

 思ったより亡くなった人の仕草を覚えているものなんだな。


「と仰いますと?」


「失墜した教会の権威を取り戻そうと、原理主義的な行為に走れば、友好など絵空事でしょう。

覇権的な教皇であれば、これまた同じでしょう。

ですので、次の教皇次第と申し上げました」


「私の知る限りは、そのようなお考えはありません。

それに教会固有の武力など知れておりましょう」


 俺はさらに惚けることにする。

 誰もが知っている情報でも武器にはなりえる。


「持っているではありませんか。

使徒という最強の武力が」


 やはりグスターヴォは、俺がアラン王国の併合を察知していると思っていたのだろう。

 よもやここで、俺が使徒を持ち出すとは予想していなかったらしい。 

 グスターヴォの目が、点になった。


「いえ……。

それは絶対にあり得ません。

国家間の争いに、使徒さまは介入しませんから」


 できないことは知っている。

 あの使徒のメンタリティで虐殺者などと思われては……耐えられないだろう。

 それは、教会も把握しているはずだ。


「教会と国家の争いは違うでしょう」


 俺はさらに惚けることにする。


 既に回答はもらえた。

 やはり国を乗っ取る気だと自白してくれたわけだ。

 そうでなければ国家間など咄嗟に言わない。

 普通は目が点になる。


「そうでした……。

ですが、それはないと申し上げます」


「その根拠は?」


「人と人の争いには、使徒さまの力を借りないことが、慣習となっております。

使徒さまの力を借りるには条件がございます。

天下の大法に反し、不届きにも懲罰が加えられない者に限られます」


 天下の大法。

 つまりは一般的な常識に鑑みて、と言うことだ。

 明文化はされていないが、民衆も納得する決まり事がそう呼ばれている。


「そうですか。

どちらにしても、新教皇次第といったところですね。

私としては平和が、一番大切なものであると思っています」


 俺はあくまで使徒にこだわっている。

 そう思ってくれればそれに越したことはない。

 ところが、俺は想定問答に引っかかる単語を口にしたらしい。

 グスターヴォは、俺を揶揄するような表情になる。


「平和を望まれると……。

ラヴェンナ平定に始まり、内乱と……多くの血を流してきた故ですか?」


 平和を望むと表明したときの挑発か。

 キアラとオフェリーの表情が硬くなる。

 そんな挑発に乗る必要はない。

 好んで曲解したがる相手にまで、熱心に説明をする気など起きない。

 時間と労力の無駄だ。


「流しても流さなくても変わりありませんよ。

多くの血を流してきたのは事実です。

突然改心して、平和を志向したとでも思われましたか?」


 俺が自己弁護することを、手ぐすね引いて待っている感じだな。

 オフェリーにしてやられたのが、余程のストレスだったのか。

 グスターヴォの揶揄する表情は変わらない。

 非礼のラインをほぼ越えてきている。


「滅相もない。

ついつい、司祭の時代の癖がでてしまいました。

お許しいただければ幸いです。

罪の告白を、多く聞いて参りましたもので」


「気にしていませんよ」


 グスターヴォは笑ったが、その笑いはとても醜悪なものに見えた。

 転生前にしか見たことがない、醜悪な笑みだ。

 社会正義を叫ぶメディア関係の連中に近い。

 安全な位置から、相手をひたすら攻撃し続ける。

 都合が悪くなれば、知らんぷりをする。

 そんな連中だ。


「弟が死んだときも、悲しむそぶり一つ見せなかったと聞いたのです。

それで、冷徹にことを進められるお方なのかと……」


 笑っていたグスターヴォは突如として、言葉に詰まる。

 キアラが、冷たい目でグスターヴォを睨んでいた。

 殺気を飛ばしたのか。

 しかも、かなりキツーいのを。

 俺自身は、反論する気など全く起きない。

 説明しても無意味だからだ。

 キアラが少し身を乗り出すと、グスターヴォは縮こまった。


「ヴィスコンティ枢機卿。

友好と口ではいっていますが、お兄さまを挑発しにきたのですか。

それが教会の意向と判断してもよろしいですわね」


 グスターヴォは脂汗を、ハンカチで拭う。

 殺すことには慣れても、命を狙われる経験は少ないようだ。

 そんな感想しか湧かない。


 俺はどんな挑発を受けても、その場を壊さないと思っていたろう。

 モローからキアラに注意するように、とアドバイスされていたと思うが。

 オフェリーの突っ込みで、頭から抜け落ちたのか。

 存外、大した役者ではないな。


「い、いえ、滅相もない。

失言でした。

お忘れいただければ幸いです」


「失言と言えば、何でも許される……とでもお思いですか?

いくらお兄さまが寛大でも、周囲がそれを許すと思ってもらっては困りますわ」


 グスターヴォはさっきの余裕は、どこにやら平身低頭だ。


「ご無礼の段、平にご容赦を……」


 これが本性なのかは分からない。

 だが、これ以上の話し合いは無意味だろう。

 聞きたいことは聞き出せた。


「それは今後の教会の態度次第ですね」


「お詫びではありませんが、これをお納めください。

ラヴェンナでは入手が難しいでしょうから」


 出されたのは忘れもしない、金喰い。


「これは先生が、最後に飲んでいた酒ですか」


「はい。

ファビオが亡くなって贈りそびれたものでして……。

ラヴェンナ卿にお送りするのが良いと思った次第です」


 今回、グスターヴォの目的は、俺がどこまで世界主義を把握しているかを知ること。

 それと挑発をして、自分に注目を集めることか。

 金喰いを俺に贈り物として差し出すなど、なかなかに下品な挑発行為だろうよ。

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