550話 キナ臭い噂

 モデストが、ジャン=ポールの調査結果を持ってきた。

 思った以上に早い。

 執務室にカルメンが遊びに来ていたので、そのまま執務室で会うことにする。

 モデストを見たアリーナの緊張っぷりは面白かったが、それが普通の反応なのだろうな。


「シャロン卿、早いですね」


 モデストは穏やかな表情のまま苦笑した。


「どうも……これ見よがしに、情報があるかのようなありさまでしてね。

私が思っている以上に、大きな話でした」


 俺が皆の前で、モデストと会話を始めたので、アリーナの表情が硬くなった。


「あ、私は外しましょうか?」


 機密を聞かないための配慮だろう。

 でも、この話は機密ではない。

 それに世界主義の存在を広めた方が得策だと思っている。


「興味があるならいても良いですし、ないなら外しても構いませんよ」


 アリーナは、少し硬い表情のままうなずいて、席に座り直した。

 聞き耳を立てていないが、こちらに全神経を集中させているのが、丸わかりだ。

 実にほほ笑ましい。

 モデストは俺の意図を悟ったように、わずかに目を細める。


「では……若い頃に、モローに関わっていた人物です。

最近になって、全員死亡か行方不明になっております。

それ自体は大した話ではありませんがね。

それ以降の調査で1名、新たな関係者が浮上しました。

唯一の生存者とでも言いましょうか。

グスターヴォ司祭です。

モローがランゴバルド王国に職を得る際、橋渡しをしたようですな。

勿論、表向きは別の人物の推薦でしたが」


 また、グスターヴォ司祭か。

 随所に出てくるな。

 縁でもあるのだろうか。


「そこで関わっていましたか。

関係自体は真っ黒でしょうね。

本人の言葉を信用すればですが」


「それ以降で不審な人物との接触はありませんでした」

 

 可能性としては、なきにしもあらず。

 モローの言ったことを信じるなら、世界主義だけがモローは仲間だ……と思い込んでいると言うことになる。


 以降の調査のために、俺はジャン=ポールの妻の件と、人質の話をした。

 モデストから表情が消え、汗もかいてないのに、額をハンカチで拭った。

 予想外だったか。


「なんとも情けない限りです。

家族までは目が届きませんでした。

どうやら私も、いささか自惚れていたようですな。

自省せねばなりますまい」


「上流階級なら当然警戒したでしょうけどね。

平民階級では無理もありません」


「なんともお恥ずかしい限り。

人質にしたとのことですが、あのモローに承知させたのですか。

それも驚きです」


 俺の功績じゃない。

 キアラのお陰だからな。


「キアラが、言い逃れを許さないように選択させましたからね。

モロー殿は、私とシャロン卿以外に、注意を払っていなかったようです」


 キアラは、うれしそうにほほ笑む。

 裏腹に、モデストの表情が少し硬くなった。


「では老婆心ながらご忠告を。

モローは、蛇のように執念深い男です。

キアラ嬢に何かあるとは思ませんが、何か企むかも知れません」


 執念深く、恨みは忘れないタイプか。

 さもありなんだが、そんなことを俺が見逃すと思っているのか。

 仮に実行すれば、容赦などしない。

 それが分からないほど、モローは愚かではないと思うが。


「そこまで危険を冒しますかね。

自分の身を危うくするだけだと思います」


「勿論、危険を冒すことはしません。

ですが、安心しきることは禁物でしょう。

ラヴェンナ卿と私に、恨みはないので、害になることはしないでしょう。

キアラ嬢におかれましては、くれぐれもご用心をば」


「嫌がらせをするのが限界でしょうか。

どちらにしても、我々の目が光っています。

滅多なことはしないでしょう。

もし愚行に及べば、モロー殿に人生で一度だけの経験がすぐやって来ます。

少なくとも、他人に経験する時期を早められたい人はいないでしょう」


 モデストは苦笑気味に小さくうなずく。

 俺がその気になったら、どんな手でも使うのは承知しているだろう。


「左様ですな。

その件は、ひとまず置いておきましょう。

アラン王国内で、少々気になる話を耳にしました」


 実に困ったところだ。

 あそこへのコネがないから、情報が手に入らない。


「アラン王国に情報源がないのが痛いですねぇ」


「あそこは普通の王国ではありませんからな。

気になったのは、次期教皇の話です。

崩御が発表されましたが、いまだ次期教皇が決まっておりません」


 内乱での重要性は低いので、さして気にしていなかった。

 言われてみれば、まだ新教皇の発表はないな。


「恐らく前教皇の容体が急変したのでしょうね。

内々に後任が決まっていれば、すぐに発表するはずですから」


「それだけなら良いのですが、これを機にアラン王家が、教会と統合するのでは……という噂が流れております」


 それは初耳だ。

 流石に、その行動は予想していなかった。


「統合とは、王が教皇になるのですか」


「そのようです。

教会の機能不全、巡礼街道の収入激減などの悪状況と、使徒末裔たちからの、強い要望があったそうです」


 使徒の末裔たちの仲が良いとは聞いたことがない。

 敬して遠ざけているのが、俺の認識だったのだが。

 それだけ追い詰められたか。

 ウジェーヌの遺灰返還要求もない。

 もはやそれどころではないほど切迫しているのだろうか。


「教会では話にならないから、王家に頼むと言うわけですか。

教会は元々、世俗の権力に取り込まれないようにし続けてきたと思いますが」


「それが、話は教会から出たらしいのですよ」


 王家から話を持っていくなら分かる。

 逆とはまた予想外な……。


「えらいキナ臭い噂ですね。

既得権益を失う末路しか見えないのですが。

それにアラン王家も、教会を背負いこむデメリットに気がついているのでしょうかね」


 祭祀を主とする組織を取り込むと、デメリットが大きい。

 それに庇を貸して、母家を取られる危険性が高い。


「ラヴェンナ卿は不利益の方が大きいと見るわけですな」


「ええ。

私なら頼まれても断りますね」


 モデストは、一息つけるように出されたお茶に口をつける。


「まだ噂で流れている程度ですがね。

恐らく噂を流して、様子を見ていると思われます。

このままでは、この動きが確定するでしょうが」


 情報を流して、反応を見るか。

 教会を吸収するとなれば、影響が大きすぎるからな。


「我々は口が出せないので、座視するしかありませんがね」


「アラン王家は目の前の利益に、目がくらみましたか」


「恐らく。

王家としてもアラン王国内の教会領が欲しいでしょう。

整備されている巡礼街道は、流通が発達していますからね。

魅力は尽きないと思いますよ」


「確かにそうですな。

それで不利益とは?」


 モデストにも分からなかったか。

 前例もない話だからな。

 転生前もそんなケースはない。

 それでも、この世界を見てきた経験から、なんとなく思うところはある。


「教会は儀礼が煩雑で、数も多いのです。

取り込んだが最後、その儀礼に忙殺されるでしょう。

そして最終的には、王は傀儡になります。

枢機卿団に、国が乗っ取られるでしょうね」


 モデストは首をかしげる。

 確かに、ピンと来ないだろうな。


「武力もないのに、そう簡単に乗っ取られるのでしょうかな。

使徒騎士団は精鋭でも、数は多くありません」


 武力での乗っ取りが全てではない。

 むしろそうしないだろう。

 だからこそ、対処が難しい。


「直接的に乗っ取るわけではありませんよ。

儀礼やら複雑な組織を運営する際には、枢機卿団の力は必要です。

そして、アラン王国内も一枚岩ではないでしょう。

貴族間の遺恨怨恨はあるでしょうね。

それを煽って、徐々に浸透していくでしょう。

使徒と教会がいることで、アラン王国での内乱が防がれていましたが、はてさて」


「流石に内乱になったら、使徒が仲裁するのではないでしょうか」


 血が飛び散る内乱は、決して起こらない。

 目に見えない内乱状態になるだろう。


「それは知っているので、陰謀を駆使した蹴落とし合いが始まります」


「アラン王国も荒れますか」


「恐らく。

教会は王国に泣きついたように見えるでしょう。

内実は乗っ取りを企んでいると思います。

その行き着く先は世界統一戦争でしょうけど」


 モデストは予想外だったのか、小さく眉をしかめた。


「ランゴバルド、シケリアを支配しようと望みますか」


 そうでないと、教会としての存在意義が薄れる。

 教会に乗っ取られると、理性や計算でなく、イデオロギーが前面に押し出される。

 勿論、アラン王国を乗っ取って安定してからだろうが。


「ええ。

世俗と合体すると、他国にある教会は排除されます。

他国領が自国に存在するようなものですからね。

そうなると、教皇たるアラン王が、2つの王国を属国にするか……統一王朝を作らないといけません。

むしろ、そうせざる得ないのです。

過去に及んでいた、教会の影響。

これが他国に及ばないのは、正当性への打撃になりますから」


 人同士なら、利害で妥協できる。

 だが、人の生き方にまで干渉する宗教は、妥協など出来ない。

 行き着くところまでいく。

 それが絶対正しいと言わなくては、人の生き方に干渉などできないからだ。

 選民思想であれば、その民族だけで閉じるが……。

 教会はそうではない。

 だからこそ、国で区切ることは許されない。


 勿論、元から違う世界であれば歯止めをかけられる。

 同じ世界であれば、歯止めなど出来ない。


「意図は分かります。

可能なのかは不明ですが」


「内乱での消耗をしていない分は優位かと思います。

それに世界主義にすれば、アラン王国に統一させて、その王国を乗っ取るのが手っ取り早いと思いますよ」


「ふむ。

世界統一王朝ですか。

どうも想像し難いですな」


 だろうな。

 普通の感性であればそうだ。


「現実的にも難しいでしょう。

仮に統一できても、この広さをカバーできるほど、技術が発達していませんからね。

世界が狭くなるような技術革新がない限りは……理想倒れでしょう」


「確かにそうですな。

現状の王国でも封土して、貴族を支配するのが限界ですからな。

将来はそうでないと仰るのですな」


 俺は、それが可能になる時期を考えて苦笑してしまった。


「正確には未来でしょうか。

我々が生きている間にはこないでしょう」


「それは随分と、先を見ておいでですな。

遠くの未来より、目の前の問題を片付けましょうか」


「その通りですね。

では、ちょっとしたお使いを頼まれていただけませんか?」


 モデストは俺の言葉に、何か楽しそうな予感を抱いたようだ。

 わずかに目を細めた。


「なんなりと」


 俺は、用意していた書類の束を差し出す。


「アミルカレ兄上に、これを届けていただけないでしょうか。

できるだけ多くの貴族に、シャロン卿の姿を見せると、尚良いですね」


 モデストは声を立てずに笑いだす。

 これ自体は、簡単に予想できるだろう。


「自分の影におびえさせるわけですな」


「それと、アラン王国のコネを作れそうな人も探してほしいのです。

今、兄上の知遇を得ようと、多くの商人が出入りしています。

そのあたりから、糸を手繰りたいです」


「承知しました。

では暫く、アミルカレさまのお側に控えていた方がよろしいですかな」


 話が早くて助かる。


「日和見たちが大人しくなるまででしょうか。判断は任せます」


 会話が途切れて、沈黙が訪れる。

 話が一段落するのを待っていたのだろう。

 カルメンがモデストの隣にやって来た。


「モデストさん。

あの人をみかけたら、アレを調達してもらって良いですか?

お代は持ってきてくれたときに渡します」


 昔なじみか。


「足りなくなったのですか。

内戦なので……彼が出入りしているか、保証はありませんが、いたら話してみましょう」


 カルメンは、笑顔を浮かべる。

 若干、邪悪な笑みに見えたのは、気のせいじゃないと思うが。


「お願いします」


 絶対に毒だ。

 それ以外有り得ないし。

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