549話 ちょっとした危険信号

 すっかり寒さも去り、春になった。

 心地よい陽気に、睡魔が襲ってくる。

 遠くでヤンが暴れているなら、そろそろ成果が現れる頃だろう。

 そう思ってると、シケリア王国に潜入しているオルペウスから、書状が届いた。

 書状を読んだ俺は、自然と渋い顔になる。


「シケリア王国の奴隷階級には、世界主義が浸透しているようですね。

厄介なことになってきましたよ」


 キアラはため息交じりに苦笑した。


「ちょっと驚きましたわ。

ここまで広まるような話なのかなと。

どう考えても眉唾ですわよ」


 それは、余裕のある人間の視点。

 そうでないと人間は、怪しげなものにもすがる。

 窮地に陥るほど……甘い言葉に誘惑されるだろう。


 少しの窮状であれば、ちょっとの甘い囁き。

 大きな窮状であれば、冷静なときには信じられないような甘い囁き。


 一度すがったが最後、それを否定する勇気を、人は持てない。

 食虫植物に囚われた虫のように、あとは消化されるだけ。

 運が良ければ、食虫植物そのものが破壊されて助かる。

 それで生き残っても、体の一部は溶けており、元には戻らない。


 肉体ではなく精神がだ。

 また別の誘惑に抗しきれないか、極端に全てを疑って疑心暗鬼の沼で溺死する。


 嫌な想像をして、ついため息がもれる。


「シケリア王国は、奴隷売買が活発です。

使い捨てられるから、必然的に活発になるのですよ。

奴隷として、過酷な生活をしていれば、夢にでもすがるでしょうね。

ですが他国のことなので、介入もできません。

世界主義など……他国には脅威として感じ取れないでしょう」


 奴隷の間で、世界主義への傾倒が広まっている。

 そんな報告だ。

 ただ広まっているのは、奴隷の間のみ。

 平民以上には全く広まっていない。


 それが不幸中の幸い。

 奴隷と平等など……平民には決して飲み込めないだろう。


 皮肉な話だが、平民は奴隷がいるから、自尊心を保って社会の安定を望む。 

 下がいるからこそ、自分を慰めることができる。

 制度的に差別が認められているのは、ガス抜きになって社会の安定に寄与するものだ。

 煮ても焼いても食えない話だが、人間性の救えない部分を無視しては統治は成り立たない。

 ましてや中世なのだ。

 人権などの意識もないのだから。

 

 奴隷が一斉蜂起して、王国打倒などそうありえないが……。

 甘く見ていると、足をすくわれるだろう。


「いつものように注視されますか?」


 それも手なのだが、今回はちょっと状況が違う。


「そうですね……。

出先機関があります。

せっかくなので、それを使いますか。

以前、こちらに交渉に来たガヴラス卿に伝言すれば良いでしょう」


「なにをお伝えしますの?」


「奴隷階級が密かにまとまりつつある。

なにを企んでいるのかは分からないが、注意だけは怠らないにようにですね。

こちらで不審な人物を調べていたら、そこに行き着いたと言えば良いでしょう」


 キアラはため息交じりに苦笑する。


「それしか無さそうですわね。

あとは彼らの頑張りに期待するしかないですわね」


 副作用を考えて、思わず頭をかいてしまう。


「諸刃の剣なんですけどね」


「あら、名案だと思いましたけど」


 クリスティアス・リカイオスのことは、調べ上げている。

 優秀な謀臣集団を抱えている。

 それにこそ、危険な兆候を感じ取れる。


「奴隷階級など簡単に利用できると、軽々に策に飛びついて自滅する。

そんな輩がいるかもしれません。

甘く見ているのですから、どこかで手痛いしっぺ返しを食らうでしょう。

手痛いで済めば良いですけどね。

首が飛ぶかもしれません。

熱狂に支配された集団と、マトモにやり合うのは得策ではありませんから」


 フランス革命のときに、外国が介入して痛い目に遭ったように……。

 はてまたは、ナポレオン時代のフランス軍が、スペインでゲリラ戦に苦慮したようにだ。

 損得などを抜きな熱狂した軍とマトモにやり合うのは、どう考えても正気の沙汰じゃない。


 謀臣たちはそんなことに、思いは至らない。

 そして愚かな存在だから、容易に操れる……など希望的観測の虜になりかねない。

 だがなぁ。


「その危険性はあるけど、警告しないよりは良いとお考えなのですね」


 そうなのだよ。

 しなくても、これが事実なら、誰かが利用しようと考えるだろう。

 その場合、対応は自然と難しいものになる。


「そうですね。

事前に警告していれば、甘く見てはいけないと考える人たちも出てくるはずです。

失敗しても対応が、比較的容易になるわけです」


 なぜか突然、キアラが笑い始める。


「御免なさい。

お兄さまは、結局、他国のことまで心配し始めてますよね。

全然ラヴェンナの領主で収まっていませんわ。

それがおかしくって」


 仕方ないだろ。

 好きで、口を出しているんじゃない。

 面倒な相手が、他国にも散っているのが、そもそも問題だよ。


                  ◆◇◆◇◆


 アミルカレ兄さんから、戦況報告を兼ねた書状が届いた。

 ヤンの活動の効果が大きいらしく、アミルカレ兄さんが陽動をかけているが、ユボー側の反応が露骨に鈍くなっている。

 ヤンの討伐に、部隊を出しているが捕まらないようだ。

 好機なので、戦線を前に押し上げるとの書状があった。


 さすがに隠せないと思ったのか、日和見たちとプリュタニスのことも書いてあった。

 一触即発を通り越していると。

 プリュタニスは公衆の面前で、日和見たちを侮辱するような愚行は犯さないが、感情までは隠しきれていない。

 説明も淡泊で、最低限のものになる。

 こいつに話しても無駄だけど……仕方ないから説明している。

 そんな態度らしい。


 亀裂は深く、徐々に広がっている。

 道理はプリュタニスにある。

 だからといって、単純に済まないのが、混成軍の難しいところ。

 自分たちで押しかけた揚げ句、失敗して……なお要求ができる。

 その図太さだけは、見上げたものだ。

 特権階級の悪い部分が濃縮されてしまっている。


 この戦いでのプリュタニスの功績は大きい。

 加えて後見人が俺である事実に、日和見たちは表だって反対はでききていない。


 お得意の讒言などの手段を講じてきているらしい。

 それは、軍の内部に悪い噂を流して、自然とアミルカレ兄さんの耳に入るような、陰湿な手段だ。

 この手の陰謀となると、日和見たちは、水を得た魚のように生き生きと活動する。


 さすがに座視できないので、機会を見て適切に対処するらしい。


 その連中の対処に伴って、前線を押し上げるが、日和見たちが暴走して失敗する可能性がある。

 そのときは、俺に援軍を求めたいとの趣旨の内容だ。


 こと軍事に関わる話だ。

 チャールズと帰還してきたばかりのベルナルドに、状況の説明をすることになった。

 俺の説明を聞いたチャールズはあきれ顔。


「困ったものですな。

最高司令官のアミルカレさまの指揮すら面従腹背ですか。

そのような障害物は、この際……処断してもよろしいと思いますがね。

増長を許しては危険ですな」


 ベルナルドは珍しく苦笑している。


「騎士に最も欠けている資質は、敵を前にした忍耐ですから。

しかも勝つと信じ込んでいます。

勝ったあとの功績を、少しでも稼ごうと必死なのでしょう。

『自壊する相手なら攻撃すれば、もっと早く片が付く』が、彼らの考え方ですから」


「そんな相手にも負けた事実だけは、奇麗に忘れるのですよね。

さすがの兄上も処断することは決めていますが、時期を計っているでしょうね」


 チャールズが、興味深そうな顔をする。


「時期ですか」


「今処断しては『功績を渡したくないため』だとか、馬鹿げた言い掛かりをつけられます。

自分たちは、何もしていないのに勝ったつもりでいますからね。

普通なら最初の失敗で懲りるはずなのですが。

懲りないからこそ働きたがる無能者なわけですがね」


 俺の直接的な表現が気に入ったらしい。

 チャールズは大笑いした。


「言い得て妙ですな。

その勤勉な無能者に担ぎ上げられたファルネーゼの長男は何もしていないのですか?」


 ところがどっこい。

 思ったほど、馬鹿でも無力でもないらしい。

 ファルネーゼ家を存続させるための手を、既にうっていたらしい。


「実は内々に、兄上に通じていて、強硬派の処断に同意しています。

今回はわざと暴走させて、生け贄を処断します。

その他にも累が及ぶところを温情で……。

そんな三文芝居を企画しているようです。

担ぎ上げられたのも、その処断のお膳立てをするためらしいです。

敵の討伐で、功績は立てられませんが、掃除の才能はあるようです」


 三大貴族としての地位は保てないが、相応の位置は確保できるだろう。

 本人も才能の限界から、これが無難と踏んだようだ。

 なにより、身分は今後固定されない。

 功績を挙げれば、地位も上がると踏んでいるのだろう。

 ある意味、己をよく知っていると見るべきか。

 家督相続に敗れた身として、新たに生きる道を見つけたと言うべきか。


「そこまで計算していて、我々の援軍が必要なのでしょうか?」


 実はそれは口実なんだよな。

 俺はチャールズに、ニヤリと笑いかける。


「念のためでもありますが、やはり先だってユボーを撃破した功のある兵士たちにも、脚光を浴びせてやりたいとのことです」


 チャールズも納得したように、ニヤリと笑った。


「なるほど。

そのような話でしたら行かないわけにはいませんな。

ですが御主君は、ここにとどまったままですよね」


「ええ。

私が出しゃばると指揮系統が混乱します。

それに兄上の箔づけにも役立ちません。

なので、ラヴェンナ騎士団とラヴェンナ軍に残ってもらいます。

ちょっと不安要素がありますから」


 チャールズは意外そうに、眉をひそめた。

 この状況下での不安要素に、心当たりがないのだろう。


「不安ですか?」


 杞憂で済めば良いのだがな。

 可能性の一つに思い当たったのだ。


「旧デステ領は完全に平穏ではありません。

反乱を扇動するものがいる可能性も否定できないのです。

ユボーに世界主義がついています。

そしてデステ領にそれなりの影響力も残っているでしょう。

タイミングを見計らって、こちらの援軍が出せないように、足元を揺さぶる可能性までありますからね」


 チャールズは、難しい顔で腕組みをする。


「それでは、援軍を要請される可能性もありますな。

反乱にしても、大規模なものは無理でしょうが、領地を掌握しきれていない連中ばかりですからなぁ。

さすがに掌握には、時間がかかりますから、仕方ありませんな。

ではそちらは、ガリンド卿にお任せしましょうか」


「それがいいでしょうね」


 ベルナルドは、力強く一礼する。


「承知致しました。

一つ懸念があります。

反乱鎮圧の隙を狙って、御主君の命を狙うことはないでしょうか」


 その可能性も考えたが……。

 俺は首を振る。


「ゼロではありませんが高くはないですね。

陸地からは不可能です。

現在襲撃が可能な組織は、シケリア王国の両陣営です。

ですが、シケリア王国から、船で攻め込むのは難しいでしょう。

それにデステ家が無くなっています。

この時点で、シケリア王国の両陣営とも、私を狙うのはリスクが高すぎます。

まず目の前の敵を倒すのが先決でしょう」


 ベルナルドも、一応確認したといったところか。

 すぐにうなずいた。


「では海軍には、厳重に監視するようにしたほうがよろしそうですな」


 チャールズはなにか思ったことがあるのか、ニヤリと笑った。


「では、タルクウィニオには、私から伝えておきましょう。

あいつも最近、暇だとか戯言をぬかしていますからな。

せいぜいこき使ってやりましょう」


 軍人が暇なのは、良いことだ。

 海軍はインフラ工事の技術は、身につけていない。

 代わりに船舶の修理などの技術を習得しており、平時では活躍の機会がない。


「お任せします。

これでもうすぐ、内乱も決着がつきます。

そろそろ戻らないと、ミルたちも待ちくたびれているでしょう」


「そうですな。

戻ったら熱烈な歓迎が待っていますよ」


 チャールズの冷やかすような口ぶりに、俺は肩をすくめるしかできなかった。


「覚悟だけはしておきます。

ミルからの報告書も、最近ちょっと危険な気配が漂っていますからね。

早く戻って楽をさせてあげたいのですよ」


 淡々とした事務報告だったのが、俺の近況を聞きたがったり、自分たちのことを書くなど変わりつつある。

 結婚してから離れている期間としては最長だからなぁ。

 ちょっとした危険信号だと思っている。

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