545話 イエスかノー
呆れるばかりと言うか、予測を外されたと言うべきか。
予想外の人物の訪問に、思わず頭をかいてしまった。
あっという間に、秘密警察の基本的な組織を作り上げたジャン=ポールが訪ねてきたのだ。
断る理由はないので、応接室で会うことにした。
今一自信がなかったので、キアラとオフェリーにも同席してもらう。
応接室にはジャン=ポールが1人で待っていた。
挨拶もそこそこに、本題に入る。
「モロー殿、至急の用件とは何でしょうか」
ジャン=ポールは俺に一礼したが、相変わらずの無表情。
「私への幾ばくかの疑念を晴らしたいと思い、お時間を頂きました」
早いな。
周囲に調査の手が及んでいることに気がついたのか。
それとも既に予測していたのか。
「つまり私が、モロー殿を疑っていると思われたのですね」
普通ならなんらかの反応をする。
だが、全くの無反応。
「左様です。
私としましても、ラヴェンナ卿に疑われているのは、実に心苦しいのです。
疑問があるのに、殿下に推挙される。
理性的なラヴェンナ卿にとっては不可解な行動です」
結局はそこなんだよな。
と思っていると、キアラの視線が鋭くなった。
「平時でもそうでしょうが、この内乱時に疑われない人などまずいませんわ。
お兄さまは、信頼しているシャロン卿の推挙でしたので、それを重視されたのです。
その上で別の懸念が出てきたので、別角度から確認をしているまでですわ」
モローはキアラの言葉にも、表情一つ動かさない。
「無論、それも存じております。
故にラヴェンナ卿のお心を、少しでも軽くしたいと愚考致しまして、参りました次第であります」
疑惑を晴らすとでも言うのか。
どんなカードをもっているのか分からない。
下手な推論は、墓穴を掘りそうだな。
「では伺いましょう」
「ラヴェンナ卿は世界主義を掲げる一団をご存じでしょう?」
いきなり直球できたか。
キアラとオフェリーの顔が緊張する。
予想外だったようだ。
「ええ。
それを口に出すと言うことは、私がそれをどう思っているかも知っているでしょう」
「勿論でございます。
告白致しますと、私は以前、それに所属しておりました」
直球に見えて、微妙に変化しているな。
「以前ですか?」
「はい。
若い頃は、彼らの理想に共感したものです。
『身分による人の差は間違いである』
『富めるものは、不義の輩である』
『金や銀は、人を腐敗させる呪われた金属である』
『全ての民の財産は等しくあるべき』
『口では清貧を唱え、財貨や女色に溺れる教会は偽善者の集団である』
『偽善的信仰は、全て世界の大いなる意思への信仰に取って代わらねばならない』
などありましてね」
見事に共産主義と一致しているな。
最後だけは違うが。
「つまりもう、縁が切れていると?」
「少なくとも、私はそう思っています。
彼らはどうでしょうか?
私が変わらぬ忠誠をもっていると思いますが」
明確に縁切りをしたら、生命の危機が訪れるか。
それにしても、身内には知らせているのか?
「奥さんは世界主義者ではないのですか?」
「よく知っておいでですな。
確かにそうです。
正確にはそうだったですが。
家内に勧められて決断したのですよ。
ただの使い捨ての駒にされると。
確かに駒でした。
ですが、駒には駒の意地があります」
意地などジャン=ポールの本音とは思えない。
保身、利益の権化だと思うのだが。
昔はそんな意地があったのかもしれないな。
「ほう。
それはそれは……。
そう簡単に宗旨変え出来るものなのですか?
あれは、主君以上に変えにくいものだと思いますが」
「その理念を達成するために、心底から行動しているならば、今も忠実でありました。
悲しいことに、実態は異なることに気がついたのですよ。
あの理念は、平民にとって美味しそうなパンです。
ところが、そのパンは食べられない……ただの飾りに過ぎませんでした」
1000年間の雌伏の間に、理想も変容したのか。
理想は目的だったのが、手段に変わったのかもしれないな。
「つまり人を引きつけるためだけの餌にすぎないと」
ジャン=ポールは、表情を変えずにうなずいた。
「勿論多くの者は信じています。
上層部は違いますが」
駒と言うことは末端なのだろうな。
幹部なら逃げることもできないはずだ。
幹部ですら、使い捨てる可能性はあるけどな。
それができるのは狂信者だけだろう。
「モロー殿は全員の名前を知っているのですか?」
「さすがに上層部の名前は知りません。
私は末端に過ぎませんでした」
ここまでは予想通りだ。
「ではどこまで知っていると?」
「末端とその直接上までですね」
つまり切り捨てても痛くも痒くもない。
その程度だろう。
ないよりはマシだが、これで世界主義を裏切ったとはとても言えない。
その前に一つ確認しておくか。
「それで何故、上層部の腐敗が分かったのですか?」
「とある富豪の屋敷に、女たちを連れていく指示を受けたことがあります。
表向きは、要人の接待と言っていましたがね。
ところが富豪に見えない僧職の人間、数名が屋敷に入っていきました。
その夜まで、乱痴気騒ぎの声が漏れ聞こえてきましたよ。
また別の富豪の愛人宅にも、僧職のものが出入りしていました。
果たして、それは誰の愛人だったのでしょうかね。
その愛人宅は、大層豪勢でした」
ありがちだな。
それだけに信憑性はあるが。
「では知っている人の名前は明かせますか?」
ジャン=ポールが懐からメモを取り出して、テーブルの上に置いた。
「これが私の知っている名前の全てであります」
これが全てかは分からない。
俺は、メモをキアラに手渡す。
知らない名前だらけらしい。
首を振ったキアラが、オフェリーにメモを手渡す。
オフェリーはメモを見ていたが、末端まではさすがに知らないだろう。
難しい顔をしていたが、何かに気がついたようだ。
黙って俺にうなずいた。
これは後で聞こう。
1人でも知っているなら、有り難い話だ。
これ以上の追求をしても絶対に成果は上がらない。
だがこれで終わりでは、ほとんど状況は変わらない。
「少し弱いですね。
末端の構成員など彼らにとっては、捨て駒なのでしょう?」
「仰る通りです。
では……いかがでしょう。
彼らが私に接触してきたら、そのことをお知らせする。
それで手繰ることはできましょう。
彼らは私が、まだ忠実な一員であると思い込んでおります。
私をニコデモ殿下の側近にするために、彼らも随分骨折ったようです」
おかしいな。
いまだに接触をしているのか。
どうやってモデストの目をくぐり抜けたのか。
「シャロン卿の目をくぐり抜けたのですか」
ジャン=ポールは、小さく首を振った。
表情に変化はない。
精巧なマネキンと、会話をしている気分にまでなる。
「妻が市場で誰かと言葉を交わしても、その全てを知ることは無理でしょう。
よほどの警戒対象でない限りは……ですが。
それに平民ですので、使用人はいません。
妻との語らいまでは知ることができないでしょう」
使用人から話が漏れるのは、貴族社会ではいつものことだ。
確かに平民なら、その心配はない。
そしてモデストは、妻にまで厳密な監視をしないだろう。
そもそも疑惑があって監視したわけではない。
問題ないことを確かめるための監視では、やり方が変わる。
なので、念のための監視でボロを出すヤツは、かなり迂闊だと思われる。
「今まで構成員のつもりをしていたのは、身の安全のためですか?」
「左様です。
彼らは脱退の意思については、死をもって認めます。
悲しいかな平民では、彼らの手から逃れるのは無理なのです。
今であれば私と家族の安全を守れましょう」
カメレオンがこの決断をしたと言うことは……。
計算をして勝ち確定を踏んだのだろう。
「そこまでの決断をしたと言うことは、彼らに勝ちの目はないと踏んだわけですか」
「彼らの力は影響力と陰謀のみです。
そして今まで、明確に敵視されたことがありません。
権力者に狙われては、まず勝ち目がないでしょう。
彼らは焦った揚げ句に、ラヴェンナ卿に敵視されました。
これが単純な権力者であれば、彼らは負けないでしょうが。
しかも、ラヴェンナ卿は、まだまだお若い。
時間ですら、彼らの敵となります」
確かに世界主義から見れば、俺の政策は危険そのものだ。
自分たちの主張への対抗馬になりうるのだから。
それにしても……雑な判断だな。
「果たしてそうでしょうかね。
それは早計でしょう。
モロー殿が、私の全てを知っているわけではありません。
知っていたとしても、計算違いとは起こるものです」
ジャン=ポールの目が、かすかに細まった。
どうやら、お気に召す返事だったようだ。
「確かに仰る通りです。
さすがと申しましょうか。
それだけ警戒されているのでしたら、後れを取ることはありますまい」
どうやら、値踏みをしただけか。
俺があっさり肯定したら、内心見切りをつけて裏切る機会を待つだろう。
いささか不愉快だが、コイツはこのやりとりのまずさに気がついているのだろうか。
それとも、人の気持ちなど知ろうとはしないのか。
俺が、偉そうに言えることではないのだが。
「それも分かりませんね」
「ひとまずは、これで信用とまでいかずとも、敵視はされないと有り難いのです」
なんとも食えない話だ。
実に現実的な話をして、信用を稼ぐ腹か。
騙されたがっている相手には、実に効果的だ。
「ひとまずは……ですか」
「はい。
これからも調査はされるでしょう。
それでお分かりいただけるかと。
私が彼らに、見切りをつけた事件も、それで分かりましょう」
口だけでは信用されない。
だから、調べて裏を取ってくれと。
ただ調べられると分かって、事前に手を打つことができる。
まあ調べることは変わらないがな。
「なるほど。
では彼らの接触があったら、内容を含めてこちらに知らせるように。
そんなところでしょうかね」
俺はこの手のタイプは不得手なのかもしれない。
情けないことに、主導権を握りきれていない。
取りあえず、当面はそんなところかな……。
「お兄さま、お待ちください」
声の主はキアラだ。
「どうしましたか?」
「モロー殿に確認したいことがあります」
モローは相変わらず、表情を変えない。
「なんなりと」
キアラは、ジャン=ポールに冷たい表情を向ける。
「わざわざ訪ねてくる程です。
お兄さまの信用が欲しいのでしょう。
それならば、単純に妻子をこちらに預けたほうが確実ですわ。
勿論、強制は致しません。
その答えが、今はどちらの方向を向いて、信用を欲しているのかを語りますわ」
ある意味ド直球。
モローの顔が、初めて動いた。
ほんの、わずかな動きだが。
一瞬だけ、眉をひそめた。
「それでも私は構いませんが、その場合は世界主義の者たちが、接触を控えるかも知れません。
それではお役に立てないかと。
私などの小物より、もっと大きな獲物がご所望でありましょう」
返事を聞いたキアラは、小さく笑う。
面白くて笑ったのではないだろう。
むしろ、そんな言い訳は通じないといった笑い。
技巧を凝らした会話なら、ジャン=ポールはいくらでも対応できるだろう。
こんな直球では、技巧の入る余地がない。
俺はこのカードまで切れなかった。
マントノン傭兵団の壊滅までは、概ね順調にきていた。
気がつかないうちに調子に乗っていたようだ。
つまり格好つけて、無自覚にスマートな解決方法に、こだわっていたと気付かされる。
悪い癖は治らないな……。
「そんなことはありませんわ。
貴族が信用を得るのは、不始末があれば家に関わる。
既に、家を人質に出しているようなものですわ。
故に、信用を得るのがたやすいのです。
逃げ得などできませんのよ。
逆にモロー殿は、どうですか? その気になれば逃げることができますよね。
それこそ人を駒としか思わない人たちなら、妻子も信用を得るための駒と考えるでしょう。
接触を控えるなどあり得ません。
むしろ、好機と捉えて接触してくるでしょう」
どうもこの件で、俺の良いところはないな。
キアラに助けてもらいっぱなしだ。
直球には、力で勝負するしかない。
単純なイエスかノーの選択だ。
ノーを選択するときは、言い訳をいくら積み上げてもノーである事実は変わらない。
ジャン=ポールは、全く表情を動かさない。
だが無言のまま、下を向いた。
しばし後に顔を上げたが、表情は変わらない。
「承知致しました。
では、妻子をお預け致します。
くれぐれも安全は保証していただけますね」
声色に若干の震えがあった。
妻子には愛情を注いでいるのは、どうやら本当らしい。
これが演技だったら立ち上がって拍手したい気分だ。
この返事に、キアラはニッコリと笑った。
「勿論ですわ。
ところでモロー殿、もう一つだけ」
「何でしょうか」
少しキアラを警戒しているようだ。
今まで眼中になかった相手が、予想外の人物であると悟ったらしい。
「あなたのお仕事は、いろいろな情報が集まります。
そんな中で伝えるべき情報を選別するのは必要でしょう。
でも伝えなかった情報は、いつでも答えられるようにしたほうが良いですわ。
それと取り締まるべきところを、独断で見逃して、個人での貸しを作ろうなど……考えないほうが、身のためです。
世の中はモロー殿が思っているほど、頭の悪い人ばかりではありませんもの」
ジャン=ポールの目が、一瞬だけ大きく開いた。
心底、驚いたらしい。
「肝に銘じます。
ラヴェンナ卿の妹君は、取り締まりの手口にも通じていらっしゃるようですな。
貴族階級のご令嬢の中には、まずいらっしゃらないでしょう。
いやはや……。
私が意識しなくてはいけない目は、もう1人分増えたと考えねばなりません」
やっぱりこの件での俺はダメだな。
キアラには、ちゃんとお礼をしよう。
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