540話 カメレオン

 デステ家の戦後処理は、小さなトラブルはあれど、大した問題もなく進んでいる。

 そちらは心配していないが、別方面から気になる兆候が現れた。

 アミルカレ兄さんから送られてくる状況説明だ。


 お互いの情報共有を行うように留意していて、定期的に書状のやりとりをしている。

 書状を一読した俺の渋い顔に、キアラが気づいたようだ。


「お兄さま。

何かご懸念でも? 今のところ順調ですよね」


「杞憂なら良いのですがね。

ちょっとね」


 即座にキアラは、執筆態勢に入った。

 ブレねぇなぁ。

 よくやるよ本当に。


 そういえばこの前エテルニタが、インク壺をひっくり返してすごいことになっていたな。

 あの時のキアラは、顔の右半分で泣いて、左半分で引き攣った笑いを浮かべていた。

 俺の周囲って、器用な人が多いこと多いこと。


 かくしてインク壺は、厳重に守られるようになったのだが……。

 ケージに入れれば良いだろうと思う。

 だがキアラも、エテルニタを檻のようなケージに入れたがらない。

 俺のところにきてイタズラすることはないので、口出しはしないがな。


「準備万端ですわよ。

何のかんの言いながら、準備ができるまで待ってくれるお兄さまは、とても素敵ですわ」


 待たなかったら、あとで怒り出すだろうに……。


「プリュタニスの話題が、急に無くなりました。

書かなくなったと言うことは、そうできない理由があるのでしょう」


「確かにそうですわね。

お兄さまは後見人ですから、プリュタニスの近況はいつも書かれていましたわね」


「そうなると可能性の一つとして、日和見たちとプリュタニスの関係悪化が考えられますね。

兄上とプリュタニスはうまくやっていますから」


 キアラは苦笑気味にうなずいた。


「確かに……プリュタニスと彼らは親しくなる要素はないですわね」


「プリュタニスは見切りをつけた相手には、話をしなくなるか……見下した態度をとるでしょう。

直接口にすることはないと思いますがね」


 初対面の時から、そんな感じだった。

 プリュタニスが親しくするのは、能力があると認めた相手だけだろう。


「足を引っ張っている人たちは、実務能力や指揮能力はありませんけど、非礼にはとても敏感ですものね。

確かにそれを感じて衝突する可能性がありますわね。

優勢なので一気に攻勢に出たい人たちと衝突したのでしょうか」


「まあ日和見たちは、いままで良いところありませんからね。

このまま内乱が終結しては、今後の発言力を失うだけでなく、褒美にもありつけません。

失地回復を狙って必死になるでしょうね」


 キアラも理解できたのか、小さく頭を振った。


「あの手の人たちは、料理を作る前から、取り分ばかり気にしますものね」


「動機がそれですからね。

馬鹿にするプリュタニスの気持ちは分かります。

ですが正しいことが、常に正解とは限らないのですよね。

アミルカレ兄上も板挟みで苦慮しているのかもしれません」


 その結果として指揮の統一性が揺らいでは、正論が正しい選択にはなりえないのだ。

 プリュタニスの言い分は、よく理解できる。

 そして無理に、そんな日和見に配慮しろと言う気にもなれない。


「なにか救いの手を出します?」


「いえ。求められていないのに介入しては、兄上の指揮権侵害です。

後見人として助言できるのは、平時になってからですよ。

なまじ頭が良いだけに、そうでない人の考えや気持ちに無頓着になります。

そこで私が介入しても、プリュタニスは納得しないでしょうね」


 俺が言ったからでは、その場しのぎでしかない。

 言えばその場は解決するだろう。

 だが、その場に限る。

 別な場面で、また同じ問題が起きるだろう。


「では、見守りますの?」


「そうですね。

失敗してそれを、糧に成長してもらうのが一番でしょう。

なにかそれで困難が生じたら、私が収拾しますよ。

一応後見人ですからね」


「お兄さまの決定に、異存はありませんけど……。

大丈夫でしょうか?」


 俺は頭をかいて苦笑するしかなかった。


「なまじ頭が良いですからね。

理論に合致しないことは認めないのですよ。

ただ自分の頭の良さを、自信にしていますし鈍感でもありません。

なので取り返しのつかない事態までは至らないと思いますよ。

理屈で物事を考える人は少ない……そこに思い至ることを祈りましょうかね」


 対人関係は経験が重要となる。

 天才は数多いが、対人関係の天才は聞いたことがない。

 一定のタイプには好かれるが、その分違うタイプには毛嫌いされるのはいる。

 それは、天才とはちょっと違うな。自然に振る舞って全員に好かれるのが天才だろう。

 目立たないから、実際いたのかもしれないがな。


                  ◆◇◆◇◆


 そんな心配をよそに、モデストがやってきた。

 何か、緊急を要する話でもあるのか。

 執務室に通されたモデストは、珍しく疲れた顔をしている。


「シャロン卿。

どうされました?」


「少々問題がおこりましてね。

私事なのですが、内乱終結後の政権構想です」


 ニコデモ殿下から大まかな政権構想は相談されて、アドバイスはした。

 そう悪い話ではないと思ったが。


「殿下はそろそろ具体的な人選に入っている頃でしょうね」


「左様です。そこで、殿下が陰謀を取り締まる秘密警察なるものを新設する意向でして……」


 それは初耳だな。

 必要性に目覚めたのだろうな。

 そうなると……。


「その初代長官に、シャロン卿を宛てたいと」


 モデストは心底から辟易した顔になって、天を仰いだ。


「まさにそうです。

実に迷惑な話でして……。

ただ取り締まるだけなど、退屈極まりないのですよ」


「つまり嫌だから、殿下に取りなしてほしいと」


「仰る通りです。

いやはや困った話でして。私の身分では辞退することが難しいのです」


 能力的には最適なのだろう。

 本人は画一的な仕事に、興味はないようだ。

 退屈は嫌いだと言っていたしなぁ。


「取りなすのは構いませんが、代わりを推挙する必要がありますね。

シャロン卿がその仕事に適任と思われる人を挙げてください。

そうでなくては、シャロン卿の希望に添うことはできません」


 ただ反対……で物事は進まない。

 代案を出しておかないと、将来的に面倒なことがおこる。


「畏まりました。

心当たりがあります故、お目通りいただけますか?

少々癖が強い者ですが。

私などより犬の役目には適しておりましょう」


 犬か。

 狂犬でないことを祈るばかりだよ。

 俺は最近祈ってばかりだな。


「結構ですよ。

では会ってみて問題なければ、殿下に推挙しましょう」


                  ◆◇◆◇◆

 

 2週間後に、モデストが再びやって来た。

 異例の早さだが、それだけ嫌だったらしい。

 思わず苦笑してしまう。


 キアラとも面通しさせたかったが、多忙で不在。

 こんなに早く来ると思わなかったから、スケジュール調整をしていなかった。

 エテルニタの世話で多忙だったら呼ぶが、仕事で多忙であれば仕方ない。

 オフェリーを連れて、面会に向かう。

 

 応接室で待っていた男は、色白で濃い茶色の髪、茶色の瞳。

 髪は短く刈り上げているが、あごひげともみあげがつながっていて、あごの部分だけは奇麗に剃ってある。

 30代後半か。

 温和な表情をしているが、目は笑っていない。

 モデストに比べて、ちょっと演技くささが目立つな。

 

「シャロン卿、お待たせしました」


「お忙しい中お時間を頂き、感謝致します。

こちらが件の人物。

ジャン=ポール・モローです」


 どこかで聞いた名前だな。

 俺が記憶を探っていると、ジャン=ポールは丁重に一礼した。


「お初にお目にかかります。

ラヴェンナ卿とルグラン夫人。

ジャン=ポール・モローにございます」


 ラヴェンナ夫人はミルの公的な呼び名。

 アーデルヘイトたちは旧姓に夫人をつけた呼び名が、通例となっていたな。


 モデストは俺の記憶を探る表情に気がついたようだ。


「モローは王都の役人でした。

そのあと内乱でラッザロ殿下の配下となり、殿下が弑逆されてからユボーの配下に転向。

そしてユボーが破れたあとは、野に下っておりました」


 なかなかの変わり身の早さだ。

 カメレオンとでも呼ぶべきなのだろうか。

 動物でこの世界には、カメレオンはいない。

 魔物ではそんなのがいたが。


 ジャン=ポール・モローか。

 日和見たちの名前は、一通りリストアップしていたな。

 そこでちらっと、名前が出てきていたか。

 だが注意を引く経歴だったかな。


「モロー殿は、シャロン卿との付き合いは古いのですか?」


 ジャン=ポールは穏やかな笑みを浮かべた。

 だが気のせいだろうか。

 カマキリのような昆虫に、餌になるのか……と値踏みされているような気がする。


「はい。

役人時代からお付き合いさせていただいておりました。

此度のお話をシャロン卿から伺い、私めにもまだ使命があるのか……と感動した次第にございます」


 一言で言えば胡散臭い。

 モデストが推薦するくらい、有能なのは確かだろう。

 決して適当な人選をしないことは知っているからだ。

 ただ今まで頭角を現していない。

 これをどう見るべきか。

 

「シャロン卿が推挙するくらいです。

求められる仕事に適しているのでしょう。

ところで……役人とは、何をされていたのですか?」


「元々は計算の才を買われて、国庫の管理を担っておりました。

そこから上司の不祥事に巻き込まれまして。

そして罪人を取り締まる役人に、降格になってしまいました。

本来は死罪を賜るはずでしたが、シャロン卿のお力で降格にとどまりました」


 モデストが当時を思い出したのか、小さく苦笑した。


「モローは、宝蔵長官の覚えめでたく重宝されていたのです。

ところが宝蔵長官の着服が発覚しましてね。

内々に宝蔵長官は、自死を賜りました。

表向きは病死でしたが……。

そこで部下も罪に問われたのですが、モローの才能は惜しいと思いましてね。

陛下にお慈悲を賜るようお願いした次第です」


 宝蔵長官の始末を担当したか。

 だからこそ、嘆願が通ったと。

 確か宝蔵長官は、国庫の管理人だったな。

 エリート中のエリートに、なぜ平民がいるのか。

 普通は貴族が就任するはずだが。


「モロー殿は貴族ではないのですよね。

よく宝蔵長官の下での働き口がありましたね」


 ジャン=ポールは薄く笑ったが、俺の感想は『人を不安にさせる類いの笑み』だ。


「元々は教会におりました。

そこで勉学に励んで、少々有名になったのです。

それを聞いたカウジオ卿と……先ほどの宝蔵長官ですが……同郷のご縁がありまして、お声掛けいただいたのです。

それで教会を抜けてお仕えした次第です」


 オフェリーが、ハッと息をのんだ。

 知っていたのかな。


「小さい頃に、教会で噂を聞いたことがあります。

モローと言う天才がいたと。

確か庇護していた枢機卿の汚職が発覚して、除名処分になったはずです。

その時でしょうか?」


「さすがはルグラン前教皇の姪御さま。

仰る通りです」


 出世の道が絶たれたから、鞍替えしたようだ。

 権力の近いところにいたがるタイプなのか。

 この男の行くところ、汚職があるのは偶然なのか?

 秘密情報を一手に握る秘密警察の大臣に推挙しても、良いものだろうか。

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