539話 余裕がない精密機械
アリーナは妙に張り切って、運営の手伝いを始めた。
実務はスカラ家の役人が行っているが、全体の方針決定や微調整は、俺が担当する流れになっていた。
手伝っているうちに、根本的な思想の違いを悟ったようだ。
難しい顔になっていったのが、すぐ分かる。
アリーナは小休止のティータイムに、キアラがお茶を煎れることに驚いたようだ。
「メイドにやらせないのですか?」
キアラはティーカップを、全員に配りながらほほ笑んだ。
「煎れ方にはこだわっていますの。
人任せにするなんてできませんもの」
茶を飲んだアリーナは、納得したようにうなずいた。
「お見事です。
これだけ美味しく煎れられる方は、そういません。
ところでラヴェンナ卿、幾つかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
まあ聞くなら、このタイミングか。
「色々と疑問もでてきたでしょう。
遠慮なくどうぞ」
「ラヴェンナはともかく……作られて間もないウェネティアですら、商売が活発に行われています。
それだけでなく税収が多いですね。
ラヴェンナ卿の施策は、税率が低く種類も少ないのがご方針に見受けられます。
普通の領主は色々な名目で税をかけるでしょう。
ここではそれが全くありません。
確かに額自体はそこまでではありません。
ですけど……つくって間もないことを考えると驚異的な税収です。
重税を課さずに税収を上げる。
相反する課題をどうこなしているのでしょうか」
まあ気がつくか。
「かける税金が多いと、手間がかかります。
余りに種類が多くて、重税ともなれば、商人は脱税を試みるでしょう。
揚げ句にそれを取り締まるために、さらに人員を投入する必要に迫られます。
取り締まる人数が多いほど、賄賂などの買収で、脱税を見逃す不届き者がでてくるでしょう。
つまり脱税が横行します。
結果として減収になるわけですよ。
それを補おうと、さらに重税を課す。
そのしわ寄せは、商品価格に転嫁されますよね」
重税の末に待っているのは脱税だ。
そうなるとそれを取り締まる。
それを逃れるために新たな方法で脱税する。
イタチごっこだな。
転生前のイタリアが良い例だろう。
サッカーと並んで脱税が盛んな国だ。
「ええ。
仰ることは分かります。
ですが税を簡素にして、低く抑えることと、どんな関係があるのでしょうか」
そもそも税金が複雑なのがおかしい。
複雑になると適当な理由で税を新設するのもハードルが低い。
国民全てから徴収するものが、どうして国民が普通に理解できないような複雑な仕組みなのだ。
節税を専門にする職業まで現れる始末だ。
その力を他に有効に使えるのではないか?
還元していると言っても、制度が複雑すぎる。
複雑な制度には、だいたい抜け穴があって悪用するものだけが得をする。
近代国家では仕方ないだろうが、中世で税制を複雑にする理由を感じなかった。
余分に徴収しないから、細かい部分は自分たちでなんとかしろ。
教育水準の問題も考えると、ここが妥当なところだろう。
そのためにも、皆には考える力を伸ばしてもらう必要がある。
「商品が安くなれば、売買が活発になります。
そして税を低く簡素にすれば、脱税も難しくなります。
10を監視するのと、1を監視する手間の違いですよ。
脱税が発覚したら、出入り禁止と莫大な追加徴税をします。
単に払わなかった税を払えば良いでは済ませません。
つまり商人に、ささやかな脱税をしたメリットと発覚したときのリスクを計算させるのですよ」
損得がハッキリ分かれば最大の抑止力になる。
そもそも商人の数が役人よりずっと多いのだ。
複雑な税制で取り締まるのは無理がある。
そして運が悪い奴だけの脱税が発覚するのであればトライするものは後を絶たない。
「確かに売買は活発になりますね。
そして脱税は割に合わないと思わせるのですか。
重税でその罰則では反発するでしょうが、相当軽い税ですら逃れるなら、同情する人は少ないでしょうね。
商人たちからそっぽを向かれることも少ないでしょう。
ですが……それだけでは、税収の多さに見合うと思いませんけど」
過去にそんなことをして自滅した領主がいたらしいな。
「まず税が簡素なので、専門の知識をもった役人が必要ありません。
人数もそこまで多く必要にならないでしょう。
専門知識をもった役人なら引く手あまたです。
雇うにはかなり高い賃金が必要になりますからね。
これで支出は結構減らせます。
そして売買が多くなると、施設の利用が自然と増えますよね。
そこからも税収が得られます。
そしてそれだけ税が安いなら、人が人を呼ぶでしょう。
つまりは、広く浅くですよ」
いつの世も高いのは人件費だ。
その手の高い役人の年収は大体、金貨45枚が基本相場だ。
これを何人雇うのか。
教育自体、上流階級にしか行われないことも、要因の一つだが。
人が少なければ価値も上がる。
ラヴェンナ式はそんな既得権益を侵害するものだ。
だからこそ、積極的に広める気にならない。
「分かっていても、それをする勇気のある人は、なかなか現れないでしょうね。
それなら税金を重たくするか増やすでしょう。
雇われの身では下せない決断ですよ。
随分と思い切った手を打ちましたね」
アリーナの称賛混じりの視線に、俺は肩をすくめるしかなかった。
「そうせざる得なかったというのが正しいですね。
ラヴェンナは辺境です。
そこに商人を呼び込むなら、メリットが必要でしょう。
そしてその方法に我々は慣れてしまったのです。
それ以外の方法をとるリスクのほうが高いわけです。
まあ……そのように経済を活性化させると、買い手の購買意欲も高まるでしょう。
不安も貯蓄の動機の一つですからね。
治安が良く、物価が安い。
加えて税が安ければ、必然的に財布の紐は緩くなります。
その購買意欲が、売り手を呼ぶわけです」
「ラヴェンナ卿のお話は単純ですけど、とても理に適っていますね。
多くの方々は、とれるだけとると考えます。
いかに重たい税をかけつつ、経済を殺さないか。
それが統治能力を示す指針です。
パーティーなどでの自分の能力を自慢するときは、そんな話が多いですよ。
また役人の評価基準も税をどれだけとれたかです。
重たい税をかけつつ治安を安定させて、経済も殺さない。
その競い合いですね」
税収を上げた方が評価されるって、まるで日本の財務省みたいだな。
どこの世界でもそう考えるのか。
「相反する課題を追求して、成果を出すなら自慢しても良いと思いますよ。
一つの芸でしょうね。
偉そうに言いましたが、私は数値に強くないので、小難しい税金の積み重ねが分からなかっただけですよ」
それだけじゃないけどな。
それだけ芸を凝らした統治方法は、かなり緻密に考えているだろう。
つまり変事に弱い。
何か想定外の事件が起こると、総崩れになるってことだ。
余裕がない精密機械だ。
砂粒一つ混じっただけで動かなくなる。
無理に動かせば故障するだろう。
余力もなく立ち上がることにも、時間を要する。
変事が起こらないと思うほど、俺は楽観的になれないのだ。
この話はどこから漏れるか分からないので、あえて言わない。
今でさえ貴族間で、俺へのやっかみや恨みをもつ連中が結構いる。
連中は自分のやり方を否定されると、かえって意固地になって従来のやり方に固執するだろう。
さらに嫌われても気にはしないが、余分な敵を増やす気にもならないのだった。
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