537話 お菓子の魔力

 陳情が一段落した。

 キアラも、ようやく復活したようだ。

 エテルニタを笑顔で撫でている。


「これであとは、ロッシさんが戻ってきたら一段落ですわね」


「そうですね。

そのあとの騒動は、ニコデモ殿下の対処する話になりますからね」


 突然キアラは、笑顔から真顔になった。


「論功行賞で気になったのです。

肥沃な平地部分などは……さほど有能でない人たちに割り当てましたよね。

細切れにしてはいますが、実入りは良いですよね。

お兄さまが能力を評価されている人には、山側の僻地でしたわね。

領地としては広いですが、そこまで実入りの良い土地ではない気がします。

確かに羊の畜産などには適していると思いますけど」


「ええ、そうです」


「そのせいで、お兄さまに取り入ったら損をした……なんて噂が出回っています。

これだけ意図的に割り当てたのは、狙いがあるのですよね」


 これでおかしいと思わないヤツがいたら問題だろう。

 明確な意図を示してやっているのだ。


「そうですよ。

まずこれによって、この論功行賞は公平だと言われているでしょう。

実際にそんなことはないのですがね」


 功績はある程度必要だ。俺に嫌われているか……無能でもないが有能でもない。

 そんなヤツでも、褒美にありつける。

 そうなると、不思議と人は公平だと思う。


 厳密に公平に功績だけで、褒美を決めると不公平だと言われる世の真実。

 やれ血が通っていないだの……。

 その功績の測り方は正しいのかなどだ。


 馬鹿馬鹿しいが、配慮を怠るわけにはいかない。


「確かにそうですわね。

かつてないほど公平だ……なんて話ですわね。

実際はそうでもないのでしょうけど。

お陰で一部の人に、不平不満があっても同調する人は少ないですわね」


「次にさして能力のない人でも……統治が容易な土地なら、なんとかできるでしょう。

それでもダメなら、土地を持つ資格はありません」


 キアラは妙に納得したのか苦笑いだ。


「確かにそうですわね。

領主の無能は領民に影響しますものね」


「そしてもう一つ。

肥沃な土地とは、川が流れるからこそ肥沃でしょう。

例外はありますけどね」


 チェルノゼムのような施肥無しで、農業が行える土地は旧デステ領に存在しない。

 旧デステ領の農業事情を把握しているのは、理由がある。

 以前の飢饉のときに、本家が支援と引き換えに農地開発をさせていた。

 そこでの情報は、全て本家に納められていたからだ。

 どんな災いがメリットに転じるか、世の中分からないものだ。


「そうですわね。

そのかわりに干拓がいい加減ですと、干ばつの影響を大きく受けてしまいますわね」


「山側の領地ということはです。

川に支流などをつくって流れを変えると、下流の農業は大打撃を受けます。

もし不穏な気配があれば、それだけで締め上げることが可能ですから。

多用する手段ではありませんが、手札は多い方が良いです。

あくまで最終手段ですよ」


「そう言われると、川上を他人に制されているのは危険なのですね……」


 水資源を独占して、下流の国を恫喝する国もあった。

 世界中に知られれば、非難の的になって面倒なことになる。

 だがそんな国は、他国のメディアに札束の力で浸透していて、話題に上がることも少ない。

 揚げ句メディアのようなインテリ層は、そんな国に勝手な幻想を抱いて親近感を持つ。

 その国の嫌がる報道はしないのだ。

 かくして立派なプロパガンダ機関が世界中に作られる。

 ともかく……水源をそんな野心的な国にとられると大変なのだよ。


 共存と言う言葉は存在しない。

 支配されるか封じ込めるかしかない。

 野心的な国の共存や平和、法の支配の意味は、普通の民主国家のそれとは違う。

 自分の国が、他国を支配して搾取することが共存。

 どんなに横暴な行為をされても黙って受け入れるのが平和。

 その国が恣意的な判断をして悪用するのが法の支配。


 この世界でも、いずれはそんな国が出てくるのだろうか。

 世界主義が国を乗っ取ったら、そうなるだろうな。

 勘弁してほしいものだ。


「最後に討伐するときに、上流から下流に沿って攻めるのは早いのですよ。

そんな要因があって信用できる、有能な人を山沿いに割り当てました。

勿論全てではありませんが、ある程度理由は伝えてあります」


 キアラは俺の言葉にあきれ顔だ。


「口癖になりつつありますけど……。

あきれるほど色々、狙いがあるのですわね

反乱はある程度想定されていますの?」


 正直分からない。

 分からないからこそ、手を打っておく。

 それだけのことだ。


「それより、今後どうなるか分からないですからね。

何が起こっても対処できるように、手札は揃えておきたかっただけです。

先のことなど分かりませんからね」


                  ◆◇◆◇◆


 チャールズの帰還を待つ間、ウェネティアは平穏そのもの。

 そんなある日のことだ。

 アリーナの父であるオレステ・パリスが、俺を訪ねてきた。

 ブラッティ家の処置を、俺がチャールズに指示した。

 その件についてのお礼を述べにきたそうだ。

 どことなく、アリーナに似ているのは親子だからか。

 温和に見えるが、怜悧に見える。

 少なくとも無能ではないだろう。


「パリス卿。

ようこそお越しいただきました」


「こちらこそ大変ご多忙の中、お時間を割いていただき……感謝致します。

此度は私の不始末にもかかわらず、娘のためにご配慮いただき恐縮の限りです」


「あれは致し方ないでしょう。

それこそ上位の家からの婚姻を断るなど自殺行為です。

パリス卿が恥じる必要はありません」


「そう言っていただいて、大変有り難く思います。

お礼と言ってはささやかですが、これをお納めいただけないでしょうか」


 奇麗に梱包された箱。

 一目で菓子と分かる。

 勿論、チェックは済んでいて毒の類いはない。


 面白いのはオフェリーだ。

 昔の無表情に戻ったが、視線はその菓子箱に釘付け。

 無理に、視線を引き剥がそうとするが……何かの強制力に負けたのかまた釘付けになる。

 実は大好物なのだろうか。


 賄賂などは受け取らないが、感謝の印を断るのは得策ではない。

 それにささやかな贈り物まで受け取らないのは、あまりに失礼だろう。


「私は菓子類には詳しくないのですが……。

これは?」


 オレステは俺に一言断って、蓋を開けた。

 見たところパイ菓子のようだが。

 どことなく良い匂いがする。

 オフェリーが生唾を飲み込む音が、わずかに聞こえた。

 お菓子に魅入られたようだ。


「こ、これはダリオル……。

し、しかもパリスブランド……」


 オレステは穏やかにうなずいた。


「ご存じでしたか。

内乱の最中なので、大っぴらに生産できなくなってしまいました。

ですが可能な限り生産して、このような贈り物にさせていただいております。

完全に生産を止めてしまうと、復旧が大変になりますから」


 確かに内乱だと、お菓子作りなどとんでもないと言われる。

 それでも需要はあるのだろう。

 今は、細々と作っているといったところだな。

 オフェリーの食いつきっぷりから見て大好物なのだろうか。


「女性の方々に人気なのでしょうか」


「はい。

大変高い評価を頂いております。

これのお陰で、当家は交易の幅を広げることができております。

それで分不相応に裕福な暮らしをさせていただいておりました」


 過去形か。

 内乱で商会や交易主体で稼いでいる貴族は、ダメージを受けているからな。


「もうじき内乱も終結するでしょう。

立て直せそうですか?」


 オレステは小さく苦笑して、肩をすくめた。


「なんとか頑張ってみようとは思います。

しばらくはどこも大変でしょうが」


「何かあれば、力になりましょう。

パリス家に何かあると、オフェリーが悲しみそうですし」


 オフェリーは俺の言葉も聞こえないのか、お菓子を凝視している。

 どんだけ好きなんだ。

 俺は、オフェリーの肩をたたく。

 オフェリーは突然我に返って、顔を赤くした。


「す、すみません……」


「いえ。

それだけ好きなら持っていって皆で食べてください」


 オフェリーの生唾を飲み込む音が、ハッキリ聞こえた。


「い、いいのですか?」


「パリス卿。

オフェリーは外してもよろしいでしょうか。

余程これが好きなようですので。

私はあとで、余りを頂きますから」


 名目上は俺への贈り物だからな。

 俺が全く手をつけないと公言するのは、失礼に当たる。


「どうぞどうぞ。

これだけ夢中な方がいると、嬉しい限りです。

絶やすわけにも参りませんね」


 オフェリーは、パッと菓子箱を手に取る。

 一礼しながら後ずさる、器用な芸当を披露。

 扉までいくと、ものすごい勢いで部屋を出て行った。

 思わず笑ってしまう。


「そうですね。

平和になれば、菓子を楽しむ余裕もできるでしょう。

娘さんは無事にそちらに戻られましたか?」


 オレステは目を細めていたが、一転して暗い表情になる。


「はい。

気丈に振る舞ってはおりますが、やはりショックは隠せないようです。

なんとかしてやりたいのですが……」


 こればっかりは周囲が気を使うほど、かえって悪循環なところもある。

 難しい話だ。


「時間が解決してくれるでしょう。

私からも布告を出していますから、お嬢さんを悪く言う人はいないはずです」


「有り難うございます。

その件なのですが……。

ラヴェンナ卿に気に入られたと勘違いした方々が、娘に求婚してきました。

ラヴェンナ卿と知己になれると、下心が見え見えでして……」


 俺に取り入って、栄達を望むものが増えてしまった。

 気に入ったとか一切言っていないが、配慮がそう受け取られてしまったのか。


「参りましたね。

悪く言わなくても、そんな副作用がありますか。

肝心の娘さんのご意志は?」


「家のために役立てるなら、どこにでも嫁ぐと言っております。

そう言いましても……」


 確かに、家のために嫁ぐのは常識だなぁ。

 貴族が自由恋愛で、相手を決めては秩序の維持ができなくなる。

 ある意味、家の道具扱いとは社会秩序維持の手段でもあるのだが。


「パリス卿としては時間を与えたいと?」


「それだけではありません。

再婚したとしてラヴェンナ卿の知己を得られなかった場合が、問題になるのです。

また辛い目にあわせてしまいます。

かといってラヴェンナ卿に、特別のご配慮を頂くのも筋が通りません」


 俺の性格を、きっちり調べてきているのか。

 商売にたけている小貴族ならば、当然の技能かもしれないが。


「見えるべき点があれば配慮しますけどねぇ。

断るのも一苦労ですか」


「はい、お恥ずかしながら……。

そこで一つお願いがあるのです」


「何でしょうか?」


「娘の結婚相手を探していただけないでしょうか。

ラヴェンナ卿が選んでいると聞けば、このような求婚も無くなります。

何もしなかった場合、娘は私の苦労を見かねて……また変なところでも嫁いでしまいます」


 俺は結婚相談所か?

 とはいえ、権威を持ってしまったからなぁ。

 最初からこの話をするつもりだったのだろう。

 アリーナのことは、当然話題に出るからな。

 存外食えない人だ。

 ただの温和な常識人では、裕福にはなれない。

 そんなところか。


「分かりました。

見過ごすのも寝覚めが悪いですからね。

本人の希望を重視して考えましょうか。

彼女のような才女を埋もれさせたまま……腐らせるのは勿体ないですからね」


「有り難うございます。

厚かましいですが、もう一つお願いをしてもよろしいでしょうか」


 まだあるのか。

 とっぴなことを言って、俺の不興を買うこともしないだろうが。


「伺いましょう」


「ラヴェンナやウェネティアの発展に、娘が大変興味を持っております。

気が紛れると思いますので、使ってやっていただけ無いでしょうか。

ラヴェンナ卿は才能があれば、男女や生まれを問わずに登用されると伺いましたので」


 確かにな。

 女性を、公の役職につけているのはラヴェンナ位だ。

 確かに気は紛れるか。

 聡い女性のようだから、何か機会を与えれば才能を伸ばせるかもしれないな。


「分かりました。

お預かりしましょう」


 何度も礼を言って、オレステは帰って行った。


                  ◆◇◆◇◆


 執務室に戻ったが、お菓子は全て女性3人組のお腹の中に収納されていた。

 オフェリーが申し訳なさげに謝ってきたが、俺は笑って手を振った。


 俺は甘いものよりしょっぱいものが好きだ。

 特に食べたかったわけでもない。


 そこでアリーナが、こっちで働くことを説明した。

 加えて結婚相手を探すことを説明したが、なんの反対もなく受け入れられた。


 キアラには、何か考えがあるようだ。

 何か企んでいる顔をしているからな。


「お兄さま、結婚相談も多くなって来ましたわね」


 余計なお世話だ。

 まだ2件目だし、最初の話ですら全く動いていないぞ。


 オフェリーはアリーナがくれば、定期的にダリオルが送られてくるかもしれないという期待感だ。

 口には出さないが、目の輝きが雄弁に物語っている。


 カルメンは自分が、口を出す話じゃないといったスタンス。


 そのあとオフェリーに、この菓子の素晴らしさを延々と語られたときは、流石に閉口したが……。

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