536話 伯爵夫人の複雑な心境

 論功行賞の結果報告が送られてきた。

 ラヴェンナではとにかく文章に残すのが慣習になっている。

 今まで、なあなあで済ませていた連中には……かなり面倒くさかったらしい。

 だがチャールズの厳然たる態度に、否とは言えなかったと。

 後日の境目論争など起こさないためには、書類はとても重要なのだ。

 

 戦後処理に当たっているチャールズも、さすがに功績の売り込みに閉口したらしい。

 異議があるなら俺に訴えろと。

 全部俺にたらい回しをしたわけだ。

 

 デステ家は消滅して、領地没収。

 降伏した連中は助命するが、身分や土地まで保証するとは言っていない。

 既に、褒美が確定している土地は約半分。

 残り半分の行く末が問題なのだ。


 確かに困ったら頼れとは言ったが……。

 100人近くが押しかけてきたわけだ。

 現場指揮官の負担が減るなら良いだろう。


 と言っても面会のスケジュール調整だけで、もう大変。

 オフェリーは疲労困憊気味である。

 キアラも情報収集と精査でキリキリ舞いしている。


 夕食では2人とも疲れた顔で無言。

 夕食にはカルメンも同席しているが、そのあたりの手助けができるわけでもない。

 そんなカルメンの話し相手はもっぱら俺。

 普段の相手はキアラで、俺たちが合いの手を入れるくらいだがな。


 カルメンのポケットにはエテルニタ。

 子猫なので目が離せない。

 夕食前に餌を与えたが、人間の食べ物に興味津々。

 テーブルの上にのろうと、ミャアミャアと鳴きつつポケットからでようと悪戦苦闘している。

 子猫特有の甲高い鳴き声がまた可愛いのだ。

 俺には懐かないけど……。


 この前は、テーブルにのせたら焼いたタマネギを食べようとした。

 猫に食べさせては危険なものらしい。

 

 カルメンが大慌てで引き離したが……。

 それ以降、テーブルにのりたいエテルニタとのせたくないカルメンの戦いは続いている。

 床に降ろすと、誰かの足をよじ登ってテーブルにのろうとする。

 女性陣全員のスカートは長いからしがみつけるようだ。

 それならばと……ポケットに入れて監視するようにしたらしい。


 俺はその攻防をほほ笑ましく見ている。

 ケージは存在するが、転生前のような精巧なものを作る技術はまだない。

 無骨な携帯用牢屋のようなもので重たい。

 そもそもカルメンは、エテルニタをケージに入れたがらない。

 カルメンは、エテルニタと格闘しながらも俺に笑いかけた。


「アルフレードさま。

キアラたちがなんか大変みたいですね」


「ええ。

100匹の餌をねだるエテルニタなら可愛いのです。

大変ですけど心は荒みません」


 カルメンは俺の例えに吹き出した。


「目を血走らせた貴族たちですからね。

可愛いとはほど遠いですね。

しかも要求は過分でしょう」


「全くです。

彼らの要求をそのまま聞いていたら、ランゴバルド王国全土でも足りませんよ」


「そうですね。

一度与えられた領地は、簡単に没収されませんからね。

彼らも必死なのでしょう」


「この陳情も、もうじき終わります。

こちらが討伐の詳細を知っていることに驚いていましたからね」


「遠距離だから知らないと、高をくくったのですね」


「ええ。

討伐終了と同時に各参加者の戦功が送られてきましたからね。

キアラはその精査で、御覧の有様ですが」


 キアラは、死んだ魚のような目をしている。


「お兄さま。

人が足りませんわ。

猫の手を借りると、書類が散らばりますの……」


 エテルニタが書類を玩具と勘違いしたのか、匂いを嗅いでから……じゃれ始めたからな。


「一過性の出来事です。

場当たり的に人を増やしても仕方ないのですよね。

ですが今後の組織作りのアイデアはでたでしょう」


 どう増やすべきかを考えた上でなら、俺は許可を出す。

 闇雲に増やしても、かえって混乱を招くだけ。

 新入りには教育が必要。

 教育しながら激務? 無理だろ。

 なので今後の組織作りも考えるように言ったとき、キアラの顔から表情が消えてしまった。


「大まかに構想は書きましたわ。

落ち着いたら精査しないといけませんけど……。

未来は忘れて……今は何も考えずに寝たい気分ですわ」


 力なく項垂れたキアラを見て、カルメンは苦笑した。


「昨日は湯船で、半分寝ていたわね。

危ないから1人で入らないほうがいいわ」


 女性陣は、そろって入っているからな。

 俺自身は混浴する気になれない。

 数少ない1人になれる時間を削りたくないのだ。


 キアラが恨めしそうな顔になる。


「そんなこと言わずに助けてよぉ」


「無理。

私は人を使うの苦手だから。

キアラ知ってるでしょ。

お茶くみ程度よ。

力になれるのは」


 随分フランクな話し方だな。

 それだけ、仲が良いのだろう。


 キアラはフォークを手に、天に祈りを捧げるポーズをとった。


「こんなとき、お姉さまがいれば……」


 ミルとキアラは仕事の息が合っていて、うまく補い合っていたな。

 オフェリーは無表情のままだが、虚無感を漂わせながらうなずく。

 

「ミルヴァさまはとっても、頼りになりますからね。

そう思えばラヴェンナが懐かしいです。

アルさまとの時間は減ってしまいますけど……」


 何時ラヴェンナに帰るか……といった話になってきている。

 終わりが見えてきたからこその軽口だな。


「戦後処理を済ませる。

ユボーの件を片付ける。

ニコデモ殿下の戴冠を見届ける。

ラヴェンナの地位を確定させる。

そこまでやったら戻ります。

その前に、2人は戻っても良いですよ」


「アルさまは?」


「私が途中で帰ったらまずいでしょう。

それこそ戴冠式まではいないと、不要な面倒ことがでてきます」


 オフェリーは、小さく首を振った。


「帰るときは一緒です。

そうでないと……。

出迎えのときに私たちだけだったときのミルヴァさまを想像しただけで……」


 なにかを想像したのか、オフェリーは身震いした。

 俺にとってミルに怖いイメージはないのだがね……。

 女性陣の間で何かパワーバランスでもあるのか。

 正妻として尊重はしてもらっているが、上下関係はないと思うのだが……。


                  ◆◇◆◇◆


 陳情にこられても、領地が増えるわけではない。

 チャールズが、俺の方針に従って決めたことをひっくり返す気はない。

 来た連中は俺の言葉に力なく帰っていく。

 ひっくり返すだけの根拠を誰も持ち合わせていないからだ。


 そんな中、俺は予想外の人物と面談していた。

 アリーナ・パリス・ブラッティ伯爵夫人。


 と言っても17歳。

 ブラッティ家に16で嫁いだ。

 内乱直前だな。

 長い銀髪に、ダークグリーンの瞳。

 深窓の令嬢っぽいが、どことなく活発そうな雰囲気の女性。

 物語の主人公にでもなれそうなタイプだな。

 面会前に情報は受け取っている。


 小貴族のパリス家から、ブラッティ家に嫁いだ。

 パリス家は小貴族ながら、商才があるらしく裕福な家。

 ブラッティ家は経済感覚に乏しくて、持参金目当ての結婚をしたと。

 伯爵であるウルバーノ・ブラッティは20代そこそこ。

 16のときに父親を亡くして、当主になっている。


 結婚は、形ばかりで家庭内別居のような状態らしい。

 結婚前から愛人を囲っていた。

 しかも同じ屋敷に住まわせている。

 アリーナへの扱いは形ばかりすら満たしていない。

 パリス家が抗議しても、ブラッティ家は馬耳東風。


 キアラもオフェリーも忙しく、俺個人での応対になる。

 アリーナの後ろには、付き人が控えている。

 俺の護衛も控えているが、女性と2人きりで会う気はないから丁度良かった。


「ブラッティ伯爵夫人。

私になにか訴え出たいことがあると聞きましたが」


「大変ご多忙の中、お目通りをお許しいただき感謝致します。

用件はブラッティ家のことです」


 離婚の世話はしないぞ。

 アリーナは表向きは平然としているが、どことなく緊張しているようだ。


「基本的に他家の内情までは干渉できませんよ」


 俺の言葉に、アリーナが生唾を飲み込む音が聞こえた。

 まるで、俺が虐めているようではないか。


「それは存じております。

ですがブラッティ家は貴族の責務を果たさずに、家宰が税金を横領しています。

当主である夫は……家宰の言葉を信じて、事実に気がついていません。

結果として、予算がないために橋や道路は荒れ放題。

橋の崩落事故まで発生しました」


 ありがちな話だろう。

 確か家宰は、愛人の父親だったな。

 だが俺は、警察でも裁判官でもない。

 干渉は可能だ。

 だが……一度干渉するとこのケースだけでは済まない。

 俺が政争の道具にされてしまうからだ。


 処分を決定する力は、アリーナにも実家にもない。

 本来は王家が処分を決定する。

 今回の討伐戦でデステ領と、傘下の貴族たちへの処遇は俺に一任されている。

 だから俺に訴え出たのだろう。

 だが……それだけでは介入するには弱い。

 当主に、家宰への処置を勧告するのが限度だろう。

 いきなり当主をすっ飛ばして、介入は性急すぎる。

 他の連中が不信感と警戒感を募らせて、対応に苦慮することになるからだ。


「私から当主への勧告を望むのですか?」


 アリーナの顔が少しこわばる。


「それだけでは済まない話だったのです。

その家宰が、シケリア王国の内偵のような役割をしていますから」


 こいつは話をちゃんと聞かないといけないな。


「詳しく話を伺いましょうか」


 アリーナの説明は論理的で才女なのだと実感させられた。


 家宰は賭博にハマって、借金がかさんだ。

 ありきたりのパターンで、家の金に手を出したと。

 アリーナが嫁いでからも、それは変わらなかった。

 不審に思ったアリーナが調査しようとしたところ、使い込んだ金を立て替えてくれる商人が接触してきたようだ。

 その商人が、シケリア王国の金貸し。

 そのあとで金貸しが借金の利子代わりに、情報を求めたらしい。

 ブラッティ家はシケリア王国と隣接している。

 領地の細かい情報をだ。


 それだけでも危険だが……。

 さらに見過ごせない話までついてきた。

 ブラッティ家は今回の討伐に従軍している。

 こちらの軍の詳しい情報などを売れば、借金をチャラにすると言われたそうだ。

 完全なスパイ行為だな。

 一通りの話を聞いて、俺は頭をかいてしまった。


「よくそこまで調べましたね」


「実家の執事などにも助けてもらって、家宰を拘禁しました。

黙っていると家族まで罪が問われる……と言ったら全て白状しました。

念のため、夫も軟禁しています。

無罪放免だとラヴェンナ卿に咎められると言ったら、家中のものたちが協力してくれました。

ですが処分を決定するには、私では地位権力が不足しています。

そこでラヴェンナ卿のお力に頼るほかないと思った次第です」


 これは取りつぶし確定だな。

 予想以上に統治体制が脆弱だ。

 これも1000年の平和の弊害か……。


「分かりました。

確かにこれは、私が対処する案件ですね。

私に任せてもらっても?」


 アリーナは、肩の力が抜けたようだ。

 安堵して俺に頭を下げた。


「はい。

よろしくお願い致します。

お伺いしたいのですが……夫は、どうなるでしょうか?」


「領地没収は避けられませんね。

監督不行き届きにも限度があります。

そうなると、離縁ということになりますかね。

伯爵夫人が不利益を受けないように、こちらも配慮します。

もし望むのであれば、伯爵夫人を領主にしても良いですが」


 ここで物語なら『私がやります』と言うところだ。

 アリーナは意外にも悲しそうに、目を伏せた。


「有り難うございます。

ですが夫を追い出して領主になったと思われては不本意です。

過分なご配慮は有り難いのですが、離縁だけでお願いします。

不思議ですけどね。

あれだけ腹を立てていた夫ですが、今になって思えば少し哀れに思えてきます。

そこまで悪人ではありませんし。

ただ……愛人とその家族に、気を使いすぎただけですから」


 確かに家中の反感は集中するか。

 パリス家から、人を呼んでも乗っ取りと思われる。

 家中からの敵意は避けられない。

 家中の掌握まではできていないということだな。


 しっかし……女に溺れて破滅か。

 その愛人に、悪意がなくてもだめなのだ。

 領主が愛人を喜ばせるために、失策を犯したならそれは罪になる。

 楊貴妃に夢中になった玄宗のようにな。

 楊貴妃自身は、ただ寵愛を望んだだけ。

 でも、親族が欲を出す。

 そして国ですら、破滅に向かう。

 

 それにしても意外だな。

 夫への情などないと思うが。

 本心から悲しんでいるように見える。


「離縁したくないのですか?」


「どうでしょう。

私にも分からないのです。

形ばかりでも妻として支えられなかったことに、罪悪感があるのかもしれません」


「どんなに支える側が、立派でも支えられる側が崩れていたら支えられません。

慰めにもなりませんが……伯爵夫人が、罪悪感を覚える必要はありませんよ」


「有り難うございます。

それでも残された民のことが不安なのです。

今でもブラッティ家は、お金がありません。

やるべきことも、最低限しかできていませんから」


「そこは私が責任を持って、人を選びます。

シケリア王国と接する領地ですからね。

人選は慎重になります」


 アリーナは複雑な表情でほほ笑むと、後ろに控えていた付き人に振り返る。

 付き人が書類の束を取り出して、アリーナに手渡す。

 それを、俺に差し出してきた。


「これが証拠の書類です。

お納めください」


「分かりました。

それで伯爵夫人の働きには、なにを以て報いればよろしいでしょうか?」


「夫の死一等を減じていただきますでしょうか。

生きていればやり直すこともできるでしょう」


 人のことは言えないが甘いな。

 だが本人たっての希望なら受け入れよう。

 元々、処刑までは考えていなかったしな。

 自分の言葉で処罰が軽くなったと思えば、彼女の罪悪感も薄れるだろう。

 本来彼女になんの罪もないのだが……。

 ここは、願いを聞いた形にしよう。


「分かりました。

伯爵夫人の願いであれば、聞かないわけにはいきませんね。

庶民に落としても野垂れ死ぬだけでしょうし……。

領地のない宮廷貴族としてやり直してもらいましょう。

かなり厳しい道のりではありますがね。

ただ、家宰は見逃せません」


「ラヴェンナ卿のご温情に、感謝の言葉もありません。

家宰に関しては当然でしょうね」


 内乱が終わり始めて、色々とでてくる問題も多くなってきた。

 その金貸しも調べないといけないな。

 類似のケースも結構あるような気がする。


 この件はアリーナが、自分で乗り越えてくれると良いだろう。

 これだけの才女で優しい人柄だ。

 きっと、良縁もあるさ。

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