527話 威嚇

 執務室にキアラがエテルニタを、たまに連れてくる。

 基本はカルメンの部屋にいるのだが、危険な毒を研究するときは執務室に避難させているらしい。


 俺とキアラの机はつながっている。

 エテルニタの定位置は、キアラの机の上に置いた座布団の上。

 普段は丸まって、おなかがすくと鳴く。

 あとは撫でてほしいと、キアラの前に歩いていって鳴く。


 オフェリーに撫でてほしいときは、オフェリーを向いて鳴く。

 オフェリーは頰を緩ませて、いそいそと撫でにいく。

 なんともほほ笑ましい。


 オフェリーは犬や猫が大好きだが、昔はなぜか逃げられていたらしい。

 念願かない子猫がさわれて感極まったと。

 それって昔の無表情が、犬猫には怖かったからではないのだろうか。

 あえて指摘する必要もないが


 それだけだと飽きたのか、それとも好奇心故か……。

 エテルニタは俺の近くに、トコトコと歩いてくる。

 撫でてほしいのかと思い、手を伸ばすと……。


「シャー!」


 威嚇された。

 子猫の威嚇だから可愛いけどね。

 そしてエテルニタは頭を下げて、後退る。

 嫌がっているなら止めておこう。

 俺が手を引っ込めると、じっとこっちを見てまた寄ってくる。

 手を伸ばすと……。


「シャー!」


 猫の考えは、よう分からん。

 キアラには、ただ笑われる始末だ。

 仕方ないので放置する。

 すると……なぜか俺の目の前にまでトコトコとやって、こっちをガン見する。

 手を出すと……。


「シャー!」


 お前は、なにが望みなのだ。

 やっぱり、猫の考えはよう分からん。

 仕方がないので、無視をして仕事をする。

 俺の周りをウロウロして、俺と目が合うと……。


「シャー!」


 俺を威嚇して、キアラのところに逃げていく。

 俺にどうしろというのだ。


 子猫相手に怒る気にもなれず、無視もさせてくれない。

 もしかして遊ばれているのか?


 やがて俺にちょっかいを出すのに飽きたのか、指定席でキアラに甘え始めた。


 女性陣には撫でられると、目を細める。

 俺は嫌われているのか。

 オスなのだろうか。

 キアラいわくメスらしいけど。

 まあ……いいけどさ。


 どうも俺は、猫と相性が悪いらしい。


                  ◆◇◆◇◆


 子猫には手を焼くが、人間相手は順調だ。

 デステ家討伐は要塞に立てこもる敵を包囲して、降伏に追い込む作戦をとっている。

 そして降伏の代わりに武装解除させて、別の要塞に逃がす作戦。

 兵糧にダメージを与える手段をとっているらしい。


 あわせて野盗への投降を呼びかけている。

 それに応じる者も増えてきた。

 約束通り、荒れ果てた農地を与えて整備開墾させている。

 つまり農民として再出発させるつもりだ。

 農民が性に合わない者は、土木建築の手伝いをさせている。

 どちらも食うに困らない職業だからな。


 ただ与える土地は、今まで荒らしていた場所とは離してある。

 略奪された恨みを持っているであろう……住民への政治的配慮。

 麦の種と一緒に、争いの種を蒔くのは愚策だろう。


 さすがに、デステ家の重要人物の連行はできなかった。

 最初から期待していないが、重要人物の神経をすり減らす役には立ったろう。


 総数が8000弱で始めた討伐軍も、今や2万程度まで膨れ上がっていた。

 その程度までなら考慮してあるので、潤沢とはいかないが兵糧の不安はない。

 ウェネティアの開発に伴い、周囲の農地もかなり開拓している。


 5-6月まで持たせれば小麦の収穫期となり、一息つける。

 力押しでもなんとかなるが、そこは無理をしない。


 決戦を求める貴族たちもいる。

 だがチャールズとベルナルドは、頑として首を縦に振らない。

 チャールズは決戦を迫る貴族が余りにしつこいので、俺にお伺いを立ててきた。

 当然、俺は『決戦の必要はない』と返答する。

 さすがに、俺の判断に異を唱える貴族たちはいなかった。


 決戦は不利な側が、状況を挽回するときにするものだ。

 有利な側は、わざわざ一発勝負にかける必要などない。


 実行はチャールズに一任しており、細々とした報告は不要なのがラヴェンナ式。

 マファルダ・アイマーロ・デステが立てこもるヴァード・リーグレを包囲する段階になったら、知らせがやってくる。


 そんな中、カラファ家の海上封鎖を指揮しているタルクウィニオ・テレジオから、俺に書状が送られてきた。

 カラファ家が降伏の意向を示してきたと。


 これを、俺がどう判断するのか。

 どんな条件を突きつけるのか。

 興味があるのだろう。

 キアラとオフェリーは、興味津々といった顔。


「キアラ、ミルたちに降伏受諾の条件を決めてもらってください。

今後も踏まえて、どう対応するかですね」


「お兄さまが決められないのですか?」


「市民殺害を発端にした話ですからね。

ミルたちにラヴェンナとしての対応を決めてもらったのです。

そこからこの話が始まりました。

なればこそです。

終わり方も決める権利があるでしょう」


 事件としての幕引きだな。

 全てがなかったことにならないが、一つの区切りは必要だろう。


「分かりましたわ。

デステ家とマントノン傭兵団の話は、これでほぼ終わりに向かいますね」


「向かってはいますが終わってはいませんね。

デステ家を完全に打倒して、秩序を構築。

そこまでいって、初めて一つの終わりです。

傭兵団も全て討ち取ったわけではないでしょう。

もしその残党に危険な人物がいたら、事態はさらに厄介になりますよ」


「危険ですか?

そこはちょっと疑問です。

危険だとしてもウジェーヌ・マントノンを媒介して危険になったのですよね。

個人で危険になれるなら、とっくに頭角を現していると思います」


 それは、確かに正しい見方の一つではある。

 でも一つ視点が抜けている。


「今でならそうでしょうね。

ですが当初は、混迷が始まった時期でもあります。

今とはちょっと、環境が違うのですよ。

今なら血筋や家柄より、実力がより重視されるでしょう。

ですが、秩序の崩壊直後は違います。

人は必死に従来の秩序にすがるものです。

だってどうして良いか分からないのですからね。

それが無駄だと悟ってから、ようやく新たな道を探し始めます。」


 キアラは大げさに天を仰いだ。


「ああ……そうですわね。

まだまだお兄さま学が未熟ですわ……」


「別に恥じることはないでしょう。

人は今の状態から、過去を見るものですからね」


 ほんの1年程度の過去ですら、現状をそのまま当てはめて考えてしまう。

 いや、たった1年だからか。

 100年以上なら違う背景と考えるだろう。

 実際は年数ではなく、変化で捕らえるべきなのだがね。

 なにせ1000年間社会が固定されていたのだから。


 だがものすごい勢いで旧来の秩序は崩壊した。

 そして新しい秩序ができあがりつつある。

 俺が良い例だよ。


 1年前は貴族階級での俺の評判は、スカラ家の鬼子扱い。

 今やランゴバルド王国内で、一番影響力がある存在になってしまった。

 なにせ兄さんたちの縁談話をパパンでなく……俺に持ってくる連中が現れ始めたくらいだ。

 俺は本家の当主じゃねぇ。


「今だからこそ……仮に危険な人がいたとしたら、力を持てるとお思いですのね」


「ええ。

それとマントノン傭兵団のように、表にいる組織なら動向を探れます。

騒乱の陰に隠れられては、ノイズが大きすぎて動きがつかめないのです。

可能であれば……力をつける前に捕捉して始末したいところですね」


 マントノン傭兵団が大きくなったのは、ウジェーヌ個人の力でないことはハッキリしている。

 つまり、立役者がいたはずだ。

 処刑の際にウジェーヌが、助けを求めた人の名前。


 ボドワン。


 今は、それだけしか分からない。

 この件については、モデストに任せてある。

 少なくともマントノン傭兵団では、知られた存在だろう。


 こいつが超危険な人物に思えて他ならない。

 そして襲撃に参加していないだろう。

 していたなら死んでいる。

 処刑寸前に名を叫ばないだろう。


 きっと世界主義と関係があるのだろうな。

 妙に、気になる存在ではあった。

 ただ危険な気がしたので、モデストには無理をしないように念押しだけした。


 本当に、敵には事欠かない。

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