521話 閑話 赤から青、そして赤

 次にヴァスコの目が覚めたのは、猛烈な喉の渇きに気がついたときだ。

 顔を上げると、モデストが静かにヴァスコを見下ろしていた。

 モデストはヴァスコの乾きを見透かしたように、水を満たしたお椀を差し出す。


 ヴァスコは震える手で、お椀を受け取る。

 そして迷うことなく口にした。


 毒が入っていても構わない。

 それならこの苦しみから逃げられる。


 ヴァスコの人生で、水がこれほど美味いと感じたのは初めてだった。

 大きく息を吐き出すと同時に……また飲みたくなった。


 そして生きたいという欲求も、水が染みこむようにヴァスコの心に染みこんでいった。

 ヴァスコはうつろな目で、モデストを見上げた。


「夢を見ていました……」


「どんな夢でしょうか?」


「過去の記憶でもあります。

忌まわしき陰謀の夢です……」


 モデストは穏やかに目を細めた。


「詳しくお伺いしましょう」


                  ◆◇◆◇◆


 翌日ニコデモ王子は、貴族たちを謁見の場に集めた。

 ニコデモを支持している貴族全員である。

 そして全員の注目は、ひざまずいているヴァスコに注がれている。


 ここ数日で、何があったのか分からない。

 そこには気弱だった貴族の表情はない。

 幽鬼のような虚ろさにつつまれていた。

 

 ニコデモの記憶に、ヴァスコの顔はない。

 弱小貴族の顔など、いちいち覚えていられないからだ。

 

「アモローソ卿。

告白したいことがあると聞いた。

私を支持してくれる全員に聞かせるに値する話であるとな。

そうであるとシャロン卿から聞いている。

シャロン卿、違いないか?」


 モデストの名前を聞いた貴族たちの顔がひきつる。

 モデストは参列者の末席に控えている。

 モデストは、恭しく一礼した。


「仰せの通りにございます」


 この名前の効果は抜群。

 貴族たちは蛇に睨まれたカエルとなる。

 以前はモデストを下賤な蜘蛛と蔑んでいた貴族たちも、モデストの立場が変わったこと知っている。


 背後にいる人物を意識せざる得ない。

 その人物が魔王などと呼ばれていたことを、貴族たちはあざ笑っていた。

 子供の魔王なら可愛いものだと。


 ところが6000の傭兵を、一夜にして殲滅した。

 もはや、冗談のネタにする貴族たちはいない。

 名前すら呼ぶことすら憚られる始末だ。


「ではアモローソ卿。

申すがよい」


 ヴァスコは、深々と一礼した。

 だが頭をあげなかった。


「恐れ多くも殿下。

殿下のご友人であるラヴェンナ卿が襲撃を受けました。

ご存じの通り、これは仕組まれた陰謀にございます」


 ニコデモは大袈裟に、首を振った。


「我が友人であり師父に剣を向けるなど、私に剣を向けると同罪。

それを知らぬわけでもあるまいな。

陰謀などと軽々しく、口にできる話ではない」


「はい。

それだけに留まりません。

後ろ盾を失った殿下を弑逆して、自らが至尊の地位を手にする陰謀にございます」


 参列者からせせら笑う声がした。


『小心者め、ついに気が触れたか』


 そんなざわめきを鎮めるかのようにニコデモは、芝居がかった仕草で手を振った。


「それは随分大それた陰謀だな。

卿は失敗したから、それを告げる気になったのかね?」


「いいえ。

そのような世迷い言は、悪質な冗談だと思い……本気にしませんでした。

ですが襲撃があった以上、殿下にはお伝えすべきと思った次第であります」


 ニコデモは苦笑しつつ、椅子に深くもたれかかる。


「知りつつも伏せているのは……加担したも同然だ。

だが、真っ先にこれを告発することは殊勝である。

よって卿の罪は問わぬ。

安心してその者たちの名を言うがよい。

卿の身と地位の安全は、私が保証しよう」


「マファルダ・アイマーロ・デステが首謀者であります。

彼女だけではございません。

大がかりな陰謀ですので、当然共謀者がおります」


 参列者から、嘲笑があがる。


『突然何を言い出すのだ』


『血迷ったのか……?』


 ニコデモは参列者を一瞥すると、皆黙り込んだ。

 そして大袈裟に額に手を当てた。


「ああ……。

恐れていたことが、現実となったのか。

私に臣従しているデステ家が、傭兵とつながっている。

信じたくはなかったのだが……。

そうなると多くの者を疑うことになってしまう」


「共謀者たちは臆面もなく、殿下のお側にはべっております。

今回は失敗しました。

また次の機会を窺うでしょう」


 参列者が顔を真っ赤にして騒ぎだす。

 自分に飛び火する可能性を悟ったからだ。


『馬鹿な!』


『何を根拠に!』


 ニコデモは手をあげると、一同は再び黙った。


「卿がそこまで言うのだ。

全員の名を言うことができるのであろうな。

でなければ共謀者たちは、私の側で命を狙い続けることになる。

中途半端な告発は、蛇を藪に逃がすだけになるぞ」


「はい。

存じております。

シャロン卿の助けを得て、裏切り者全員の名前を探り当てることができました」


 モデストの名前の効果は絶大であった。

 参列者たちの顔が一気に蒼白になっていく。

 参列者という花畑の色が赤から青に変っていく景色に、ニコデモは笑いたくなってしまった。

 笑いを堪えて震える様子は、参列者からは怒りのため震えていると思われたようだ。

 ヴァスコは、しばしの沈黙のあと唾を飲み込んだ。


「アドルフォ・スキーラ卿」


 名前を呼ばれた男が、参列者から出てきた。

 目が血走っており、今にも殴りかからんばかりだ。

 顔色が赤から青、そして赤へとめまぐるしく変わっていた。


「おい、でたらめを言うな!

貴様以外に、裏切りの罪を問われるのはスカンツィオ卿であろう!」


 名指しされた男が立ち上がった。

 彼も赤の仲間入りを果たしていた。


「馬鹿な! そんな裏切りを企むのはペドリーニ卿であろう!」


 ヴァスコは、下を向いたまま肩を震わせている。


「ライモンド・スカンツィオ卿!」


 ペドリーニと呼ばれた男が立ち上がる。


「は、恥知らずめが! そんな臆面もないのは、卿とカッサマニャーギ卿くらいであろう」


 ヴァスコは周囲の喧噪を無視するかのように、拳を握りしめている。


「サラディーノ・ペドリーニ卿!

ジャコッベ・カッサマニャーギ卿!」


 名前を呼ばれた貴族たちは激高している。

 ヴァスコにつかみかからんとするも、衛兵に制止された。

 ニコデモは無表情のまま手をあげる。


「呼ばれた者を収監せよ。

処分は追って沙汰する」


 ヴァスコは、さらに十数名の名前を呼び上げる。

 全てデステ家与党か、裏でつながっていた者たち。

 全員が衛兵に連行されていった。


 貴族たちは青い顔をしたまま立ち尽くしている。

 赤い花は全て摘まれてしまった。

 ニコデモは、全員を見渡す。


「彼らは私の信頼を裏切って、王の権威に泥を塗った。

これから内乱を収拾せんとするときにだ。

彼らと一族全ては、財産没収の上……追放刑とする。

追放先で余生をわびしく過ごすがよい。

ランゴバルド王国に立ち入ったら、命はないと思え。

我が友は、寛大な措置を願うであろう。

だが……このような大逆を放置しては、私の権威が失われてしまう。

アモローソ卿。

他にはおらぬな?」


「はい……」


 返事をすると同時に、床に崩れ落ちて嗚咽し始めた。


「アモローソ卿。

大義であった。

下がって休むがよい」


 衛兵に支えられてヴァスコは、別室に連れて行かれた。

 ニコデモは一同を見渡したのち、芝居じみた仕草で立ち上がった。


「マファルダ・アイマーロ・デステは首謀者である。

追放では済まぬ。

卿らも異存はあるまいな」


 一同は深々と頭を下げる。

 ニコデモは満足気にうなずいた。


「では正式にマファルダ・アイマーロ・デステを、賊の首魁として討伐を行う。

こうなれば討伐はラヴェンナ卿に一任する。

卿らの働きも期待しているぞ。

くれぐれも……私の期待を裏切ることがないようにな」


                  ◆◇◆◇◆


 ニコデモは自室に戻ると大爆笑した。

 ひとしきり笑うと、後ろに控えていたモデストに振り返る。


「これでよかったのかね。

追放刑になっては、彼らは生きていけまい。

流罪は死刑と同義だからな。

心配なのは……残った連中が、疑心暗鬼に駆られないかだが」


 共謀者を死刑にしては、首謀者を処刑するにしても差が目立たない。

 あくまで、首謀者の処刑が一番重たい罪となる。

 そこから下された、形式的な量刑。

 追放刑が使われるのは、表だって王家が手を下しにくい相手が主だ。

 もしくは刑罰に差をつけたいが……実質同罪にしたい場合。


 追放者は、王権の庇護を受けられない。

 つまり彼らを殺しても、誰も罪には問われない。

 量刑についてはアルフレードから示唆がなかったので、ニコデモが頭をひねった末の回答であった。

 試験官に監督されている。

 そんな錯覚に陥りそうになっていた。


「ラヴェンナ卿が仰っていました。

冷酷や残酷な行為はやる必要があるなら、一度にかぎり素早くやるべきだと。

以降、むやみに処罰しなければ問題ないかと」


「迷って小出しに処罰をしては危険と言うことか」


「左様にございます」


「まあ……デステ夫人も、我が友を怒らせたのが運の尽きだな」


「お言葉ですが殿下。

デステ夫人の後悔は、これからが本番であろうと拝察致します」


 怒らせると、世界一怖い試験官の模範解答が見られるわけだ。

 ニコデモはモデストの穏やかな表情に思わず身震いをする。


「怖い怖い。

ラヴェンナ卿は知れば知るほど怖くなる。

そういえば、私の弑逆まで本当に陰謀があったのかね? そこまで考えて行動するとは思えないのだが」


「殿下、弑逆まで考えていなかったときの処罰はいかばかりに?」


 ニコデモの顔が小さくひきつった。

 つまり、そう言うことかと。

 悪魔の思考を垣間見てしまった。


「ま、まあ……。

夫人は処刑だが、共謀者は庶民に落とす程度かな。

家の取り潰しまではいかない。

つまり、まとめて始末したいから言わせたのか……」


 モデストの発案でないことは知っている。

 この男は自分で勝手に動くことは決してない。

 つまり、アルフレードに言い含められていたということだ。


「大した話ではございませぬ。

もののついで……とでも申しましょうか。

ラヴェンナ卿が仰っていました。

『強固な慣習が染みついた者は、場当たり的な思考に支配される。

そして元の状態に戻ろうと、場当たり的に必死になる』

つまり、生かしておいても危険要因にしかならないとのお考えです」


「確かにそうだがね。

庶民に落としても、その家は残るからな。

私を恨んで、弑逆も企みかねないな。

そんな連中はじつに利用しやすい。

そんな危険な存在はまとめて処分しようと。

怒りにまかせてなら分かるが、冷静にこれをやるとは。

おおよそ悪魔の所業だな」


「殿下。

悪魔ほど契約に誠実な存在はおりません。

ラヴェンナ卿は法と公正を重んじ、寛大なるお人柄です。

ですが……その枠から外れた者はこうなる次第です。

楽園の外は地獄です」


 ニコデモは大袈裟にため息をついて天を仰いだ。


「人間そんな簡単に割り切れないさ。

あれで女性から好かれているのも不思議だな。

怖くないのかね」


「どうでしょうか。

ラヴェンナ卿に好意を抱く女性は、なんらかの陰がある方ばかりでしょう。

人生に満足していたり、毎日を楽しく過ごすようなご婦人にはどうでしょう。

あまり人気がないと思いますな」


 モデストの意外にもまともな返事に、ニコデモはつい苦笑してしまった。


「ふむ。

つまり面倒くさいタイプの女性にばかり好かれるのか。

それはそれで難儀なものだな」


「苦みを味わえる人に……好かれる味とでも言いましょうか。

普通の人には鬱陶しがられるような女性には……好かれるでしょう。

甘い味が好みの方には敬遠されますな」


 料理を評論するかのようなモデストに、ニコデモは笑いだしてしまった。


 確かに、アルフレードの正妻のミルヴァだったか。

 とても常識的で温和に見えたが、愛が重たいタイプらしい。


 離れない妹も、ちょっと危険で触れたくないタイプ。


 側室の前教皇の姪御も、何を考えているのか分からない。

 私的な空間で一緒にいると疲れるタイプだな。


「私的な空間まで重たい愛情を持ち込まれてもなぁ。

私なら疲れてしまうな。

シャロン卿は、ラヴェンナ卿が怖くないのかね?」


「そうですな、退屈の次に怖いとでも申し上げましょうか。

怖いと申しましても……。

ハッキリと逆鱗が見えている方です。

そこさえ避ければ、何も恐れることはありません」

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