520話 閑話 優しい偽りの言葉

 モデスト・シャロンはカメリアに到着後、紹介状片手にニコデモ王子への面会を求める。

 アルフレードからの紹介状とあれば、フリーパスの効果がある。


 初対面となるニコデモは、モデストを興味深そうに眺めた。

 紹介状という特殊なケース。

 人払いされており、取次もいない。


「卿が噂のシャロン卿か。

で、我が友であり師父の紹介状を持ってきた。

なにを始める気なのかね?」


「殿下には余興にはなりますが、茶番劇を御覧いただきたく存じます」


「ほう。

それで私は、ただ座って見ていればよいのかね?」


「殿下には、観客を集めていただきとうございます。

そうですな……デステ家の与党などが勢ぞろいするのがよろしいかと」


 しばし考えてから、ニコデモは肩を震わせて笑いだす。

 アルフレードの仕込みは、自分が狙われてない限り愉快なものだからだ。

 それが周囲の共通認識。

 本来なら恐怖の対象でしかないが、アルフレードは標的を理由なく定めない。

 普通に接していれば大丈夫。

 問題があっても、最初に警告が飛んでくる。

 それでも話が通じないときは、遠慮呵責なく潰される。

 狙われたと知ったときは手遅れ。

 為す術などない。


 平和なときであれば敬遠できるが、今は乱世。

 そんな危険な人物とは、仲良くなるのが得策というものだ。


 ウェネティアの襲撃と撃退は既に伝えられていた。

 6000の傭兵が一夜にして屍となったこともだ。

 この噂は瞬時に広まった。

 その傭兵とデステ家は手を結んでいる……そんな噂は絶えない。

 証拠はないが、暗黙の事実ともされていた。

 あえてそれに触れる者もいなかったからだ。


 当然その胸中の心情は十人十色であったが。

 恐怖と安堵の割合は、人それぞれであることは言うまでもない。


「それは楽しみだな。

よかろう。

その茶番劇は、いつ頃上演するのかね?」


「3日ほど後でしょう」


「早いな。

まあ、観客はこのあたりをうろついておるからな。

卿はこれから仕込みかね」


「御意にございます。

少々演技指導をする必要がありますゆえ。

その間にデステ家の者がなにかを訴え出ても、殿下には聞き流していただきとうございます」


 ニコデモは笑いをおさめて真顔になった。

 デステ家をどうやって壊滅させるのか、その詳細を知りたくもあったが……。


 触らぬアルに祟りなし。


 そんな言葉が、スカラ家本家だけでなくニコデモの周囲にも広まり始めている。

 放置すれば無害なことこの上ない。

 触れるときは、細心の注意が必要。


 個人的にアルフレードに接してきたニコデモは、対処方法も学んできている。

 余計なことはせずに任せておけばよい。


「よかろう。

では、我が友の脚本を楽しみにするとしよう」


 モデストはその後で、バルダッサーレと面会をした。

 牢獄の使用許可と、屈強な護衛を借り受ける。

 モデストにはつねに付き従う手下がいるが、スカラ家の施設を借りるのだ。

 スカラ家から護衛を借りたほうが良いと判断した。

 その足で、貴人が集う酒場に向かう。

 お目当ての演者は、そこに入り浸っている。


 少し気の弱そうな貴族。

 ヴァスコ・アモローソがいた。

 デステ家の与党で、いつも貧乏くじを引かされる。

 それ故、無害との評判の持ち主。


 モデストは酒を飲んで談笑しているヴァスコの席に向かう。


「アモローソ卿。

よろしいですかな」


 訝しげに振り返ったヴァスコの顔が硬直した。


「ど……毒蜘蛛……。

い、いやシャロン卿……」


 モデストは穏やかなほほ笑みを崩さない。


「殿下から内密のお呼びです。

ご同行いただきます」


 ヴァスコが左右を見渡すと、周囲の人は潮が引くようにいなくなっていた。

 なかば護衛に引き立てられる形で、馬車に押し込まれる。


 モデストに付き従う手下は、騎乗して馬車と併走している。

 2人きりで、モデストと向かい合うヴァスコの顔は蒼白だ。

 モデストと2人きりを喜ぶ貴族など存在しない。

 苦にしない貴族ですら、1人を除いて存在しない。


「シャ、シャロン卿。

殿下のお呼びとは一体……」


「さあ。

私はなにも」


 そのまま耐えがたい沈黙が流れるが、ヴァスコは耐えられなくなったようだ。

 縋るような目で、モデストを見上げた。


「シャ、シャロン卿。

私は確かに、デステ家に連なる者ですが……。

殿下に忠誠を誓っております。

ウェネティアへの襲撃は私のあずかり知らぬことです。

傭兵のことも知らないのです……」


「それでは足りませんな。

デステ家はマントノン傭兵団と結んで、ラヴェンナ卿を毒殺してから首を取ろうとしました。

決して許されざる行為です。

殿下に弓引くも同様です。

無論、殿下は大変お怒りですよ」


「デステ家が関わっていたとしても……。

わ、私は関与していません」


「本当ですかな?」


 ヴァスコの額から脂汗が流れ出す。

 毒蜘蛛から陰謀の共謀者などと疑われる。

 貴族にとってこれほど恐ろしいことはない。


「し、信じてください。

そのような危険な行為など……」


「では告発することです。

それが己の身を守ることになりましょう。

そうでなくては、アモローソ卿が一連の首謀者として生け贄にされますな。

そんな話も小耳に挟んでおりますよ」


 ヴァスコは襲撃失敗を聞いた後、生きた心地がしなかった。

 今までも、無実の責任をなすり付けられたこと1度ではない。

 力のない貴族の悲しさゆえ、それでもデステ家に縋るしかないのであった。


 だが今回の不祥事は、ヴァスコ個人で抱え込むには大きすぎる。

 やってもいない首謀者に仕立て上げられて、処刑されるのでは……。

 そんな疑念を確かに持っていた。


「い、一体誰を……」


 モデストは静かにほほ笑む。

 だが、それは酷薄そのもの。


「マファルダ・アイマーロ・デステ。

そして今、殿下のお側にいるデステ家の与党。

スキーラ、スカンツィオ、ペドリーニ、カッサマニャーギ。

誰でもよろしい。

ラヴェンナ卿の死を願った者です」


 ヴァスコの顔面は蒼白になった。

 言葉の意味するところを悟ったからだ。

 自分が生け贄にされる前に、誰かを生け贄にしろ。

 今までそんなことをする度胸もなく、不本意な境遇に甘んじてきた。

 自分の身が危険なのを悟ったが、だからといって誰かを告発することもできない。

 どんな世界でも貧乏くじを引かされるタイプである。


「で、できません……」


 モデストは小さく肩をすくめた。

 ヴァスコを見る目は、傷ついた子犬でも見るかのようだ。


「では、アモローソ卿が生け贄の子羊となられるのですか……。

殊勝とでも申しましょうか。

褒美は謀反人の称号と処刑台の特等席ですかな」


 ヴァスコの顔は蒼白のまま大量の脂汗を流している。

 そしてふと気がつく。

 馬車から見える景色が、いつもと違うことに。


「い、一体、何処に向かっているのですか。

殿下の屋敷ではないと思いますが……」


 モデストは相変わらず穏やかな表情のままだ。


「アモローソ卿の向かうべきですよ」


 穏やかなればこそ感じる死の気配。

 その言葉に、ヒッと小さく悲鳴を上げて……哀れヴァスコは気を失ってしまった。


                  ◆◇◆◇◆


 ヴァスコが意識を取り戻したのは、牢獄の一室だった。

 部屋はとても暗く寒い。

 かすかに光る松明の炎だけが、部屋を照らしている。

 人の気配もほとんどない。

 時折、奥から囚人のうめき声が聞こえてくる。


 腕に重みを感じたので見ると、手錠を嵌められていた。

 手錠は壁に鎖でつながれている。

 動かすと鎖のこすれる音が響く。


 そして見るからに古い拷問道具があった。

 その横に立って、モデストは穏やかにほほ笑んでいる。


「お目覚めになりましたか」


「ま、まさか……貴族を拷問するのですか!? 貴人にそのような仕打ちはしてはならない……ランゴバルド王国法ですよ!

拷問は罪人のみに科せられる刑罰です! そ、それに私は無実です!」


 モデストは静かに一歩前にでる。


「アモローソ卿の心がけ次第でしょうな。

身分など、この乱世ではなんの保証にもなりません

この可愛い拷問道具たちが、これからアモローソ卿とのよき話し相手となるでしょう」


 モデストは古びた拷問椅子を揺らす。

 ガタンという音がなると、ヴァスコはビクりと体を震わせた。

 モデストはおもむろに苦悩の梨を手に取って、ヴァスコに向ける。


 苦悩の梨は、口や肛門になどに差し込んで開口部を割くといわれる拷問器具。

 モデストは無表情にネジを回す。

 キーキーと不気味な音を立てて広がる器具を見て、ヴァスコは腰を抜かしてへたり込む。

 過去にこれを使われて苦しむ罪人を、仲間と見物して笑い転げていた記憶が蘇った。

 普段のストレスのはけ口として罪人への拷問を見物するのが趣味だったのだ。

 そんな記憶と共に、ズボンの間に黒いシミができる。


 モデストがその様を見て苦笑しつつ立ち去ろうとする。


「ま、待ってください!

シャロン卿! シャロン卿! シャロン卿!」


 モデストはその言葉を無視して、部屋の扉を閉めた。

 ギイィィィ……ガタンと鳴る騒々しい音に負けず、声が響く。


「シャローーーーーーン!!!!!」


 ヴァスコの悲痛な叫びを無視して、モデストは牢獄の外にでた。

 牢獄の入り口には、手下とスカラ家の護衛が待っていた。

 モデストは手下にいくつか言伝をすると、馬車にのってカメリアに戻るよう御者兼護衛に告げる。


 そして馬車の中で、モデストは楽しそうに1人つぶやいた。


「ラヴェンナ卿はなかなかの嗜虐趣味をお持ちのようですな。

実に効果的です。

ただ人の苦痛を見て遊んでいる貴族たちとは違って、使い方を弁えておいでだ。

実に計り知れないご主人ですな。

敵にだけは回したくないものです」


                  ◆◇◆◇◆


 昼も夜も分からない時間。

 ヴァスコが、目を覚ます。

 いつの間にか眠っていたようだ。


 気がつくと、正面に見知らぬ男がいる。

 モデストの手下だと、ヴァスコは知らない。

 男はヴァスコに優しい目を向ける。


「噓の部屋にようこそ」


 これは幽霊なのだろうか。

 そんな判別もつかないくらい、ヴァスコは憔悴している。

 幽霊にしては生々しい。

 貴族ではないだろう。

 どことなく粗野な印象を受ける。

 縮れた毛と、濃い髭、とても青い瞳が印象に残った。

 血色の悪い肌の割に筋骨隆々、この違和感が不気味さをより引き立てる。

 だが……誰かと問いただす気も起きない。


「悪意の部屋だろう……」


 ヴァスコは力なくつぶやく。

 想像力による恐怖に苛まれて、目はうつろだ。

 拷問を楽しんでいた自分は醜悪だったと、気がつかされる。

 この部屋には、人の悪意が充満している。

 どんな善人も、この悪意を吸い込めば悪魔になる。

 そう感じるなにかが充満している。

 事ここに至っても、自分の行為を部屋のせいにする。

 ある意味人間らしいといえるヴァスコであった。


 男は静かにほほ笑む。


「いえ。

この部屋の住人が語りかけてきませんか?」


 男の声は静かだがとても低い。

 ヴァスコは力なく頭を振った。


「住人? お前しかいない。

いや、お前も存在するのか分からない……」


「拷問器具たちですよ」


 男の言葉は穏やかで、恐怖を感じなかった。


「拷問器具がなにを語るのだ?」


「優しい偽りの言葉です」


 ヴァスコは力なく首を振った。


「偽りだと?」


「拷問で真実は引き出せません。

引き出せるのは苦痛を終わらせる言葉のみ」


 ヴァスコが力なく笑う。

 あの悪意を思い出してしまった。

 

「言葉で終わるものか……。

苦しむ様を見るのが楽しいのだろう。

まさに人の悪意を引き出すものだ」


「それは部屋の主によります。

ここではあなたに語りかける。

噓を覚えるようにと」


「一体なんの噓だ……と?」


 辛うじて返事をしたが、ヴァスコの意識はもうろうとしてきた。

 恐怖で汗をかき続けている。

 水も飲んでいない。


「自分を守るための噓です」


 その言葉と共に、ヴァスコの意識は闇に飲まれていった。

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