502話 閑話 纏わりつく呪い

 ラヴェンナと別の世界を隔てる山脈。

 その近辺は常時霧がたち込めており、決して人が立ち入れる場所ではない。

 

 霧はとても濃く、恐らく30センチ前ですら見えないだろう。

 霧に覆われた谷間たにあいに、巨大なドラゴンが眠っている。

 そこに向かって、空からフラフラと小さな光の球が降りていった。

 

 光がドラゴンの前で静止すると、ひときわ輝く。

 眠っていたドラゴンは、その光か気配に気がついたのだろう。

 ゆっくりと目を開ける。


「娘御よ。

現世うしつよにわざわざ現れるとは、如何な儀ぞ?」


 光は人の形になって伸びをする。

 そして光は消えて人の姿になった。

 人の姿になった女神ラヴェンナは、軽く手を振る。

 

「久しぶりねアイテール。

ただの暇つぶしよ」


 アイテールと呼ばれたドラゴンの目が細くなる。


「消耗し尽くしたのではないかえ?

暇つぶしにここに来るほど、力が戻ったのかの?」


「多少は戻ったけどまだまだよ。

まあ……ただ黙っているのも退屈なのよ」


「それならば神としての研鑽を積むが良かろう。

娘御は、父たるともがらより随分砕けておるな。

多少は威厳を持ったほうが良かろう」


 ラヴェンナはふくれっ面になる。


「そりゃパパの外面はとーっても礼儀正しいわよ。

でも、腹の中は私と変わらないわよ!」


 アイテールが鼻を鳴らす。

 それだけで、突風が吹く。

 しかしラヴェンナは実態がないのか、髪すら揺らがない。


「腹の中など些末なこと。

威厳やらの形式とはそういうものよ。

しかし……竜に説教される女神とはなんぞや?」


 ラヴェンナは憤慨した顔で、アイテールに指を突きつける。


「大きなお世話よ!

まあ……ちょっとママがね。

パパとママの感情って、結構……私に響くのよ。

それでママがお留守番してるんだけどね。

たまに寂しくて、夜に一人で泣いてるのよ。

それがきっついの。

だから愚痴を言いに来たのよ。

愚痴をね」


 アイテールが声を上げずに笑う。


「たしかに、アレはともがらにいまだ深く恋慕しておるな。

実にほほ笑ましい」


「それは良いんだけどね……。

でもねぇ……外の話が片付くまで、パパは戻ってこないしさぁ。

せめて子供でも生まれていれば良かったんだけどね」


 アイテールは大きく息を吐く。


「娘御が言うておったな。

ともがらには悪霊の呪いが、深く纏わりついておると」


 ラヴェンナは天を仰いで、息を吐きだす仕草をした。

 口からキラキラと光る、雪のようなものが舞っては消えていった。

 黙っていればまごうことなき女神だろう。

 

「ええ。

子孫を残せないようにする呪いよ。

ほんっとアイツ! 悪趣味すぎる!

魂をつり上げたときに、呪いを仕込ませておくなんて最低よ!」


「そうさな。

ともがらが異界からの流れ人……と聞いたときは驚いたがの。

色々と得心がいくものであったな。

悪霊とやらは、ついには自分を刺す刃をつり上げる大失態を犯したわけだ。

実に愉快なことよ」


 ラヴェンナはお手上げといった感じでで肩をすくめる。


「解呪の手はあるけどねぇ。

力を解放すると、呪いは飛び散ってしまう。

コレが一番手っ取り早いのよね。

でも、パパなら絶対に解放なんてしないからね」


「過ぎたる力を使わない。

言うは易きぞな。

行うは難きの難きを貫いておるな。

奇特な人の子よの。

そのことは、ともがらに伝えておるのかぇ?」


 ラヴェンナは力なく頭を振った。

 表情には影が差している。


「言えるわけないでしょ。

ただ苦しめるだけよ。

私は親不孝な女神じゃないからね。

あの悪霊が消滅すれば、呪いも解けるんだけどね……。

なかなかしぶといわ。

ほんと、性格悪すぎよ。

強大な力を恐れて使わない場合、子孫を残せないようにするってね。

パパがさっさとここにきたから、悪霊の声が届かないのが幸いしたけど……」


 アイテールは、目を閉じて嘆息した。

 突風が巻き起こるが、霧は立ちこめたままだ。


「そうさな。

知らぬほうが良いだろうな。

もしかしたら、薄々気がついているかもしれないがな」


「それでいて、不思議とモテるから始末に困るのよ。

特定のタイプには特にね。

私からは悪霊に直接手を出せないし消耗し尽くしてくれることを祈るしかないかなぁ」


「手はないのかぇ? の届く場所におれば焼き払ってくれようものを。

口惜しい限りぞ」


「神霊界は……どこかにあって、どこでもない。

そんな領域だからね。

私もそこの住人だけど、パパだからこそ強引に助けられたのよ。

悪霊の正確な場所は分からないわ。

存在は感知できるけどね。

アイツはまだまだ危険な存在よ。

ドラゴンでも近寄ることはおすすめしないわ」


 アイテールは不機嫌そうに、鼻を鳴らした。


「不快なヤツよの。

消耗を促進させることは能わぬのかえ?」


 ラヴェンナは、皮肉な笑いを浮かべて肩をすくめる。


「今、物質界では絶賛戦争中。

そして悪霊とつながりの強い教会も滅茶苦茶。

少し前なら、新しい使徒降臨を願う力で良い感じに弱らせていたのだけどね。

そんなこともできなくなったから、小康状態ってとこね。

新たな使徒降臨を教会が全力で願ったら……めでたく消えると思うわ」


「つまりは、争いを治めるために奔走しているともがらが頼りと。

これもともがらに背負わせるのか。

我が身が不甲斐なく思える。

余計な手出しはせぬとの盟約だが、忸怩たるものはあるな」


「パパと話したくても、ラヴェンナに戻ってこないと会話もできないわ。

ママとは、うまく話せないのよね。

夢で断片を伝えるのが精一杯。

かえって混乱させてしまうわ」


 アイテールが突然小さく笑った。


「では、ともがらの妻に言伝をしよう。

ともがらに伝えたい事柄を教えたもれ。

せめてそのくらいは、力になっても良かろう。

勝手に頼られると不快だが、全く頼られないのも物足りないものよ。

もすっかり、娘御から悪影響を受けてしまったのう」


 愉快そうなアイテールを見て、ラヴェンナはふくれっ面になる。


「失礼ね!

でも助かるわ。

子供の件は伏せて、悪霊の状態と退治方法についてだけお願い」


「任せるが良い。

最近は悪臭も消えておる。

ともがらが律儀すぎるほどに、盟約を守って掃除をしておるからな。

至極快適ぞ。

少なくともその殊勝な行為には……報いるべきであろうて」

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