474話 楽しいくらいの内憂外患

 その日の夜、キアラの部屋の扉をノックした。

 返事の代わりに、扉が開いた。

 俺は黙って部屋に入る。

 キアラは、まだ着替えておらず普段着だ。

 寝間着で出迎えると俺が逃げ帰る、と思ったからかもしれないが。


「早速ですけど、相談に乗ってください」

 

 そう言ってキアラは、俺に椅子を勧めてきた。


「分かった」


 俺は椅子に座って、キアラと対面で向かい合う。

 キアラはちょっとだけ目をつむって、小さく息を吐いた。


「お兄さまに言われたことを、いろいろ考えましたの」


「責めてはいないさ。

気がついてほしかったのは事実だけどね」


「私にとっては……。

とても重たい言葉でしたわ。

今までお兄さまの期待には、私なりに応えてきた自信がありましたもの」


 俺は少し落ち込んでいるキアラに笑いかけた。


「それは事実だよ。

今や……ラヴェンナは、キアラがいないと回らない」


 キアラは俺の言葉に、小さく笑った。


「私だけではないでしょう?

お兄さまはいろいろな人に、仕事を任せていますもの」


 簡単には納得しないか。

 俺は言葉を探して、頭をかいた。


「でも……。

情報関係で、キアラは唯一無二の存在だよ。

だからこそ、俺が戦略に集中できるのさ」


「それを聞けて、とても嬉しいです。

もうちょっと褒めてほしい気もしますけど……。

あまり長話をすると、オフェリーがヤキモチを焼きますからね。

本題に入りますわ」


「妹との会話の時間を削る気はないよ」


「では、ラヴェンナに戻ったらデートしてくださる?」


 俺とのコミュニケーションに飢えているのかな。

 最近は5人相手だ……。

 受け入れた以上、それを言い訳にはできない。

 至らない点も出てくるだろう。


「ああ。

それはなんとかしょう」


「約束ですわよ。

ではあの傭兵、ウジェーヌのことです」


「あのバカボンね……」


「お姉さまは名前を言いませんでした。

でもお兄さまとの出会いに関係したのですよね」


 ミルも俺がオクタヴィアンと約束をしたと知っている。

 他言無用であることもだ。

 だからボカしたのだろう。


「そうだなぁ」


 ちょっと、4年前を思い出した。

 あのころは、先生がいたな……。

 懐かしくも寂しい気がした。

 だがキアラの声が、俺を現実に引き戻した。


「あの傭兵は危険だと思いますわ」


「その根拠は?」


「権力に淡泊なお兄さまには……わからないかも知れません。

家督相続から外されるのは、貴族にとってはとんでもない恥辱ですわ。

必ずお兄さまに報復すると思います」


 たしかに、そのあたりの実感は薄いな……。

 

「問題はその力があるかだな。

恨まれているから、とつぶして回っていたらキリがない」


「勿論です。

でも私の感覚だと、かなり危ないと思いますわ」


「問題は本人がどれだけ敵意を燃やしてもだ。

延焼しなくては無意味だよ。

つまり延焼すると見ているのか?」


「同調する人はいないと思います。

ですが執念を超えた妄執は、思わぬ余波を招きますわ。

そして王都で、お兄さまの代弁者はいないでしょう。

火種は消えませんわ

利用される可能性が高いのではないかと」


 思わず腕組みをした。


「たしかになぁ。

今でも俺の存在は注意しない相手には、大したことがないと映る。

だがムリにでも、目をつけられるか……」


 とんでもないところに、火種が出てきたな。

 やっぱり、自分と違う視点は大事だと痛感した。


「はい。

そうなるとラヴェンナのことを考慮すると思います。

敵はこの戦いで勝つ気があるでしょう。

ラヴェンナの軍を動かせないように、手を打つのではないでしょうか?」


 困った話だが裏腹に嬉しかった。

 キアラが、そこまで成長したことにだ。


「つまりラヴェンナの軍を動かせない可能性があると」


「はい。

大規模でなくても、継続的な攻撃が続けば……。

動かせないのではありませんか?

ラヴェンナが攻められているのに、本家に援軍などとんでもない。

普通はそう思いますわ。

お兄さまの予想するリスクを超えると思いますもの」


 思わず言葉に詰まった。


「なるほど。

こいつは困ったな……」


「ですが、妄執の炎を消すのも難しいと思いましたの。

多分、もうお兄さまの悪口を言いふらしているでしょう。

消したらお兄さまの関与を疑われますもの。

それこそ敵に、大義名分を渡すようなものです。

傭兵は大義名分がないからこそ、協力者も限定されますわ。

武器をわざわざ、相手に与える必要はないでしょう」


 たしかに正しい判断だ。

 だがそれだけでは弱い。


「その場合、わざと大義名分を作るために、敵がバカボンを消す可能性は?」


「王都で秘密を保つのは難しいでしょう。

自作自演は、自分の首を絞めるようなものです。

ラッザロ殿下が好例ですわ。

ウジェーヌが敵対しない限り、便利使いするでしょう。

それこそ任俠の徒であれば、そんな手は自分の評判を下げることに他なりません」


 やはりフィリベール・ユボーが仮想敵になるか。

 それを、前提とした話に自然となる。


「俺も同意見だよ。

バカボンは多分、報復と栄達のためにユボーの傘下に入るだろうね。

だがひとりの部下が、俺に敵意を燃やしたとしてだ。

その炎が大きくなるとする根拠はあるのかい?」


「もしマントノン家が、お兄さまに恩義を感じていたとしてもです。

ウジェーヌに、手を出せないでしょう。

むしろ内々に、援助をしかねないと思います。

それこそ使徒の平和を壊したおかげで、巡礼街道の収入は激減していますもの。

この先どうなるかわからないなら、保険を掛けると思いません?

マントノンの実家が、火を強くすると見ていますの」


 恩はあくまで使徒の世界が保たれている前提だしなぁ。

 尻尾が出るような援助はしないだろう。

 オクタヴィアンは、焚き木に水を掛けると言っていた。

 それが油にすり替わるか。


「あっちに敵……。

こっちに敵かぁ……」


「現状でマントノン家の動向は、良くて中立でしょうね。

デステ家へ、内々に助力している可能性すらあります」


 俺はため息をついて頭をかく。


「アラン王国まで俺の手は伸びないからなぁ。

現状は放置するしかない」


 キアラは困惑顔で肩をすくめた。


「それで手詰まりになってしまいましたの」


「それなら皆の前で言ってもいいんじゃないか?」


 キアラは俺の言葉に肩をすくめた。


「オフェリーは噓がつける性格ではありませんわ。

お兄さまの側室としては、申し分ない性格ですけど……。

勿論、誰かに漏らすことはしませんわ。

ですが誰かに聞かれたときは、挙動が怪しくなりそうですもの」


「つまり、ウチにも密偵が紛れ込んでいると見ているのか?」


 キアラは少し難しい顔をした。


「今のところはないと思います。

ですが王都で騒動が起こったとき、将来を心配するものが出てこない……とは言えません」


 たしかにな。

 大貴族だと当然ながら、家臣も多い。

 つまり、冷や飯を食っている者は存在するわけだ。

 しかも行政改革で、結構な役人を解雇している。

 不満分子は屋敷内に紛れ込んでいないが、周辺はどうか。


「そのあたりは、俺から父上に伝えておくよ。

やはりキアラは、頼りになるな」


 昔のように頭をなでようかと思ったが、キアラはもう18だ。

 そんな時期は過ぎているだろう。

 キアラは、嬉しそうにほほ笑んだ。


「これからも力になりますわ。

それと一つ、お願いがあります」


 まさか変なことを言わないだろうな。


「なんだい?」


 キアラの表情は真剣そのものだった。


「ご自身の安全には留意してください。

お兄さまはご自身の安全に無頓着ですもの。

それに頼みの親衛隊を置いてきているのですよ」


 本家に親衛隊を連れてくると、摩擦が生じる。

 それを嫌って連れてこなかった。


「たしかに。

それについてだけどさ……。

近々俺たちの活動拠点を、避難所に移そうと思う」


「それなら心強いですわね。

ロッシさんが側にいると、安心感が違いますもの。

あ……一つ聞きたいことがあったのです。

カールラを連れてこなかったのはなぜです?」


 連れてくるつもりだったが、今回は見送った。


「カールラとミルたちを、一度会わせたろう?」


「ええ。

カールラに話し相手を増やしたい、とお願いされましたもの」


「クリームヒルトが俺に教えてくれたのだが……。

ちょっと危ない感じがすると」


 キアラが、眉をひそめた。


「危ないですか?

クリームヒルトの判断に、信を置く理由。

これをお伺いしても?」


 クリームヒルトの特殊能力に、人の性質を見抜く力があることを教えた。

 キアラは俺の言葉に最初は首をひねる。

 ところが『歴史のある貯水池』と評した話を聞くと、小さく笑いだした。


「たしかにそれなら信用できそうですわ。

それでどう危ないのですか?」


「見た目は立派な貯水池だけど、裏は汚れている。

そして池の底には壊れた像や白骨が沈んでいる……だそうだ。

彼女自身現在の境遇には満足してもいないし、なにかあれば行動するかもしれない。

バルダッサーレ兄さんに近づけるのは、危険な気がする」


「ラヴェンナで保護している間は、監視状態ですものね。

大それたことはできないでしょう。

楽しいくらいの内憂外患ですわね」


 俺はため息交じりに頭をかいた。


「ホント、偉くなんてなるもんじゃないよ……。

真面目にやったら、これほど割に合わない職業はない」


「でも性分だから、真面目にやるのですわね」


「俺ひとりなら手を抜くよ。

大勢に影響するとね……。

根が小心者だから、その結果を考えると耐えられないのさ」

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