460話 後世の歴史家への嫌がらせ
その日は、雰囲気が違っていた。
秋も深まっているが、それにしては肌寒い。
それだけでなく、霧が深い。
こんな日は初めてだ。
だがこの感覚は、かつて感じたことがある。
魔族領に侵攻したときの霧だ。
アイテールが出張ってきたか。
つまり、討伐が始まったシグナルだ。
ラヴェンナがアイテールに協力してもらうと言っていたから、魂を破壊する叫びに関係するのかな。
空の女王と名前がついているから、風を操るのが得意なのかは不明だが。
霧は目の前が見えないほどではない。
一応、布告を出すように指示した。
心配は無用だが、馬車は前方に注意するようにと付け加える。
1日で終わるのか謎だからな。
こんなとき、通信機はとても便利だ。
極秘扱いの道具だけどな。
まだまだ、改良が必要だ。
そのあたりは、レベッカが人を増やして研究中。
まずは消費魔力の削減に挑んでいる。
勿論、総督にはリアルタイムで指示を飛ばせる。
そこからは、必然的に伝令となる。
それでも道路の整備と郵便システムが完備されている。
他の領地よりはるかに早く伝達できるだろう。
ミルもこの気配には気がついたようだ。
俺を見て、黙ってうなずいただけだった。
そのあとで、キアラとオフェリーから白い目で見られたが……。
それを見たミルがドヤ顔で胸を張る始末。
まあコミュニケーションみたいだから良いけどさ。
この件は任せておこう。
専門家に素人が、口を出しても何も良いことは無い。
俺にできるのは、彼らが仕事をしやすい環境を整えるだけだ。
もう一つ、本家から手紙が届いた。
教会からの布告の話だ。
黄金の件で、俺の意見を聞きたいとあったので、待つのが最善と回答した。
また、別件で相談したいことがあるので本家に来てほしいともあった。
野盗が活発になってきている話と関係があるだろう。
避難所からの定時報告で、防衛範囲の拡大を打診されているとあった。
俺は顧問を将来的に臨時職とする意向を明らかにしている。
オラシオの領地では、サポートスタッフを充実させたようだ。
なのでプリュタニスを呼び寄せても、大丈夫だ……と霧の話の席上でオラシオから伝えられた。
良い機会なので、こちらに戻すようにと回答をする。
本家に行くときに連れて行ってコネをつくらせたい。
将来は、絶対役に立つと確信している。
後見人としても、彼の将来を広げる義務を感じていた。
ラヴェンナの軍を動かすときに、補佐役としても連れて行く。
才能を伸ばしてやりたいとも思っていたからだ。
◆◇◆◇◆
仕事をしていると、執務室に珍しくアデライダが訪ねてきた。
「おや、珍しいですね」
最近は、すっかり落ち着いて挙動不審も無くなった。
「はい、お願いがあって参りました」
ほう、珍しいな。
「何でしょうか? できることであればかなえたいですね」
アデライダは珍しく悪戯っぽい顔をした。
「では、領主さまの側室に兎人族を入れてください」
俺は思わず椅子からずり落ちた。
部屋の温度が、一気に下がる。
部屋の雰囲気に、アデライダが慌てて手を振った。
「じょ、冗談ですよ。
一度言ってみたかったのです。
シルヴァーナさんが言うと、反応が面白いと言われていたので……」
あ、あの女……。
いつか締めてやろうか。
ミルは目がマジになっていた。
「ヴァーナ……あとでお仕置きね」
そんなつぶやきが聞こえた。
いいぞ、思いっきりやってくれ。
「まさか……それを言いたくて訪ねてきたのですか?」
「違います。
共通化を進めていますが、権限が無いので行き詰まるケースが多いのです。
権限のある部署が欲しいと、声が上がっています」
確かにラヴェンナの共通化は……俺がドン引きするレベルで進んでいる。
中世でここまでやるのかといったレベル。
車輪の幅に始まって、文章の書式。
そこまででも大したものだ。
ところが、走りだしたら兎人族は止まらない。
扉の大きさやら、窓の大きさ。
どこまでやる気だと。
やりすぎは窮屈になる。
行き着く先はデストピア……など笑えない。
だから利便性が増すものだけに絞るよう指示を出した。
それでもその影響はすさまじい。
ものの組み立ても、部品が共通化されている。文字が読めない人向けの組み立てマニュアルと言うか、イラストが完備されている。
なので、本家の避難場所でも、避難民に教え込んで数日で道具組み立てができたらしい。
それを見た本家の役人が、腰を抜かすありさまだ。
兎人族って、実はとんでもない種族なのではと思い始めている。
「そうですね、製造業などのインフラであれば良いと思います。
人の生活にまでは干渉しないほうが良いでしょう。
その共通化も時代によっては、改訂が必要になりますからね。
法律と一緒で、石に刻まないでほしいのですよ。
あくまで道具ですからね」
アデライダは俺の言葉に、力強くうなずいた。
「勿論です。
領主さまが過度な干渉を嫌うのは、一族皆知っていますから」
こんな省庁は転生前も無かったが、ラヴェンナでは必要だろう。
そして、どこかの省に属するには影響範囲が広すぎる。
問題も発生するだろうから、俺が直接管理できたほうが良いだろう。
「認めます。
共通規格省を立てて、大臣を選任します。
それで一つだけ、お願いがあります」
アデライダが少し不安そうな顔になる。
大丈夫、変な話じゃない。
「何でしょうか?」
「判断の基準は、あくまで利便性を増すかどうかです。
共通化が目的ではありません。
また効果が説明できないものも難しいでしょう。
それを基準にしてください。
私の判断も間違うときがあります。
私が言ったから……で決して決めないでください。
これが守れるなら認可します」
アデライダはしばらく考えていたが、俺を見て珍しく自信ありげにうなずいた。
「承知しました!」
「では大臣の推薦をしてください。
何時くらいに決められそうですか?」
「あ、私がやります」
いや、君は農林省の部門長でしょ。
「それは良いですけど……。
今の部署は、どうなるのですか?」
アデライダは、少しバツが悪そうにモジモジした。
「領主さまが以前に、仕事を分担して……後進を育てろとおっしゃいましたよね」
そこまでやっていたのか?
「確かに言いました」
「それで育てていたらですね。
部門長の仕事が……今や持ち回りになるくらいに、皆が成長してくれました。
名目上は私が長ですけど。
それで、少しばかり暇になったのです」
やりすぎだろう。
まあ、自主的にそうなったなら良いけど……。
「では農林大臣に、その旨を伝えて後任の部門長を選出してください。
今までの仕事のやり方を変える必要はありません。
ですが指示のやりとりをする窓口は、固定化していたほうが良いですからね」
アデライダがなぜか、ビシっと敬礼した。
「承知しました!
あ……それと大臣用のショールをもらえますか?
あと省庁は建ててもよろしいでしょうか?」
ああ、代表者用のショールが気に入っているようだしな。
省庁はテリトリーとしてほしいのか。
大臣としてのショールも別途つくられている。
なにか名誉のようなシンボルが欲しい……と要望があった。
それを受け入れた形になっている。
転生前は勲章とか名誉のシンボルに興味は無かった。
日本人だったので、サブカルチャーの影響も強かったからな。
基本的に勲章を不燃ゴミ扱いするものしか……見たことが無い。
だが、統治者となってそれはマズい。
社会的名誉を軽視できるのは、一個人としての贅沢だと痛感しているよ。
つまるところ、社会的な地位やそれにともなう責任を軽視している……というシグナルになってしまうからだ。
それが全てではないがな。
ただ、重い責任を背負っている大臣が軽視されるのは健全ではないだろう。
そうすると、私腹を肥やすようなヤツしかなり手がいなくなる。
社会が政治家などを軽視すると、そう言った形で仕返しされる。
馬鹿にするけど、清廉で責任感があって実務能力にたけた人がなるべき。
言葉にしたら馬鹿馬鹿しすぎる。
それ相応の敬意って、やる気とトレードオフだよ。
馬鹿にされても皆のためにやるんだ……なんて人はめったにいない。
そんな人をアテにして社会など回らない。
重責を背負っている人に、相応の敬意を払うことは決して恥にはならない。
勿論、醜態をさらしていれば批判するのは当然だ。
だが立場だけを馬鹿にするヤツは、自分は醜悪な人物である……と言いふらしているようなものだ。
そうやって馬鹿にするヤツは、ほぼ間違いなく自分が馬鹿にされると烈火の如く怒るだろう。
逆説的に言えば、社会を破壊したければ統治者や大臣のような要職にある人を馬鹿にする。
これを習慣にすれば良い。
思えば、王族を俺は馬鹿にしているな。
俺も実際大したヤツじゃないな。
反省しよう……。
おっと、現実に戻ろう。
「ええ、大臣用のショールは本日中に手配します。
省庁の建設場所は、市長と相談してください。
私の許可書類は、あとで届けさせます」
このあたりの公文書は全て、公文書館に格納さている。
後世の歴史家への嫌がらせ……。
いやプレゼントだ。
歴史家にとって文書は大切だが、
ありすぎても大変らしい。
まあ……そんなことは知らない。
勝手に頑張れ。
「有り難うございます!」
言うが早いか、アデライダは走って出て行った。
うれしいと走りだすらしい……。
共通規格化のおかげで、分業化が進んでいる。
まさか連弩のカートリッジから、ここまで発展するとはなぁ。
転生前の世界と違う発展は、とても楽しいものがある。
将来、どんな発展を遂げるのかは実に楽しみだ。
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