455話 祖国は、我らのために
血の神子討伐の準備が、本格的に始まった。
その日から、シルヴァーナは閣議を欠席している。
一通りの議題が終了したとき、思わず独り言をつぶやいてしまった。
「静かですね」
隣のミルが、小さく吹き出してしまった。
「ヴァーナは時々しか騒がないわよ」
「存在感的騒々しさですね。
こう……いるだけで騒がしいといった感じの」
キアラは俺の言葉に小さくため息をついた。
「お兄さまはたまに意味不明なことをおっしゃりますね。
これは……書かないでおきますわ」
全部書かなくて良いよ。
俺が肩をすくめていると、突然チャールズがせきばらいした。
「ご主君。私も少しの間……閣議を欠席したいのですがよろしいですかな?」
「確認するということは、緊急の事態ではないようですが……。
理由を教えてください」
チャールズは小さく肩をすくめた。
「一部では緊急ですなぁ。
今はロベルトが、騎士団の指揮のため本家の避難所に出張中でありませんか。
部下たちを交代でラヴェンナに戻していますが、トップが動くわけにはいかない……と言い張って自分はずっと前線に張り付いています。
戦争中であればそれは正しいのですがね。
今はそれではありませんから」
「別に代理を立てれば良いではありませんか。
お子さんもまだ小さいのですから、顔を見たくなるでしょうに」
「ガリンド卿に内々に依頼したのですがね、自分は新参者だと言って固辞しているのですよ。
あの御仁は、万事控えめですからなぁ。
それ以外でロベルトが安心して後事を託せる人物は……まだいませんな。
時間と経験がもう少し必要でしょう。
それでデルフィーヌ夫人とデスピナ夫人から、私に対して内々に嘆願が来ていましてね」
俺は首をかしげた。
「押しかけて陳情でもしたのですか?」
「そんなことはしませんよ。
ご婦人方が、愛を語る女性たちに愚痴りまくっているらしくね。
女たちの情報ネットワークは、大したものですよ……。
それでベッドに入る前に、いろいろ頼まれるわけでしてね。
愛を語るときに、教師の銅像の前でやりますかね? 雰囲気のある場所で語るでしょう。
ロベルトの顔が、そんなときに浮かんではムードもクソもないのです。
そこでです。私がロベルトの上官なので、臨時で指揮を引き継ぎます。
閣議には私の代理で帰還したロベルトを出席させます」
一部には背徳感が増すから燃え上がるだろうが……チャールズ的には切実らしい。
思わず苦笑してしまった。
「確かにトップとはいえ、人の子です。
わが子もまだ小さいから顔が見たいでしょう。
軍務大臣のよろしいように」
チャールズが俺に一礼した。
「話の早い御主君で助かります。
ちなみに避難所については、本家の役人が運営していましたな」
「ええ、任せていますね」
「待遇改善の要望を、騎士団代表として交渉してもよろしいですかな」
なんとなくやることは分かるが……。
ほどほどにな。
チャールズなら心配は無用だろうが。
「交渉であれば……私が禁止する理由はありませんよ」
この話はそれで良い。
今日はもう一つ確認しておくことがあったな。
「オフェリー。前教皇から返事はありましたか?」
オフェリーはいつも姿勢が良い。
背筋をピンと伸ばして座っている。
普段から締まらない俺とは大違いだ。
勿論、個人的に返事を教えてもらっている。
だがこれは閣議のメンバーには知らせておきたかったのだ。
「はい、感謝の言葉が書かれていました。
おそらく内々で、工作に着手すると思われます。
それと返礼ではないでしょうが、気になる情報が付け加えられていました」
話を聞いたときに『え? そこに飛んじゃう?』と思ったが……。
使徒経由で変な知識は、教会に蓄積されている。
それをこじらせてしまったのだろう。
俺が黙って続きを促したので、オフェリーはうなずいた。
「アラン王国で無神論的思想を唱える人が、一部で力をつけていると書かれていました。
元々は教会に所属していたそうです…。
昔からその手の人は少数いたのですが……。
最近の内乱と教会の無策で力をつけつつあるようです」
チャールズが腕組みをして皮肉な笑いを浮かべている。
「使徒がやって失敗した民主主義でしたっけな。
あれをやる気なのですかな?」
オフェリーは小さく、首を振った。
「いえ……全ての神を否定して、全ての身分差も否定しています。
過去の使徒が言った『人は皆平等だ』が始まりらしいのですが……。
全ての富は人民に平等に分配される。
人民主義と言っていますね。
仲間内に階級はないので、皆同志と呼び合うようです」
この話を聞いたとき、脳内でソ連国歌『祖国は、我らのために』が大音量で流れ出した。
転生してまで共産主義かよ!
と……脳内で1人突っ込みを入れていた。
転生したので、
そんなタイトルまで思い浮かんでしまった。
法務大臣のエイブラハムがあきれたように、首を振った。
「だれが責任をもって統治するのですかね?
まるで理解不可能ですが……」
俺は、笑って肩をすくめた。
「どんな形かは知る術がありません。
ただ今の上流階級が役に立たないから、民衆には響くのではないですかね。
今よりはマシといったところでしょう。
行き着く先は暴力革命でしょうが」
原理主義に共産主義と……アラン王国は楽しいなぁ。
組織としてはパリ・コミューンのようになるのか。
メディアが発達していないから、そこまで爆発的に広がることはないと思うが……。
フランス革命をすっ飛ばしての共産主義。
フランス革命当初の残忍さも混じって……すごいことになりそうだなぁ。
人は血の雨で熱狂し、こびりついた血を洗い流そうと冷静になるのかな。
アーデルヘイトは暴力と聞いて、嫌な顔をした。
「旦那様はどうするのですか?」
「今のところは何とも。
その手の主義は違う思想を力ずくでも……従わせるものですからね。
様子を見て、対策を考えましょう。
今はアラン王国の教会と上流階級が、押さえ込みにかかるでしょうからね。
体制側には使徒という最終兵器がいます。
倒されることはないと思いますが……」
「懸念があるのですか?」
「使徒が人民のリーダーとして寝返ると、一気に状況は変わります。
油断はできないでしょうね」
「寝返るのですか?」
俺は小さく肩をすくめた。
「今使徒は被害妄想に陥っています。
そこで別の大義名分で……自分を全面肯定してくれる勢力が現れると、どうなるのか。
ただその平等の思想では、一夫多妻は認めないでしょう。
それを曲げて、特例とできるかどうか……。
使徒は嫁たちが最後のよりどころですからね」
他者との違いに寛容であれば注意しなくても良い。
ところが他者との違いに、寛容な共産主義など聞いたことがない。
また計算要素が増えるのか……。
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