437話 閑話 この世で一番怖い相手

 ゼウクシス・ガヴラスはラヴェンナからの船での帰途についていた。

 船上でも無口で、周囲も首をかしげる。

 口数が多くはないが、普段より極端に無口だったからだ。

 そんな彼を乗せた船は、シケリア王国の港町ラウリウムに到着した。

 波止場に降り立ったゼウクシスは騒ぎのするほうに視線を向ける。

 それを確認して小さくため息をついた。


 港は狭く人通りが多い。

 そこを騎乗して疾走する人物を彼は1人しか知らない。

 その人物は器用にゼウクシスの前で馬を止めて降り立った。

 金髪碧眼の引き締まった体。

 エネルギーにみちあふれた若者で、絶世の美男子でもある。

 ゼウクシスは、小さく頭を振った。


「ペルサキスさま。

危険なまねはおやめくださいとあれほど……」


 ゼウクシスの言葉をかき消すように、フォブス・ペルサキスは笑いだした。


「細かいことは、気にするな。

お前が戻ってきて、ようやく細かい数値と戦わなくて良くなるからな。

いても立ってもいられなくなったのさ」


「まずリカイオス卿にご報告してからになります。

まだ数日は、ペルサキスさまに数値が張り付きますよ」


 フォブスは憂鬱そうに、首を振った。


「お前はそうやって、人を現実に戻す。

それでこそお前が戻ってきたと……実感が増すがな。

リカイオス卿に報告にいくとしても、出立は明日だろう。

いろいろ聞きたいことがある。

今日は付き合えよ。

嫌とは言わせない」


 有無を言わさぬ調子に、ゼウクシスは小さく肩をすくめた。


「分かりました。

ペルサキスさまが満足してくれるまでは……解放してもらえそうにありませんからね」


 フォブスは愉快そうに笑って、ゼウクシスと肩を組んで歩きだした。


「諦めが良いのは大変結構なことだ」




 フォブスとゼウクシスは、屋敷の一室に入ると向かい合う形で長椅子に腰かけた。

 まずはお互い杯を掲げて乾杯をする。

 フォブスは酒に口をつけてからゼウクシスにウインクした。


「それでどうだったのだ? ラヴェンナの主は」


 ゼウクシスは肩をすくめて首を振った。


「正直申し上げて……分かりません」


「珍しいな……お前が判断を保留するとは」


「威厳があるようには見えませんでした。

ですが弱腰にも見えませんでした。

才気煥発にも見えません。

ですが……愚かにも見えませんでした」


 フォブスは酒の入った杯を眺めながら、首をひねった。


「お前の言い方だと、本当に分からないな。

それだけ聞くと不気味な感じもするがな」


「地味で平凡な人……それが第一印象です。

不気味さすら主張していません。

相手に全く意図を悟らせまい……としているようにも見えませんでした。

無欲にも見えますが、お人よしではないと思います。

自然体で相手に何もつかませない。

そんな印象です」


 フォブスは杯をあおると、タンと机において腕組みをした。


「お前の話を聞くと、全く分からん。

だが……俺が直接会っても同じ感想になるだろうな。

ここは会った印象は、一度捨てるか。

実績とやりとりの結果で判断しようじゃないか」


 ゼウクシスは杯を握ったまま、中身を見ていた。


「町はそうですね……素晴らしいの一言です。

特に目立ったのは道路です。

あそこまで整備された道路は見たことがありません。

ペルサキスさまの以前から強く望まれた街道の整備。

あれが現実にありました。

驚きを隠すのに一苦労しましたよ」


「ほう。

先を越されたかぁ。

驚いたと言うことは、ただ整備されていたわけではないのだな」


「十分な幅と完璧な整備。

可能な限り直線かつ起伏もありません。

また港の機能も、素晴らしいものでした」


 フォブスは杯に自分で酒を注いで、外に視線を向けた。


「お前がそこまで言うのだから、相当進んでいるのだろう。

それと道路一つで、町を褒めないだろう。

お前は温和で、人をけなさないがめったに褒めない。

だからこそ興味がある」


「正直、私にあれをやれ……と言われてやれる自信がありません」


 フォブスはつまらなそうな顔をして杯をあおった。


「おいおい……失望させることを言うな。

俺が知る限り、お前以上に巧みな統治者はいないと思っている」


「では、情報を書き換えてください」


「つまり統治者としては最高レベルだと言いたいのか? 20そこそこの若造だろう」


 ゼウクシスは小さくため息をついて杯をあおった。


「ペルサキスさまは25ですよ。

世間的には若造になります。

年齢はこのさい無関係でしょう。

私では足元に及ばないと思います。

そして、とんでもなく頭脳明晰です。

こちらの提案と言外の意図をすぐに理解しました。

なにより領海の概念を自然に受け入れています。

説明一つ求めずにです」


「驚きだな。

領海の概念は俺とお前しか認識していない……とばかり思っていたぞ。

そうなると制海権の概念も知っていそうだな。

それ以外だが……あの気の毒なガリンドのじいさんはどうしていた?」


「お人が悪いですね。

ガリンド卿を排除するように仕向けたのはペルサキスさまではありませんか」


「そりゃ、あのじいさん……しぶといし、手堅くて諦めない。

引き際までかわいげない。

しまいには徐々に俺の戦法に対応してきた。

負けないが被害が馬鹿にならない。

だからその主君にちょっかいを出して更迭するように仕向けたが……。

後任の手応えのなさに後悔しているくらいだよ。

ああも無能ばかりが相手だと、張り合いがない」


 ゼウクシスは、小さく首を振った。


「伺った話ですが、ガリンド卿は別の場所に騎士団長の補佐として出向いているようです。

詳しくは分かりませんが、形式的に雇ったのとは違うと思います」


「それは楽しみだな。

あのじいさんを使いこなせる主なら、相手をしても楽しいだろうよ」


「個人的な感想ですが……。

ラヴェンナ卿は、敵に回したらこの世で一番怖い相手だと思います。

戦わずに手を組むに越したことはありませんね」


 フォブスは、少し真剣な目で考え込む。

 そして再び杯をあおった。


「俺では勝てないと?」


「分からないとだけ申し上げます。

戦場でペルサキスさまが負けることはないと思います。

それ以外ではなんとも……」


「お前にそこまで言わせるラヴェンナ卿か。

会ってみたくなったぞ」


「なんの根拠もない感想ですが……」


 フォブスは笑って、手を振った。


「もったいぶるなよ。

言って見ろよ。

お前からの言葉を聞かなくなったら、俺はおしまいさ」


「ペルサキスさまと相性は良い気がしています。

そしてラヴェンナ卿は、信頼に足る人物にも見えます。

いたずらに敵対しないほうが賢明でしょう」


 フォブスは途端に渋い顔になった。


「それはリカイオスのオッサンに言ってくれよ……。

酒を飲んで、世界の統一王になるとか言うのは良いけどさ。

最近は冗談で言っていない気がしているぞ」


 ゼウクシスは力なく首を振った。


「今のところ敵なしですからね。

もっぱらペルサキスさまの力に頼ってのことですが……」


「もし、リカイオスのオッサンがラヴェンナのあれだ……呼び名の一つが魔王さまだっけな。

それに手を出したら、どうなると思う」


「考えたくもありません。

第一にラヴェンナは騎士団以外の軍事力を隠し持っているように見えます。

むしろ、そっちが本体でしょう。

それと戦うと、どうなるのか……」


「騎士団のほぼ全員が出払っているのか。

平定直後にそれをやるとなると、確かに別の武器を隠し持ってそうだなぁ。

傭兵は考えにくいな。

果たして何を隠し持っているのやら……」


 ゼウクシスは杯をあおって外を見た。


「どちらにしても、無駄な色気を出さないことを願うばかりです。

周囲が小動物ばかりだと油断していると、突然魔物に出くわすかも知れません。

出くわした後では手遅れですから」


 フォブスは大げさに肩をすくめた。


「上が馬鹿だと、下は苦労するものさ。

どこでも……な」


 ゼウクシスはそんなフォブスに苦笑した。


「そうですね。

馬鹿でなくても……上が無茶ばかりすると、下は苦労しますよ」


「おい……ゼウクシス。

お前は俺が無茶ばかりしていると言いたいのか?」


「ご自身の胸に問いかけてください。

私からはなんとも」

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