358話 今はパラダイス

 使徒が町作りに励み始めたのは放置しておく。

 と言っても、こちらからできることはない。


 ただし、混乱は確実に波及するだろう。

 本家にも注意を促しておく必要がある。

 手を出せるのは、そこまでが限界。

 それ以上、手を出しても効果がない。

 それに無駄な反感を買う。


 結果的に、その日の生活に困窮するのは領民なんだよな。

 領主は財布に、ダメージが来るだけで死ぬことはない。


 教会はこれを止めないのだろうか。

 無理だな。

 使徒の精神に余裕があれば聞き入れるだろう。

 でも、視野狭窄になると疑心暗鬼を誘発して、誰のいうことも聞かなくなる。


 だから絶対的な権力は怖いのだよ……。

 こっちはこっちで、手を打つとしよう。

 こんなばかげた話で、領民の生活が脅かされるのは我慢がならない。


「キアラ、布告を出します。

ただしこれは、実施に時間が掛かります」


 キアラは時間が掛かるといった言葉に、首をかしげた。


「なんでしょうか?」


「ラヴェンナで使える貨幣は、ラヴェンナで発行したもののみ認めます。

そして既存の貨幣との等価交換を実施。

ただし交換レートは今後変動します。

交換した貨幣は流通量を調整して鋳造しなおしになりますね。

もしくはインゴットにして保管。

鋳造所はフル回転させてください。

シフトを組んで、増員も指示を」


 経済的な鎖国しか、有効な手がない。

 貨幣の価値を、こちらで保証して固定化させる。

 本来は悪手だ。

 経済という生き物は、統治者のことなど意に介さない。

 マネーの原理に従って動く。

 それにいうことを聞かせるのはとんでもない労力が掛かる。

 そして大して、効果がない。


 だが何もしないと、大パニックになる。

 飢え死にする人たちまででる。

 それなら悪手でもやらないよりはマシだ。

 しょせんは一辺境。

 世界に及ぼす影響は、ほぼない。

 逆に、世界からの影響も少ない。

 なんとかしのげるはずだ。


 ミルは心配そうな顔で俺を見ていた。


「その……大丈夫なの? 実施はできるけど、外から目をつけられない?」


 すっかり立派な領主夫人だな。

 視野も世界を見据えている。


「前例があるので大丈夫です。

オフェリーさんに確認をとりましたからね。

教会自身がやっていて、諸侯にも認めています。

ただ実施する意味がないから、誰もしてないだけです」


「教会がやったの? どんな理由で?」


「既存の貨幣を、使徒貨幣として置き換えるときに使ったのですよ。

そのとき教会だけの特権だとすると反発があるので、諸侯にも認められた権利であると、ときの教皇が明言しています」

 

 こんなときに、オフェリーはとても役に立ってくれる。

 先生と毛色は違うが、徐々に必要不可欠な人材になってきている。


 そしてイザボーにも、危険を知らせておく。

 あまり他人に、この話をするのは賢明とはいえない。

 使徒が聞きつけたら、それを根拠に俺たちを糾弾しかねない。

 だが、黙っているのもダメだろう。

 付き合いがあって、協力的な商会ならなおさらだ。

 

                  ◆◇◆◇◆


 俺の憂鬱な気分とは無関係に、運河も開通した。

 ほぼ同時期に美化された先生の銅像も完成。

 巡礼の旅を共にした3人で銅像の前で酒盛りをして、昔話に花を咲かせた。

 こんな、平和な日が続けばいいのだが……。


 だが、世の中そうはいかない。

 使徒の拠点は予想どおり、食糧はあふれ黄金が満ちる世界と噂が届いた。

 使徒が俺たちに知らせたいから、大々的にやったろう。

 最高の使徒と呼ばれているらしい。


 若干の誇張と、大きな楽観が入り交じった内容だ。

 今はパラダイスだが、周囲の影響がまだ見えてこない。


 そんな噂が届く中、オフェリーが俺のところにやってきた。


「アルフレードさま、マリーからの手紙で気になることがあるのです」


 今でも、姉妹で手紙のやりとりをしている。

 実は使徒が絡まなければ、仲がいいのだろうか。


「なんでしょうか?」


「徐々に金貨での購入レートが上がっている。

以前買えた価格でものを買えなくなっている。

変事が起こるのではないかと」


 さすがに気がつくだろう。

 細かいことは、マリーに任せっきりだろうからな。


「既に起きていますよ」


 オフェリーは困惑顔になった。

 ポジティブな感情は、まだ苦手なようだ。

 困ったことにネガティブな感情は、最近スムーズに表現できるようになっている。


「何かアドバイスしたほうがいいでしょうか」


 俺は首を振る。


「無理でしょう。

火元を消さずに燃えた枝先だけ消しても無意味です。

しかもこの火元の火力はすごい」


「どうしたらいいでしょうか……」


「今、誰のいうことも聞きませんよ。

むしろ指摘されるとムキになって、自分の正しさを証明しようと事態を悪化させます」


 オフェリーは、悲しそうな顔をしてうつむいた。

 何か俺が悪いことをしている気になる。


「見ているしかないのですね」


「そうですね。

私たちの手は、簡単に世界を変えるほど大きくはないのです。

だからこそ……いいこともあります」


「いいことですか?」


「失敗しても、影響が小さいので立て直せるのですよ。

試行錯誤して前に進めます。

巨大な力には、それを正しく扱えるだけの精神と知性が必要なのですよ」


 オフェリーは力なく、頭を振った。


「ユウさまにそれはないですね。

ある意味かわいそうな人なのかもしれません」


「周囲の人は、かわいそうで済みませんがね。

打てる手はありませんよ。

それこそ必死になって、状況を悪化させるでしょう。

もし、彼一人で世界中の食を作り出せるなら、なんとかなるでしょうけど……」


 オフェリーが眉をひそめた。


「まだなにか?」


「そうなると、農業をする人がいなくなるでしょうね。

領主も領民を、他のことに使いたくなるでしょう。

そして放棄農地が増える」


 ミルが突然慌てだした。


「あー、やめてやめて! あれは、もうおなかいっぱいよ……」


 キアラまで、うつろな顔になっていた。


「3食肉、デザートはソーセージ。

体重を戻すの、ものすごく大変でしたわ……。

ええ、苦しむなら皆で苦しみましょうよ。

毎朝自分のお腹周りの成長に、恐怖すればいいのですわ……」


 オフェリーはキョトンしてしていた。

 知らないなら、それに越したことはないよ。

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