341話 閑話 オフェリー・ルグラン 1
「あなたは、大きくなったら使徒さまにお仕えするのよ」
そんな言葉を、子守歌に私は育った。
不思議とときめくとか…楽しみとかなかった。
私の役目なんだと、単純に思っただけ。
物心ついたときには、私は教皇だった叔父に引き取られていた。
知らないうちに生まれていた妹は、別の叔父を父としていた。
妹のマリー=アンジュと、私の性格は正反対。
元々の性格なのか、そう育てられたから…かは分からない。
私への教育は感情を出さないこと。
感情を出すとしかられた。
手を上げられることはなかったけど、そのあとの冷たい視線を思い出すと…反射的に動悸が速くなる。
「お前のためなんだよ。
教皇や枢機卿の娘は、皆…使徒さまの寵愛を受けられるように努力しないといけない。
使徒さまも心を持っている。
寄り添って助けることが大事。
それには気に入られないといけない。
見初められれば教会も、全力でバックアップするよ」
こんな言葉を、延々と聞かされた。
今でも目をつむれば、ありありとその光景と声が思い出される。
10歳になるころには…しかられなくなった。
そして15歳の頃から、教会の仕事を手伝うことになった。
各地から送られる定期報告書を精読して、定例会議の際に特別な報告があれば知らせる。
一種の取り次ぎ役だ。
地味な仕事と言われるが、私の性格には合っていた。
もうひとつの治癒術も…覚えて困らないので習得に打ち込んだ。
そんな私と違いマリー=アンジュは、とても要領が良かった。
笑顔がかわいくて、天真らんまんに自分を見せるのがすごくうまい。
でも、とてもしたたかなのは知っている。
地道な仕事は嫌っており、自分のイメージをとても大事にしている。
イメージに合致する仕事にはものすごい努力をしている。
治癒術に優れた才能を発揮する、10年に1人の天才少女。
そのイメージを武器にパーティーなどで偉い人に、愛嬌を振りまいて懐に飛び込むのがとてもうまい。
私はダメだ。
挨拶はされる。
でも大人たちは、すぐに会話が楽しい妹や貴婦人たちのもとに去って行く。
別に、気にはならなかった。
会話をしなければ、感情を出す危険もない。
たまに疑問に思う。
こんな面白くもかわいくもない性格を使徒さまが気に入るのだろうか。
でもあらがうほどの信念もなく、ただ流されていた。
使徒さまの降臨が遅いと、教会内部でざわめきが起こり始めた。
教皇
それを遠くから眺める私の楽しみと言えば、各地から送られる定期報告書を読むことだ。
それを読んでいる間だけは、誰にも邪魔されないし自由になれる。
疑問があれば、再度報告を求めることもできる。
報告書管理室は、私だけの聖域。
そして誰もやりたがらない仕事なので、私に全部任された。
昔は重要な役職だったが、使徒さまの降臨がされてからは形式的なものとなっている。
地方教会への陳情はコネで行われるように変わっていたからだ。
緊急の情報は早馬で教皇庁に伝達される。
つまり出世コースでなく閑職に近い。
おかげで読んだことは、スラスラと答えられるようになっていた。
こうして誰もやりたがらない仕事は私だけのものになった。
定期報告書はつまらないと言われている。
でも一通だけすごく興味を引くものがあった。
未開の地として知られるラヴェンナ地方。
その開発の進捗や、現状の報告。
淡々とした文章だが、未開の地がスムーズに開発されていることが分かって…とても面白かった。
何度もそれを読み返す。
ヴィスコンティ博士の名前だけは知っている。
偏屈な面倒くさがりな天才。
そんな偏屈で面倒くさがりな人が、未開の地で大変な顧問をしている。
とても興味深かった。
そこにいる人たちは、どんな人だろうと想像するのも楽しい。
領主のアルフレード卿は私と歳はさほど変わらない。
お飾りで周りが優秀なのだろうか。
想像は尽きなかった。
マリー=アンジュはそんな地味な仕事は関わろうとしない。
代わりに殿方たちに、顔を売ることがとても達者だった。
あっという間に、相手の懐に飛び込んで、支援を引き出す。
まるで天使だと大人たちの間で、評判になっていた。
種違いとはいえ姉妹なので、よく顔を合わせる。
マリー=アンジュは私に、まばゆい笑顔を向ける。
「お姉さまだってとても魅力的よ。
私より使徒さまに選ばれるかもしれないわ」
本心でなく社交辞令。
それでも答えに困ってしまう。
静かに首を振る動作でも怒られてきた。
視線だけが私の自由にできる部分。
自然と視線を左右に揺らす。
「どうかしら。
1000人いれば999人は、マリーを選ぶと思うわ」
女の意地があったわけではない。
たまにマリーのような子が、苦手な殿方がいる。
だから1人を差し引いた。
そのとき、マリーはニッコリほほ笑んだが、いつもの笑顔とはちょっと違った気がした。
「お姉さま…その1人はどんな人だと思いますか? ひょっとしてお姉さまのようなタイプが好みなんでしょうか?」
「いえ…マリーのような、まぶしい美少女が苦手な殿方もいると思っただけよ」
マリーは私の顔をのぞき込んで、笑顔になる。
それはいつもの笑顔に戻っていた。
「それでは…その1人にも好かれるようにしないといけませんわね」
「今でも十分すぎるくらいすてきでしょう?」
マリーは静かにほほ笑んだ。
「使徒さまがその1人ではいけませんわ」
淡々と述べる言葉に、マリーの意志の強さを感じた。
絶対にこの子には勝てない。
でも悔しくもないし、なんとも思わない。
揺るぎようのない事実だから。
「マリーなら大丈夫よ」
マリーはかわいらしく、両手を後ろに組む。
その動作は、しなやかで殿方を魅了するのだろう。
私の動作は、ぎこちなくて堅い。
「私が選ばれたら、お姉さまも選んでもらうようにしますわ」
教会からは寵愛を得られるのは1人のはずだ。
「2人はダメなんじゃない?」
マリーは、かわいらしくウインクした。
私に、そんな仕草を見せる必要はない。
でも全ての動作が、そうなるようにしつけられたのだろう。
「そこは使徒さまが、強く望めば簡単にかないますよ。
私だけでは…小さいころから頑張ってきたお姉さまがふびんですわ」
確かに選ばれないとふびんなのだろう。
努力が無駄になる。
でも悔しいとかつらいとか、そんな感情が湧かない。
選別落ちになっても…報告書に埋もれる毎日になるなら、それでも幸せだと思う。
どうしてそんな熱心に、私をハーレムに入れるようにしたがるのだろうか。
1人だと不安…はマリーに限ってないだろう。
マリーの魅力なら、容易に寵愛を独占できる。
私は、単に邪魔でしかないと思う。
仮に私が選ばれたら、マリーを入れてもらおうとは思わない。
取られてしまうからだ。
「そんな気にしなくても良いわ。
私の分も、マリーが寵愛を受ければ良いでしょう」
淡々とした言葉に、マリーが眉をひそめた。
「お姉さまはハーレムに入りたくないのですか?」
一体何を聞いているのだろう。
まるで分からない。
「私の意思で決まらないから」
決めるのは使徒さまだ。
私の意思や願望は無関係だろう。
「自信があるのですか? 実は自分が選ばれるって」
何を言っているのか分からない。
どこをどうとったら、自信になるのだろう。
落ち着かなくなると、視線を左右に動かしてしまう。
「自信は持っていても、意味がないから。
私が決めるわけじゃないわ」
マリーの視線が冷たくなる。
何か怒らせることをしたのだろうか。
まるで分からない。
「努力や信念を持たずに、どうやって選ばれるのですか? 相手は選ぶ立場なのです。
そして私たちはそのために生きているのですよ。
150年に1度の舞台の主役は待っているだけではつかめないわ。
振り向かないのなら、どんな手を使ってでも振り向かせるべきでしょう」
努力や信念で、相手が自分を好きになるのだろうか。
使徒さまは、いくらでも好きな女性を自由に選べる。
座って気に入った女性が出るまで、首を振っていれば良い。
そこでは女性たちは皆、熱心にアピールする。
そんな品評会で、こんな面白くない私がアピールしても無意味なのよ。
やっぱり分からない。
「マリーなら大丈夫よ。
あなたが選ばれるから」
マリーは大げさに、ため息をついた。
そんな仕草でもかわいらしい。
「お姉さまの話が飛びすぎて…ついていけませんわ。
でも…お姉さまは、それだけ変わっているから、使徒さまの気を引けるかもしれませんわね。
そして悔しいですけど…治癒術ではお姉さまに私は遠く及びません。
私はしょせん10年に1人、お姉さまは150年に1人。
使徒さまの隣に立つのに十分な資格ですわ」
150年に1人。
つまり使徒さまに従う、治癒術士としては最高だと言われた。
全く実感はないけれど。
でも治癒術を教会の子供たちに教えるのは楽しかった。
不思議とマリーは、小さい子供たちに人気がない。
私と人気が逆転している。
ただ男の子は大きくなると、マリーに魅了されていく。
女の子からは不人気というより敬遠されている。
マリーが私に突っかかるのは、治癒術の能力だろう。
唯一私が勝っているから。
でも…恋人でなくても従えるだけで良い。
それはハーレムに選ばれる条件じゃない。
男が女に求めるものは能力ではないと思う。
それよりも気になる言葉があった。
私は変わっているのだろうか。
普通って何だろう。
言われたとおりに生きてきたから、これが私にとっては正しく普通だと思っていた。
教皇
「たとえ、使徒さまのお眼鏡にかなわなくても、お前は正しい生き方をしているよ。
そうなっても、使徒さまを恨まないことだ。
そのときは最後のご奉公として、使徒さまの前から去るのが一番だ。
もしかしたらお慈悲で選ばれるかもしれないからね。
決して使徒さまの御心を煩わせてはいけないよ」
今までやってきたことが間違いとは思いたくない。
もしかしたら私は間違っているのか?
その言葉は、私をとても不安にさせた。
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