338話 ただの独り言
翌日に、ミルが戻ってきた。
仕事を始める1時間ほど前のことだ。
「おかえり、ミル」
ミルは俺にほほ笑みかけた。
「ただいま。
ヴァーナと話してきたよ」
「どうだった?」
「まだ迷っているわね。
結論が出せないみたい。
もう少し待ってあげてくれない?」
多分、10年以上の憧れだ。
それを押しとどめるくらい、悩みが大きいのだろうな。
「ええ、勿論構いませんよ」
「有り難う。
なんかね、冒険者をしているから…同じ人と3年間の長さで付き合いがないんだって。
ジラルドさんとデスピナさんは別よ。
家族みたいなものだから」
「結構流動的なんだね」
ミルが俺の感想に、肩をすくめた。
「ええ、降臨したらすっ飛んでいくつもりだったから、がっちりしたパーティだと抜けられないでしょ。
身軽にするために、特定のパーティに入らなかったんだって」
「数年腰を落ち着けて、情が移ったのかな」
ミルはほほ笑んでうなずいた。
「ええ、そうみたい。
ここは居心地が良いからね」
この話は、それで終わった。
あとは、本人の判断次第。
可能な限り待つつもりだ。
そのあと2週間ほどは、何事もなく過ぎていった。
治癒術士の教師をしながら、第3秘書もしているオフェリーが俺の横にやってきた。
予想外…と言うべきか。
感情表現が苦手なだけで、仕事自体はちゃんとできている。
まだ、幼少の頃からの教育があるから、自己表現をするとまではいかないが…。
「オフェリーさん、どうしましたか?」
突如一礼された。
「アルフレードさま、ご配慮感謝します」
配慮? 確かに色々したが、このタイミングで言い出すのが分からなかった。
何かあったかな。
「働きやすいように配慮するのは、領主の勤めです。
礼には及びませんよ」
「小さな友達まで配慮していただけるのは、その範囲外だと思いましたので、お礼がしたくなったのです」
ああ、マノラか。
「範囲内ですよ。
自分の価値観を持てるようにと言いましたからね」
オフェリーがぎこちない様子で困った顔をした。
それにも、努力が必要なのか…。
難儀すぎるな。
「それでも感謝しています」
ここで否定したら困らせるだけだな。
「どういたしまして」
「あと一点、私的なことでご報告することがあります。
報告するときに、一緒にお礼をすれば効率的かなと思いました」
ちょっとズッコケそうになった。
だが…まだ、環境が変わったばかりだからな。
長い目で見よう。
「なるほど、それで報告とは?」
「妹から手紙が来ました。
マリー=アンジュと言います」
なんとなく、察しがつく…。
でも先回りすることもないか。
「私的なら報告しなくても大丈夫ですよ」
オフェリーが、ちょっと考えて首を振った。
「いえ、大事な話です。
マリーは私に戻ってくるようにと言ってきました。
使徒さまに謝罪すれば、ハーレムに入れるように口添えすると」
やはりか。
使徒本人が言い出すのはいやだったのだろう。
断られて傷つきたくないからな。
それを忖度して、ハーレム筆頭が行動したわけか。
「それでどうされましたか?」
「断りました」
簡潔明瞭だな。
この返しも分かりきっている。
だが…そのマリー=アンジュが、これで諦めるとは思えない。
時間は稼げるが、稼げたから得になる話でもない。
「なるほど、報告有り難うございます。
私はオフェリーさんの意思を尊重しますよ」
オフェリーの視線だけが、下を向いた。
やはり、とっさのときには元々の癖がでるな。
「私がここで働きたいと言って、使徒さまが、私を差し出せと言ったらどうされますか?」
「なら断るだけですよ」
部屋中に、緊張が走ったのが分かる。
オフェリーも硬直している。
やっと、口を動かせたようだ。
「正気ですか?」
「撤回するくらいなら、最初から受け入れません。
そしてもう一つ、オフェリーさんは使徒からの災難がラヴェンナに降りかかるのを恐れて、今更自分がいくと言わないでください。
そうなると私が間抜けなだけですからね」
オフェリーは沈黙していたが、暫くして口を開いた。
「どうして…そこまでしていただけるのですか?
リスクが大きすぎると思いませんか?」
「オフェリーさんを受け入れたからですよ。
あとはリスクなど関係ありません。
ラヴェンナでは一人の権利を守るのに、領主は総力を挙げるのですよ。
確かにオフェリーさんは市民ではありませんが…。
少なくともラヴェンナのために働いてくれるなら、その意思は守りますよ」
「どうやって守る気ですか? 不可能だと思いませんか?」
「ではオフェリーさんは、私が前言を撤回すると思って、ここに来たのですか?」
オフェリーは首を、強く振った。
感情が暴走気味か。
「そのときまで逃げられれば良いと思っていました」
俺は、軽い調子で手を振った。
「まあ、私に任せてください。
少なくとも自分の判断基準を持てと言ったのです。
最低でもそこまでは、守る義務がありますからね」
そう言った途端…無表情のまま、オフェリーの瞳から涙があふれ出した。
さすがにびっくりしたが、その様子を見たミルとキアラがオフェリーの隣にやってきて優しく抱きしめた。
ミルが、ちょっとからかう感じで俺に笑いかける。
「こうやって、女の人を口説くからアルは悪質なのよ」
いや、口説いてないって。
今のセリフのどこに、そんなポイントがあるんだよ…。
キアラまで、盛大にため息をついた。
「お姉さま、無理ですわ。
お兄さまにそのつもりがなくても、相手に刺さるんですもの」
ミルがその言葉に、ため息をついた。
「そうね、私もそれでやられちゃったからね…」
感謝までは分かるが…。
やはり、内心ではいやだったのかな。
2人は別に俺を非難するわけではないようで、苦笑しながらオフェリーを連れて別室に移動した。
俺は、腕組みをして天井のシミを数えた。
俺が、白馬の王子様にでも見えたのか。
そんなガラじゃない。
どちらにしても、相手の感情を無視して、自分の女にしたいのだろうか。
そこまでは悪質でないだろう。
相手の感情に配慮しないだけで、周囲が勝手に使徒の欲望を先回りして実現しようとするのだろうな。
そうやって目と耳をふさがれる。
悪い取り巻きに囲まれては、自制心など持てないか。
使徒が暴走する理由の一端は周囲なんだろうな。
「彼女のためだけじゃないのですがね。
一度それを認めると、次に別の女性を要求されたときに何の根拠で断るのかって話です」
俺の独り言に、部屋に残った秘書官たちが、顔を見合わせた。
ただの独り言だよ。
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