328話 則ち禽獣に近し
ミルは驚いた顔をしているが、俺からすれば想定内でしかない。
使徒がドラゴンを探し出して退治するのは、蕎麦屋で蕎麦を頼むレベルの話でしかない。
俺のようなヤツは、蕎麦屋でカレーライスを頼むようなひねくれ者だ。
俺の無反応に、第三の空の女王が目を細めた。
『
「ええ、使徒は強さのアピールをしたいでしょう。
その場合、ほぼ最強と思われるドラゴン退治は、格好のネタでしょうからね」
『必然であると申すのかえ?』
「そのドラゴンが、何をしていたかは知りません。
何もしていなくても、存在が知られたら、噂なりを勝手に周囲の住民が流すでしょう。
勿論、恐怖もあるでしょうね。
自分と異なる、強大な存在にはおびえるものですから。
そうなると誰にも倒せない悪役が完成します」
第三の空の女王が、少し息を吸った。
それだけでも、体が引っ張られる。
まともな生き物が太刀打ちできる相手ではない。
そんな相手でも、使徒には太刀打ちできない。
『
己と異なる、強大な存在とは、使徒も同じではないのか?
持っている力に伴う誇りもない。
会話など、能うものではない。
否、言葉が分かるが道理などない。
分かるだけに一層不快になる』
ドラゴンの愚痴ってのは、実に珍しいな。
苦笑しつつ、なだめる必要を感じる。
軽く愚痴を言っているつもりでも、時間の観念が違う。
それこそ、10年聞かされかねない。
「見た目が人間なので恐怖を感じないのです。
そして一見すると恩恵を受けられますからね。
勿論、危険なことは正しい認識です。
ですが周囲は、それを有効に利用しようとするのです」
俺はできるだけ丁寧に言葉を探す。
ドラゴンと人間では、見ているものが違う。
その認識の差をうめるように、人間から説明しないといけないか。
「人は躾けないと、禽獣と変わりません。
そしてようやく、己を律することがかなうのです。
ですが、使徒は己を律することができません。
住むところも、食うところにも困らず、気がつけばハーレムが出来上がる。
誰も止めることはできない力を持っていれば、本能のまま振る舞うでしょう。
ただし、己が禽獣だとは思いたくはないのです。
立派な人格者だと思われたいのです。
ですが自分を抑えることができないので、結局は理屈にならない理屈をつけて、好きなことをやるでしょう。
ですので言葉は分かるが、道理がないのです」
俺の持論ではない。
孟子も言っている。
人の道有るや,飽食媛衣にして,逸弔して教えらるること無くんば,則ち禽獣に近し。
何一つ不自由なく生活して、誰も教え諭さなければ獣と変わらないってことさ。
そんな醜態でも、周囲が肯定して賛美する。
そして使徒は、自分の周囲に依存していく。
そこに客観性はない。
ただ望む結論が、先にあるだけの世界だ。
第三の空の女王が、小さく首を振った。
『
どうか許されるように。
話を戻すとしよう。
ミルは心配そうに俺の腕をつかんでいる。
俺はミルに笑いかける。
ここで、危害を加えられることは決してない。
「ドラゴンもエルフも、一つの共通点があります。
長く生きる者の常として、魂の汚れを嫌うのです。
ですから、心配無用ですよ」
その言葉に、ミルははっとしたようになって、第三の空の女王を見た。
第三の空の女王は、静かにたたずんでいる。
ミルが俺をつかむ腕の力が弱くなった。
落ち着いたようだ。
では、話を進めようか。
「私に聞きたいこととは何でしょうか?」
『使徒が来たときに、
「まず、使徒の前に出る必要はありません。
最初に盟約で交わしたとおりです。
使徒には私が対処します」
『
「多分、私以外では無理でしょう」
第三の空の女王は、静かに目を閉じていた。
数分の時間がたったろうか。
ようやく、目を見開いて俺を見た。
『
今まで誰も見たことのないものだ。
して、
「無駄に散る気などありませんよ。
今まで…そのために、ずっと準備をしてきたのです。
もし可能なら、別の方法で力を貸していただけませんか?」
『申してみよ。
能う限りは、
そこで俺は、対策を初めて口にした。
ミルは驚いているのが、気配で分かる。
第三の空の女王は、しばし思案しているように見えた。
『良かろう、
俺はホッと、胸をなで下ろした。
これで少し成功率が高まる。
「有り難うございます、あとは、私に任せて静かにしていただければ結構です」
『頼みがある。
ことがなった暁には、
不可思議なればこそ…気になる故』
「分かりました、お約束します」
ミルは後ろで、何か言いたそうにしていたが堪えているようだった。
第三の空の女王は、ミルの様子に気がついたようで目を細めた。
『森の愛し子よ。
つがいに危険が大きいことを憤っておろう。
だが、己の力では手が出せないこともな』
ミルは黙って俯いた。
俺の腕を握る手の力が強くなる。
多分、今喋ると感情が溢れるから堪えているようだ。
第三の空の女王が、小さく息を吐き出す。
それだけでも、突風が吹く。
大きいのも不便だな。
『森の愛し子よ。
人の子の心の機微は、
だが、
己を卑下することは、つがいを卑下することに等しい。
あとはそのときが来るのを待つのだ』
ミルはうつむいている。
「はい…」
これを、自分の中で消化するのは、時間が掛かるかもしれないな。
あとでちゃんとフォローしないといけないか。
『では
再び会えることを、
そして夜の邪魔をした詫びではないが、明日は峡谷に、風を吹かせよう。
すぐに峡谷を抜けられようぞ』
ドラゴンにも感傷はあるのだろう。
人のそれとは違うだろうけど。
「そうですね、私もそう思います。
風の配慮は感謝致します」
その言葉とともに、体が浮いて部屋に戻される。
霧が晴れると、また全員が動けるようになったろう。
となると…。
しばらくして、ドアがノックされる。
「大丈夫ですよ。
私もミルも何事もありませんよ」
ジュールの声がした。
「承知しました。
前回と同じでしたから大丈夫かと思いましたが、念のため確認しました」
「ええ、休みにくいと思いますが休んでください。
あと明日峡谷に、風が吹きますから、船で一気に抜けてしまいましょう」
「はっ、承知しました」
そのあと、ジュールが去っていく足音がした。
ミルは黙って、俺の隣でうつむいていた。
楽しい新婚旅行のはずが、嫌な現実を思い出させてしまった…。
俺がミルに謝ろうとすると、いきなり口を人さし指で止められた。
「どうせ、嫌な思いさせて、ゴメンとって言おうとしたんでしょ。
それはやめてよね。
今、ちょっと自分が嫌になってるだけだから。
私がアルの立場だったら、同じことをすると思うの。
だからちょっとだけ、時間を頂戴。
明日には立ち直るから」
俺は、特に良いセリフも思いつかずに、黙ってミルを抱きしめた。
そう都合よく幸せな話ばかりあるものじゃない。
だからこそ、今ある幸せを大事にすべきなのだろうな。
実に月並みな感想だが、偽らざる本音でもあった。
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