324話 機会と能力

 翌日、ミルと2人でアーロンを尋ねる。

 アーロンは前より痩せて、肌のつやもなくなってきた。

 70超えているからな…。

 この時代では、かなりの長寿だ。

 彼とも、もうじきお別れなのかな。


 アーロンは俺たちを見てほほ笑んだ。


「ご領主さまに奥方さま、お久しぶりですな」


「ご無沙汰しています。

お元気そうでなによりです」


 アーロンは穏やかにほほ笑んだ。


「こちらこそご無沙汰しております。

まずはラヴェンナ平定おめでとうございます」


「ありがとうございます。

まだまだ安心できる状態ではありませんけどね」


 アーロンは俺を見て、静かにうなずく。


「19歳でしたかな。

その年齢で、それだけの慎重さとは驚くばかりです。

年寄りがはやる若者を制止する。

そんな楽しみを奪われてしまいましたなぁ。

3年で平定だけでなく、新しい社会まで作られました。

亡き妻にも良い土産話ができて有り難いことです」


 この話はどう返して良いか、正直分からない。

 冗談で笑って済ませるべきか、真剣にとるべきか。

 俺が悩んでいるのを見たアーロンは笑いだした。


「こういうときは、適当に相づちをうっておけば良いのですよ」


「ついつい…いろいろ考えすぎてしまうのですよ」


「それにしても…学のないものばかりだったのに、今やなにやら複雑な政治を皆が担っている。

不思議なものですな。

ラヴェンナはそこまで、優秀なものたちが隠れていたのですかな?」


 実はそうじゃないんだよ。

 俺は、アーロンに小さく笑いかける。


「機会さえあれば、多くの人ができますよ。

今まで機会がなかっただけです」


 人の能力に、そこまで多くの差はないと思っている。

 特異な天才がいるのは事実だ。

 勿論…得手不得手は、それぞれある。


 だが、トータルの能力差は基本的に環境の差だろう。

 学んで、経験をつんで成長できる環境に生まれたか。

 悪い環境から必死にはいあがって、成功する人としない人もいる。

 成功を渇望しても努力できる環境にいなければ、成功などできない。


 政治として基本的なスタートラインだけは整えたい。

 努力すらできない環境にだけはしたくないのだ。

 あとの道は、自分たちで決めれば良い。

 道まで決めようとすれば、絶対に破綻する。

 自分の人生を、赤の他人になど決められたくない。


 ミルは俺の言葉にあきれた顔をしていた。


「アルはいつもそう言うけど、信じられないのよね…。

アーロンさんもそう思いませんか?」


「奥方さまのおっしゃる通りですな」


 アーロンはなんの迷いもなく、ミルの側に回った…。

 形勢が悪くなったので、俺は一つせきばらいをして、雰囲気を変えることにした。


「走ることは、誰でもできるでしょう。

それもある程度の速度なら、ほぼ誰でも。

ある程度を越えるときに、才能や相応の努力が必要になりますけどね。

人によっては不可能だったりもしますよ」


 アーロンは俺の言葉に、愉快そうな顔をした。


「確かにそうですな。

皆がやっていることは、ある程度と言われるのですかな?」


「ええ、一見大きな仕事でも…分割することによって、単純で簡単になります。

私はまずそうして、皆にできると自信をつけてもらったのです。

そして今は、最初にやった仕事より大きくて複雑なことに挑んでいます」


「なるほど、しかし…皆は誰でもできると思っていないでしょうな」


 俺はアーロンの言葉に、苦笑を返した。


「他の土地から領民を連れてきて、今の彼らのやっている仕事をさせても無理でしょう。

積み上げてきたものがありますからね。

同じスタートからだとどうか。

多分できるかも…と思うのでは?

狩りにしてもそうではありませんか。

まず簡単なものから始める。

それと同じことですよ」


 アーロンが俺の言葉に小さくうなずいた。


「確かにおっしゃる通りですな。

ご領主さまは人を乗せるのが、実にうまいですなぁ。

自信を持っているから、より頑張れるわけですな」


「別に相手を持ち上げていませんよ。

やれることを提示して、それを達成させる。

その結果として、自信をつけてもらう。

そうすれば、あとは自分たちで歩けるでしょう。

最初に自信を持つことが大事ですからね。

私が注意したのはそこだけですよ」


「3年前の皆に、今の光景を見せたら、全員信じないでしょうな。

奥方さまも人を使うようなことは初めてだったでしょう」


 ミルは俺を横目に見て肩をすくめた。


「ええ、昔だったら、全く想像もつかないし…できるとも思わないですよ。

気がついたらできるようになっていました。

アルと出会ってから、全く違う世界に来たみたい」


 アーロンは、その言葉にうれしそうにうなずく。


「私もですな。

そしてその違う世界が、前よりずっと良いと思っていることも同じでしょう」


 ミルはアーロンの言葉に、ほのかに笑った。


「ええ、間違いないです」


 前より良いと言われるのはうれしいが、面と向かって言われるとどうにも落ち着かない。

 そんな歓談をして、アーロンの元を辞した。



 多分彼と歓談するのは、これが最後だろうな。


 ここ最近、身近な人が亡くなっていくような気がする。

 そのたびに、自分がどこか壊れている事実を突きつけられる。

 愉快ではないが、どうにもならない。

 怒ったところで、涙がでるわけもない。

 枯れた井戸を、いくら掘っても水はでない。


 そんなふうに、感傷にひたっていると、ミルが腕を組んできた。


「アルまた変なこと考えているでしょ」


「いや別に変なことは考えてないですよ」


 ミルは、俺がアーロンと最後の歓談が終わった…と思っていることに気がついたようだ。


「そうね、でもアーロンさんは幸せだと思うわ。

それで良いじゃない」


 俺は、黙ってうなずいた。

 次の旅行先は…向きを変えて、運河の工事を見学だったな。

 まるで視察だ。

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