323話 正気か狂気か

 今のところ、俺がどうこうできる話ではない。

 なので悩んでも仕方ない。

 そんな結論とともに、新婚旅行を楽しむことにする。


 温泉町を、2人で歩いていても護衛はついてくる。

 仕方ないけどね。


 2人で歩いていると、子供が一人で俺のところに駆け寄ってきた。

 子供を護衛が遮ろうとしたが、俺は護衛を押しとどめる。


 子供は、小さい犬人の女の子で、10歳にも満たないか。

 俺の前に立って、少しモジモジしている。

 

 ミルと俺は、顔を見合わせて笑ってしまう。

 ミルがかがみ込んで、その女の子に声を掛ける。


「お嬢さん、どうしたの? 私たちになにか用かな?」


 女の子はちょっとためらってから、俺たちを見た。


「おとうさんが今、けがをして病院にいるの」


 俺も、ミルと同じようにかがみ込んで、その子と目線を合わせた。


「お父さんは戦争にいってたのかな?」


 女の子は小さくうなずいた。

 ミルはその女の子に、優しく笑いかけた。


「もしかしてアルにお見舞いしてほしいのかな?」


 女の子はその言葉に、笑顔でうなずいた。

 ミルが俺を見てうなずく。

 俺も分かったとうなずきを返した。


「じゃあ、案内してくれるかな? お見舞いに行くよ」


 女の子は笑顔で飛び跳ねた。


「りょうしゅさま…ありがとう! こっちだよー!」


 そう言って、元気良く走りだして行った。

 子供が一人で歩ける治安であることは、少し胸を張っても良いかな。

 俺はミルと笑いながら、女の子について行った。


 連れて行かれたのは、傷病兵の治療所だ。

 俺の指示で、怪我をした兵士は、家族も付き添えるように配慮していた。

 見舞いはセレモニー的な形で行うことがある。

 一種のパフォーマンスだな。


 転生前はさめた目でそれを見ていた。

 今はそんな贅沢など許されない。

 それでも毎回全ての場所に、見舞いに行く訳にも行かない。

 権力者が出向くとなると、警備などの問題もあり現場に少なからず負担が掛かる。

 一人で行く訳でないから、コストの問題もある。

 いろいろな条件を計算して、一番効果の大きいタイミングで見舞うのが常識だ。

 つまり純粋な気持ちの見舞いなど権力者は、めったにできない。

 だからこそ、見舞うときは真剣に見舞う。

 偽善だろうが打算だろうが、相手に不快感を与えるような行為は愚かで無駄だ。

 やらない方がましといった行為を、俺は嫌っている。


 兵士からすれば、最高指揮官が見舞ってくれれば名誉に感じるだろう。

 箔もつくし、周囲の見る目も変わる。

 有名人が店にきた写真を張り出すのに近い。


 子供が頼むならいける…と思われたのか。

 俺自身…特別に子供好きと思われることをした覚えはない。

 統治上、領民が安心できるように配慮した結果なのだが…。

 結果を期待したパフォーマンスで打算的なのだ。

 どうも誤解されている気がしてならない。

 必要とあれば、8歳の子供にだって殺害の指示を出せる。

 そんなヤツが、子供好きな訳ないだろう…。


 女の子に連れられて行ったのは大部屋で、結構な数の家族と兵士がいた。

 家族と兵士は、俺とミルの姿を見て仰天してしまっている。

 慌てて、兵士たちが立ち上がろうとしたので、手で制する。


「そのまま楽にしていてください。

私が勝手に押しかけただけですので」


 女の子が自慢気に、両親の元に走って行った。

 父親は足を怪我しているようだ。

 女の子が振り向いて、俺に手を振った。

 これは、全員を見舞わないとダメだな。


 その女の子のところに行くと、両親の犬人は恐縮しきりだった。

 俺の思いとは、裏腹に恐縮される立場になってしまったなぁ。


「お加減はどうですか?」


 兵士がカチコチに緊張している。

 その妻が、兵士を軽くつねって、俺に頭を下げた。


「わざわざお越しいただいて、申し訳ありません。

領主さまがいらしている話をしたら、この子が、急にお見舞いしてくれるように頼んでくると言って…」


 妻が頭を下げようとしたので、俺はそれを制する。


「いえいえ、かえって緊張させてしまって、申し訳ありません。

父親思いのとても良い子ではありませんか」


 俺の言葉にその子は自慢気に胸を反らした。

 あまりのほほ笑ましさについつい笑顔になってしまう。


 そこからは、普通の世間話などをした。

 あまり長話をすると、心臓麻痺で昇天しかねない。

 その兵士とは握手して見舞いを終えた。

 

 ここまできたら、全員を見舞わないとまずいからな。

 ミルと2人で、全員を見舞っていくことになった。



 治療所から出るときは、付添人全員に見送られた。

 結局、その日は見舞いで終わった。


 帰りの最中ミルは俺に笑いかけた。


「アルは人気者ね。

お見舞いであんなに喜ばれるなんてね」


 そのからかう調子に、俺は苦笑してしまった。


「軽蔑されるよりは良いですね」


 領主が軽蔑されたら終わりだ。

 愛されるより恐れられた方が良いともあるが、統治体制の問題がある。

 今は愛されていた方が良いだろう。

 

 ミルは俺の返事に、ジト目になった。


「また始まった。

素直に喜んでおけば良いのよ」


 どうもダメなんだよな。

 アイドルとか人気者であることに、快感や存在意義を見いだす人もいる。

 俺にはその手の欲求は全くなかった。

 嬉々としてサインをしたがる人などは、全く理解不能だ。

 ただ、ミルの言うことは、領主の立場としては正しい。

 ついつい頭をかいてしまった。



 領内を見て回ると2人で決めていたので、久しぶりにアーロンに会いに行くことにした。

 元狼人の村だったところ。


 今は砦と一体化した町になりつつある。

 町の名前は、オラシオに決めさせようとしたが、俺が決めるべきといって譲らなかった。

 今はルプス・オッピドゥムと名付けた町に向かう。


 ミルが馬車の中で懐かしそうな顔をしていた。


「アーロンさん元気かな?」


「元気だと思うよ。

特に何も話が来てないからね」


「懐かしいわね。

町に住んでいたのは、初めのころだったしね」


 虎人の話を聞き出すのに四苦八苦したのを思い出して、笑いがこみ上げた。


「そうだな、あの頃は町の作り始めでいろいろ大変だったな」


 2人で、そんな昔話に花を咲かせていると、ルプス・オッピドゥムに到着した。

 日も暮れかけていたので、アーロンのところに顔を出すのは、明日にしよう。



 宿舎に通されて、そこで夜を過ごす。

 また報告書が、俺の元に届いた。

 この追尾性能。

 うまくいってるのは良いけど、羽を伸ばしたいときには嫌になるシステムだな。


 俺は黙って報告書に、目を通す。

 前回のことがあるので、ミルは心配そうに俺を見ている。

 俺はミルに笑いかけて、報告書を差し出す。


「大丈夫。

その話じゃないよ。

ある意味面倒な話だけど…」


 ミルが報告書に目を通して、眉をひそめた。


「ファビオさんの後任ね。

アルの実家に、まず打診がいったのね」


「いきなり押しかけるのは非礼だしね。

まず打診してくるさ。

断る訳にいかないし、儀礼的なものさ」


 俺の気軽な返事に、ミルが深いため息をついた。


「それにしてもこの人選って正気なの?」


「正気か狂気かなんて、俺たちに知りようがないさ」


 打診された後任の名前。

 前教皇アレクサンドル・ルグランの姪だ。

 名前はオフェリー・ルグラン。


 使徒認定の際に、教皇が代替わりした。

 弟の枢機卿クレマン・ルグランが、新教皇になった。

 つまり新教皇が、使徒に取り入った訳だ。

 内々で激しい権力闘争が起こっていたのだろう。

 

「その人って幾つなの?」


「確か18歳。

詳しいことは知らないけどね」



 ミルが大きなため息をついた。


「ああ…なんで適齢期を、若干過ぎた女の子を送ってくるかなぁ。

まさかアルのこと狙ってないよね」


 使徒降臨を狙って、適齢期を若干過ぎても引っ張るケースも多い。

 俺は、笑って手を振った。


「ないない。

なんで辺境の領主を狙うんだよ。

いくら大貴族の三男でも、分家で、本家の継承権はないのに」


 家族とのやりとりで、ラヴェンナ地方は特殊だから、分家として俺に任せる形で話がついた。


 ミルが再び、ため息をついた。


「じゃあなんで、わざわざここに来るのよ。

狙いがない限りここに来ないでしょ」


「それはそうなんだけどさ。

断ることもできないし、本人に聞けば済む話だよ」


 ミルが頭を振った。


「アルの気持ちが、少し分かったわ…。

こうやって、頭痛の種が勝手にやってくるのね…」


 おいおい、信用ないな俺。


「いや、信用してくれよ」


「勿論信じているわよ。

ただ私のアルに、色目を使われると…こう…モヤっとするのよ」


「そんな程度で心配してたら、胃が持たないぞ」


 ミルが口をとがらせる。


「分かってるわよ。

でも…どうしようもないのよ。

頭では分かっているんだけど…。

たまにこの独占欲が、自分で嫌になるわ」


 俺は黙って、ミルの手を優しくつかんで笑いかける。

 そのあとの言葉を続ける必要もなかった。




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