306話 蔓延する快感

 メガネのようなものを、チャールズに、俺は黙って返した。

 チャールズはそれを黙って受け取ったが、俺を興味深そうに観察していた。


「それで、ご感想は?」


「特に何もありません。

機をうかがう方針に、一切変更はありませんよ」


 チャールズは俺に笑って一礼した。


「承知しました」


 

 俺が怒って、攻撃に心が傾いたら止めるつもりだったのだろう。

 個人的な感情で、大勢の命を左右するなんて、無理がある。

 一人だけなら、損得と個人的感情だけで決めてしまうが。


 諫言役を一人失ってしまったが、まだ一人残ってくれている。

 内心俺はとても感謝していた。

 太宗李世民が魏徴を失って嘆いた理由がよく分かった。



 戦略会議上で、スザナの存在を話すと一同がざわめいた。

 そこで俺は、一同を見渡す。


「奇襲を仕掛けた一因は、これで理解できました。

ですが、原因の話であってこれからの対処に影響する話ではありません。

機をうかがう方針に、なんら影響を及ぼさないとだけ言っておきます」


 俺の宣言に、オラシオ総督が黙って挙手した。

 俺は、それに黙ってうなずく。


「それではなぜ、ここで発表を?」


「情報の共有が一つ。

もう一つは、彼女への怒りにかられて不必要な攻撃を訴えないようにするためです」


「もう少し詳しく教えてくれ」


「まず相手が、何を欲しているか。

今まで、われわれは私の作戦で勝ってきたと思っています。

その強みを消すなら、私を怒らせるか自信喪失させる。

その上で全員を怒らせれば、長所を奪える…と考えるでしょう」


 全員が黙り込んでしまった。

 そのまま俺は、説明を続ける。


「私を怒らせるか自信喪失させるには、どうしたら良いか…。

これは簡単で、今まで私が避けてきたことをすれば良い。

つまり無駄に、犠牲者をださせることです。

そして全員を怒らせるには、どうするか。

これが誰かの陰謀であると、怒りの対象を明確化させることです」


 皆は沈黙している。

 そんな中、エイブラハムが腕組みをしてつぶやく。


「それが、スザナと。

ですが、今は知られていないと思いますが?」


「じきに、自分からばらしますよ。

そこでここで公表したのです」


 考え込んでいたミルが、何かに思い当たるような顔をした。


「最初から知っていれば、怒らないわね。

今はとても腹が立っているけど…」


 俺は、ミルに笑いかける。

 惜しい…といった意味でだが。


「部下や市民が、これを知らされたら怒ります。

そして攻撃するように、突き上げが始まります。

そうすると攻撃せざるえなくなります。

そうなっては、相手の思うつぼです」


 ミルは俺の言葉に、天を仰いでため息をついた。


「そこまで考えていたのね…」


 そのあとすぐに、俺に笑顔を向けた。


「でも、いつもの調子に戻ったみたいだし良かったわ」


 皆も、ニヤニヤと俺を見ていた。

 俺を、娯楽道具にする習慣は止めるべきだと思う。

 ともかく俺はせきばらいをして、話題をかえる。


「それより一つ、懸念される問題があるので、皆さんはそこを注意してほしいのです。

これから市民たちは、ストレスにさらされる生活が続きます。

そうなると一つ問題が発生するのです」


 俺が言葉を切る。

 アンティウムの統治を委託されているオラシオが、身を乗り出す。


「それは何だ、もったいぶる話じゃないんだろ?」


 俺は、苦笑してうなずいた。


「『皆で力を合わせて乗り越えましょう』そんな話をすると思います。

そうなると少しでも協力しない人を、必死に探してたたく風潮がで始めます。

それが行きすぎると、社会全体が制御不能に陥るのです。

自分たちと少しでも違うものを排除し始めるでしょう。

行き着く先は不寛容な社会です。

種族の差別をしない、不寛容な社会なんて、ジョークにしてもできが悪いですよ」


 戦争とは全く無関係な話に、全員があっけにとられている。

 さすがのキアラでも困惑顔。


「お、お兄さま。

いくら最高学位の私でも、理解が及びませんわ…」


「結論から言うと勝ったあとの話です。

勝つ前から、そんな話をするのはおかしいと思うでしょう。

ですがこの話は、われわれの社会の根幹に関わる話なので、譲ることができないのです」


「それでそのお話は、順を追って説明してくださいな」


 キアラは言うが、早いかメモを取り出した。

 おいおい…。

 俺がせきばらいを一つした。


「まず、協力しない人をたたくのは分かります?」


 一同が、顔を見合わせる。

 このあたりは、元部族長なら経験があると思うが…。

 トウコが首をかしげている。


「確かに…たまに勝手なことをするヤツはいる。

それは注意して終わりだろう。

それでも従わないなら、説得殴り合いで解決する」


「それは解決する族長ですよね。

その立場にない人が、解決しようとすることはありませんか?」


 今度は、エイブラハムが腕組みをした。


「確かに、それはありました。

こっちとしては手間が省けて助かりました。

解決した当人には何の利益もないので、感謝しきりでした」


「ではその人は、以降も口をだして、その内容もエスカレートしていきませんでしたか?」


 エイブラハムの動きが止まった。

 ビンゴか。


「どうして知っているのですか?

まるで見てきたように言っていますが」


「社会的な生物に、主に備わっている特性の話です。

『社会的正義を行いたい』という本能は、結構強力でしてね。

問題を解決すると、とてつもない快感を得られるのです。

一種の麻薬のようなものですよ。

この快感を知ると、その人は何もない状態が物足りなくなります。

そして快感を求めて逸脱した行為を、必死に探すようになります」


 エイブラハムが頭を、強く振った。


「それでエスカレートするのですか…。

しかも『自分が正しい行い』をしているから、歯止めが利かなくなる」


「世界で1番血を欲する存在は『正義』ですからね。

正義の自制心なんて聞いたことはありませんよ。

悪は破滅を避ける自制心はありますけどね」


 だから俺は、正義という言葉が嫌いなんだ。

 そして転生前でも、たくさんあった。

 戦時中なら、今回のケースに類似して、非国民として糾弾する。

 転生前にあった、ポリコレや○○警察も、これと同類だ。

 ネットの炎上も、結構それに近いと思っていた。


 ワイドショーもこの麻薬を売り物にして視聴率を稼いでいたな。

 ストレスにさらされると、その解消として、これらがはけ口として表にでてくる。

 ざまあ的な快感は、人間の根源的な快楽の一つだからな。


 トウコがうなりだした。


「警察内でもたまに、何もないと物足りない…なんて、冗談がでていたが…。

もしかして危険なのか?」


 俺は、首を振った。


「警察には規律や罰則があります。

また市民の守り手としての自制心が求められますから、たまにでる冗談なら目くじらを立てなくても良いでしょう。

それこそ…そんな冗談を、必死に探す人がでてきますよ。

つまるところ他人に対する寛容さが大事なのです」


 ともかく話を戻すか。


「ところで、そのエスカレートした人は、かなり嫌われたでしょう」


 エイブラハムがうなずいた。


「ええ、それでついには合流することに反対しだしました。

もしかしたら、社会規範が変わることに、恐怖を覚えたのかもしれません。

結果として、私の襲撃を導いて失敗してからは逃走しました。

生死は不明ですけどね」


「その人は、元々社会からも敬遠されていた存在でしょう。

そんな人たちは、常にストレスにさらされています。

そこからの逃避として、正義にすがりつくのです。

そして戦争のように、非常事態でストレスが全員にかかったら…」


 エイブラハムが天を仰いだ。


「大勢がすがりつくと…。

その快感を知った人が、さらに…と言うわけですか」


「ええ、全員がそうではありません。

ですが確実に、正義中毒は増えるでしょう。

特に今回は、われわれ体制側からのお墨付きがでるわけですからね。

それを恐れているのですよ」


 ミルが何か、ハッと思いついたような顔をする。


「もしかして、アルが単に人を悪いとかダメとか糾弾しないのって…。

これを避けるため」


 俺は、ミルに、ニッコリほほ笑む


「ご名答。

もどかしいとか…煮え切らない態度に見えるかもしれませんがね。

私が断言や容易に断罪すると、それを認めなくなるのですよ。

でも獣人差別に関しては根強いから、あえて断言しました。

それも行きすぎたら押さえ込むつもりでしたけど」


 一同が俺を、驚愕の目で見ている。

 キアラだけは、熱心にメモをとって、ぶつぶつ何かつぶやいている。


「やっぱり…お兄さまは…お兄さまだから…素晴らしいのですわ…」


 その謎理論やめてくれ…。




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