290話 奴隷に関するエトセトラ

 事故調査報告書の承認と、対策の提示を開発大臣のルードヴィゴに指示。

 するとすでに用意していたようで、即座に提出してきた。

 精読して、幾つかの質問をした上で承認して、工事の再開も許可する。

 対策案を含めての公表は、キアラに一任した。


 この問題は、それで良い。

 アンティウムの視察で、現状の問題点は、ほぼ把握できた。

 総督と今後の支援策を練る。

 この問題は、すぐに結論がでた。

 実にスムーズで助かる。

 視察と対策に関しては、最低限の課題はクリアできたと思っている。


 それ以外で、ラヴェンナ全体として、課題や思ったことがないかを、総督を交えた戦略会議上で、全員に聞いてみる。

 皆から、何か考える切っ掛けでも得られたらと思い、あえて曖昧な内容でこんな議題を提出してみた。


 俺の唐突な議題に、一同目が点になる。

 いきなり曖昧なことを聞かれて、皆が困っているのが見え見えだ。

 なぜ一同が集まって、会議をするのか。

 自分の担当だけを考えてほしくないのだ。


 あえて俺は、黙って誰かの発言を待つことにする。

 

 沈黙に耐えきれなくなったのか、オラシオ総督が挙手した。

 俺がいつものように、無言で発言を促す。


「素朴な疑問なのだが、移住してくるものたちを、ずっと市民として受け入れるのか?」


 移民省の大臣も兼務しているからな、当然の疑問だろう。


「今のところ考えているのは、ラヴェンナ地方が安定するまでは……ですね。

今は社会作りの最中で、市民権に、大きなメリットもないでしょう。

安定するとここの市民権は、大きなメリットになります。

そのときに、何でも受け入れて、市民にしたら、元からの人たちにとってはタダ乗りされているようで面白くないでしょう」


 オラシオは俺の返事に、少しほっとしたようだ。

 職員から疑問があったのかもしれないな。

 このタダ乗りが厄介で、社会対立の原因になる。


「なるほど、その場合の移住希望はどう対処するのだ」


「移住自体は受け入れます。

準市民的に扱いで一定期間在住したら、市民として認めるか判断する……。

ただし、特殊な技能者は、即座に市民としても良いでしょう」


「特殊な技能者とは?」


「今のところ考えているのは、医者と教師ですね。

これはどこに行っても、必要な人材ですからね」


 俺の発案じゃなくて、ユリウス・カエサルのアイデアをパクっただけ。

 アーデルヘイトとクリームヒルトは、お互いに、顔を見合わせてほっとしていた。

 養成の手間が省けるなら、これにこしたことはないからな。


 それだけで済ませる気はない。

 良い機会なので、次のプランの青写真だけは教えておくか。


「市民権に関しては先ほどの話を、原案とします。

加えて軍務につく準市民は、兵役完了後に市民権を与えます。

それ以外では代表者が推挙した人物を、会議内で検討した結果次第で、市民権を与えて良いでしょう」


 社会は無理に平等にすると、かえってひずみがでる。人間心理から見ても理屈に合わない。

 流動性を確保したほうが、社会の安定性に寄与する。


 話が動きだすと、皆発言しやすくなる。

 これは、どの世界でも変わらないな。


 水産大臣のジョゼフ・パオリが、挙手をした。


「奴隷の扱いはどうしますか。

ラヴェンナにはありませんが、よそでは存在します。

準市民が連れてくる可能性はあるでしょう」


 確かにな。

 奴隷制度に反射的に反発しないのは、転生前の歴オタ特性が色濃く残っているからだろうな。

 と言っても、ロシアの農奴やアフリカ人奴隷は全く受け付けられないが。


「奴隷はラヴェンナに移住したものに関しては、以下のように定めましょう。

一定金額分労働に奉仕したものは、奴隷解放して準市民と同列とします。

またラヴェンナ地方に定住した奴隷を、許可なく領外に連れ出すことを禁じます。

解放の仕組みについては、明確に決めていませんが……」


 と言葉を区切って全員を見渡したら『さっさと、原案を言えと』言わんばかりの表情だった。

 これに関しては、この世界で前例がない。

 ある程度危ない橋も渡ることになる。

 自主的に考えるのは、無理があるだろう。

 

「まず奴隷の健康管理には、主人がその義務を持つこと。

怠ったら主人に、罰を与えます。

奴隷解放の手順ですが、まず専門の機関を作りましょう。

主人が収益を得たときに、奴隷の労働から算出した金額を税金として、専門の機関に預ける。

最初に決めた金額に到達したら、その機関が主人に積立金を支払う。

これをもって奴隷から解放となります」


 一同が考え込む。

 まあ、完全にローマの奴隷解放制度のパクリだけどな。

 一つだけアレンジを加えたのは、奴隷の健康管理だ。


 別に、人権に目覚めたわけではない。

 ローマの小作人が没落した原因が、奴隷にある。

 金持ちが奴隷を、使い捨てにして大規模農園を経営した。

 そうなると小作人は、価格で勝負にならずに没落してしまった。

 没落農民は都市に流れ込んで、無産市民になる。

 結果として、福祉政策にかかる費用は、膨大になってしまう。

 連鎖的に治安も悪化する。

 それだけは避けたい。


 ただ小作人に、補助金を与えるような政策では絶対に行き詰まる。

 農業っぽいことをしていれば、金がもらえるとなれば、確実に堕落して利権と化す。

 そうすると他の市民から不満がでる。

 しかも正当な不満だから扱いに困る。


 労働の対価として金がもらえる。

 この原則から外れたら堕落する。


 農業とは無関係だが、国鉄の労働組合を見れば明らかだ。

 あれは共産主義と労働者の権利意識が悪魔合体して、外道が生まれたせいでもあるが。

 GHQの迷走と自民党政府の無策も当然あったが、完全に政治組織になっていた。


 稼がなくても失業しない。

 そうなるとイデオロギーの実現に熱を入れる。

 活動資金は働かなくても手に入る。

 活動家にとってのパラダイスだ。

 そして鉄道輸送の組織としては荒廃する。


 働かないことを自慢する。

 イデオロギーのために国民生活を人質にとる。


 あれのせいで、労働者の権利をまともな人が主張できない雰囲気になったろう。

 労働者の権利を無視したい経営者にとって、錦の御旗になってしまった。

 労働者運動自体が、一種の穢れのような形で日本人の特性から、川に流されてしまう。


 日本人は穢れたものは、蓋をするか川に流す性質がある。

 つまり見ないことにするし、話題にすることも嫌う。


 結果として労働者の権利は軽視される。

 会社が家族のような高度経済成長期はギリギリ崩壊せずに済んだ。

 だが終身雇用が崩れてしまうと、軽視の悪用に対して歯止めがなくなる。

 個人的には、ブラック企業を生み出した一因だと思っていた。


 ここは日本ではない。

 だが使徒はもともとが日本人で、その思想は色濃くこの世界に染みこんでいる。

 ある程度は、その基準を気にとめた方が良いだろう。


 どんな理念も悪用するヤツらによって信用をなくする。

 良識ある人たちが割を食う。


 それは社会不安への第一歩だ。

 だから、ちゃんとした労働の結果として生活できるようにする。

 世界との価格競争には負けるだろうが、内部で自給自足の体制を整えることが大事なのだ。

 

 それと兵士は都会民より、農民のほうが強い。

 イギリスではそう言われていた。

 土地に属する民は、やはり必死さが違うのだろうな。


 転生前で貿易保護政策が悪いように言われていたが、税収や治安対策といった側面もある。

 一概に悪とは言い切れないのだ。


 皆の反応を待ちつつ考え込んでいると、キアラが挙手をした。


「お兄さま。

奴隷を解放するには、領主に奴隷解放税を払うのが習わしとなっていますわ。

この方法だと、ラヴェンナだけ独自になって目立ってしまいませんか?」


 確かにな。

 固定化した社会は、当然身分の固定を望む。

 他人の地位が下がるのは許容できるが、上がることは嫌う。

 一応詭弁だが、抜け道も考えている。


「良いところに気がつきましたね。

そこで一般的に行われている制度を利用します」


 俺に褒められたキアラはうれしそうにしたが、すぐに首をかしげた。


「利用ですの?」


「奴隷所有者の移動ですよ」


「誰に移動するのですか?」


 俺はわれながら悪質だと思いつつ、苦笑してしまった。


「ラヴェンナの象徴の少女像。

それをラヴェンナの女神とします。

奴隷の所有権は、ラヴェンナの女神に移します。

人以外に移してはいけない……なんて決まりはありませんからね。

対外的には奴隷のままです」


 これも、ローマの奴隷解放手段。

 アポロン神を介した解放手段をパクっただけ。

 神様が奴隷を、使役なんてできないから、実質自由の身分になる

 ひどいイカサマだ。

 俺は我慢しきれずに笑いだしてしまった。


 そんな俺を、皆があきれた目で見ていた。

 ミルが皆の思いを代表してか、ため息をついた。


「本当にひどい屁理屈ね……。

アルが味方で良かったわ」


 使えるものは、何でも使うんだよ。

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