289話 期待と義務のトレードオフ

 視察には親衛隊を、全員つれてきている。

 レベッカへの調査護衛は、騎士団に引き継ぎ済みだ。


 そして第2都市は、大きな川沿いに建設してある。

 川幅は800メートルほどあって、流れは緩やか。

 50年に1度の長雨による増水を想定した町作りを指示済みである。


 せっかく大きい川があるのだ、親衛隊に操舵の訓練を行うように指示した。

 そのうちに、俺も同乗すると通達したところ、一斉に親衛隊員が緊張しはじめた。


 ポンシオが守備している城までの輸送に、船を使っている関係で数は十分にある

 

 今後の成果が楽しみだな。



 視察で全体的にみえてきたのは、首都とは歴然の差がある教育レベル。

 首都の人員は、最低でも読むことができる。

 だから、マニュアル式の作業分担が可能だ。

 

 アンティウムは読むことができない獣人が圧倒的だ。

 結果として、口頭で伝達となり、作業に相当時間がかかる。

 当然の帰結としてできる人に、仕事が集中している。


 人員の派遣は当然行うが、これは対症療法だ。

 根本的な問題の解決も平行しなければ、意味がない。


 視察中に俺は、クリームヒルトに対策を相談することにした。


「クリームヒルトさん、アンティウムでの教育についてどう考えますか?」


 クリームヒルトはいきなり、俺に話題を振られて驚いたようだ。


「あ、はい。

首都は家族が集中しているから、教えるのは楽ですけど…。

アンティウムは一カ所にいませんからね。

全部に派遣は不可能です。

教員の数に限りがありますから。

フットワークの軽いシルヴァーナさんが不在なのも痛手ですね。

任せると動き回って調整してくれるから、頼りになっていたのですが」


 これは意外だ、疫病神になるのは俺に対してだけかよ!

 口にすると、面倒なことが起こりそうなので黙っていよう。


「子供たちをアンティウムに集めて、教育を施す必要があるかもしれませんね。

後日、総督と対策の立案をお願いします」


 クリームヒルトは、頭を抱えはじめた。


「新人大臣には、ハードルが高いです…」


 俺が口を出すと、クリームヒルトの成長を阻害してしまう。

 だから、見守るにとどめておく。


「いろいろな人と相談して考えることです。

責任は、私がとりますから頑張って考えてください」


 クリームヒルトの恨めしそうな顔に、俺は爽やかな笑顔を返した。

 ミルはジト目、キアラは苦笑していたが見ないふりをする。



 そんな俺だけ平穏な視察中に、首都から一つの報告書が送られてきた。

 事故調査報告書である。


 ざっとは、目を通したが、最終的な判断を下すには時間が欲しかった。

 その日の視察が終わったあとで、自室で目を通す。


 前例もない中、よく頑張ったなというのが、素直な感想。

 事故調査はある意味板挟みになりがちだ。


 調査対象からは警戒される。

 遺族からは手ぬるいと恨まれる。

 

 報復や罰を下す組織ではないことは、改めて明言する必要がある。

 問題を改善して、次に生かす組織だ。


 事故の直接の原因は、ちゃんと記載されていた。


 足場の組み立てに、不備があった。

 検査態勢の不備と、慣れによる確認不足。

 加えて数日間の悪天候の間は、工事を慎重に進めたため、遅れを取り戻そうとした焦り。


 思わず、ため息をついてしまった。

 やはり、複数の要因が重なって事故になるか。

 

 気がつくとミルが、俺の真横で報告書をのぞき込んでいた。

 俺が、ミルに報告書を手渡す。

 

 ミルも真剣に、報告書を読んでいる。

 俺は読み終わるのを、じっと待つことにする。


 読み終わったミルが、軽く息を吐き出した。

 

「よくできてると思うわ。

ちゃんとまとめられているし。

これで事故が無くなると良いけど」


 ミルは報告書の完成度を褒めようにも、事故の報告書なので、どんな顔をすれば良いか分からないようだ。

 


「そうだな…同じ事故は、二度と起こしてほしくないな。

この報告書を元に対策をたててもらおう。

その承認をもって、工事再開と対策を官報で発表だな」

 

 この世界には情報公開の理念はない。

 だからミルは驚いた顔になる。


「どうして発表するの? 怪我した人や遺族に報告するのは分かるけど」


「事故はすでに噂になっている。

そして事故調査をして対策がたてられるまでは、工事の中止をしていることも周知の事実さ。

なにも伝えずに再開しても、デマが流れるし……。

面白おかしく妄想を垂れ流す人もでてくる。

そうなってから事実を公表しても、不都合な事実を隠すための嘘だと騒がれる。

そんなデマのほうが、人の興味を引いてしまうものさ」


 俺はお手上げといったジェスチャーをする。

 

 ミルはそんな俺を、少し困ったような顔でみている。


「アルは皆の言動を基本的に制限してないからね。

ほかの領地にある不敬罪だっけ? あれも却下したからね。

おかげで皆、自由に発言して好きにやってるけど」


「自由と言っても、デマが定着してしまうと困ったことになる。

俺たちが事実を発表しても信用されない。

それを覆すための労力はとんでもないことになる」


 ミルはその光景を想像して軽く頭をふった。


「それだと……。

普通の領主は事故の情報なんて公開しないわね。

あと領主に不都合な話を広げた人を処罰しているわよね。

黙って言うことを聞かせていたほうが、はるかに楽だわ。

昔だったら何でそんなことまで、罪になるのか分からなかったわよ。

アルと一緒になってよく分かったけどね」


 ミルの言うとおりで公開しないのは、それなりの理由がある。

 考えもせずに、慣習に従うケースもあるが……。

 最初はちゃんと考えられているものさ。


「俺は皆に自分で考えて行動しろと言ってる。

それには情報を正しく提供しないといけないからね。

理想だけ唱えて、うまくいくことはめったにない。

相手に期待するなら、こっちも相応の義務を果たさないと始まらないよ」


「そうね人の関係が破綻するときは、大体はこのバランスがとれないときね」


「御名答。

だからこそ、俺は皆に期待する分……。

それに見合った環境を用意する義務があるのさ」

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