第8章 一つの別れ

262話 絡まる糸

 賢者さまがどんな踊りをするか知らないが、さして興味はなかった。

 そんな中、めでたい知らせが俺に届いた。


 デルフィーヌの懐妊である。

 教育省の大臣はデスピナが繰り上げかと思った。

 ところが本人が辞退してしまったのだ。

 子供がいつできるかわからない、と言われてはね。

 

 結果クリームヒルトが、大臣になった。

 前々から引き継ぎの準備をしていたらしく、引き継ぎはスムーズであった。

 お腹が大きくなるまではアドバイザーとして、クリームヒルトの仕事を手伝うと言っている。

 大臣任命でクリームヒルトは、微妙な顔をしていた。


「大臣を任せていただけるのは光栄なのですが……。

お前はまだ結婚しないだろう、と言われている気もします」


 さすがに何を言ってもやぶ蛇になるので、俺は苦笑するしかなかった。


 そしてチャールズから、賢者さまが敵前逃亡したとの報告も受けている。

 捕虜200人の処遇が大変だな。

 魔族からアプローチはほぼ確実にあると思うが、それまでは待ちだ。

 ただクリームヒルトの一族との遺恨が、どう出てくるか。


 魔族の話が落ち着くまで、第2都市に居座るか。


 その前に、騎士団長を正式に代替わりさせる必要がある。

 ロベルトを正式に、第2代騎士団長に任命する叙任式の準備も進めている。


 それ以外でも、急激に人口が増えたので、警察と裁判が忙しくなりだした。

 警察部と法務部は、省に格上げを通達した。

 もう少し落ち着いたら市警と地方裁判所をつくって、市に委ねたい。

 まだ、人材の育成が追いついていない。

 

 本当は内政を安定させる時間が欲しい。

 


 忙しい中で忘れていた情報がもたらされた。

 王位継承問題の情報だった。


 キアラからもらった書類に目を通す。


「こんな不安定な政体でも、騒動を起こして使徒にリセットされると怖いから、辛うじて安定していますか」


 キアラも同感のようで苦笑しながらうなずいていた。


「王位継承権をもっている息子が3名。

宰相の持ち回りも、ゴタゴタしそうですわね。

宰相も結構なご老人ですわ。

そこに各貴族の思惑が絡んでいますものね」


「強引に王家の実権を握っても、周囲の反発に見合う利益がないですからね。

強引な手段はとらないでしょう。

いずれにせよ、引き続き情報を収集するだけにしましょう」


 ふと視線を感じる。

 ミルが俺を見ていた。


「アル。

私はその話のこと、全然知らないから教えてよ」


 たしかにミルには知る権利があるな。


「わかりました。

断っておきますが……。

とても難解ですよ」


 ミルはひきつった顔になった。


「アルにそう言われると理解できる自信がないわ……。

でも領主夫人だからね。

頑張って理解するわ」


「まず王位の継承ですが、2パターンあります。

現在の王が、次の継承者を指名するケースが一つ。

指名できずに亡くなった場合は、宰相格の三家と三大貴族の合議で、次の王を指名します」


 ミルが首をかしげた。


「合議って話がまとまるの?」


「王家自体にそこまで力がないので、わりとあっさり決まります。

望む人物をムリに王位に就けても、大して見返りがないのです。

選考基準は封建領主の自治に、首を突っ込まない人です」


 ミルはあきれたように苦笑した。


「そんなお飾りなのに、アルはどうして気にしているの?」


「今まではお飾りでした。

いつまでもお飾りとは限らないからですよ。

政治力はないけど、やる気だけはある王が即位すると荒れるのです」


「そんな人が、王になれるの?」


「ここから面倒な話が始まります。

まず宰相格の三家があります。

ディ・ブオノ、ディ・ジャコモ、ディ・ピント。

宰相は終身です。

亡くなったらこの三家の中で、最長老が就任します。

三家持ち回りで、基本的に親子で宰相の就任はありません」


 ミルの眉間が険しくなってきた。


「ここまではわかるわ」


「その三家に、それぞれ分家があります。

断絶しそうになると、分家から養子に入る。

また、その逆もあります。

さらに宰相家と分家が入り乱れて、縁戚関係を結んでいます。

そして各宰相家や分家には……。

家宰という実務を取り仕切る家があります。

家宰同士でも縁戚関係があります」


「聞いただけでややこやしいけど、これが難しくなる元になるの?」


「家宰は宰相家の当主から、権限を大幅に委譲されています。

宰相家の領地に限りますが、税の徴収・免除・賦役の割り当て、警察権の行使。

これらを独断で実行できるのですよ。

また地主や宰相家の騎士などが、当主に訴え出るときは取り次ぎをも担当します。

加えて家臣の代表の立場でもあるのですよ。

家臣が他家の家臣とトラブルを起こすと、各家の家宰同士で折衝をします」


 ミルが首をかしげた。


「それだと当主って要らない気がするけど?」


「ええ。

本質をつきましたね。

当主は王宮で政務を担当しますから、自分の領土にまで手が回らないのです。

宰相でなくても政務はありますからね。

あとは家格が絡みます。

低い家格のものが高い家格の人……。

これは貴人と呼ばれますが、直接接触するのは非礼にあたるのですよ。

だから取り次ぎが必要になるわけです」


 ミルがウンザリした顔になっていた。


「なんか面倒くさいわね……」


「でしょうね。

ともかく初代使徒降臨から、社会が安定していますからね。

大きな変革も起こらないので、階級も固定されています。

1000年くらいずっと、この社会体制が続いているのですよ。

そんな社会で勢力を伸ばそうとしたら、婚姻関係で仲間を増やすくらいしか手段がありません。

おかげで遠縁を含めたら、各国の上流階級はほとんど親戚ですよ」


 ミルは今一実感がないようだ。

 ムリもないか。


「ウチもそうなの?」


「当家は手当たり次第、姻戚を結びませんね。

大貴族なだけに、下手に手を広げると、かえって損をするのです。

当家くらいですよ。

家宰を置いていないのは。

まあそんな婚姻関係は、各王家同士でも結ばれているのですよ」


「えーっと。

姻戚の糸が絡まりすぎて……わからないわよ」


 キアラも苦笑している。


「ええ。

だれも正確に関連をつかめていないのですわ。

王家の力が弱いと言っても、家督相続の承認権がありますの。

その権利を使って、貴族の家督相続に介入できますわ。

貴族は家宰の家督相続に介入できて……と、階層構造になっていますの」


 ミルが頭を抱えだした。


「聞かなかったことにしたくなったわ……」


 俺は肩をすくめて、外に視線を向ける。


「最初の疑問の回答になります。

権益が不足している家にとっては……。

やる気のある王に即位してもらったほうが、権益を拡大するチャンスになるのですよ。

ただ姻戚関係や分家やら糸が絡まって、だれにもどれが最適解か分からなくなっているのです」


 ミルは机に突っ伏した。


「人間社会だから複雑になっている……わけじゃないのよね」


 俺は笑ってうなずいた。


「残りの補習は夜にしましょうか」


 あとは使徒絡みの話なので、うかつに話せない。

 情報を漏らす人は、補佐官や護衛にいないのは知っている。


 だが悪意無しにうっかり漏らしたり、俺たちの態度が伝染して目をつけられては良くない。

 俺の顔を見て、ミルとキアラは黙ってうなずいた。

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