257話 荷物は大小問わずに捨てられる

 チャールズが退出して、やっと一息つけた。

 キアラがいつものようにお茶を出してくれた。


「ああ、ありがとう」


「どういたしまして、本当に問題が連鎖してきますね」


 俺は苦笑しかできなかった。


「原因を作りましたからねぇ」


 ミルが首をかしげた。


「アル、この状態を狙って作ったの?」


 俺は笑って手を振った。


「これをやれば、この地方の動乱が連鎖する。

そこだけは予測していましたよ。

どんな動乱までかは分かりませんが」


「アルが何か仕掛けた?」


 俺は苦笑した顔をミルに向けた。


「やりたくない、と散々言っていたことですよ」


「あ! イノシシ!?」


「ええ、長期的な影響が読めないと言っていたでしょう。

アレがなければ、こんなに問題は連続で起こりませんでしたよ」


「そうなの?」


 俺はちょっと苦笑交じりのため息をついた。


「われわれがくる前は、この地方は独自の理論で安定していたのですよ。

積み木のオモチャを想像してもらえれば良いですね。

よそと全く無関係な部族ってほぼないでしょう?」


 ミルが首をかしげた。


「きんに…う、兎人族は他と関わらなかったでしょ」


 おい、今変な間違え方したよな。

 キアラも笑いを堪えていた。

 聞かなかったことにしよう。


「全く関わらないことは、中途半端に関わるより関係が強くなりますよ」


「そうなの?」


「関わらないために、近隣全ての部族の動向を把握しようとします。

監視体制はかなりのものだと思いますよ。

他部族と接触はしませんが、監視はしていたはずです。

そうでないと攻められたときに逃げられませんからね」


「なるほどね…アルが言う裏返りって話ね。

それは分かったわ。

それでイノシシがオモチャを壊しちゃったの?」


 話が戻ったことに安堵して、俺は茶を一口飲む。


「われわれの社会体制は、ラヴェンナ地方に住んでいた人たちの社会体制と、全く異なります。

積み木にしても形と大きさが全く違います。

彼らに理解できるもの…つまり、形なり大きさがある程度似ていれば、ねじ込んでもある程度は安定します」


 話を急ぎすぎると理解できなくなる。

 理解して貰うために話をしている。

 間を挟むことは大事だ。

 俺は皆を見渡して疑問がなさそうなことを確認する。

 大丈夫だな、再び口を開く。


「ドリエウスの社会体制も、他の部族からすれば納得できないが理解できるでしょう。

そこに全く形の違う積み木を急いで押し込んだのです。

アレがなければもっと穏便に進められたのですよ」


 ミルが遠い目をした。


「それは崩れちゃうわね。

そんな目でこの地方を見たことはなかったわ」


 キアラも笑っていた。


「そこで、お兄さまはその先はどう見ているのですか?」


「賢者さまがどれだけ魔族内で力を持っているか、ですね。

私としては全権力を持っていて族長が操り人形だと、とても素晴らしいですね。」


 ミルはあきれた顔をしていた。


「アルが人のことそこまで酷評するの初めて見たわ。

そんな駄目な人がどうして賢者って呼ばれるの?」


「元々族長に連なる血筋です。

そこに魔力が一番強いとなれば尊敬されますよ。

加えて、使徒の兵法を暗記しているのです。

兵法は原理原則を述べているので、最初はぼかしてあとからこじつければ周囲は恐れ入るでしょう」


 ミルはため息をついた。


「はぁ、周りの人は大変そうね。

でも実態を知らなくてウワサだけ知っている兵士たちは、賢者を怖がるかもしれないわよ。

兵士たちを安心させるために、アルが直々に出て行っても良かったんじゃない?」


 ああ、そんな見方もあるか。


「確かにそんな考え方もありますね。

でも私が出て行くと、ロッシ卿の足かせになるのですよ」


 ミルはあっけにとられた顔になった。


「足かせ? 想像がつかないけど」


「ええ、私がいると私の作戦を待ってしまいます。

ロッシ卿が正攻法をしようとしても、私の指示に対応できるように動きますよ。

私がいるだけで邪魔になるのですよ」


「ああ、それで行かないのね」



「ええ、それと話は変わりますが戦略会議のメンバーで、今度視察に行きましょうか」


 キアラが首をかしげた。


「視察ですの?」


「賢者さまとの戦いが終わってからの話ですけどね、第2都市の視察をするつもりです。

建築中ですが、新領土の現状を把握したほうが良いでしょう」


 キアラはニッコリ笑った。


「楽しみですわ」


 ミルは含みのある笑いをした。


「それを新婚旅行の代わりって言わないでよ」


「新婚旅行は私の楽しみでもあるので、それはないですよ」



 そんな話をしていると、ジラルドからの面会の申し込みがあった。

 断る必要がないのでここに通してもらう。



 入室したジラルドと挨拶を交わす。


「ご領主さま、以前お話したリタイア冒険者の件で参りました」


「どうかしましたか?」


「訓練教官について、以前お話した人がこちらに到着しました。

お目にかかっていただけないでしょうか」


 ジラルドにリタイア冒険者で、特にいろいろな修羅場を切り抜けた人を要望していたのだ。


「勿論です。

その人は応接室ですか?」


 ジラルドは黙ってうなずいた。

 俺はミルと補佐官、ジラルドを伴って応接室に向かう。



 応接室に入ると老人一歩手前の男性が座っていた。

 顔にも傷があり、足が不自由なのかつえを椅子に立て掛けていた。

 多分体中、傷だらけなのだろうな。

 起立しようとした老人を手で制して俺は着席する。

 


「初めまして、私が領主のアルフレード・デッラ・スカラです。

こちらが妻のミルヴァです」


 エルフが妻と聞いて、男性は一瞬面白そうな顔をした。

 そのあとで静かに口を開いた。


「オディロン・マルシェです。

日常生活ですら不自由する死に損ないに、使い道があると聞きましてな。

ただ同情されて死を待つよりは、と思いやってきました」


「ジラルドさんに話を聞きました。

オディロンさんの経験を埋もれさせるのは、あまりに惜しいと思いました」


 オディロンは声を立てずに笑った。


「見ての通り、素人を教えることはできなくても良いと言われるのですな」


「私がオディロンさんに望むのは、教官の教官です」


オディロンは静かに目をつむった。


「なるほど…教官に何を教えろとおっしゃるのですかな」


「危険に対する心構え、危機に対したあとで精神の均衡を保つ方法。

修羅場を経験してないと分からないことですよ」


 オディロンは俺を値踏みするように見ていた。

 今気がついたが、片目は義眼のようだ。


「それは結構ですがね。

私にどのレベルの話を期待しているか分からない。

ですのでお伺いしたい」


「遠慮せずにどうぞ」


「戦いを行う前に兵士としてやっておくべきことは何だと思いますかね?」


 俺は兵士として戦ったことがない。

 転生前に知ったことはあるが…。

 ミルをチラ見して視線をオディロンに戻す。

 ミルはなんのことか分からないって顔をしている。


「前線で戦ったことがないので、正直なところ分かりません。

危機を避けることを最重視していますからね。

それでも避けられない戦い前だったら…出すものを出してスッキリしておきますね。

妻の前で言うのもアレですが」


 オディロンは一瞬あぜんとしたが、じきに笑い出した。


「確かにそうですな。

生命の危機になったら、下腹部の荷物は体が勝手に放り投げます。

全身の力が、生き残りに振り分けられるというヤツです」


 兵士や警官、消防士にしても本当に生命の危機を感じると、体にストックしている排泄物を出してしまって、生存のみに体が資源を振り分けるそうだ。

 戦場でクソ小便を垂らしながら戦うのは実話らしい。

 911でも生存者のほとんどが大小失禁しているとの話だ。


 ベトナム帰還兵が、戦争映画の話を聞いて「主役がクソを垂れ流しながら戦う映画なら見てもいい」といった話があるとかないとか。


 フィクションだろうが、デルモピュライの戦いのあとにぬかるみができた。

 戦士たちの血と恐怖の失禁で作られたとあった。


 俺が知っているそのくらいだな。

 実に下品な話だけど、生命の危機とは演劇でもスポーツでもない。


 ミルは俺とオディロンの発言の内容を悟って真っ赤になっている。

 ジラルドは苦笑しきりだった。

 俺は頭をかいて苦笑した。


「その程度しか分かりません。

そんな私が教官に頼んでも、その教官の教えることが正しいのか分かりません。

ですので、地獄を見てきた人が欲しかったのです」


 オディロンは興味深い目で俺を見ていた。


「戦いで失禁の話題をする人から、危機への対処法を教えてやってくれと言われては断れませんな。

戦いを舞踏と思っていないところが気に入りました。

教えるのは兵士の教官だけで良いのですかな?」


 俺は首を振った。


「いえ、兵士に限らず、警察や医療関係者。

死に近い場所にいる人たち全てです」


 オディロンは上機嫌な表情でジラルドを見た。


「ジラルド、面白い話をしてくれて感謝するぞ。

ボロボロになった体を同情されて、ただ生きるのはウンザリしていたからな。

毎日毎日…同情の目で見られて、いたわられると嫌になってくる。

俺はそんなに惨めなのかと思ったさ。

情けなくて、いつ死のうかと思っていたくらいだ」


 ジラルドが苦笑を返した。


「気軽に死のうと、ご領主さまの前で言わないほうが良いですよ。

前に死のうと思っていた老人がいたのです。

ところがご領主さまに『どうせ死ぬなら未来に役立ててと』言われた揚げ句、散々酷使されて『死んだほうが楽だった』と言ってましたよ。

今も元気に酷使されています。

覚悟はしておいてくださいよ」


 待てや! 俺が極悪非道に聞こえるじゃないか。

 気がつくと赤面したミルに、ジト目でにらまれていた。

 修羅場を経験した人に、きれい事だけ話しても失望されるんだよ!


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