254話 当たり前の話

 話も終わって茶店から出ようとキアラに目で合図をしたが、まだなにかあるらしい。


「なにかあるのか?」


「ええ、新任の市長さんのことですわ」


 ラボがどうかしたのか? まだ、相談は持ちかけられていないが。


「市長のあり方でお悩みのようですの」


「本人から相談されていないし、俺から口を出すのは早計じゃないか」


 キアラにため息をつかれてしまった。


「お兄さまは高いところが見えすぎる分、足元がお留守になりがちですわ。

私たちや、族長さんたちは指導者としての教育を受けています。

市長さんは違います。

確かに大臣をやって長いですけど、仕事の質は違いますわ。

それと、任命された直後で相談なんてできますの?」


 確かにうかつだったな。

 庶民と言っても転生前とでは違うのは知っている。

 いや、知っているつもりだったな。

 

 家父長制や家産官僚制の社会構造から、依法官僚制に移行させる心づもりでいる。

 いきなり変えても無駄に混乱を招くだけだ。

 

 段階を経てそこに至るようにしていた。

 前の制度が残っている分、そこに引きずられて混乱したか。


「確かにそうだな。

ありがとう、こういう指摘はとても助かるよ」


 これは本音だ。

 本心からの感謝の笑顔を向けると、キアラははにかんだような笑顔になった。


「お兄さまの力になれて、とてもうれしいですわ」


「彼と話してみよう。

キアラにも、このお礼もしないとな」


 キアラの目が獲物を狙う狩人のそれになった。


「では、今日の就眠は私の部屋で…」


「却下」


「お兄さまのいけず…」


 やっぱり兄離れしてねぇ。



 キアラをつれて、民生省の庁舎に行く。

 そのまま市長のラボ・ヴィッラーニの執務室に入る。

 俺が取り次ぎを頼むとかえって恐縮させてしまうからな。


 見るからに思い詰めている。

 いきなり放り投げすぎたか。

 悪いことをしたなぁ。


 ラボは俺の姿に気がつくと、ホラー映画でいきなり目の前に亡霊と遭遇したような顔をした。

 3Dメガネをつけて貞子を見たようなアレだ。

 ちょっと傷つく。


 執務室はラボと秘書だけだった。

 俺は慌てて起立しようとするラボを手で制する。


「いきなり尋ねて済みません。

市長を任せるにあたって、幾つか教えなければいけないことを失念していました」


 叱責でもされるのかと恐れていたラボは目が点になっていた。


「失念ですか?」


「ええ、市長の業務自体はできているのですよね?」


「は…はい。

皆さんにも手伝ってもらってなんとか…」


「それ以外で、困っている部分は分かりますか?」


 分からないことがなにかを認識できているか。

 まずそこから確認しないとな。


「実のところ、皆さんとどう接して良いのか分からないのです。

ご領主さまのまねをしようにも、表情を変えないくらいしか…」


 いや、俺そんな無表情ちゃうで。


「上に立つ者として、どう振る舞うかですね」


 帝王学の一部だ。

 貧民では知る由もなかったか。


「は、はい」


 ちょうど、俺とキアラにお茶が出された。

 今日はお茶づくしだな。

 一口つけて一息つく。

 口を開こうとすると、既に秘書がメモをとる体勢になっていた。

 キアラの教育はすごいな…。


「言われてみれば当然だろう、そんな話をこれからします。

だから笑わないでくださいよ」


 ラボは真面目くさってうなずいた。


「も、勿論です」


「一つ目、寛大だが締まりがある。

二つ目、柔和だが事が処理できる。

三つ目、真面目だが丁寧でつっけんどんでない。

ここまでは大丈夫ですか?」


 俺の発案ではない。

 貞観政要の出典だ。

 

 ラボは話が飲み込めたようで、素直にうなずいた。


「こんな人が主人だったら良いですね」

 

 ちゃんと本質をつかんでいるな。

 心構えなんて、こんな人がリーダーだったら良いなという指標にすぎないのだ。


「では四つ目、事を収める能力があるが慎しみ深い。

五つ目、おとなしいが内が強い。

六つ目、正直、率直だが温和。

ここも大丈夫ですか?」


「できるかは分かりませんが…そんな人の下だと働きやすいですね」


 俺はうなずいて、続きを話す。


「残り三つです。

七つ目、おおまかだがしっかりしている。

八つ目、剛健だが内も充実。

最後、豪勇だが正しい。

これが心構えです」


 ラボは考えていたが頭を抱えだした。


「とても無理そうです…」


 やはり真面目だなぁ。

 俺は笑いだしてしまった。


「全部できたら超人ですよ。

そんな人はいません。

ですが、幾つかはできるでしょう?」


 ラボは自信なさげだ。


「幾つかでしたら…」


「次の話が本題です。

最初の九つは持っていれば尊敬される、いわば徳のような目標です。

本題は持っていれば軽蔑か嫌われる、不徳として分類される禁止事項です」


 最初の九つだけでは足りない。

 次とあわせて、ある程度明確な目標になる。

 むしろ、禁止事項のほうがイメージしやすい。

 人間の困った本質だがな…。


「禁止事項ですか?」


「最初の九つをひっくり返した内容です。

まず、こせこせうるさいくせに、締まりがない。

とげとげしいくせに、事が処理できない。

不真面目なくせに尊大で、つっけんどん」


 ラボは想像したのか、苦笑していた。


「ああ…そんな主人は嫌ですね。

すごくよく分かります」


「続けますよ。

事を収める能力がないくせに、態度だけは威丈高。

粗暴なくせに気が弱い。

率直にものを言わないくせに、内心は冷酷」


 ラボは妙に感心したのか、しきりにうなずき黙って俺に続きを促した。

 こっちだと想像しやすいのだろう。


「何もかも干渉するくせに、全体がつかめない。

見たところ弱々しく、内も空っぽ。

気が小さいくせに、こそこそ悪事を働く。

以上です」


 ラボの目に少し希望の光がともったようだ。


「禁止事項を避けるのはできそうです。

こんな人は近くにいてほしくないですね…」


 これはどの世界でも忌避される人格だろう。

 キアラも苦笑していた。


「九つの心構えができる人は想像がつきません。

ですが、駄目なほうを完備してる人は想像できるのが嫌ですわね」


「放置してうまくいくなら、心構えなんて要りませんからね。

本能のままに振る舞うと、駄目なほうに人は寄ってしまうのですよ」


 禁止事項が身に染みついている不徳マイスターが組織の上部にいると、その組織は腐って死に向かう。

 癌細胞のように不徳マイスターが増殖して、マトモな人は逃げ出すか腐る。

 そうなればどう頑張っても立て直す術などない。

 ラボは身を乗りだして、俺を見ていた。


「ご領主さま!」


「な、なんですか…?」


「ご領主さまが、これを意識しておられることがよく分かりました。

この心構えを張り出して、皆に伝えてもよろしいでしょうか!」


 えらく食いつきが良いな…。


「構いませんけど…当たり前の話をしただけですよ」


「言われるまで、ハッキリとは分かりませんでした。

ですので張り出して、皆にも知ってもらいたいのです」


 お、おう…。

 心の琴線に触れたらしい。

 別人のように溌剌としだしたぞ。


「お、お任せしますよ」


 当たり前の話で、ここまで元気を出されると引いてしまう。


 しかも俺の発案じゃないし。

 ただ、引用しただけだよ!


 違う人の発案です! そう声を大にして言いたい! 言えないのがキツい。

 出典を聞かれても答えられない…。


 前任の使徒は兵法書をドヤ顔で暗唱しても、貞観政要には興味すら持たないだろう。

 孫子なら使徒が使っていた、で通じる。

 これは使えない。


 この周囲の尊敬に満ちた視線は痛い! 痛すぎる!

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