220話 紳士の天敵
翌日から素焼きの壺の量産が開始された。
自分たちの生活に直結するので、皆真剣である。
執務室にも大量の素焼きの壺が設置されていた。
おかげで快適になって、女性陣からも大変好評だった。
ロングスカートのキアラも快適なようだ。
だが少し恨めしそうな顔で俺を見ていた。
「お兄さま。
もっと早くに手を打ってください……」
この暑さは、完全に予想外だったのよ。
「むちゃを言わないでください。気象の変化は読めませんよ」
ミルが俺の言葉に、肩をすくめる。
「どうせ、情報が足りないからできない……でしょ」
そうなんだけどね。
気象衛星とかないし……。気象の知識なんてないぞ。
転生前でも大して興味のなかった気象のメカニズムなんて、知りようがない。
そんな都合よく、転生前の世界の知識を引き出せない。
エンジニアしか知らない機械内部の知識をなぜか思い出せる、便利な転生者じゃねーし。
転生前に展示用の図面やネットの説明ちょっと見た記憶があると言って……。複雑なものを造るなんて、俺にはムリ。
そんな便利な存在だったら、天気の予測もできるんだろうがな。
「涼しくなったからいいじゃないですか。
猛暑対策として、町の通りの端に小さい水路も必要ですね。
噴水や公園も作りますかぁ。
それとは別件ですが……。
想定外の暑さがくるなら、想定外の大雨も考慮しないといけません」
ミルは思わず苦笑した。
「その話を聞いたらルードヴィゴさん今度は、どんな顔をするのかしら」
その言葉に、新参の魔族以外は爆笑してしまった。
一応、フォローを入れておくか。
「今晩にでもわかりますよ。
大規模なインフラ工事を指示すると、ルードヴィゴ殿はおもしろい顔をしますから」
そんな話をしていると、伝令が駆け込んできた。
「御主君に御報告します! ドリエウスの攻撃を無事撃退しました!
こちらがロッシ卿からの報告書です!」
報告書を書くほど、余裕があると。
黙って報告書を受け取る。
俺は肩で息をしている伝令に笑いかけた。
「御苦労さまでした。下がって休んでいてください」
伝令は一礼して出て行った。
そこでざっと、報告書に目を通す。
俺の想定どおりで、被害は軽症が2名程度。
敵は全滅。
敵兵はおおよそ600名で、すべて人間。
軍隊用語での全滅ではない。
文字通り根絶やしの意味だ。
そこになんの感慨もない。
次の手を考えるときになったか。
と考えていると、目の前にミルが立っていた。
少し心配そうな顔をしていた。
「アル……。
大丈夫?」
この件の俺はすっぱりと割り切っている、とは思われてなかったか。
キアラが隣にやってきた。
「お姉さま、お兄さまは大丈夫ですわ。
ただ優しいだけのお方ではありませんから」
フンスと胸を張ったキアラに、ミルがムッとした表情になる。
「知ってるわよ。
でもね。
こんな状況に慣れるのは、アルに良くないわ。
慣れたら、そのことで……どうせ自分を責めるんだから。
だから私たちが、ちゃんと気に掛けてあげないと駄目よ」
今度はミルがフンスと胸を張った。
そしてキアラが、ムッとした表情になる。
このプロレス……。
たまに本気の喧嘩になるから止めないと危険だ。
「ふたりにはいつも感謝していますよ。
そして……とても、頼りにしています。
それより、今回の戦いの話をしましょうか。
ですのでプリュタニスを呼んでもらえますか? 彼も当事者ですからね」
ふたりは、ハッと気がついて落ち着いたようだ。
キアラが、目で合図すると、補佐官のひとりが出て行った。
もう、アイコンタクトで指示できるようになったのか。
◆◇◆◇◆
プリュタニスがいつものふたりをつれてやってきた。
興味を隠しきれない表情だ。
「少々長くなりそうですからね。
キアラ。
全員にお茶を用意してもらえますか」
キアラはにっこりほほ笑む。
「わかりましたわ」
出されたお茶を飲んで一息つく。
「では、はじめますか」
一同を見渡す。
補佐官たちは俺の意図をできるだけ理解できるようにと、こんなときは常に控えるようになっている。
俺は咳払いをした。
「まず、ドリエウスの攻撃は失敗しました。
こちらの被害は、負傷者2名だけです。
敵は文字通り全滅。
全員で人間600名ほどです。
ここで質問を受け付けましょうか」
プリュタニスが身を乗り出した。
「文字通り全滅とは? 一体何人討ち取ったのですか?」
転生前の軍隊では、3割の損害で全滅だな。
この世界では5割、旧日本軍と同じ比率だ。
「戦闘員全員です」
プリュタニスの顔が青くなり、危うくカップを落としそうになった。
カップをもつ手が震えている。
ミルは深いため息をついた。
キアラは仕掛けを知らされていないが、平然としている。
ミルとキアラ以外の顔が青白くなっていた。
まだプリュタニスが、衝撃から立ち直れていないようだ。
深くうなだれている。
ムリもない。
昔の家臣が、大量に死んだからな。
キアラが気の毒そうに、プリュタニスを見ている。
やがて俺に視線を戻した。
「お兄さま。
戦闘でそこまで一方的な結果など、聞いたことがありませんわ。
一体どんな手を使ったのですか?」
これは戦いではない。
皆殺しにされるか、全員奴隷にでもされないと終わらない。
そんな相手に対して、通常の戦争のルールで戦う気はない。
転生前では人道だのと騒がれたり、兵士がPTSDになったりするから、そんな手はなかなか使えない。
だが、今回は違う。
この世界にも戦争のルールはある。
使徒の誰かが決めたらしい。
その内容は転生前の戦争法そのままだった。
毒ガスの項目を見たときは、つい笑ってしまった。
決めたときの使徒のドヤ顔が、目に浮かぶようだったな。
そんな使徒の自己満足のルールで形骸化している。
それでも大っぴらに破ると、相手に攻撃を許す大義名分にしかならない。
ところがだ。
戦争法のようなルールに則っても、相手が宗教では無意味だろう。
ムダに兵士を死なせてしまうだけだ。
そして指導者は人道的だ、との評判を得る程度しか役に立たない。
ルールはお互いに守るか、破った側に守らせる力がない限りは無意味だ。
守る気がない相手には、いいカモになる。
紳士は紳士であることを利用する相手に、まず勝てない。
勝ったにしても受ける損害は計り知れない。
個人なら主義主張で片付くのだがね。
俺たちの存在そのものが、ドリエウスの社会構造を揺るがすものだ。
ドリエウスは俺たちの存在を許容できない。
そしてあちらから仕掛けてきたなら全滅させるか……。
徹底的に無力化させるしか、手段がない。
人間至上主義が表向きの主義主張なら、妥協点を探ることはできる。
もしくは人間の決めた方針と自覚していれば、共存はできるだろう。
預言者派なる集団がいて、戒律のように振る舞うのでは手の打ちようがない。
下手に紳士ぶって、相手も理性的になるから大丈夫だろう……。
そんな期待は無意味だし無益だ。
自分たちの社会でおこる歪みの精算を、外部に求めてまた仕掛けてくる。
結果、被害は増すだけだろう。
意識を自問自答から切り離し、顔を上げる。
「焼き殺しましたよ」
一番こちらの被害が少なくて済む、そんな手段を迷わずに選択した。
プリュタニスが衝撃から立ち直ったようだが……。
かなり顔色が悪い。
だが自分を奮い立たせるように、頭を振った。
「人を焼き殺すのは難しいはずです。
動き回りますからね。
それこそ、油の沼の中心にでも誘い込まないとムリです。
そんな沼があったら、匂いでわかります。
気がつかれずに誘い込むのはムリですよ」
俺はミルに合図を送った。
ミルは黙ってうなずいて、部屋に置いてある鉢植えを持ってきた。
「これのことでしょ」
「ええ。
ありがとう」
白い花が咲いている。
プリュタニスは首をかしげた。
「これはなんの花ですか?」
「
今は正午付近なので花が咲いています。
そして夕方にしぼんでしまう」
転生前に好奇心で食虫植物を調べて、ほかに変な植物がないか調べていたらヒットした。
ヨーロッパに分布している花。
似たような風土のこちらでもないか探したら、見事にあったわけだ。
「これが一体、なんの意味があるのですか?」
「気温が35度付近を超えると、揮発性の油を茎から出します。
それを敵が攻めてくるポイント一帯に群生させています。
直射日光にも弱いので、ほかの背が高い草で保護をしながらですけどね」
とても群生させるのは難しい。
植物マイスターのエルフが嫁さんなので、いろいろ協力してもらって達成できた。
ミルの手助けがないと、絶対ムリだった……。
俺は頭をかいて、周りを見た。
ミルとキアラ以外は見事に固まっていた。
仕方なく俺は、話の続きをする。
「ドリエウスと接触した段階から、準備をはじめました。
相手が原理主義的だったら、人道的なんて言っていられないですからね。
花が咲くちょうどいい時季に来てくれましたよ。
昨日の暑さで枯れたら台無しですから、内心冷や汗をかいていましたが」
プリュタニスの声が震えていた。
「つまり、初見では絶対わからない油の沼……」
「群生地点は独立させているので、森林火災は防ぐようにしています。
相手は戦力を小出しにする余裕はありません。
固まらないと戦力にならないですからね。
弓騎兵といえども、一定距離は接近する必要があります。
花は当然、砦の近くには咲いていませんが……。
あちらの矢の届く範囲には群生しています。
仮に前にでてきても問題ありません。
後ろで火事が発生したら動揺するでしょう。それはいい狙撃の的ですね。
全滅と言いましたが……。
後方に待機している非戦闘員は逃げられたでしょう」
涼しくなっている部屋の温度が、さらに下がったようだ。
これはまた名前が増えそうだな……。
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