206話 イデオロギーとの衝突

 クリームヒルトが戻った日のこと、俺に一つの報告がもたらされた。

 その報告は捕虜の尋問を主導していたキアラからだった。


「お兄さま、獣人の捕虜からちょっと困った話がでてきました」


 キアラを見ると見るからに困惑していた。

 ともかく話を聞かないと話が始まらない。


「どのような話ですか?」


「ええ、ドリエウスの領地では死んだことにされている。

もう行き場がない。

この町に住まわせてほしいと……」


 確かに困った話だな。

 死者扱いではあるのだが……。

 だからといって安直に受け入れると、ドリエウスとの交渉の余地を完全につぶすことになる。

 

 それこそ不安定になっているドリエウスの社会が完璧に崩壊する。

 崩壊させてもいいのだが……最後に残った部族がドリエウスだけならいい。


 だが魔族の動向が不明な時点でこの手は少し危険な気がする。

 崩壊した結果、魔族を巻き込んで騒乱が起こった場合……魔物への防波堤にヒビが入ってしまうと危険だ。


 慎重すぎると思うが……。

 計算できない以上は控えるべきだろう。

 それとは別にキアラの判断の根拠を聞いておきたい。


「キアラは、どうして困った話と思ったのですか?」


 口頭審問を受ける学生のような、少し自信がない感じで口を開いた。


「ええ。

理屈の上で、まだ彼らはドリエウスの民なのです。

その民を、勝手に取り込んでしまうのは政治上マイナスだと思います」


 妥当な判断だなと思っていると、キアラがまた口を開いた。


「そして以前……お兄さまが言われていた危険性ですわ。

一度受け入れた場合、次も断るのは難しくなります。

そこを狙って偽装投降を仕掛ける。

それを可能にする隙を作ってしまいます。

暗殺や内部かく乱を狙いやすくなりますもの。

相手が降伏しているか、滅亡していればその心配は減るのですが……」


 思わず笑みを浮かべてしまった。

 それを見たキアラがとてもうれしそうな顔になる。


「満点ですよ。

よくそこまで考えつきました。」


 魔族に関しては、俺が慎重すぎるだけだからな。

 現時間から明確にわかる話としては、これが全てだろう。


「どうされますか? 捕虜全員が解放を拒んでいますの」


 全員か……戻っても殺されると思っていそうだな。


「せめてドリエウスから、接触があればいいのですけどね……。

人間の捕虜に対してもノーリアクションなのが、危険な兆候なのですよね」


 黙って話を聞いていたミルが口を開いた。


「人間至上主義なのに見捨てるの?」


 俺は苦笑交じりの表情になってしまう。


「人間至上主義でも二通りの分岐があるのですよ……」


「二通り?」


「まずは、人間の同胞はいかなる手段でも保護します。

捕虜になっても全力で取り返します。

そして、もう一つ……人間至上主義でも力のある人間以外の価値を認めない。

つまり捕虜になるようなやつは人間とはみなさない」


 ミルが不快な顔をした。


「そんなむちゃな話で人がまとまるの? 戦うたびに人が減って、最後には維持できなくるでしょ?」


 ミルも時間を視野に入れて考える癖がついてきた。

 実に喜ばしいことだな。

 俺のほころんだ顔を見てミルがうれしそうにした。

 次の話はちょっと重くなるので俺はせきばらいした。


「ふだんの戦いであれば、前者で済ませていたと思いますよ。

ただ……今回はまずいことに獣人たちに負けた。

ドリエウスは戦うときにわれわれを不純だとか……劣ったものだから討伐すると民に布告を出したでしょう」


 ミルは不思議そうな顔をした。


「そんなことをするの?」


「ええ……ほぼ間違いなく。

宣戦布告までするくらい、儀礼が定まっているとこです。

戦いの前に民に、自身の正当性を表明するでしょう。

そして配下の獣人たちに、希望を持たせないようにもそれは必要です」


「正当性って……そんなことが正しいってなるの?」


 理解できないのは健全なのだけどな……理解できる俺自身がたまに嫌になる。

 思わず肩をすくめた。


「自分たちの正義を絶対正義と思わないだけでなく、その反対の行動をしている人に対して


 ミルとキアラの表情が、一瞬にして硬くなる。

 俺の言わんとすることはこれで通じたろう。

 苦笑交じりに俺は話を続ける。


「最初にわれわれの存在が彼らの社会の脅威だと指摘した理由ですよ。

そしてその戦いで、降伏なり捕虜になったものは、汚れた者としてみなされます。

われわれの存在を認めてしまった……そう思われるからです」


 キアラが昔の発言との矛盾に気がついたようだ。


「でも、前に『人間の捕虜を戻したら戦力になってしまう』と言われましたよね?」


 うん、ちゃんと覚えていたね。

 俺はよくできましたといった顔でキアラにうなずいた。


「そう、ドリエウス個人の判断で決められるのならです。

それこそ勝って、穢れを落とせのような脅しをかけてね。

仮にもトップなのですから、200人の騎兵を捨てるのは愚かでしょう。」


 キアラは眉をひそめた。


「そうでないとおっしゃるのですね」


「最初はドリエウス個人で決めている、と思っていましたがね。

これだけ音沙汰もない、となると一つ可能性があるのですよ。

恐らく……人間至上主義を教義のように守っている顧問団がいるのでしょうね。

ドリエウスも、その顧問団の意向を無視して、ことは進められないでしょう。」


「どうして、そんな存在がいると思われたのですか?」


「最初に違和感を持った点です。

それは名字がないことですね。

役職を名字にしている理由としては……。

人はあくまで組織に属するものとの考えなのでしょうね。」


 ミルの疑問ゲージがMAXになったようだ。

 身を乗り出してきた。


「たったそれだけでわかるの?」


 さすがにそれはない。

 俺は超能力者じゃないからな。

 つい苦笑してしまった。

 それを見たミルがちょっと頰を膨らませた。

 俺は慌ててフォローをする。


「ああ、すみません。

さすがにそれだけじゃわかりませんよ。

名字がない、人間至上主義で建前でなく行動に移している。

獣人を町に入れない。

宣戦布告のような儀礼は決まっている。

そして人間の捕虜に対してのノーリアクション。

これらを組み合わせると、可能性の一つとして考えられるのですよ。

ドリエウスも首領になるときに、その顧問団に承認を得ているのでしょうね」


ミルは今一納得していないようだ。


「首領って立場が弱いの?」


「ふだんは強いですよ、彼らの人間至上主義の教義に沿っている限りは。

それを曲げることはできないだけです。

教皇が、教会の教義に反することが実施できないことと同じです。

ですが……まだ現時点では推測に過ぎません。

裏付けが欲しいので、人間の捕虜の尋問で反応を探ってもらえますか?」


 獣人はキアラ、人間はチャールズで尋問を分担しているのだろう。

 獣人がいたらドリエウス側の人間は口を開かないだろうからな……。

 そのあたりは2人でうまいこと調整してもらおう。


 キアラは笑顔でうなずいた。


「ロッシさんと相談してみますわ。」


「捕虜に関しては保留ですね。

急いで決断する必要性は薄いでしょう」


しかし、イデオロギーとの衝突かぁ……。

実に面倒だ……。

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