158話 善意は炎みたいなもの
疫病対策に全力で挑む羽目になった。
治療に関しては80名ほどが参加。
多くなり過ぎるとデスピナの負担が大きくなり過ぎるので、人数を絞るように指示したためだ。
そして、矢文を見た猫人が子供を連れて、200名以上も保護を求めてきた。
猫人って結構いたのか……。
アーデルヘイトの友人もその中に含まれていて、母子は無事保護されたそうだ。
アーデルヘイトは涙を流して喜んだようだが。
安心するのは早すぎる、と理解しているのだろうか。
今、対応で修羅場になってはいるが運営はできている
1週間ほど経過したが、死者10名との報告だ
そろそろ治療を手伝っている人間たちにも、疲労と士気の低下がでる。
つまりは規律の乱れがでてくる頃だろう。
本家に依頼した薬品も、すぐ来るわけではない。
「あなたたちと死の間は、ただ1歩、注意を怠らないように。
そう伝えてください」
ダビデのセリフをパクって、作業している人たちに伝えてもらう。
俺の指示を聞いていたキアラが、小さく眉をひそめる。
「そろそろ、規律が緩んでくると思ったのですね」
人はずっと緊張感なんて保てない。
「これでうまくいけば2週間程度は、規律を維持できるでしょう」
ミルが俺に別の書類を手渡してきた。
ミルも眉をひそめている。
「どうすれば、気を使わなくても規律を維持できるようになるの?」
あるにはある、どうしようもなく非情な方法だがね。
「1月ごとに作業者の中に感染者がでて死ねば……ですね」
ミルが頭を強く振ってため息をついた。
「それだけ難しいのね」
ミルは結婚してから、特に俺の意図をきっちり読んでくれるようになった。
多分、少しでも手助けしたいからだろうな。
アーデルヘイトの申し出を断って良かった、そう改めて思った。
俺は今の状況を思って、皮肉めいた笑いを浮かべる。
「善意ってやつは、炎みたいな物なんですよ」
キアラが興味深そうな顔になった。
「その意味は何です?」
「炎は自然発火することもありますが、燃やし続けるには燃料がいります。
炎はそれだけで存在できませんからね」
「そうですわね」
「善意で動きだしても完遂したければ……。
相応の計画や持続する意思が必要になります」
ミルも話の意図が見えてきたようだ。
「今、その火が消えかかっているのね」
「炎自身はね、燃えているか……消えているかだけしか分からないのですよ」
キアラが困ったような顔をした。
「困りましたわね……」
だからとても厄介で取り扱いが難しい。
「まあ、すぐに決着がつく善意なら問題ないのですがね。
長期戦ですよ。
どこまで理解してやる、と言ったのか知りませんがね」
ミルが天を仰ぐ
「私も、アルがそこまで長期戦を考えていたとは分からなかったわ」
俺は力なく笑う。
「実に頼りない善意ですけどね。
私には頼りない善意を守る義務があるのですよ」
ミルが顔に手を当ててため息をついた。
「本当に領主って大変なのね……」
「理解者がいないと、やっていられないですよ。
さて、アレンスキー殿を呼んでもらっても良いですか?」
ミルがうなずいた。
「いいわよ」
キアラが興味深そうに俺を見た。
「何かやるのですね」
「ええ、幸か不幸か疫病対策で人手がそっちに偏っています。
建築がストップしてドワーフも暇になりがちですからね」
本来はもうちょっと余裕ができたらやりたかった。
捨て身で猫人を助ける。
そんな番狂わせをしてくれたおかげで、疫病対策の建築にドワーフを駆り出す状況に追い込まれた。
そして、建設完了後に休暇を与えていた。
休暇が終わっても、疫病対策が最優先。
結果として、エンジニアとしての仕事が減ってしまっている。
暇を持て余して、うずうずしている今がいい機会だった。
◆◇◆◇◆
ミルに連れられてドワーフエンジニアの長、オニーシムがやってきた。
ドワーフはマイペースで善意の渦に飲まれなかった。
俺にとっては一服の清涼剤となっていた。
オニーシムが俺に期待の眼差しを向けてきた。
「ご領主、儂を呼んだってことは何かあるんだろ。
暇でかなわん」
「是非やってほしいことがあります」
オニーシムはニヤリと笑いながら、髭をいじっている。
「ほう」
「今、浴場で使っている石鹼はとても臭いのです。
使いたがらない人が結構いましてね……。
それでは防疫の効果も薄れてしまうのです。
指示しても、そろそろ守らなくなってくる頃合いで」
この世界での石鹼と言えば、軟石鹼。
動物性脂肪と木灰から作った物でとにかく臭いのだ。
香水を念入りに振りかけないといけない。
そして香水だってタダじゃない。
非効率的なのだ。
さらにイノシシ騒動でかなりの数を作っているのだが……。
倉庫は悪臭の源になっている。
そして柔らかくて使いにくいのだ。
オニーシムは渋い顔をした。
「ああ、ありゃ臭いな。
真夏に履いたブーツの中並みだ」
嫌な例えだ。
もしかしてお前は嗅いだのか?
想像すると悲しくなる。
「そこで臭くない石鹼を作ってください」
オニーシムに白い目で見られた。
「そんなのできればとっくに作っているだろ」
その思い込みが良くないのだよ。
「使徒が使っていたのは臭くないでしょう」
オニーシムが呆れた表情になった。
「使徒だからできることだろう。
そんなことも分からんのか」
俺は挑戦的な態度をとる。
「つまり、できないと?」
オニーシムが不機嫌になった。
「挑戦的だな、ご領主」
火がつきかけた闘争心に方向を示してやる。
そうすれば走りだすはずだ。
「あれと同じ物ではありません。
ただ臭くない物です」
ルブラン法や重曹の石鹼はまだ、この世界の化学レベルでは届かない。
だから、できる範囲での改良をする。
「何かアテがあるのか?」
技術発展の基本形。
既存の改良進歩だ。
「今の材料と似た材料を組み合わせれば、何かできませんか?」
俺はオニーシムをニヤニヤ見ながら続けた。
「イノシシの脂肪の代わりを植物で代用、木灰で無理なら似たような物で」
オニーシムがピタっと止まった。
突然、興奮しだした。
「おぉぉぉ! そうか! そうか! 似た材料で臭わない製法を探せというわけだな」
俺はニヤリと笑った。
「その通り、試してみてください」
「よしきた! この手の試行錯誤に子供を使うぞ。
ここの子供は誰かに似て好奇心旺盛なんでな」
こんな暗いときだ、何か楽しい話があっても良いだろう。
不謹慎? 知ったことか。
「楽しくやれるなら構いませんよ」
返事をまたずにオニーシムが駆け出していった。
ミルが感心したような顔になった
「あの頑固ウオッカは、ああやって操縦すればいいのね」
ひどいあだ名だな。
「臭い石鹼より臭くない石鹼なら、善意の炎も多少は長持ちするじゃないですか」
キアラは呆れ顔でため息をついた。
「ほんと、お兄さまは人が良すぎですわ……」
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