154話 命を張るタイミング

 疫病対策を実施すべく、町自体が慌ただしく動き出した。

 俺とアーデルヘイトだけの、気まずい空間にやってきたのはマガリ性悪婆だった。


「プランケット殿、どうかされましたか」


「坊やがきっとアーデルヘイトを虐めている、と思って様子を見に来たのさ」


「虐めてなどいないですよ」


 マガリ性悪婆は意味深にウインクした。


「女を虐めるならベッドの上だけにしなよ」


 人の話を聞いてねぇ……。


「そのうち、ミルと相談しますよ」


「やれやれ、アーデルヘイトも可愛がってやればいいのに。

結構尽くすタイプだよ。

アンタ好みだろ、尽くすタイプ」


「残念ながら、私が愛する女性の席は埋まってるのですよ。

それより、そんな話をしに来たのではないでしょう」


 マガリ性悪婆がやれやれといった顔で、アーデルヘイトの隣に座った。


「ま、いいさね。

坊や、ニャンコをどうするつもりなんだい?」


「別に何も」


「ふむ、つまり全滅させるってことかね」


 アーデルヘイトが驚いた顔になる。

 全滅するとは思っていなかったらしい。


「全滅ってどうしてですか?」


 マガリ性悪婆はアーデルヘイトに優しく笑いかける。


「何もしないとニャンコたちは、疫病とイノシシのダブルパンチで死に絶えるしかないのさ。

坊やは織り込み済みだろ」


 マガリ性悪婆はアーデルヘイトにだけは優しいようだ。

 言質を与えるとろくなことがない。

 俺は肩をすくめた。


「どうでしょうね」


「泣きついてきても、ガン無視かい?」


 なぜこの話にこだわるのか。

 それにマガリ性悪婆は猫人に愛着はないはずだが。

 あるとしたらアーデルヘイトだが……。

 どちらにせよ俺の対応は素っ気なくなる。


「疫病持ちを、家に入れる訳にはいかないでしょう」


 マガリ性悪婆が仕方ないといった顔でため息をついた


「だろうね、ほんとニャンコたちも敵を見誤ったねぇ……」


「彼らの選択ですから」


 マガリ性悪婆が面白そうな顔をした。

 何かろくでもないことを企んでいそうだ。

 下手な悪戯はやけどじゃ済まない。

 そのくらいは知っているだろう。


「ところで坊や。

ニャンコのスザナは知っているかい?」


 話が読めないな。


「知ってますよ。

以前に使者として面会しましたから」


「坊やはスザナを見てどう思ったね」


 あれが一体どうしたのだ。

 嫌な予感しかしないので塩対応になる。


「あんなに表情が表に出るようでは、使者としては不向きですね」


 マガリ性悪婆は何が面白いのか笑い出した。

 アーデルヘイトは目を丸くしている。


「坊やも同じ感想かい。

ちなみにさ、猫人の族長はずっと病気だ……といって表に出てきていないのさ。

どう思うかね?」


 知っていた方が確かにメリットはある。

 現状ではリスクとの収支で大赤字になる。


「病気だろうと元気だろうと別に変わりませんよ。

それによって彼らの行動が変わる訳でもないでしょう」


 反応が薄い俺を見てマガリ性悪婆が肩をすくめた


「つれない坊やだねぇ。

お察しの通り、族長は生きているのかも怪しいものさ。

猫人たちも多分パニックになっているね。

スザナ程度の力量では制御なんて無理さ。

せいぜい坊やへの恐怖心を煽って、団結を維持するのが関の山だろうねぇ。

まあ、どのみちニャンコたちはもう手遅れだしね」


猫人の話ばかりする狙いは、大体予想がつく。

助ける気なんてないぞ。


「プランケット殿は、状況の確認に来られたのですか?」


 マガリ性悪婆がアーデルヘイトを見て苦笑した。


「いや。

アーデルヘイトがどうせ猫人を助けたい、と言い出したんじゃないかと思ったのさ」


 アーデルヘイトがしょんぼりする。

 マガリ性悪婆がアーデルヘイトに向かっていった。


「アーデルヘイトは友達を助けたいのかね」


 それは初耳だな……。

 猫人に友達がいたのか。

 だからあんなにこだわってていたのか。

 だからといって、俺の判断は変わらない。

 市民でもないアーデルヘイトの友達と、市民の命を交換させる気もない。

 そもそもレートがこっちだけ跳ね上がるだろう。

 マガリ性悪婆が俺に向き直った。


「アーデルヘイトの友達にさ、猫人の母子がいるのさ」


 俺に情で訴えても無駄なのは知ってそうだが。

 だが領主としての立場上、新参者の代表者をすげなく扱うことは政治的にマイナス。

 話をせざるを得ない。

 とはいえ、変な話をされてアーデルヘイトに期待を持たれても困る。


「夫は?」


「狼人との抗争で死んでいるさね」


「そうですか。

それで私に何を期待するので?」


「坊やのミラクルで助けてやれないかね。

成功すればアーデルヘイトは濡れ濡れになって、アンタにベタぼれになるさ」


 俺は露骨に大きなため息をつく。

 愛人だの側室だのは要らない……。

 あれほど言っているのに。


「いえ。

私はミルだけでベッドは足りています」


 つまならそうにマガリ性悪婆が俺を見た。


「ほんと仙人みたいなやつだね」


 いや、仙人は奥さんとあんなにやらんから。

 ほかの女にうつつを抜かすくらいなら、ミルの喜ぶ顔が見たい。


「そもそも、猫人の情報もないですよ。

それに疫病に掛かっていたら、市民も伝染させてしまいますよ。

どうせその母子だけ助けて、満足するとは思えませんね」


 2人だけで済ませるなんて、絶対にあり得ない。

 仮に2人だけ助けたなら、後々でその母子を苦しめることになる。

 それは助けたといるのか?

 それに領民を危険にさらすことは認めない。

 俺を恨みたければ恨めばいいさ。


「本当に17歳かい? 全く乗ってこないとはね。

アーデルヘイト」


 突然の指名にアーデルヘイトがびくっとした。


「は、はい」


「アンタはどうなんだ? 母子だけで満足かい? それなら可能かもしれない。

そう坊主がいってるよ」


 そんなこといってないし、そんなミラクル技はないからな。

 マズいな……。

 これは無理やりにでも、俺を引きずり込むつもりだ。


 そんな俺のいら立ちを無視してマガリ性悪婆はアーデルヘイトをじっと見つめた。


「ただ、他の人もといえば無理だ。

どうするね?」


 アーデルヘイトが下を向いて固まってしまった。

 そしてそのまま突然立ち上がって部屋を出ていってしまった。

 多分泣いていたのだろう。

 余計なことをしてくれる……。


「ちょっと意地悪過ぎませんかね。

アーデルヘイトさんは、今でも辛いのに追い込むこともないでしょう」


 マガリ性悪婆が天井を見上げた。


「さっさと土下座でもして降参してれば、あんな地獄を見なくて済んだのにねぇ」


 お前、焚き付けておいてそんな話をするのか?

 これが婆じゃなかったら、胸ぐらをつかんでいたぞ。

 俺の返事も、素っ気ないを通り越して冷たくなる。


「手遅れでしょうね」


 俺の反応に無関心といったいったそぶりで、マガリ性悪婆が俺に爆弾を投げ込んできた。


「坊や。

アーデルヘイトが助けられるだけ、助けたいと言い出したら?」


 そうならないように押さえ込んでいたのに、この婆……。


「責任の内容にもよります。

私は彼女の責任の結果を問われます。

私は死ななくていい者を、死なせる訳にはいかないのですよ」


 マガリ性悪婆が俺の苛立ちを無視して、上を向いた。


「あの子のとれる責任なんて、あの子が命張るくらいだよ」


 絶対にそうはならない。1人が手を上げると雪崩が発生する。

 だから認める訳にはいかない。


「私は賛成できませんね」


 マガリ性悪婆が俺に向き直った。


「それでも張らせてほしい、といったらどうなんだい?」


 俺は心底嫌な顔をした。


「嫌なことを聞きますね。

本人がどうしてもと、自分だけの命を張るなら止める権利はありません」


「あの子は張るよ」


 俺の我慢もそろそろ、限界に達しようとしている。

 口調が自然ととげとげしくなる。


「張る? 張らざる得ないの間違いでしょう。

言葉は正確に使ってください。

私は絶対に聞きませんよ」


 マガリ性悪婆が真面目な顔になった


「アタシにとっちゃね、あの子は孫も同じなんだ。

無駄に死なせたい訳ないだろ。

でもさ……命を張るタイミングを逃すと、後悔引きずって生きることになる。

それはさせたくないんだよ」


 経験談か……。

 全くどいつもこいつも俺に、嫌な決断ばかり迫ってきやがる。

 この婆はアーデルヘイトのことしか見ていない。

 それとも見られなくなっているのか。

 俺の苛立ちを最悪の事態が押さえつけた。


「あ、あの」


 アーデルヘイトがいつの間にか戻ってきていた。

 真剣な顔をしている。


「わ、私が命を掛ければ、大勢が助かる可能性があるのですか!?」


 マガリ性悪婆に嵌められた。

 追い詰めて、無理にでもない勇気を絞らせて決断させる。

 それは自分の決断じゃ無い。

 くっそ……覚えていろよ……。

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