153話 個人の道徳と指導者の道徳は別のもの

 翌日さらに翼のしおれたアーデルヘイトを見て、つい苦笑してしまう。

 それを横目に書類仕事をしていると、チャールズがやって来た。


「何か問題でも発生しましたか? ロッシ卿」


 珍しく困惑した表情のチャールズがうなずいた。


「有翼族が斥候の手伝いを申し出てくれましてね。

それで、猫人の領地を遠見で偵察してもらったのですよ」


 俺は有翼族の怯えた様子を思い出して、思わず苦笑してしまった。


「飛べるようになるまで、メンタルは回復したのですか?」


 微妙な表情でチャールズが肩をすくめた。


「町では子供まで働いていますからな。

何かしたくて必死な形相で飛んでいましたよ」


 思わず光景を想像して笑ってしまった。

 何か文句でも言いたそうに、アーデルヘイトがミルのようなジト目で俺を見ていた。


「無理だけはさせないでください」


「ええ、勿論です。

それで報告なのですがね」


 チャールズが真顔になった。


「猫人の町で疫病がまん延しているようですな。

イノシシの腐乱死体から発生しているようです」


 ついに来たか……。

 さすがに真顔になる。


「なるほど。

では猫人の領域に対して、斥候派遣は中止してください」


 チャールズが意外そうな顔をした。


「よろしいので?」


「猫人が斥候を見つけたら意地でも捕まえるでしょう。

そして疫病を伝染させてこっちに戻しますよ」


「では猫人は砦にも寄せないようにしますか」


「寄ってきたら遠慮なく弓で追い払ってください」


 チャールズが一瞬考え込んだが、俺に探るような目を向けた。


「猫人の子供は放置でよろしいのですかな?」


 ああ、俺が種族を問わない子供好きだと思われているからな。

 子供は助けようとする……そう思われるか。

 そうではないのだがなぁ。

 

 迷いを見せると現場の判断を狂わせてしまう。

 今回は狂わせると大惨事が待っている。

 俺は有無を言わせない態度をとる。


「構いません。

猫人の子供は猫人の親が助けるべきです。

われわれが危険を冒して手を貸す必要はありません」


 全員驚いたようだ。

 ミルが心配そうに聞いてきた。


「アル。

いいの?」


 俺は表情一つ変えないように意識した。


「第一に私が気に掛けるのはこの町の子供ですよ。

よその子供にまで、気を掛ける余裕はありません」


 ミルはそれでも納得していないようだ。


「でも、子供は悪くないでしょ」


「ええ、ですが子供はまず親が守るべきです。

親がいなければ親戚なり社会が守るべきです。

敵対陣営が命を掛けて守るものではない。

それだけです」


 キアラは思案顔になる。


「お兄さま。

猫人の子供が助けを求めて、砦に来たらどうします?」


 俺の意図は分かっているが、あえて明言させたかったようだ。


「先の命令どおり、矢で追い払ってください。

できるだけ怪我をさせないように」


 チャールズが驚いたようだった。


「御命令とあらば……。

実行しますが……」


 武器を持たない子供に矢を射かけるのは、武人として避けたいのだろう。

 その高潔さは称賛に値する。

 だが、今回はそんな余裕はない。

 危機のときほど高潔にと言われるかもしれない。

 だが……見えない敵との戦いで、これは対決ではないのだ。


「ええ、明確な命令です。

降伏も受け入れません。

疫病が発生してしまった今となっては」


 俺の態度から非常事態であると悟ったようだ。

 チャールズは俺をじっと見てうなずいた。


「承知しました。

他に付随する指示はありますか?」


「軍事関係者で体調が悪化したものは隔離して治療。

毎日の入浴を必須とします。

さらにしっかりと食事と睡眠をとることを徹底させてください

そのせいで地域の巡回が難しくなれば、そこは放棄して構いません。

疫病の感染を防ぐことが最優先です」


 俺の細かな指示を聞いて、現状を理解してくれたようだ。

 チャールズは迷わずにうなずいた。


「承知いたしました」


 チャールズが退出した後で、俺は頼み事をミルにすることにした。


「ミル。

ロッシ卿に依頼した防疫関連の施策、これを市民に徹底してください」


 ミルは俺の態度に気押されてしまったようだ。


「え、ええ」


 そしてキアラにも頼み事をする。


「キアラ。

ロッシ卿に頼んで斥候から目撃した、猫人の病状を確認してください。

それを元に本家に症状を伝えて、効き目のありそうな医薬品を送ってもらってください」


「分かりましたわ、お兄さま」


 2人が出ていく。

 思ったより影響がデカかったな……。

 仕方ないとはいえ、自然を武器に使うのは過ぎたる力だったか。

 思わずため息がでる。


                  ◆◇◆◇◆


 部屋は俺とアーデルヘイトだけになった。


「あ、あのう。

アルフレードさま」


 恐る恐るといった感じのアーデルヘイト。

 俺の冷酷に見える態度に戸惑っているようだ。


「どうしましたか?」


「アルフレードさまは一度戦った敵でも、市民として迎えられました。

猫人は確かに敵でしょうけど、子供まで追い払う必要があるのでしょうか」


 子供に弓を射かけるなど想像もつかないのだろう。

 事態の深刻さを理解していない。

 ただの風邪とは訳が違う。

 伝染病の恐ろしさを知らないのだろう。


「猫人が子供を送り込んできた場合の話になりますが……。

それは子供を武器として、われわれへの攻撃をしているのです。

まだ彼らとの戦争は終わっていませんよ」


 戦いとは戦場でしか起こらない、そんな概念が実に強いようだ。

 アーデルヘイトが子供を武器にしている意味が理解できないようだ。


「武器ですか?」


 むしろ実際の戦闘は最後の確認作業だ。

 事前の準備でほぼ大勢は決まる。


「戦争は戦場で殺し合うだけ、ではないのですよ」


「そうなんですか」


「疫病に感染した人を送り込んで、敵にダメージを与えるのも戦争です。

特に私が子供好きと思っているなら効果的だと思うでしょうね」


 アーデルヘイトが武器以外での脅威に何か思い当たる節があったようだ。

 顔色が少し悪くなる。


「えっと……。

もしかして……イノシシを送り付けたのも武器なのですか?」


「勿論そうですよ。

われわれには食料、敵には兵糧攻めと戦力を削る。

そして疫病をまん延させて、勢力を壊滅させる」


 アーデルヘイトの顔が青くなっていく。


「この話をお父さまにしたら、絶対にアルフレードさまの前にでられなくなりますよ……」


 禁じ手を使った以上そこまで配慮する余裕はない。

 俺は肩をすくめた。


「そりゃ子供をノーリスクで救えるなら、猫人の子供だって救いますよ」


「では、リスクが高いのですか……」


 まだ理解しないのか。

 一度も見たことがないと、恐怖は理解できないのだろうな。


「子供が病気に感染していて、助けようとします。

こちらの市民に伝染したら、何人死ぬと思いますか」


 アーデルヘイトは珍しく納得しない。


「それはそうですが……」


「私の個人的な気の毒だという感情だけで、1000人以上の市民の命を危険に晒して良いのですか?

仮に伝染したら死者は3桁いきますよ」


 アーデルヘイトが気の毒なくらいシュンとしている。

 だが……指導者は知らないでは済まされない。


「アーデルヘイトさんが、猫人を気の毒に思うのは人としては正しいありかたです」


 アーデルヘイトがうなだれている。


「人として正しいことと、領主として正しいことは違う……と」


「そうです、それにです」


「それに?」


「猫人の子供が大事なら、親がちゃんと考えて行動すべきなのですよ」


 俺自身不機嫌なので、口調がきつくなる。


「それは……そうですね。

でも、部族の方針には逆らえないですよね」


 それは正しい。

 正しいからと……俺自身の感傷のため、領民に命を掛けさせる気にはならなかった。


「だからと言って他部族の子供たちをわれわれが命を掛けて助けにいきますか? 危険なのは猫人だけではないでしょう? どこまで範囲を広げますか?」


 厳しいようだが、言っておかないといけない。

 これはやけどで済む話ではないのだから。


「他人を助けるために死人がでたとします。

それで家族を亡くして悲しんでいる人に『あれは良いことをするため。だから仕方ないんだ。』と言えますか?

私には無理ですよ。

その場だけ言って逃げることはできませんね。

私が領主である限り背負う重荷ですよ」


 アーデルヘイトが首を横に振る、そして複雑な表情になる。


「正しいからと、他人の命を犠牲にさせる訳にはいかないです」


 個人の道徳と指導者の道徳は別のもの。

 俺だって助けられるなら助けたい。


 だが敵対種族の子供を助けるために、味方の命を危険に晒す。

 そんな選択を俺はできない。

 同盟関係や庇護下にあるなら、また別種の問題になる。

 それでも最悪は見捨てる選択をする。


 俺だけなら個人の道徳で動ける。

 俺はそんな贅沢ができる立場ではない。


 放置することで発生する他者からの恨みや軽蔑、それは俺の選択の結果として受け入れるしかない。


 今までアーデルヘイトは、指導者としての勉強をしたことがないのだろう。

 そして彼女は善良だろう、だから個人の善意を優先して考える。


 だが、個人の善意が必ずしも正しいとされない世界を見てしまった。


 さらに、俺から提示された難しい問題を見て悩んでいる。


 今は俺が全ての選択の責任をとる。

 だから、存分に悩んで考えるべきだろう。

 その結果、俺が間違っていると非難してもいい。


 だが、彼女もいずれは責任ある立場になる。

 そのときまでには自分の中で考えて、答えを出せるようになってほしい。

 何も考えずに、個人の道徳を優先させることがないように。

 考えた上での選択なら、その結果も受け入れること。


 どちらを優先させるにせよ。

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