第44話(完)

 流子が疲労を顔に浮かべて居間に戻ってきた。


「ダメ、ハナったら全然出てこない……どうかした?」


 居間に流れる湿っぽい雰囲気。

 流子は不思議そうに尋ねるも、多江は「何も」とほんのり濡れた声色で答えた。


「あとは、ハナちゃんをどう説得するかですね……」


 桜が呟くと、多江も腕を組んで眉間にシワを寄せる。


「私が歩み寄ろうにも、もはや近づくことさえ難しいからねぇ……」


「大丈夫ですよ」


 ひとりだけ軽快な口ぶりの龍幸は、あどけなく笑っている。


「ゆわが助けるんだもんな」


 肩を叩かれたゆわは「うん」と即答。

 そもそも龍幸らが金田家を訪れたのは、ゆわがハナと「おハナシ」したいと言ったからである。


「ゆわ、ハナちゃんのところ行ってくる!」


 そう言ってゆわは、流子が来た道を意気揚々と歩いて行く。

 龍幸らがついていくと、ゆわはハナの部屋の前に立ち、扉越しでやりとりをする。大人たちはゆわとハナに気づかれないよう身を隠す。


「ハナちゃん、おハナシしよう」


「いやッ! ゆわちゃんキライッ!」


 すかさずハナの拒絶する声が響く。

「ああ、もう……」と流子はハナを叱ろうとするも、龍幸に止められる。


「もうちょっと、2人きりにしてみましょう」


 ゆわは扉の前に座り、再度語りかける。


「ハナちゃん、おハナシしよ。ゆわ、ハナちゃんとはなしたいこといっぱいあるよ」


「…………」


「ハナちゃん、おばあちゃんとなかなおりしよう」


 直後、扉を叩く音が轟く。

 さらにハナの恨めしそうな声が追随する。


「イヤだ!おばあちゃんなんてキライ!どこでもいっちゃえばいいんだ!」


 魂の叫びに、桜は息を呑む。龍幸と流子はおずおずと、多江の顔色を伺う。

 しかし当の多江は真摯な表情で、けしてゆわたちから目を離さない。


「みんなキライッ!ゆわちゃんもおばあちゃんも、だいっキライーッ!」


 ハナは叫び、最後には火がついたように泣き出す。悲痛な声が廊下中に鳴動する。


 やはりダメなのかもしれない。

 ある程度時間を置いてからでないとハナは耳を貸さないのではないか。影で見守る大人たちは諦観する。


 されどただひとり、諦めないヒーローがいる。


「ハナちゃん、きいて」


 耳をつんざくハナの慟哭。

 響くほど、絶望に支配される。


 それでも清々とした声は、龍幸らの耳にも届いた。


「ゆわはもう、おかあさんとあえないんだ」


 それは、彼女だけが抱えることを許された、圧倒的な絶望。


 大人たちは息を呑む。

 そしてハナの泣き声も、突如として止まる。


「おかあさんがいなくなるまえね、ゆわいっぱいおハナシしたよ。でも、ゆわいまも、おかあさんとおハナシしたいよ。だからハナちゃんも、おばあちゃんといっぱいおハナシしなきゃダメだよ。なかなおりしなきゃ、ダメだよ」


 そこまで言うとゆわは、ぐっと口を閉じる。それはすべてを言い終えたからでなく、それ以上口を開けば、我慢できなくなるから。


 龍幸もまた、溢れそうにある涙を堪える。絶対に泣いてはいけない。本能が叫ぶ。


 ゆわは今、たったひとりで戦っているのだから。


 その時、多江が子どもたちの方へ歩み寄る。ゆわの肩をポンと叩くと、扉に向かって柔らかな声で話しかける。


「ハナ」


 部屋からは、一切の反応もない。

 それは、多江の次の言葉を待っているようでもあった。


「ごめんね」


 このたった一言で、良かったのだ。


 扉が開かれると、ハナは瞬く間に多江に抱きつく。そうしてすべてを爆発させた。


「おばあちゃん、ごめんなさいっ……キライっていって、ごめんなさいぃ……」


「うん、うん。大丈夫だよ」


「おばあちゃんがいなくなるの、ハナヤダよぉ……いっしょにいたいよぉ……」


 多江は膝をつき、ハナを抱きしめ返す。


「分かってるよハナ。遊園地、行こう。どこか旅行にも行こう。まだまだ時間はあるから、一緒に思い出作ろう」


 多江の目からは涙がこぼれ落ちる。ただその顔は、優しく笑っていた。

 そんな2人を前に、流子は膝から崩れ落ちて号泣し、桜も目を覆い隠している。


 そしてゆわは、龍幸の足にしがみつく。

 表情を見せないまま、しばらく震えていた。


 志河家の前に着くと、桜は高く手を上げる。


「それじゃあ、私は帰りますね」


「うん、ありがとね」


「いえいえ。私、何もしていませんし」


 桜はゆわの前でしゃがみこむと、頭を撫でて一言。


「ゆわちゃん、また明日ね」


「うん、またあした」


 ゆわはふわりと微笑み、桜の頬に触れた。


 帰宅してから龍幸は、夕飯の材料がないことに気づく。

 時間も遅いため今晩はスーパーのお惣菜で済ませようと、父娘は車に乗り込んだ。


 車内から見える月はおぼろげだが、柔らかい光を龍幸らに与える。

 窓の外に広がる闇夜を、後部座席のゆわはたゆたう瞳で見つめていた。


「……ミライ、かわったかな」


「うん、きっと。ハナちゃんとおばあちゃんはもう、大丈夫だよ」


「そっか」


 再び沈黙が父娘に覆いかぶさる。

 しかし断続的に、鼻をすする音が響く。


「おかあさんのおハナシ」


「ん?」


「おかあさんのおハナシ、かえってからいっぱいしようね」


「うん。しよう」


「きょうだけじゃなくて……っ、あしたも、そのつぎも……」


「うん。ずっとずっと、お母さんのこと、話そう」


 明日も、明後日も、いつまでも、父娘は空のおハナシをしていく。

 そうして空は父娘の中で、おハナシの中の人になっていく。


 これは不幸だ。

 しかしもう、絶望ではない。


「ゆわ、晩ごはん何にしようか。何か食べたいもの、ある?」


「……プリン」


「そっか、プリンか……じゃあ今日は、お父さんもプリンにしようかな」


「……コーヒーゼリーじゃなくて?」


「うん。今日は、ゆわと一緒にプリンが食べたいんだ」


「そっか……っ」


 ゆわはこの町で生きていく。

 当たり前じゃない幸せと、当たり前じゃない不幸せを、その身に積み重ねていく。


 優しくて、ほんの少しだけ悲しい魔法を携えて。



 (完)

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5歳の娘が未来予知できるようになりました 持崎湯葉 @mochiyuba

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