シャドーボクシング 《解凍グリッチ》


2012年4月8日 レビュアー 解凍グリッチ



アメリカの思想家ケン・ウィルバーは自分の心の中の影との戦いをスポーツになぞらえてシャドーボクシングと呼んだ。


この作品における主要人物の二人は、あたかも互いのシャドウのように振舞っている。シャドウとは内側に存在しながら生きることのなかった自己の一部だと言われる。だから、それを表現し、十全に実現している誰かに強い感情、それも否定的なそれを抱いてしまう。


この対決はゲド戦記に明らかなように古今の物語のテーマとなっている。本作においてもファスダとヒューロはあたかも互いをシャドウのごとく扱う。一見、華やかなショービジネスの世界に身を置くファスダであってさえ、常にサニーサイドに位置しているわけではなくて、時として陰惨なヒューロよりも色濃い暗黒を抱え込む。


これは陽気なエンターテイメント都市であるワートと雪深いリゾート地であるギアロにも当てはまる。二つの都市は互いの実現しなかった可能性を入れ子状に含み込んでいる。手厚い福祉国家に属するギアロはワートの成し得なかった一部であり、観光化に立ち遅れたギアロはワートのそれだ。


こうして人と人の。都市と都市とのシャドーボクシングは続いていく。しかしながら、この戦いが不毛なのは、殴り続けるばかりでいつまで経っても最終ラウンドのゴングはならないからである。健闘を称え合い、抱擁する場面はついにやってこない。自らのシャドウを受け入れることのない者は、決まって外界にも分断を作り出す。成り上がっていくファスダとヒューロが、見かけの繁栄とは裏腹に、より深い飢えと乾きを抱え込んでしまうのはそのためだ。


それでもこの癒しのない物語は途轍もなく魅力的でもある。ファスダは聖者スワルトの石像の足元に額ずいて、幸福だったギアロでの子供時代を懐かしみながら懺悔するだろう。尾羽打ち枯らしたヒューロはリヴェータの火口の縁に立って、これまで手にかけた人の数だけネフェル銀貨を投げ込む。リヴェータは大地の女神でもあり、火口はその秘所でもある。ヒューロが再生のために火口へ身を投げようとしているのは明白だ。貨幣とともに自己を鋳溶かして新たな生を得たい。そんなヒューロの衝動はしかし叶えられはしない。


そこで必要となるのが文化人類学で言う逃れの場アジールとしての第三の姉妹都市だろう。その意味が明示されていない作品タイトル『フーリダヤム』とはそれのことではないのか。ワートのオーバーツーリズムとも、ギアロの固陋ころうな因習とも無縁な清浄地。ケイリが手に入れた脚本家シシリー・マフートの物語に一度だけに登場する単語であるが、その意味はどこまでも判然としない。英語の「自由フリーダム」ともサンスクリット語の「フリダヤム」とも通じる響きであるが、結局のところ意味などないのかもしれない。


しかし、我々は逃れの聖域を常に求めている。三番目の姉妹都市は無意識に秘められた逃避と退行の象徴なのか。あるいはシャドウとひとつとなる成長の契機か。答えは読者それぞれに委ねられている。


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