第6話 幼馴染が絶対に可愛いラブコメ
和瀬界人の朝は早い。時刻は六時半。
通っている高校へは電車を経由しないといけないので、早く家を出ないといけないのだ。
陽は昇っているが、窓から聞こえるのは小鳥の
眠気で重い体を無理やり起こして、朝ご飯を作りにキッチンへ移動する。
作ると言っても、エッグベネディクトみたいなやや手の込んだものではなく、トーストに普通の目玉焼きとウインナー。レタスをちぎって、その上に切ったトマトを乗せるだけ。
毎日全く同じってわけじゃないが、だいたいこんな感じだ。
親は仕事でほとんど家にいないというラノベあるあるみたいな家庭。だが、俺には毎朝起こしに来る幼馴染もいないし、金髪帰国子女転校生もいない。畜生め。
一通り朝飯の準備をして、二人分の食パンをトースターにかける。
焼きあがる前に俺はいつものG級高難度クエストに挑むために、中学三年生の愚妹の部屋へ足を運ぶ。
「おーい朝だぞ~起きろ~」
「ん~~~~あと百二十分~~」
「お前はテーマパークの待ち時間か」
「すう……すう……」
「おい。二度寝するな。遅刻するぞ」
俺は布団からぴょこんと飛び出てる、寝癖のついたボブヘアーの
「ちょっとやめてよ~お兄ちゃん~~~。音夢が裸で寝てたらどうするつもりだったの~?」
「朝食抜きにする」
「うっわひっど~」
こいつの脱力した声を聞いていたらこっちまで眠くなってしまいそうになる。
「どうせお兄ちゃんのお兄ちゃんが大剣装備して自室で溜め斬りするんでしょ〜〜」
「起きたそばから下ネタやめろ!それにお前の見ても興奮なんかしねえよ」
昔はこんなはしたない子じゃなかったのに。これも成長というやつか……
頭を振ってしみじみとした想いを振り払い、己の目的を思い出す。
「ほら。トーストも焼けあがってるから早く部屋から出て来いよ」
だらだらぐだぐだしながら顔を洗ってきた音夢が食卓につく。
まだ寝てるんじゃないかと思わされるくらい、ぼーっとしながらもぐもぐと咀嚼している。
「またパン~?もう飽きたよ~」
「何がいいんだよ?」
「ん~フレンチトーストが食べたいな~」
「結局パンじゃねえか。文句言うなら自分で作るか?」
「わ~~それはやだなぁ~。効率が悪い」
「でたな効率厨」
音夢はとにかく無駄が嫌いだ。待ち時間とかめちゃくちゃ嫌うから、いつも時間ギリギリ。料理してもできないのがわかっているから、絶対に最初からやろうとしない。
生粋の愚妹。ずっとぐにゃーってだらけているから遠目から見たら、ほぼはぐれメタル。うっかり手刀でメタル斬りしてしまいそうになる。経験値は少しももらえないが。畜生め。
朝食を済ませた俺は身支度を整え、玄関へ向かおうとするが。
「あ。お兄ちゃん。らのべ?だっけ。忘れてるよ~~」
「あー。すまん。サンキューな」
「お礼は駅前の極上メロンパンね~~」
「代償がでかすぎる」
「お兄ちゃんもいつまでもこんな本読んでないでさ~。彼女とか作らないの~?」
「彼女の作り方なんて図画工作の授業で習わなかったぞ」
「そんなこと言ってる間はできないね~~。仕方がないからお兄ちゃんは音夢が面倒見てあげてもいいよ~~」
「面倒かけるのはお前の方だろが」
肩を落としていくらこの愚妹に呆れようが、こいつが妹である事実は変わらない。
今日の学校のお供であるラノベを音夢から受け取り、俺は玄関の扉を開ける。
「先に出るからちゃんと家のカギ閉めて出ろよ」
「はいはい。わかったわかった~。いってらっしゃ~い」
********
最寄り駅のホームで電車を待っている。
周りを見渡せば、学生や通勤する社会人で溢れかえっていた。携帯を操作している人がほとんどであるが、俺は違う。ゲームアプリは音ゲーしか入れてないし、スキマ時間にメッセージを送り合うほど、友達の連絡先も入れてない。そう、入れてないだけだからっ。
だから、この通学時間はラノベを読んで過ごす。ブックカバーはつける派だ。それも、本が傷まないようがっしりしたやつ。
日常のルーティーンであるため、何も考えずにホームの人の列に並ぶことができ、無造作に本を開け、文章の世界に入り込もうとしたその瞬間の出来事だった。
後ろからトントンと肩を叩かれ、俺は内心驚きながらも、ゆっくり振り返る、いや、振り返る途中でツンと、か細い指が頬に触れた。
「あっ。引っかかったね界人」
「誰だ、新キャラか?」
頬に触れている指を払いのけ、訝しげに俺は振り返ると、そこには新キャラではなく、ドМワナビ少女の屈託ない笑顔があった。
「新キャラじゃないよ。ひまりだよ?」
「お前なんでこんなところにいるんだよ」
「なんでって、あれ、私の家」
そう言って、彼女が指さした先には、駅からでも見える超高層マンションが。
「マジ?」
「マジです」
「安野って素でお嬢様キャラだったのか?」
「お嬢様ってほどじゃないよ。普通だよ」
「あれで普通ならそこら中がマンション激戦区になってるはずだが」
「うーんそうなのかなー」
安野は後ろからガバっと俺の両肩にためらいなく手を置き、乗り出すように顔を限界まで近づけてきた。まるでそれが許された関係だと言わんばかりに。駅の騒がしさもあるのに、彼女の息遣いが聞こえるほどの近距離である。
「さっきから思ってたんだけど、今日の安野の妙な距離感何?俺のこと下の名前で呼んだりとか容赦ないボディタッチとか」
「あ、よかったぁ。スルーされてたのかと思っちゃったよ」
「あ。もしかしてもう幼馴染に成りきっているのか?」
「そうだよっ」
安野はニコッと破顔しながら幼馴染が挨拶がてらにするように左腕に抱きついてきた。もちろん抱きついているので、女の子らしい柔らかな感触も存在している。
「おうおう。俺はお前の演技が上手すぎて絶賛引きまくってる最中だ」
俺は彼女が倒れない程度にそっと肩を押して引きはがした。
にしても安野の演技が本当に上手い。どうやら俺の懸念は杞憂だったようだ。杞憂どころかむしろ上出来すぎる。女優の才能とかありそうだ。
そんな感想を心のうちに抱いていると、安野は頬をリスみたいに膨らまして俺にダメ出ししてきた。
「幼馴染なんだから、ひまりって呼んで」
「え?何言ってんだよ安野。おま……」
「ひまり……」
そのワードを言わないと是が非でも許してくれないようだ。くそっ。女子を下の名前で呼ぶイベントがまさかこんな形で現れるなんて……
まあ、でもあくまで演技の範疇だと思えばそれほど恥ずかしいことでもない……か。
それに相手が安野ってことも安心できる要素だな。何も起きない自信しかない。よし、言うか……
「ひ、ひまり…………あぁぁぁもうやっぱこそばゆいなあぁぁぁなしだなしぃぃ!」
「むーっ。界人はそっけない系の主人公なんだね……っておっとっと……」
むくれた安野の後ろにスーツ姿のおそらく三十代くらいの男性が列を詰めてきたのだった。駅のホームだし当然だろう。
安野は「すみません」と一言詫びを入れ、大人しく前に詰め寄った。
それから一分も待つことなく電車が来たので、俺たちは流れるように乗車した。
中は当然、おしくらまんじゅう状態だ。満員電車はいつまでたっても慣れないな。
だが、今日はいつも以上に慣れない出来事が起きている。それは。
「あ、ご、ごめんね……」
「満員電車ですし仕方ないですよ」
そう。安野が近いどころかほぼゼロ距離。その申し訳なさそうな上目遣いは恋愛感情を抱いていない俺ですら、変に敬語を使ってしまうレベル。
ガタンゴトンと車両が右に揺れれば安野が俺に寄り掛かる形に。左に揺れれば俺が安野に寄り掛かることに。
彼女も普段は女性専用車両に乗っているのだろうが、俺を見つけそのままの勢いで通常車両に乗ってしまったのだろう。
お互い慣れない環境のため、電車内では無言だった。のだが。
あるとき、突然安野がビクッと体を震わせたので「どうした?」と俺が訊いた。
すると、彼女は「な、なんでもないよ……」と震えた声で答えた。
おいおいこいつまたドМじみた妄想でもしているのかと最初は疑っていたのだが、だんだんそうでないことに気づく。
明らかに顔が強張っている。よく見れば体も微細に震えている気がする。
まさかと思い、俺は安野の背後をこっそり窺ってみると、案の定、安野は痴漢に遭っていた。
相手はさっき駅のホームで列を詰めた男性。
それを見つけた途端、俺の手は真っすぐそいつの手首を強く握って、安野の体から引き離していた。
ラブコメの神様さぁ。女子が本気で傷つくイベントは来ちゃダメだろ。
俺は鋭く睨むと、そいつは「うっ」と怯み、硬直していた。
こいつ痴漢してましたと言うのは簡単だ。でも、安野はいくら被害者とはいえこんな形で目立つのは好ましいとは思わないだろう。痴漢された子なんてレッテルを張られれば、嫌でも今日の出来事が深く刻まれてしまう。それは辛い。
どうしたものかと逡巡していると、近くにいた四十代くらいの男性がなるべく周りに聞こえないよう配慮して声を掛けてきた。
「そこの不届き者は私が次の駅の駅員さんに突き出しておくよ」
「え、でも……」
俺が言い淀むと、おじさんは優しく諭してくれた。
「君たち帆波高校の生徒だろう。うちの娘が同じ制服を着ていてね。君たちが二駅先で降りなければいけないのは知っているんだ。だから君たちは遅刻しないことだけを考えなさい。おじさんが責任もってこの男を成敗しとくから」
「あ、ありがとうございます」
俺も安野も小さく頭を下げた。
次の駅に着くと、優しいおじさんは情けない顔をした痴漢野郎を無事に駅員さんに突き出していた。
電車内ではおじさんのおかげで特に騒がれることなく、目的の駅に到着した。
ほんと、一時はどうなることやらと思ったぜ。
俺たちが電車を出て、改札に向かうまでの階段前で「あのっ」と安野に呼び止められた。
彼女はか細い声音でこう言った。
「さ、さっきは助けてくれてあ、ありがとうございました……」
彼女はまださっきの恐怖が拭いきれてない様子だったので、気を紛らわす意味も込めて、俺はおどけたように答えた。
「安野。幼馴染キャラ忘れてるぞ」
彼女は優しげに目を細めた。
「…………まだちょっと怖いからこうさせて」
ちょんっと俺の服の袖をつまんだ。
「幼馴染にしてはその行動は控えめすぎじゃね?」
「そう?こういう幼馴染もいると思うけど……」
彼女がはにかんだのを見届け、まあしゃーねえかと思い、俺たちは学校まで一緒に歩いた。
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