術符に込めた祈り(四)

 朝餉の後「本日は、写経のため会えぬ」と弟妹たちへの伝言を頼み、私室へ戻った。

 文机には小ぶりの硯。墨池には艷やかな墨。その隣には、私好みの筆置きに、熱田のお祖父様の筆が置かれていた。近江に感謝だな。

 この世界では、写経を行うにあたり精進潔斎が望ましいとされる。だが私の場合、朝餉の場に行かねば懸念されるだろう。皆に無為な心痛を与えたい訳ではないのだ。

 私は精進潔斎の代わりに祓詞を唱え、室内に結界を張った。次いで斎服の代わりに白の輪袈裟わげさを肩に掛け、今度は祝詞を唱えた。

 普段ならば、塗籠ぬりごめで行わぬことに疑問を抱く者もいるやもしれぬ。だが此度は、それどころではなかろう。

 ……写経は後で致す。その前に……

 文箱から術符を取り出し、机に向かった。

 呼吸を整え、筆を持つ。熱田のお祖父様の筆は、やはり手に馴染む。黒々とした墨とともに、難なく霊力を纏ってくれた穂先を術符へすべらせた。


 それから四(十二分)ほど後、身代わり札が完成した。夜明け前には、あれほど手間取ったというのに。

 ……これを、お祖父様の元へ……

 一瞬、小助を呼ぼうと思った。だが心を決められた源のお祖父様から、門前払いされる可能性もある。しばし考え、私自ら伺うことにした。

 名目は写経ゆえ室に入られることはなかろうが、念のため〝写経潔斎中〟と書いた紙を御簾の外に貼った。結界ほどの効力はなかろうが、声をかけられることはあるまい。

 ふたたび文机に向かった私は、ひとつ、深く息をついた。意を決して文箱から形代紙を取り出し、またひとつ息をついた。

 実際に、この術を施すのは初めてだ。うまくいけばよいのだが……

 墨を含ませた筆を、形代紙にすべらせる。術式を書き込み、筆を置くと、形代紙を手に取った。

 心の臓が、どくり、どくりと音を立てる。それは、少しの不安からか、考えぬようにしている罪悪感からか。

 いずれにせよ、もう後へは引けぬ。


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