乾対へ向かう道中にて(二)

「近江」


 庇の間に響いてしまわぬよう、先導する近江に、ひそやかに声をかけた。


「はい」

「私の薫衣香くぬえのこう、良い香りだそうだ」

「ええ。若様のお姿をうつしたような、清爽な香りですわ」

「そなたの調合と、小狩衣へのきしめ方が良かったのだな。そなたが褒められているようで、私は嬉しい」

「……若様……」


 嬉しいような、困ったような。振り返った近江は、複雑な表情をしている。私の言も近江の言も、さほど違いはなかろうに。

 それはともかく。光の君とは、我が家での私の愛称である。

 母上似のこの顔は、女房たちがそう呼びたくなる程度には整っているのだろう。己が言うのもなんだが。さらに源氏の次期長の子であることと、源氏物語をかけているらしい。

 たしかに我が家のご先祖も、源氏物語の光の君同様、臣籍降下をなさった。ならば呼称されるのは義平異母兄上や朝長異母兄上でもよかろうと思うだろうが……

 義平異母兄上は、雄壮──男前の武士という印象を受け。

 朝長異母兄上は、艶麗──光の君というよりは、その親友である頭中将とうのちゅうじょうという印象を受けるらしい。

 となると、私が『光の君』と呼ばれるのは道理にかなっている……と言えるのやもしれぬ。消去法とも言えるだろうが。いずれにせよ、表立った称賛を受けるのは面映いことだ。


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